これの続き
かの雄大な草原の王は、彼の親愛なる弟であり、この国の頭脳を司る宰相の男に問うた。
「そろそろお前も結婚をする気は無いのか?」
王と、宰相の二人だけで行われたささやかな酒宴。それも会場が宰相のプライベートルームであればそれはどちらかと言えば、兄弟水入らずの穏やかな時間だった。美しく聡明な弟は魔法士養成学校を卒業して以降、この国の宰相の地位に就きその辣腕を遺憾なく発揮して国の繁栄に貢献し、かつての悪しき印象を覆した。今ではひとたび民の前に姿を現せば黄色い声が上がるような有様で、王よりも人気があるのでは無いかとすら思える程に民の心を掴んでいるのに浮いた噂の一つも無い。強制するような物でも無いとはわかっているが、常日頃から王の片腕となり尽してくれる弟の幸せを願わない兄は居ない。
家族は、良い。守るべき妻と子がいるという、ただそれだけで世界が輝き明日を生きる活力となる。
突然何を言い出すんだこの男はと言わんばかりに片眉を上げてちらとだけ王を見た宰相は、手に持つグラスを一口飲み、そうしてゆるりと息を吐きだして背凭れへと体重を預けた。掌で温められたグラスの中でからりと氷が転がる。
「心に決めた相手がいる。そいつ以外は、要らねえ」
「初耳だ」
「初めて言葉にした」
そう言って宰相は心に想い人でも浮かべたのだろうか、幾分か、常よりも柔らかな顔で笑っていた。長年共に在る王ですらも初めて見るような笑顔。ならば何故、と問うのは無粋という物だろう。知略に長けたこの男がみすみす獲物を逃すとは思えない。
「けど、まあ、そうだな。そろそろ動いても良い頃合いか」
そう零し、グラスをぐいと煽った後に王を見据えた宰相の深緑の瞳が笑う。
「勿論、協力してくれるよな?兄貴」
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熱砂の国、ひいてはツイステッドワンダーランドでも指折りの大富豪、アルアジーム家。
数年前に魔法士養成学校を無事に卒業した御曹司は父の後を継ぐべくまだ修行中の身ではあるが、優秀な従者の支えもあってその成長は目覚ましい。天真爛漫な性格を生かして学生時代に築いた膨大なコネクションから新たなルートを繋ぎ、そこから更に広がったコネクションはもはやこの世にアルアジーム家と関りが無い国は存在しないのではないかと思われる程に成長している。全てはアルアジームに通じる、なんて噂もまことしやかに囁かれていた。
夕焼けの草原もここ最近になってからアルアジーム家とより盛んな取引が行われるようになった国の一つだ。細々とした取引はそれまでにもあったが、御曹司のコネクションを生かした王族との直接的な取引はいつしか王室御用達という触れ込みで庶民へと広がり、すっかり草原の民にもアルアジームの名は身近な存在になっている。
その、御曹司の偉大なる功績の一つである夕焼けの草原の王宮から届いた一通の封書。
御曹司に宛てられた封書を開き、まず中を検めるのは従者の役割だった。常ならば刃物や薬物、魔法の痕跡が無いかのチェックの後、速やかに御曹司に手渡される筈のそれは珍しく従者の手から離れず、それどころか文面から目を離す事すら出来ずに従者が複雑な顔をしているものだから流石に声を掛ける。
「……ジャミル?何かあったのか?」
罠が仕掛けられていて身動きが取れない、というのとはまた違うようだが、その顔は怒っているようでもあり、笑っているようでもあった。主に声を掛けられて顔を上げた従者は、つかつかと御曹司の元へと足を運ぶと文面を顔面へと突きつける。
「……あの野郎、やりやがった」
読めと言わんばかりに目前に掲げられた文章に上から順に目を通す。つらつらと眠くなりそうな難しい言葉で書いてある文章を必死に脳内で理解しやすい言葉に噛み砕きながらなんとか頭に叩き込んで行く。つまり、これは。
「レオナがジャミルにプロポーズしてる……って事か?良かったじゃないか!」
「良くない!」
噛みつかんばかりの従者に思わず仰け反る。目の前でぐしゃりと、一応王室からの重要文書扱いになる手紙が無造作に握り潰されていた。止めないと後で後悔するのは従者だと思うのだが、余りの剣幕に押し黙る。というよりも、学生時代ならともかく、近頃ではすっかり御曹司の有能な右腕の姿が板についた従者のこんなにも感情を露わにした姿を見たのが久々で少し面白くなっているところもある。
