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空箱

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初めての朝帰り

目を開けたら見慣れた天井、明るい日差し。
こんなにもすっきりと目覚めたのは久方ぶりだなとぼんやり思い、それから慌てて跳ね起きようとしては腹の上にのし掛かる何かに阻害されてぐえ、と変な声が出た。横を見れば随分と穏やかな顔で眠るサバナクローの寮長。
そう、ここはレオナの部屋だ。見慣れてしまっていることに思うところが無いわけではないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
昨夜、レオナとベッドを共にした。それは別に構わない。お互い合意の上のことであるし、これが初めてのことでもない。だがのうのうと朝まで、仮にも他国の王弟殿下のベッドで朝まで呑気に寝てしまうなど、ジャミルのプライドが許さない。
寝所とは本来、何よりも安全が約束された場所であるべきだ。念入りな防御魔法がかけられていたとしても、ベッドに他人を連れ込む時はすぐ手が届く場所に護衛が控えているべきであるし、部屋の主が一番無防備になる時、つまりは睡眠をとる時は逆に羽虫一匹たりとも部屋に侵入してはならない。
護衛の一人も連れてきていない王弟殿下にそれは無理な相談なのだとしても、だからこそ、事を致す時はレオナの一番安全な場所であるべきベッドに入ることを妥協したとしても用が済んだらさっさと退室すべきなのだ。それがジャミルがレオナに対する害意が無いことを証明する最低限の礼儀だと思うし、レオナの褥に入ることを許されたことへの感謝を伝える術になる筈だ。
いくら昨夜、疲れていた所を呼び出された為に事の最中に体力の限界を越えてしまったのだとしても、せめてレオナが部屋の外へと放り出してくれていたら良かったのに。
別にレオナに逆らえないわけでは無い。身分の差こそあれど、レオナはジャミルに命令できる立場では無いから、ジャミルが断ることは出来るのだ。それなのに、重い身体を引き摺ってでも呼び出しに応じたのはジャミルもそれを望んだからであって、途中で寝落ちてしまったのはジャミルのミスだ。それを責めるならまだしも、変な気遣いはしないで欲しい。レオナの身を守る為にも。


呆然としている間にも腹の上に乗っていた太い腕が抱き枕よろしくジャミルを引き寄せてがっちりと捕まってしまう。
「ちょっ……と、…………あの、レオナ先輩」
掛ける言葉に迷って、潜めた声は呼ぶことしか出来なかった。学舎であれば同じ学生という身分の上級生を起こすことに躊躇わないし、情事での戯れなら、盛り上げるためにいくらでも身勝手に振る舞ってみせられる。
だが今は。
ジャミルは王の褥に居てはならない侵入者だ。寝起きの不機嫌な獣に噛み殺されても文句は言えない。
「レオナ先輩……すみません、離してください」
だがいつまでもこうしているわけにもいかず、うつ伏せに眠る肩に触れ、そっと揺する。穏やかな寝息はそれくらいでは途切れず、仕方なくもう少し力を込めてもう一度。
「んぅ……」
ぴくりと眉が寄せられ、むずがる姿はあまりにあどけない。隣にジャミルがいるというのに全く危機感を感じられない様に絆されつつも苛立つ。ジャミルなど取るに足らないと侮られているのだろうか。
「先輩、いいから離してください」
自然と押し退ける手に力が入った。無理矢理にでも離れようとするジャミルとは反対に、ぐ、と腹を抱くレオナの腕にも力が籠る。
「……うるせぇ」
地を這うような寝起きの低音。やり過ぎたかと多少後悔するがもう遅い。のそりと身を起こしたレオナがジャミルの上へと覆い被さり、半分しか空いていない眼がじっと見下ろしていた。
「……気持ち良くお休みの所を起こしたのはすみません、離していただけたらすぐに、」
なんとか解放してもらおうと言葉を紡ぐ最中に近付くレオナの顔。まるで、キスをするかのように間近に迫る美しく整った顔に思わず息を詰める。長い睫毛が下ろされ、吐息が触れる距離で、身を固くてただ成り行きを見守ることしか出来ないジャミルの鼻先に、ちょん、と触れた感触。
つんと高いレオナの鼻先が、一度、二度と、じゃみるの鼻先に触れ、それからするりと頬を擦り付けるようにして懐かれる。まるで、それは、猫のような。
「……良く眠れたかよ」
呆気に取られるジャミルを見下ろせる所まで再び身を持ち上げたレオナが、問う。
「あ、…………はい……」
何も考える余裕なく素直に答えてしまってから、あまりにも間抜けだと気付いて舌打ちしたくなる。他国の王弟のベッドで朝まで寝こけて普段よりも良く眠れただなんて恥でしか無い。
「そうかよ」
だがそれを聞いたレオナがふわりと、あまりにも邪気無く笑うものだから。その顔がとても綺麗だったから。ジャミルはただぽかんと見惚れることしか出来なかった。

