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空箱

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おめがば

とろりと雄を誘う、甘い香り。
なけなしの理性をぶち壊そうとする暴力的なそれがべったりとレオナに絡みついているというのに、その匂いの発生源であるジャミルははっきりとレオナを拒絶していた。
「何で、俺がカリムの従者になれたかわかります?」
はあ、と今にも頽れそうな身体で熱い吐息を零している癖に、ジャミルは真っ直ぐにレオナを見ていた。そこにあるのはαへの媚びでも甘えでも無く、敵意にも近い、強い意思。
「俺が、Ωで、アイツの運命だからですよ」
意地でも膝をつくつもりは無いと、壁を背にして辛うじて身体を支えながらジャミルは嗤った。ただ一歩、ジャミルに近付くだけで簡単に捕えられるとわかっているのに、その一歩が踏み出せない。
「なら、何故……」
「番になんてなるわけがないでしょう!なれるわけがない!本能に負けて従者如きを番にするなんてアジーム家の恥にしかならない!」
熱砂の国の身分制度は、レオナも重々承知しているつもりだった。だがそれなら尚更、ジャミルがカリムの傍に置かれる理由がわからない。番を持たないΩは発情期になる度にαを誘う。運命の番であれば発情期すら関係無く、目と目が合うだけでも自然と身体が互いを求めるとすら言われているのに、番にならぬまま運命の相手を傍に置くのはただ悪戯に望まぬ妊娠を招く結果にしかならない。
レオナの疑問に気付いたようにジャミルが目を細め、微笑む。匂いは強くなる一方で、身体は今にも目の前の獲物を組み敷きたいと渇望する程に熱くなっているのに、腹の底だけがひんやりとしていた。
「俺、絶対子供産めないんで」
「はあ?」
「赤ちゃんが育つトコ、取ったんですよ。間違いが起きないようにって」
まるで自慢をするかのように秘密をひけらかす癖に、ぞろりとジャミルが下腹部を撫ぜていた。そこにあった筈のものを惜しむように、悲しむように。
「……カリムはそれ、知ってんのか」
「知る訳ないでしょう、面倒なだけだ」
ぐる、とレオナが低く唸った所で、ジャミルはただ溜息のように笑うだけだった。
「俺は、そこまでしてでもカリムの傍に在る事をアジームに求められた男です。それでも、手を出す覚悟がありますか?」
挑むように笑っている癖に、何故かレオナには迷子の子供のような頼りない顔に見えた。泣く事も、助けを呼ぶ事も知らずに立ち竦む哀れな幼子。それを救ってやる等と軽々しく言えるような無邪気さはレオナには無い。だが、此処で尻尾を巻いて逃げるつもりも無かった。踏み出せなかった一歩を、自らの意思でもって前へと運びジャミルを捕らえる。
「………後悔しますよ」
見上げる瞳に喜色が滲んでいる癖に、未だそんな減らず口を叩く唇を塞ぐ。そんなもの、今更だった。