「なんで書面なんだよ!!何年ほったらかされたと思ってんだ直接俺に頭下げに来るべき所だろ!!!」
訂正。これは確実に面白いことになる。幼馴染みの想いが叶う日はきっと遠くない。盛大な宴の準備をしなければならないと早速心の中で計画を立てながら御曹司は声を上げて笑った。
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カリムが二人の事を知ったのはまだ学生生活をしていた頃、例の二年次のホリデーを乗り越えた後だった。もう我慢しない、やりたいようにやってやると宣言したジャミルが夜にこっそりと寮を抜け出していることがある事を教えてもらった。何かあっても今夜は居ないから、と少し浮かれた様子で笑うジャミルに直接行き先を聞いた事は無い。
だが、それと同じ頃からスカラビア寮にレオナが訪れるようになった。我が物顔で談話室で寛ぎ、その威圧感で談話室に近付けないという寮生の相談を受ける事多数。他寮生だというのにそうして談話室を独占したレオナは呆れ顔のジャミルが迎えに来ると満足気に笑い、二人仲良くジャミルの部屋に消えて行く。散々鈍感だと言われてきたカリムだったがさすがにこれはわかる。二人は、つまり、そういう事なのだと。
カリムにとって、ジャミルは大事な幼馴染であり、従者であり、友人だ。誰よりも幸せになって欲しいし、ずっと笑っていて欲しい。二人の恋が難しい物だというのもわかっている。ジャミルの身はカリムの一言でどうとでもなるだろうが、レオナは王族だ。皇太子が居るとは言え、王位継承権第二位の男である事は変わりない。カリムですら近頃毎日のように見合いの話を出されて辟易しているのだ。王族ともなれば、その煩わしさは比べ物にならないだろう。
本当は、カリムだって恋愛結婚がしたい。好きになった女の子と幸せな家庭を築いてみたい。だがアジーム家に嫁入りする事の大変さは多少わかっているつもりだ。カリムには当たり前の事であっても、相手には異世界でしかないかもしれないという事も。だからカリムは恋はしないと決めている。どうせ恋をした所で、アジームが許さない。アジームが許したとしても、外の世界で生きてきた子にとって、此処はきっと酷な世界だ。
レオナは万が一があれば一国の王になる可能性もある男だ。女王として国王の隣に並ぶに相応しい女性が厳選されるのだろう。数多の兄弟が存在し、簡単に替えが効くカリムとはわけが違う。
ジャミルもそれは理解した上での事だったようだ。学生のうちに、やれることは全部楽しみたいと言って少しだけ寂しそうに笑ったジャミルの笑顔を、カリムは忘れない。
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一度は皺くちゃになった物の、ジャミルの魔法によって綺麗な状態に戻された手紙を中心に集まったのはアジーム家現当主と御曹司、そしてそれぞれの右腕となる従者の親子だった。
手紙の内容は要約してしまえば「学生時代に恋仲であったもののそれぞれの事情により別れざるを得なかったジャミル・バイパーをレオナ・キングスカラーの嫁として王室に迎え入れたいということ、先んじて書面を送ったが、一週間後にはレオナ・キングスカラー本人が直々に熱砂の国を訪れ、直接交渉にあたりたいこと」の二点だった。
「親しくさせて頂いた事は事実ですが、殿下のご卒業と共に関係は解消され、それ以降一度も私的な連絡を取った事もありません。私はアジーム家に仕える身ですので、旦那様のご指示に従います」
事実関係を問われそう宣言したジャミルの横顔に迷いは無かった。それを面白がるように笑ったのは、カリムの父である当主だった。彼は自身の幼馴染であり最も信頼する右腕でもある従者の息子を特別気に入っていることをカリムは知っている。跡継ぎたる息子が殺されかけたあのホリデーでの出来事だって、息子の良い灸になっただろう若いうちはそれくらいの無茶もするもんだと笑い話にしてしまうくらいには寛容だった。生まれついてのどうしようもない身分というものがあっても、それでもジャミルの幸せを願っている男だった。血は争えない。