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開花

静まり返った夜の校舎、その食堂。
日中は飢えた生徒で騒がしいこの場所も夜ともなれば人も寄りつかず静まり帰っていた。唯一響くのはかちゃかちゃと軽い金属がこすれる音と、紙にペンを走らせる音ばかり。
「ジャミルくん、マジャラマジャルに沈む明星って、ゼラとギグとベベランテとあと何スか」
「ゼラとベベランテは合ってるがギグは違う。星売り商人の項目に説明がある筈だから読み直せ」
へえい、とキッチンが見えるカウンターに陣取り勉強道具を広げたラギーが教科書を捲る。言われた通りに見つけた項目を一から順に目を通して行けば確かに求めていた答えが細やかな説明と共に書かれていた。
カウンターの向こうではボウルを掻き混ぜる音が止んだと思いきや、じゅわ、と高温の油に素材が落とされた音。景気良く跳ねる油の音と香りは否が応にもラギーの胃袋を刺激する。
「カリムは、頭文字を取ってゼレベラと繰り返し唱えて覚えていたな。俺は名称よりも星の形状で記憶していたが……そのやり方は全ての星命体の形状と名称が一致していないと覚えられないだろうからまあ、参考までに」
「俺はゼレベラ方式っスかねえ…ゼレベラゼレベラ…ゼラレグムンベベランテラドラゼラレグムンベベランテラドラ」
舌が絡まりそうな言葉を口で唱えながらノートにペンを走らせる。ゼレベレ、それから正式名称を四つ、ついでだから一応形状も簡単なイラストにして添えて置く。それからやっと本題とばかりにプリントの設問の下に数字を並べる。名に与えられた三桁の数字を掛け合わせ、そこに公式。
「明星のエーテル反射率求めるのってマイナス3A18から始まる公式っスよね?」
「ン・バヤ方程式」
「そう、それっス!」
こちらも見ずに揚げ物をするジャミルの方からはじゅうじゅうと絶え間なく油が鳴き、こんがりと食欲をそそる香りが漂い始めていた。ぐうぐうとラギーの腹も鳴いている。思考がそちらへと持って行かれそうになるのをなんとか手元へと引き摺り戻して当てはめた公式を解いて行く。
「出来たぁ……ジャミル先生チェックお願いするっス」
「こちらももう終わる。ちょっと待っていろ」
丁度作業が終わったのか、鍋を温めていた火が落とされるところだった。傍らには山盛りになった茶色い塊。見た目では何かもわからないが、ジャミルが作る料理がおいしい事をラギーは知っている。ラギーの視線を釘付けにして離さないその茶色い塊の山に最後の仕上げとばかりに何かをばらばらと振り掛け、それから皿ごと持ち上げたジャミルが目の前までやってくると、どん、と目の前にその皿を置いた。
「ジャミルくん……」
「答えが合ってたら食べていいぞ。合ってたらな」
「うぅ……」
もう口の中が涎の海になっているが、ひとまずは大人しくジャミルがプリントに目を通すまで待つ。今まで火の傍に居たからか、汗ばんだ肌に張り付く髪を掻き上げながらプリントの上から下までじっくりとジャミルの黒曜石のような瞳がなぞっていくのを見届け、そうして最後にラギーの方を見た。ニヤァ、と目の前で音もなく吊り上がる口角に一気に不安な気持ちになる。
「え、噓でしょ……間違ってた!?」
「全部合ってる。お疲れ、食べていいぞ」
「やったー!!いただきます!!!!」
ラギーが怯えた顔をしたのがお気に召したらしい。すぐにてらいのない笑顔に変わったジャミルからお許しが出て喜び勇んで茶色の塊に手を伸ばす。
「あつっ……ッあつ、……あちち」
「揚げ立てだからな、火傷しないようにしてくれよ」
まだ冷めきらない油の熱さに負けず、がぶりと思い切り噛み付くと、ピリッと刺激的なカリカリの衣の中から溢れる肉汁。
「あっづ……うっま!めちゃくちゃ旨いっスよこれ!」
ラギーの舌は細かい味の良し悪しなどわからないから、何がどう美味しいのかを伝える事は出来ないが、美味しいものは美味しい。アツアツノ肉汁で口内に火傷を負うのなぞ些細なことだ。一刻も早くこの美味しい食べ物を腹に詰め込みたいと本能が求めるままに次々にかぶり付く。
「別に、誰も取らないんだからそんなに慌てて食べなくても良いだろう」
「そーゆー話じゃないんスよ!止まらないんス!」
「お気に召したようで何よりだ」
そう笑いながら、キッチンの中から出てきたジャミルはラギーの隣へと腰を下ろすと、先ほどまでうんうん唸りながら書いていたノートをペラペラと捲って眺めていた。
「なんか変なトコあるっスか?」
「……いや。………君の字が、綺麗だなと思って」
「スラム育ちのハイエナには似合わないって?」
「そういうわけじゃ無いんだが……」
否定しきれずに言葉を濁すジャミルにラギーはシシシッと笑った。脳味噌まで筋肉で出来ているようながさつな者が多いサバナクローにおいて、字が綺麗な者はとても少ない。教育が悪かった者、単純に手先が不器用な者、丁寧に書けばそれなりの字が書けるのにせっかちなせいで字が崩れる者と、理由は様々だが字の美醜に拘る人間は殆ど居ない。