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新年

肌寒さに目を覚ます。重い瞼を持ち上げて最初に目に入ったのは、普段は一つに纏められた長い黒髪を無造作に散らばらせた細身の背中。決して華奢では無いがレオナよりも一回り細い背中がこの寒さの中で布一枚すら纏うことなく晒されていた。その向こうにはほたほたと雪が降る夜の景色。閉まっているとばかり思っていた窓は開け放たれ、細い背中は窓枠に凭れ掛かり外を眺めているようだった。どうりで寒いわけだ。
のろりと瞬き、声をかけようとして躊躇い、代わりに腕を伸ばす。青い暗さに支配された部屋は予想以上に冷え切っていて、隣に温もりが無いだけでこんなにも冷たい。しんしんと騒がしい無音にへたりと耳を垂れながらも、指先が捕らえた肌を引き寄せるようにすり寄る。骨っぽい身体は氷のように冷たかった。
「……起こしちゃいましたか?」
ようやく気付いたらジャミルの冷えた指先が頭を撫で、反射的に身を縮こまらせれば笑う吐息が降ってくる。こんなにも冷えきった身体で何を笑えるのかレオナにはわからない。隔てる温度が遠い。少しでもこちらに引き戻そうと、布団を被ったまま身を起こして細い背中を抱え、ぴたりと隙間無くレオナの腕の中に収まった身体ごと布団でくるまる。窓の外は一面の銀世界だった。
「……雪ではしゃぐ歳でもねぇだろ」
「そうでも無いですよ。こんなに積もるところを見るのは……NRCに居た時ぶりじゃないかな」
言われて思い出す、妖精族に振り回されたフェアリーガラの事件。確かジャミルの所属するスカラビア寮では普段の暑さとは正反対の豪雪に見舞われたと聞いた覚えがある。久方ぶりに遠い記憶を引きずり出してしまい、今この腕の中に在る存在の貴重さを噛み締めてぎゅうと抱き締める。
「ふふ、あったかい」
「テメェが冷えすぎてるんだ」
くふくふとご機嫌に笑いながらもたれ掛かるジャミルの頭に顎を乗せて溜め息を一つ。白く煙って吐息がふわりと冷気に溶けていった。
窓の外の雪は音も無く積もって行く。青く輝く白は、まるでこの世界に二人しか存在しないかのような寂しさを呼び込んでいた。それなのに、何故だか目が離せなくなるような不思議な魔力で持ってレオナの目を焼く。ふつりと会話が途切れてしまえば耳に痛いくらいの静寂が部屋を支配していたが、二人でくるまる布団の中だけは暖かい。温度を取り戻し始めたジャミルの体温がとろりと腕の中で溶けていた。
「たまには、寒い場所で静かに年を越すのも良いな」
ぬくぬくとレオナの体温を奪って血色を取り戻したジャミルが笑う。目尻に笑い皺を刻んでも美しさを損ねない、穏やかな顔。見飽きる程に網膜に焼き付けた筈の笑顔は未だレオナの心を掴んで離さない。
「……そうだな」
寒いのは嫌いだが、今この時間は悪くない。そう思えるくらいには、レオナも大人になった。傍に暖かな温もりがあれば、一人凍える事はもう、無い。
「……だが流石に窓は閉めても良いか?」
「レオナは本当に寒さに弱いな。猫みたいだ」
「ライオンだ」
「はいはい」
布団の合わせ目から腕を伸ばしたジャミルが窓をそっと閉める、その一瞬の隙間が寒くて思わず腕の力を込めれば鍵をかける前に引きずり戻された身体が肩を揺らして楽しげに笑いだす。
「閉められないじゃないですか」
「寒ィんだよ」
外気が入らなければもうそれで良い。それよりも少しでも暖まりたくて、抱えた温もりを逃さぬように腕も足も絡めてぎゅうぎゅうに閉じ込めたままごろりと寝転がる。馴染んだ体温は横になるだけで再び心地よい睡魔をレオナのもとへ運んできた。
くあと込み上げた欠伸に口を開ければ、するりと腕の中で向きを変え背に回された掌がそっとレオナの肌を撫でる。その指先はもう冷たくはなかった。
「おやすみなさい。今年も、よろしくお願いじす」
「……ああ」
あやすような指先に促されるまますぅっとレオナの意識は眠りへと誘われる。
それは二人が共に生きるようになって、十年目を向かえる年の始めのことだった。

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三億の男

大切な物は、二つ同時には持てない。
ジャミルは、たった一つを選ぶ必要があった。
そうしてジャミルに切り捨てられた男は、悲しみもせずにただ肉食獣の瞳をして笑った。
「逃げられると思うなよ?」



NRCを卒業して数年。
商人として数々の取引を成功させ、今ではすっかり名実共に次期後継者となったカリムを支えるジャミルの毎日は忙しい。カリムのスケジュール管理、取引先の身辺調査、世界の流通の把握、それから商談の場で飛び出るカリムの奇抜なアイデアにいつでも冷静に対応するための下準備。ただの従者である頃と仕事量は比べ物にならないほど増えた。だが、分刻みの過酷なスケジュールであってもジャミルは充実していた。
NRCを卒業した時、アジーム家の従者という立場からの解放をカリムから提案された。勿論家族のその後の保証もするし、自由になった後、何を始めるにも困らないくらいの支度金を用意すると馬鹿みたいな桁の金額を提示され、それと同時に改めてカリムに雇用される気は無いかとも打診された。生まれも身分も関係無く、ただジャミルの能力に対価を払いたいというカリムの提案は、先祖代々の血筋のみで人の価値が決まる熱砂の国では異例中の異例だ。
だからこそ、ジャミルはカリムの誘いに乗った。今のジャミルはアジーム家に代々使える家柄の従者では無く、カリムが個人的に雇用した秘書ということになっている。二人の間にあるのは契約と対価のみ。そうやって関係をすっきりさせて初めてカリムとジャミルは対等に並び立ち、友人、に近い関係になっていると思う。当然色んな所から不快な批難の声は届いたが、この関係であるからこそ実力が発揮出来るのだと結果を出す事で黙らせてきた。