それならば、まずは本人の直接交渉とやらを聞いてみよう、という結論を出した当主は先にジャミルだけを下がらせると、自身の従者と、息子へとにんまりとした笑みを向けた。
「さて、結婚を祝う為の盛大な宴の計画をせなばなるまいな?」
やはり、血は争えない。
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レオナのNRC卒業を明日に控えた夜。これが最後の逢瀬になるのだと、二人とも言葉にしなくてもわかっていた。血が、身分が、二人の居場所を隔てている事は身に染みて理解している。
二人の関係を明確に表現する言葉は存在しない。出会いも別れも何も無い、ただ、そっと寄り添った記憶が残るだけ。
悲しいとは思っても、辛いとは思わなかった。むしろ、学生の間だけでもこうして想う相手を得たという満足感があった。
それでも一度馴染んでしまった体温からは離れがたい。体を重ねる事よりも、ただぴったりと肌を重ねて体温を分け合う心地良さを噛み締める。きっと、二度と味わう事の出来ない安息に身を委ねる。
「……お前の夢は、今も変わらないか」
息遣いのような細やかな声が、ジャミルに問う。夢など、あっただろうか。そんな不毛な物を語った事があっただろうか。少しだけ考えて、思い出す。じゃれあいの延長線上の、軽口で語った夢。そんな未来を望む事も願う事も無いとわかりきった戯言。
「……そう、ですね……」
叶う訳ないですけど、と言いかけた唇を噤む。わかりきった事を口にするよりも、最後まで夢を見たままでいた方が、きっと、良い。
「……お前が、……違う夢を持たない限りは、あの夢、いつか俺が叶えてやるよ」
「……楽しみにしてます」
最後の優しい嘘は、ジャミルの心にほんのりと温かく沁み込んだ。明日からこの記憶は思い出になる。
それきり、何も言わなくなったレオナの腕にゆるりと抱き締められて温もりに包み込まれる。百獣の王の褥は、最後まで暖かかった。
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アルアジームからの返信は間もなく草原へと送り届けられた。曰く、直接話を聞きたいのでアジーム家としては歓迎するという。例え断りの手紙が来たとしても、強引に押しかけて話をつけに行くくらいの心積もりのレオナだったが、実際に訪ねてみれば滞在中の宿はアジーム家により手配され、家を訪ねれば派手なパレードで出迎えられ、満面の笑顔を浮かべた当主自らがよく来てくださったお待ちしておりましたとまるで待ち構えていたかのような歓迎ぶり。勝負は五分と踏んでいた御家事情があっさりクリアしている所かレオナを後押ししているようで笑ってしまう。アジーム家を説得する材料としてあれこれと時間をかけて用意した物が無駄にはなったが、悪くはない。味方は多いに越した事は無い。
初日はそのまま歓迎の宴とやらに雪崩れ込み、上座に用意された席に当主と共に座り、酒を酌み交わすだけに終わった。一度、カリムが「ご挨拶」にやってきたが背後に付き従うジャミルは「お元気そうで何よりと存じます」と他人行儀な挨拶を述べた切りただ無言で従者の仮面を被っているだけだった。完璧なまでの微笑みを浮かべたその顔からはジャミルの内心までは伺えない。久方ぶりの再会だというのに顔色一つ変えずにレオナを真っ直ぐに見据えて笑うその顔は、きっと、ジャミルなりの挑発だ。どんな交渉とやらをするのかと高みの見物を決め込むつもりなのだろう。
だがそれは拒絶では無い。最終的に断るつもりであろうとも、まずは言い分を聞く用意があるということだ。ならば平和的解決も望めるだろうとレオナは口の端を釣り上げた。
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「さてまずは不躾なお願いにも関わらずこの場を設けて頂きましたアジーム殿には多大なる感謝を」