「まあ、実際入学した当初はすげー字が下手だったんスけどね」
ラギーは学校にさえ登校していれば勝手に卒業証書をもらえるような所で育った。学ぶのは知識よりも他人に迷惑をかけてはいけないだの、人を殺すのは犯罪だの、違法薬物に手を出すとどうなるか等の道徳ばかりだ。
それがNRCに来てからは習ったことも無いのにさも当然のように全生徒が基礎を理解しているものとして進められる授業の数々。せっかく入学出来たのに追い出されてはたまらないと必死にラギーも勉強したが、レポートを書いても読めないから書き直せと突き返され、テストでは答えが合っていても読めないからとバツをつけられていた。
「レオナさんに、稼ぎたかったら字の書き方くらい覚えろって毎晩のように呼び出されてみっちり字の練習させられたんスよ」
「へぇ……」
「あ、信じて無いっスね?」
「いや、そうではないが」
「じゃあ、妬いた?」
ラギーが最後の一つにかぶりつきながら聞けば、ジャミルはきょとんとした顔で瞬き、それからううんと唸りながら首を捻る。
ラギーが、レオナ自らに字を教わっていると聞き、その風景を思い浮かべた時にざわついた心を表す言葉を、まだジャミルは知らない。嫉妬、という程尖っておらず、でも心地よさよりも不快感に近い何か。ジャミルが自覚するより先に目敏く気付いたラギーに、今更取り繕う気は無かった。
「……羨ましい、かな?」
「うらやましい……?」
「俺もたまに、勉強を教わることはあるが……なんかこう、あっさりしているというか」
「それはジャミルくんは頭が良いからでしょ」
「わかってはいるんだが……」
余るかと思われた食糧の山をあっさりと片付けたラギーが制服のスラックスで手を拭う所を見たジャミルがおい、と咎める声をあげる。それから、待っていろと立ち上がるとキッチンへと戻り、濡らしたタオルを持って戻って来た。あざっス、とへらりと笑ったラギーが受け取って油にまみれた手を拭うのを眺めながら再び腰を下ろしたジャミルはテーブルに頬杖をつき、此処ではないどこかを思い浮かべているようだった。
「……以前、マジフト部の練習を見たことがあったんだが。あの人、人に何かを教えるの、結構好きだよな」
「そうっスね、教えることでレオナさんの為になるなら率先して教えに来るみたいなとこあるかも」
実際、ラギーは自分からレオナに教えを乞うたことはほとんどない。いつだってレオナの方からあれやこれやと数多の知識や技能を身に付けろと勝手に教えてくれるのだ。言葉にしてしまうとまるでレオナがお節介焼きのようだが、レオナがお節介になるのは主に自分の手駒となる者、つまりはラギーやマジフト部だけであって、誰彼構わず発揮されるわけではない。
「どう説明したら良いのかわからないんだが……やりゃあ出来るじゃねえか、って先輩が笑いながら部員の肩を殴っているのが、良いなと思ったんだ」
「あー……なんとなく、言いたいことはわかったような気がするっス。雑な扱いが羨ましい、みたいな」
「雑……?雑、とも違う気はするが……たぶんそうなんだろうな。いや、現状に不満があるわけではないんだが」
「まあ、そこのところはもう仕方無いっスよね。ジャミルくんはレオナさんの大切な人になっちゃったんスから」
「………」
「え、何スかその反応」
ぽかりと口を開けて呆けた顔で見られてラギーの方が狼狽える。問われたジャミルと言えば、我に返ったと思いきやもごもごと何事か口の中で言葉を蟠らせながら視線を彷徨わせ、そうしてやがてべしょりと机に突っ伏した。
「ぅあー……」
そして呻き声。見た事の無いジャミルの姿にラギーの口角が上がる。これは、たぶん、きっと。
「照れてるんスか」
「違う」
「今更恥ずかしがらなくたっていいでしょ」
「違うんだ」
「じゃあ何スか」
突っ伏したまま不明瞭ながらもはっきりとした否定を聞き流しラギーは首を傾げた。ラギーよりもよっぽど優秀で何でも出来るジャミルのこんな姿、滅多に見れるものではない。どうしても揶揄するような色が滲んでしまう。
「――……慣れない」
「あれでもレオナさん、ジャミルくんに合わせて押さえてる方だと思うっスよ。獣人の番同士の愛情表現って、半端ないんで」
「あれでか」
「あれで、っス」
「うああ……」
再び上がる呻き声にラギーはついに声を上げて笑った。レオナとジャミル、二人の関係がじれったくも慎ましやかに深まる様を一番傍で見て来たのはラギーだ。漸く此処まで来たのだなあと感慨深いものを感じてしまう。
レオナがせっせとジャミルに「教えて」いた物が実ろうとしている。それはそう遠くない未来できっと盛大に花を咲かせるのだろう。
出来れば、その時までに。
「俺も彼女欲しいっス……」