今日は長年アジーム家と取引をしていた実績のある、夕焼けの草原の貴族から紹介された男との顔合わせだった。その男も貴族の血は引いているものの庶子であり、一代でのし上がったやり手の商人。裏ではそれなりのこともしてきたようだが商いの世界ではよくある話だ。清廉潔白の商人の方が信用ならないとすら言える。
顔合わせの会場として指定されたのは熱砂の国にあるオークション会場だった。莫大な富と信頼が無ければなれない会員と、その会員に招待された人間しか入る事の許されない隠された場所。表向きは骨董品や蒐集品を主に扱うオークションとなってはいるが、実際には危険物や多種に及ぶ利権、珍しい生き物から人間まで、表立っては言えないような商品ばかりが並ぶという。あまり気は進まないが意外な事にカリムがノリ気になってしまった為に断る事も出来ず、今日に到る。



会場の中は薄暗く、扇状型のステージだけが眩いスポットライトを浴びていた。ステージのすぐ前には競りに参加する者の為の椅子が並び、更にそこから放射状に離れた場所には競りを眺めるだけのボックス席。こんな後ろ暗い物ばかりが並ぶ競りに出資者本人が参加する事は殆ど無いようで、参加者の席に座っているのはいかにも従者や下僕とわかる者ばかり。その主たる人間は皆、暗いボックス席の奥で優雅に酒を傾けているのだろう。
カリムとジャミル、それから紹介した貴族とその従者、更に今回の相手となる男とその従者もボックス席の一つに居た。商談前の顔合わせとはいえ、既に駆け引きは始まっている。他愛無い世間話と共に酒を嗜みつつ相手の腹を探る作業はジャミルも嫌いでは無いが、此処はカリムに任せる方がずっと良いと学んでいた。いかにも騙し易そうな清らかな笑顔で今までどれだけの利益を上げてきたことか。