翌日設けられた交渉の場で、開口一番にそう言って両手を合わせて頭を下げるレオナは悔しい程に様になっていた。熱砂の国の礼儀に合わせ、向かい合ってあぐらをかく姿は卒が無い。数年見ない間に分厚くなった胸を張り、言葉こそへりくだってはいるが何があろうとも此処を退かないという意思が伺える堂々たる微笑み。学園で駄々を捏ねて怠惰を貪っていた姿は微塵も感じられない、支配者たる優美な姿。卒業後は国に戻り、宰相の地位についたこの男がその知恵で見る間に国を発展させ国民の信頼を得ているという情報を何処かで見かけた時はどれだけ必死な情報操作が行われているのだと笑い飛ばしてしまったが、この様子では誇張無しの事実だったのかもしれない。
「まずは恋焦がれながらもこれだけの長い時間、彼を待たせてしまった事についての弁明をさせて頂きたい」
そう切り出したレオナがアジーム家当主、カリム、ジャミルの父、そしてジャミル本人へと視線を流してから微笑む。いかにも王族とでも言うような花が綻ぶような笑顔を、ジャミルは知らない。当事者である筈なのに、あまりにも記憶とは違うレオナの姿に、なんだか画面の向こうの映画でも見ているような気分になる。
好きだった、と思う。
かつてこの男に恋をしていた。いずれ別れる時が来る事を知っていながらも、それまでは傍に居たいと願う日々だった。
だがあの頃に想いを寄せた男と目の前の男が同一人物だと結びつかない。
目の前ではレオナがかつて自身が王宮で忌み嫌われる存在であったこと、そのままジャミルを迎えたのでは肩身の狭い思いをさせると思ったからこそ、イメージを払拭する為に時間をかけて民の信頼を得る為に国に尽くして来た事、そうして満を持して漸くこの時を迎えて漸く会いに来る事が出来た事、宰相の地位に拘りはなく、ジャミルの返答次第では国を捨てる覚悟すらあるという事を朗々と語っていた。確かに、言い分はわかる。と、言うよりも納得せざるを得ないような何かがあった。
しかし、その努力は認めるにしても一度も連絡をしないのはあまりにも無責任では無いかとジャミルの苛立ちを代弁するかのような当主の問いに、レオナはそれは美しく笑った。
「ジャミル殿が幸せになることが私の何よりの望みです。この世で手に入らない物が無いと言われるアジーム家に仕える彼ならば、私以外の方と幸せになる道もあるでしょう。その選択肢を奪うのは本意ではありません。連絡を取れば優しいジャミル殿の事ですから、私の事を憐れんでご自身の幸せを諦めてしまいかねません。それは私の望む所では無いのです」
役者のように感情を込めた演説は確かにこの場に居た人間を虜にしたようだった。当主は盛大な拍手をし、カリムは涙目で「ジャミル愛されてるなあ」と眩しい物を見るかのようにレオナに見惚れ、父はなんだか微笑ましい物でも見るかのように笑っていた。
ジャミルはただ一人、その中で口をへの字に曲げて顔を顰めていた。感動の場面に水を差すような真似はしないが、当事者でありながら一人取り残されたようなジャミルの気持ちはただ一つ。
誰だ?この男。俺は、こんな男は知らない。
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そうしてアジーム家の全面協力が約束され、後は当事者同士で話し合いなさい、とレオナと二人、部屋に取り残された。
扉の閉まる音に、少しばかりの息苦しさを感じる。ジャミル以外を虜にした目の前の男を、ジャミルだけは不思議な緊張感で持って見て居た。
「……この部屋は、外から監視の類はされているか?」
ひたりとジャミルを見るエメラルドはかつての皮肉めいた笑みではなく、ただ朗らかに笑っていて違和感しか感じられない。
「いえ。そういったものは一切配備していませんし、魔法によってそういう物が紛れ込まないように守られています」
「そうか」
にこり、と駄目押しとばかりに笑顔を浮かべた後に、不意にレオナが真顔に戻るとどさりと足を投げ出し、後ろに手をついて天井を仰ぐ。
「あー………五分、待て」
聞き慣れた、やる気を感じさせない怠惰な甘い声に少しだけ安心するも、ここからが一番の勝負所だろうに二人きりになった途端に気の抜けたような態度のレオナに苛立ちを感じる、が。
「……痺れたんですか」
問いかけに、レオナは答えない。じっと天井を見上げたままぴくりとも動かずに口を噤んでいた。
それが、何よりの答えだろう。
腰を浮かせ、膝でレオナににじり寄る。
「……触るなよ」
観念したかのようにじろりとジャミルを睨む視線に安心してしまう。ようやくこの男と再開を果たした気がした。
「この絶好の機会を俺が逃すと思うか?」