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美味しいお肉の食べ方

かぷりと、肩に立てられた歯に目を覚ます。食感を確かめるような、ただ肌の上に歯を滑らせるような、意図の掴めぬ動きでやわやわと肉に浅く食い込ませてから離れて行く。濡れた肌がひやりとした。
大方、昨夜共に眠りについた筈の可愛い年下の恋人がまた何か思い立ったのだろうと振り返ろうとするが、押し留めるようにぐっと背を押される。
「まだ寝ててください」
「テメェに起こされたんだが」
「また寝てください」
「無茶言うな」
くふりと込み上げた笑いを吐きだして大人しく寝返りを諦めれば再び肩に触れる柔らかな感触。今度は唇だろうか、ちぅ、と可愛らしい音を立てて啄まれる。
「何がしてぇんだ」
「俺にもよくわかんないです」
説明を放棄しているくせに、ただ身体を差し出せと言わんばかりな横柄な声にレオナの笑いは深まるばかり。よくわからないが、止める理由も特にない。あふ、と欠伸を零しながら大人しく身を委ねる。
ちゅ、ちゅ、と幾度か肩回りを啄んだ後、一時の呼吸を置いてからぺろ、と舌先が肌を掠める。未知の食べ物をおっかなびっくり確かめるような拙い舌先。もう一度、味を確認するように肌の上をなぞり、それからかぷりとまた甘く食まれる。正直、擽ったい。
耐えるように震えるレオナをジャミルがどう捉えたのかはわからない。はぐはぐと絶妙に擽ったい加減でレオナの肩を齧る様は獣がじゃれているようだった。噛んだ後は、その場所を宥めるように舌の腹を押し付けるようにして撫でるのも。
そうして、一度離れたと思えば今度は肩甲骨に触れる唇。ちゅ、と少しばかり強く吸い付かれてちくりとした痛みが走る。きっと、痕が残った。
「どうせ付けるならそんな場所じゃなくて見える所にしろよ」
「嫌ですよそんな恥ずかしい」
「なんでだよ」
「だってそんな……なんか……」
「俺がテメェのモンだってマーキングしてくれねぇのかよ」
「……その言い方はズルいです」
再度、ジャミルの方を向こうとしてももう止められることは無かった。見上げた相貌は僅かに赤らみ、困惑の色。頬へと掌を滑らせれば大人しくすり寄り、そのままぺたんとレオナの上に倒れ伏す身体を抱き止める。
「……別に、そういうのがしたかったわけじゃなくて」
「うん」
「……美味しいのかな、って思って」
「うん?」
「先輩、いつも美味しそうに、食べる、から……」
もごもごと語尾に行くにつれて口ごもり不明瞭になる声、しまいには肩に顔を埋めてぎゅうとしがみつかれる。ジャミルが照れだか恥じらいだかを覚えた時の仕草。これを、喜ぶなと言うのが無理な話だ。
「……教えてやろうか、美味しい肉の食べ方」
耳元へと唇を寄せて囁けば、こくんと縦に首が振られる素直さ。その癖ぐりぐりとレオナの肩に顔を押し付けて未だに羞恥心か何かと戦っているらしい。
まずは下拵えは触れる前から始まっているのだと教えるべく、レオナはジャミルの耳元で囁いた。