和やかに顔合わせは進み、今回の相手の事は可も無く不可も無くという評価だった。目立つ欠点は無いが、特に魅力も感じない。駆け出しの頃ならばこれも大事なコネクションとして手を取るのも有りだが、今やそれなりの知名度と信頼を勝ち得ているカリムならば居ても居なくても変わらないレベル。明日の商談がよっぽど価値のあるものでなければそのまま二度と会う事も無いだろう。
オークションもそろそろ終わりが近付いているようで、熱気の籠ったステージ上には布がかけられた大きな四角い箱が置かれていた。大方、中には人が入っているのだろう。先程も何度か、布の下から無骨な檻が現れ、その中には幼気な少女や筋骨たくましい男性が悲壮な顔をして閉じ込められているのを見た。憐れとは思うが、そういう国であるのだから仕方がない。
「それでは最後の商品はこちらです」
恭しい司会の台詞と共に布が取り払われる。露わになる大きな檻と、その中には一人の男性。会場にどよめきが走った。
「この顔、ご存知の方もいらっしゃるでしょう、夕焼けの草原の現国王陛下の弟君、レオナ・キングスカラー!」
は?と。呆気にとられた声が出そうになり慌てて飲み込む。状況が上手く理解出来なかった。レオナの卒業を機に別れた相手ではあるが、その目立つ立場ゆえに近況はそれとなく知っているつもりだった。国に戻った後は、兄である国王の元で政に関わっていたこと。スラム地区の劣悪な環境の改善に尽力していたこと。あまり表舞台に上がることは無いが、美しく聡明な王弟は密かに噂になり、世の女性たちを賑わせていたこと。
そんなレオナがこんな場所で競りにかけられているのはどう考えても不自然だった。
「一流の魔法士である当商品ですがご安心ください、由緒ある魔封じの拘束具も勿論セットになっております。ご希望があれば洗脳や記憶改変の術者も控えておりますのでいつでもお申し付けくださいませ」
穏やかな司会の台詞は物騒な物ばかりで、人権も何もなく、ただこれから物のように売られる商品なのだとまざまざと伝えていた。だが当の本人は、ただ檻の中に裸同然に放り込まれていた今までの商品とは違い、きっちり衣服を着て、座り心地の良さそうなソファの上に長い足を組んで座り、随分とリラックスした様子で寛いでいた。首と手首にだけ今までの商品と同じように無粋な拘束具がついていることで辛うじて商品なのだと認識出来るレベル。まるでこれから売られる人間の態度とは思えない。見た目が良く似た偽物かとも思ったが、それが檻の中で拘束された状態だというのにこうも王者のような貫禄を出せるものだろうか。
その、無粋な鋼鉄を物ともせずに呑気に辺りを見渡す視線がひたりと、ジャミル達の座るボックス席を捉え、そして肉食獣の瞳で笑う。
これは、本物のレオナだ。
「それでは100万からスタートです!」
司会者の声と共にあちこちから一斉に手があがり、司会者の告げる金額がどんどん上がって行く。わけがわからないままにカリムを見ればそれはもうきらきらと目を輝かせてジャミルを見ていた。その、笑顔の理由もわからない。問いただそうと唇を開くも声になる前に突然カリムが立ち上がり、ボックス席を抜けてステージの方へと向かっていく。客人も居る前で何故そんな勝手な事を、とフォローすべく残された者達を見るが、気を悪くする所かカリムと同じように皆笑っていた。
「一億、一億が出ました。一億です。他にありませんか」
マイク越しに興奮した司会の声が響く。レオナが一億。そんなバカみたいな金額を出してまでレオナを買おうとする輩には反吐が出るが、レオナならその価値も当然、むしろ足りないだろうともジャミルは思った。
「三億!!!」
会場に響き渡るカリムの良く聞き慣れた声。しん、と一瞬静まり返った会場は、すぐに三倍になった金額にざわざわと大騒ぎになっていた。ジャミルからは背中しか見えないが、あの眩しいまでの笑顔を浮かべているに違いない。多分、そうするのだろうなとは思っていた。カリムは売りに出されている友人を見捨てられるような男では無い。だがその金額。商売人として駆け引きも無くその金額を出すのはどうなんだと後で叱ってやらねばと思う。
「三億出ました!三億です!他ありませんね!?」
カン、とハンマーが打ち鳴らされ取引が終了すると一斉に会場が沸き立つ。拍手、歓声、まるでお祭りムードだ。それらに手を振って応えながら堂々と帰ってきたカリムが、ジャミルの前に立つとにんまりと口角を釣り上げた。
「これ、ジャミルへのプレゼント。受け取れないって言うなら雇用主の権限で命じる。受け取ってくれ」
「は?」