「テメエ、……っっ……!!!」
にっこりと笑いかけてやれば怯んだレオナがつい足を動かし、一人で勝手に悶絶し始めた。
「良い様だな」
だがそれくらいで許してやるつもりはない。レオナが庇う左足のふくらはぎを思い切り掴めば、びくりと肩を跳ねさせながらも止めるように伸ばされたレオナの手に掴まれ、痺れに苛まされ弱った隙をついてはまた思い切り触ってやる。
さっきまでは王族とはかくも美しく人を惹き付ける物なのかと言わんばかりの魅力で場を圧倒しでみせた男が、ただ触れるだけでのたうつ姿を見せるのに、思わず笑ってしまう。
「っっんのやろう、」
両手首を掴まれた、と気付いた時にはぐ、っと強い力で引き寄せられ、厚い胸板に抱き止められたと思えばそのまま身体がぐるりと反転して地面に背中が触れる。のし掛かるレオナの体温と匂いに包まれ、もっと揶揄ってやろうと開いた唇が言葉を失う。ジャミルの肩に顔を埋め、荒くなった呼吸に背を上下させるこの重みを、ジャミルは知っている。
紛れも無く、これはレオナだった。
かつて恋をした男だった。
柄にも無く泣いてしまいそうで、ジャミルは唇を噛んだ。
「……待たせて、悪かった」
待ってなんか無い、あんな口約束にも満たない戯れ言を信じていたわけ無いと言いたくても震える唇は言うことを聞いてはくれなかった。
「お前を嫁に、という話にはなっているが……別にお前が横に居てくれるならなんでも良い。今まで通りカリムの世話がしたいって言うなら俺がこっちに来ても良いし、二人で違う国に行ったって良い。お前の望みは何でも叶えられるように、準備してきた」
馬鹿じゃないのかと罵ってやりたい。自分を卑下するつもりは無いが、ジャミルは一国の王子がそこまでするような身分では無い。それだけの準備の手間をかけずとも、アジーム家当主さえ上手く丸め込んでしまえば簡単に手に入るだろう。そうなった時、ジャミルが何を思うかは別として。
顔の横に手をつき、身を起こしたレオナがジャミルを見下ろす。その柔らかな微笑みを、ジャミルは見たことが無かった。だが不思議と嫌な気持ちにはならない。むしろ血の巡りが良くなって心臓の音が五月蝿い。
「俺の物に、なってくれるか?」
そっと熱い両掌に頬が包まれ、額が重なる。間近のエメラルドに吸い込まれてしまいそうだった。本当に腹が立つほどにこの男は顔が良い。
何処で覚えて来たんだこんな手管、だとか、此処であっさりと頷いてしまっては本当にレオナを待っていたみたいで癪だ、とか、せめて一発ぶん殴ってやりたい、だとか。
言いたい事はたくさんあったし、後で絶対全部ぶちまけてやると心に決めながらレオナの頭を引き寄せ、噛みつくようにして唇を奪ってやった。
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「穏便にお前が俺の物になってくれてよかった」
「まだなってない」
「時間の問題だろうが何駄々捏ねてやがる」
「やっぱり止めようかな……」
「安心しろ、テメェの気持ちがまだ俺にある限り諦めねぇし、お前を攫って逃げるくらいの準備はしてある」
「はあ?」
「何のためにこれだけ時間かけたと思ってるんだ。世界各国に信頼できる隠れ家がすぐに用意出来るし、数年は遊んで暮らせるくらいの貯えもある。監禁の為の魔法なんかもきっちり勉強済みだ」
「俺の意思はどうなるんだよ」
「口でなんと言おうと、俺の隣がお前の幸せだろ」
「……っはー……昔の拗ねて捻くれてうじうじしてたレオナ先輩を返せ」
「発破掛けたのはテメェだろ」
「記憶に御座いませんが」
「先に婚約指輪くれたのはお前だ」
「……よく覚えてましたねそんな事」
「初めてお前にもらった大事な物だからな。……ああそうだ、お前が望むなら、お前が孕めるようになる魔法薬も確保してある」
「……は?」
「あん時は無理だったからな。欲しくなったら、いつでも言え。俺はお前の子供なら欲しい」
「――……どんだけ俺の事好きなんだよ」
「知りたいか?いつでも身体で教えてやるが」
「今は止めろ」
「後でならいいんだな?」
「……」
「いいんだな」
「うるせえ笑うな」
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