「――――」

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復習

「復習代わりに動物言語で会話しません?」
ぽかぽかと暖かな日差しが射し込む昼下がり。昼食後から勝手にレオナの部屋の机を占拠し試験勉強をしていたジャミルが伸びをしながらレオナを振り返る。
「いいぜ」
我関せずとばかりにベッドの上で本を読んでいたレオナは一度瞬いてからぱたりと本を閉じた。それからゆったりと枕に肘をついて頭を支える。
「わんわん!わわうわん!」
椅子に座ったまま身を捻りベッドに向き直ったジャミルの台詞にふは、と思わずレオナは笑った。
「教科書かよ……ばうわう!ばう!ばうばう!」
「みゃあう。にゃうにゃうにゃあ」
応えるジャミルも笑っていた。今更こんな会話が復習になるはずもない。復習とは名ばかりの、ただの休憩なのだろう。
「まぁーお、にゃぁあ、ごろごろにゃあ」
「ははっ……ふしゃぁ、っっしゃーくるるるる、しゃっしゃぁしゃー」
「っっきしゃぁ!しゃーっふしゃ、ふしゃあー!」
「……どういう意味です?」
「っこっこっこっこっ、っこけこっこっこ」
片眉を上げたジャミルが不信げに首を傾げるが、暗に動物言語以外の言葉には応えないと告げてやれば唇をへの字にしながらもきゅぅうんと小さく謝罪の言葉を溢した。
「……ぴるるるる!ぴぃひょろろ?」
「ぴぃぴぃ、ぴるる、ぴぃぃぴぃぴぴぴ」
ますますもって眉根を寄せたジャミルについ、レオナの頬が緩む。きっとこの男は、実はレオナがジャミルにさほど興味がなかっただとか、本当は飽きているから別れたいとか、マイナス方面の事を言われるのでは無いかと訝しんでいるのだろう。警戒心が強いのは良いことだが、未だにその程度の信用しか得られていないのかと思うとあまり笑ってもいられない。
「ききぃ!きっきっ!きききっききっ」
「あっ、待ってくださいやっぱり結構ですごめんなさい言わなくていいです」
わざわざ勿体振ってやれば早くもジャミルは察したらしい。まだ前振りでしかないのにじんわりと顔の血色が良くなっているのがレオナの笑いを誘う。
「がぅぅ、ぐるるるるる、がうがう、がうぅぐるるる」
「レオナせんぱい!」
「ぐるるるるるる、がぅぅがう、がおぉ?」
止めようとしたのか、それとも逃げようとしたのか。中途半端に立ち上がったジャミルの動きが止まった。信じられないような物でも見たかのように見開かれた眼はまっすぐにレオナを見詰め、それからきゅっと唇を噛むと真っ赤な顔を隠すようにフードを被り、再び椅子に崩れ落ちるように座ると机に突っ伏した。判り難くはあるが、恐らく、この分なら拒絶されることは無いだろう。
「がうがう?」
そのままピクリとも動かなくなったジャミルに少しの追い撃ちをかける。これで逃げられるようであれば今日の所は逃してやっても良いだろう。此処まで来るのに大分待たされているのだ、今更多少時間が掛かった所で誤差に過ぎない。
「…………………俺が卒業する時に、人間の言葉で同じことを言ってくれるなら考えます……」
だが結果は想定よりもずっと良いものだった。これでにやけるなと言う方が無理だろう。レオナはベッドから跳ねるように身を起こすと、ようやく手に入れた大事なものを腕に抱き締めるべく机に近付いた。