※カリムもレオナも貴族も今回の紹介相手も会場も皆グル

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初恋

確かそれは六歳くらいの時の事。
正式にカリムの従者となる事が決まり、本格的な従者としての教育や業務が始まったばかりで、カリムもまた次期後継者としての教育が始まりお互いの立場の違いを理解し始めた時期でもあった。
社交デビューに丁度良いと、初めて正式にカリムが招待された遠くの国の式典。国どころかアジーム本家のある街からも出たことが無かったジャミルにとって期待と緊張の入り混じる初めての外の世界だった。
社交デビューと言っても今まで伸び伸びと自由に育てられたカリムがすべき事は主要な取引相手への顔見せのみ、ジャミルはアジーム家御曹司に相応しい従者としてただ静かに背後に控えていれば良いだけではあったが、これまで見慣れた人間しか居ない環境で育った二人にとって知らない人間ばかりの空間というのは初めての経験であり、ただカリムの後ろに控えていただけだというのになんとか式典を終えて自室へ戻る事を許された頃にはジャミルはすっかりくたびれ果ててしまっていた。
だが一刻も早くカリムを部屋まで連れ帰り寛ぎたいと願うジャミルとは裏腹に、緊張から解放された途端に妙な興奮状態になってしまったカリムはもう少し探検していこうぜ!と式典が終わっても未だあちらこちらで談笑する人ごみの中に駆け出して行ってしまった。二人の名誉の為に言うならば、まだその頃はさほど暗殺や誘拐の危機にあう経験がなく、二人とも知らない場所で子供だけでいる危険性をよく理解していなかったのだ。だから疲れていたジャミルもすぐには追いかけず、だがその場で従者が一人で立ち留まる訳にもいかず、渋々カリムを歩いて追いかけるだけだった。
式典会場の白亜の城にある広大な庭は、熱砂の国よりもひんやりと湿った空気が流れ、濡れた土と花や緑が香る鬱蒼とした木々が生い茂る、まるで御伽噺の世界のようでジャミルも浮足立っていた事は否めない。
先程までは緊張感で殆ど視界に入っていなかった景色をぼんやりと眺めながら、大人たちの足元を縫うようにして彷徨いカリムを探す。歩いていればすぐに見つかるだろうと思っていたがカリムは中々見つからない。談笑に夢中の大人たちは足元を通りすぎる幼子になど全く興味がなく、たくさんの人の話し声が聞こえるのにまるで透明な壁の向こうにいるみたいだった。
最初こそ呑気に初めての場所の空気を楽しんでいたが、どれだけ探しても見つからないと次第に不安が募る。その年頃の子供の思考なんて単純だ。一人ぼっちになれば心細いし、言いつけを守れなかったら怒られてしまうと怯える。初めての場所で、初めての仕事で、初めての失敗であれば尚更の事。泣かない子供と言われていたジャミルでもつい涙腺が緩みそうになって来た頃の事だった。
「ジャミルー!」
舌ったらずな聞き慣れた声に呼ばれて振り返ると、そこにはこちらの苦労も知らずに元気良く手を振るカリムの姿。一人ではなく、不思議な耳をした人と手を繋いでいた。
「カリム……!!」
咄嗟に駆け寄ってカリムの所まで走り、思わず怒鳴り付けてやりたい所だったが人前で主にそんなことをするわけにも行かず、ぐっと堪えてカリムと手を繋いでいる人を見上げる。ライオンのような耳と、良くみれば尻尾も生えていた。知識として知ってはいたが初めて目にした獣人、それもとびきりの美人。ブルネットの柔らかそうな髪と宝石のようなエメラルドの瞳、歳はジャミル達よりも五つは上だろうか、カリムと比べればシンプルに見える服装だが明らかにカリムと対等か、それ以上の地位があるのだとわかる優雅な立ち姿に見惚れそうになり、慌てて頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!」
そう言って再び顔を上げて見上げたその人はふんわりと笑っていた。
「良かったな」
そう言ってぽんぽんと頭を撫でられた。たったそれだけの事なのに何故だか無性に嬉しくて、だがそれを伝える言葉をまだ知らなくて、ジャミルはただこくんと頷く事しか出来なかった。



「今思えばあれが初恋だったと思うんですよねえ」
だらだらとうつ伏せにベッドに寝転がるレオナの尻を枕に怠惰に過ごす休日。話の流れでふと思い出した記憶をぽつぽつとレオナに語ってみせたものの、返ってきたのはふぅんと気の無い返事だった。
あの後、もうはぐれるなよ、とカリムとジャミルの手を繋がせた美しい獣人は誰かに呼ばれて何処かへ行ってしまった。その時なんと呼ばれていたのかも思い出せず、だがあの眩い笑顔は瞼の裏に焼き付いて離れず、何度も夢に見てはドキドキしながら目を覚ました記憶がある。
「御存知無いです?先輩と同じ年頃くらいで、髪も瞳も先輩に似た色の女性」
「……そう来たか」
先程とは打って変わって面白がる声。目を瞬かせてレオナを見やるとニヤニヤとたちの悪い笑みを浮かべた美しい顔がジャミルを見ていた。
「あん時の泣きそうになってたお嬢ちゃんがまさかこんな性悪に育ってたとは気付かなかったなあ?」
「は?」

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満月

ジャミルが三年生になった、冬。
二年の頃から副寮長なんてものをやっていれば、学園内での最高学年になった所で殆ど生活は変わらない。むしろ去年の今頃に比べたらカリムの為に割いていた時間が減った分、随分と自由気ままに過ごしているような気がする。朝は朝食当番ではない寮生と変わらないくらいに遅い時間まで寝ていられるし、カリムの世話だってちゃんと起きたか確認するだけだ。かつてはジャミルの手を借りなければ着替え一つまともに出来なかった男が今では一人で目覚まし時計を使って起床し、身支度を整え、登校に必要な荷物を揃える事が出来るようになった。朝食は毒味とその日の予定の確認の為に向かい合って一緒に食べるが、昼食は別に食べることも多い。


そうして空いたジャミルの時間を今まで費やした相手は、無事に四年生に進級してしまった為せっかく出来たジャミルの貴重な空き時間を共に過ごすこと無く何処か遠い地で実習に励んでいる。時折メッセージのやり取りはするが、お互いこういうものにマメなタイプではない。週に数度メッセージが往復すれば良い方で、先月などは二週間音沙汰が無かった後に一度通話しただけだった。寂しいと思わないわけでもないが、耐えられないというわけでも無く、またその寂しさは機械を通したやり取りで埋められるような物でもないのでさっさと諦めて有り余った時間は自分の趣味や興味に存分に費やしている。誰にも憚ること無く実力を発揮できるようになったジャミルには時間はいくらあっても足りないものだった。


それでも、ふとした瞬間に思い出すことはある。
例えば夜。
レオナとの記憶の殆どは夜の彼の部屋だった。ただでさえ足りない時間の中で、多少睡眠時間を削ってまで温もりを求めにいった男ともう数ヶ月会っていないのだと気付いて心細くなることも、ある。一人きりのシーツの冷たさに震えることも、ある。いっそ耐えきれない程の強い感情を伴っていたら、このぽかりと胸のうちに穴が空いたような感覚を解決してみせると思うのに、ジャミルの心はひたひたと冷えた水底を漂うだけだから動くことすら出来ない。
会いたいと思う。
だが良い子で待ても出来ない男だと思われたくも無い。
そうして今日も冷えたベッドの上にクッションを抱き締めて丸まる。何も考えず、目を閉じて、眠ってしまえば朝が来る。
朝にさえなってしまえば、こんな何の益にもならない思考から逃れられる。


こん、と硬い音が静まり返ったジャミルの部屋に響いたのは、意識が夢と現の間をさ迷う頃だった。咄嗟に身を起こして音の出所を探す。
こん、こん、と再び鳴る音。それは窓の方からだった。それから月明かりを遮る人の影。
反射的に枕元に置いていたマジペンを握り締めるも不思議と心は浮わついていた。殺意を感じられないとは言えど、逸る気持ちを落ち着けるように深呼吸をしながらそっと音を立てずに窓へと近付く。ゆっくりと外の様子を伺えば、そこには想像通りの人物。喜ぶよりも、その光景が信じられずに呆気に取られてしまった。
「…………レオナ、せんぱい」
「…………おう」
箒に横座りに乗ったその人も緩く笑ってはいたものの、会えて嬉しいというよりは何処か決まり悪そうに見えた。あんなにも会いたいと思っていたのに、いざ目の前に突然現れるとなんだか現実感が無い。せっかく会えたのなら変な所は見せたくないのに、たった数ヶ月離れていただけでジャミルは今までどうやってこの人と向き合っていたのかわからなくなっていた。
「……どう、したんですか。そちらも………まだホリデーでは無いですよね」
「ああ……ちょっと……抜け出してきた」
いつも真っ直ぐにジャミルを捉えていたエメラルドが珍しく泳いでいた。まるで悪戯を叱られる前の子供のような。
「何か、あったんですか?」
「いや、なんもねぇが……」
歯切れ悪い返答、それからガリガリと後頭部を掻いて項垂れる姿なぞ初めて見た。だが多分、これは悪いことではないという確信めいた予感があった。もしもジャミルがあとほんの少し我慢が効かずにレオナに会いに飛び出していたら。きっと今のレオナと同じような態度になるだろう。呆気に取られて停滞していた心にじわじわ温度が宿り始めていた。
「……なら、何故?」
意地が悪いのは承知の上で、あえて問う。寂しくて飛び出してきたとはジャミルだって言えないだろう。それを、この男はどう言い訳するのか。
「…………満月だった、から……」
「まんげつ」
確かにレオナの背後には見事なまでの満月が浮かんでいる。浮かんでいるのだが、それは余りにもレオナらしからぬ拙い言い訳ではないか。
本人にもその自覚はあったらしく、盛大に舌打ちの音が響いた。
「……っもうわかってんだろ、部屋に入れろ」
まるで強盗のような言い種で睨まれてもジャミルの頬は弛みっぱなしだった。もう少しからかってやりたいところではあるが、折角レオナから行動してくれたのにこれ以上機嫌を損ねたくはない。きっと忙しい合間を縫って、睡眠時間を削る覚悟で来てくれた筈だ。
窓から一歩離れ、両手を広げて迎え入れる。
「……おかえりなさい、レオナ先輩」
腕の中に飛び込んできた身体をぎゅうと抱き締めて、ジャミルは久方ぶりの温もりに身を委ねた。

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