※おまけ


「こんにちは。良いお天気ですね」
「教科書かよ……そうですね。ご機嫌はいかがですか?」
「とても良いです。貴方はいかがですか?」
「せっかく恋人が部屋を訪ねてくれたと思ったのに放っておかれて寂しいな」
「ははっ……随分と素直ですね、可愛い。これからは二人でいる時はずっと動物言語で会話してもらおうかな」
「テメェにその覚悟があるなら俺は構わねえが?」
「……どういう意味です?」
「動物言語で会話するって言ったのはテメェだろ」
「……覚悟が要るって、どういうことですか?」
「俺の素直な心のうちを全て聞き届ける覚悟があるのかって話だ」
「テメェは未だに俺との関係を学生の間だけのお遊びだと思ってるみてえだが」
「あっ、待ってくださいやっぱり結構ですごめんなさい言わなくていいです」
「俺はテメェの事を生涯ただ一人のつがいだと思ってるし、此処を出た後も手放す気は無ぇ」
「レオナせんぱい!」
「ジャミル、愛している。お前は俺をどう思ってる?」


「返事は?」
「……俺が卒業する時に、人間の言葉で同じことを言ってくれるなら考えます……」

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水底

夜の砂の家は静まり返っていた。
夜更かしは良くないと散々幼馴染みにも言われて来たが、一度文字を追うことに夢中になってしまうとなかなか止められるものではない。多くの人が集まり騒がしい昼間と違い、蝋燭が空気を焼く音と紙を捲る音しかない静けさの中ならば止める理由もない。
そうして今日も自室に持ち込んだ本を、ベッドに腰掛けて読み耽るウリエンジェの部屋の扉が静かにノックされる。こんな夜更けにミンフィリアやタタルが訪れる筈もない。少しばかりの不信感を抱きつつも、どうぞ、と答えて顔を上げる。
「やっぱりまだ起きてたな」
へらりと軽薄な笑みを浮かべて部屋に入って来たのはサンクレッドだった。同じシャーレアンで賢人の地位を頂いた男だが、特別親しいというわけでもない。むしろ流れる水のようにころころと表情を変えるこの男の事を少し苦手に思っているくらいだ。華やかに飛沫を上げて流れる水面の下に、ウリエンジェには想像もつかないような濁った川底の気配を纏わせていればなおのこと。
「このような夜深に何か……ご用でしょうか」
少しの緊張を纏わせたウリエンジェに構わず、ずかずかとベッドに近付き本を取り上げるサンクレッドからは深い酒粕の香りが纏わりついていた。
「いやなに、用があるというわけじゃ無いんだがね」
「ならば、」
「人恋しい夜、ってあるだろ?」
「……はあ」
「まあ、悪いようにはしないから付き合ってくれよ」
彼の言葉はいつだって難解だった。だから余計に苦手意識ばかりが膨れ上がる。何かを乞われているというのはわかるが、肩を押され、ウリエンジェをシーツの上に縫い止めるようにサンクレッドがのし掛かって乞われるもの、とは。
「あの、」
「悪いな」
ウリエンジェが言葉を紡ぐ前に謝られ、甘やかな造形の顔が近付き唇が唇で塞がれる。荒れてかさつい皮膚の感触と、甘ったるい酒粕の匂いを帯びた吐息が吹き込まれて反射的に顔を反らして逃げた。
「っ……サンクレッド、貴方……」
「なあ、頼むよ」
拒絶の言葉を紡ぐ筈だった唇がひとつも音を紡げぬまま吐息を溢した。薄っぺらな笑顔を浮かべている癖に、滲んだ水底。
覚えたのは、恐怖か、憐憫か、それとも。
無言を肯定と捉えたサンクレッドが再び唇を重ねるのを避けられないまま、ウリエンジェはただ静かに暗い水の中に引きずり込まれていると感じた。

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