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空箱

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日記

 ※十年の間にたくさん言葉を覚えたシガイのレイヴス 
 ※あーでんはおうさまにあいにいきました 
 
あーでん いない  
また おーさまのおともだち ところ  
かえる いつ 
 
あーでん いまも いない  
まつ きらい あきた  
はやく かえる して 
 
おなかすいた あーでん いない  
あーでん かえる しない? 
 
べっど こわれる した  
あーでん いない  
おこる していいよ  
あーでん かえる して  
まつ できない 
 
あーでん の ふく やぶく した  
あーでん おこる していいよ  
はやく おこる して  
あーでん いない こわれる たくさん 
 
あーでん いない  
おへや こわれた なおる できない 
 
あーでん いない  
かえる しない 
 
あーでん どこいる  
あーでん いきたい  
まつ きらい 
 
あーでん いない  
うごく できない  
あーでん かえる しない 
 
あーでん いない  
あーでん まつ してる  
いいこ してる  
あーでん さわる したい 
 
あーでん うごく できない  
いいこ した  
まつ した  
あーでん さわる して  
あーでん すき ばいばい 

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彼岸

 ぽか、ぽか。 
 暖かな日の光と、草原の上を走り抜ける風の音。浮上しかけた意識が心地よさに引きずられてまた眠りに落ちそうになる、そんな温度。こんなにも穏やかな心地で太陽の光を受け止めたのはいつぶりの事だろうか。 
 ふわりと鼻を擽る香りはシナモンの効いたアップルティ。カップへと注がれる軽やかな水音に他人の気配を察して重たい瞼を持ち上げる。 
 それは不思議な光景だった。 
 見渡す限り広がる青々とした草原。地の果てまで続いていそうな広大なそこには所々に色とりどりの花が風に揺れて見え隠れし、時おり蝶がひらりひらりと花の間を行き交う。空は真っ青に晴れ渡り、降り注ぐ陽光はほんの少し汗ばみそうな暑さ。だがそれを癒すように涼しげな風が緩やかに肌を撫でていく。 そんな中に一本だけそびえ立つ一本の巨大なメイプルの木の影に隠れるようにぽつりと建てられた白い東屋の下には、アーデンが今まさに身を預けているふかふかのソファと白いテーブル、それから柔らかそうなカウチに背中を預けてティーカップを片手に寛いでいるレイヴスの姿。帝国で見慣れた軍服ではなく、あんなに苦労して身体に馴染ませていた義腕も無く生身の左手。白いコットンシャツにゆったりとした淡い色合いのボトムスを履いた彼は随分とリラックスした様子でカップから立ち上る香りを楽しんでいた。 
 その顔の穏やかさと言ったらアーデンが知る彼とは別人かと思うくらいだ。青い花の模様に細やかなシルバーで縁取られたティーカップを口に運ぶ様は優雅そのもので育ちの良さが伺える。ふぅ、と息を吹き掛けてからそっとカップを傾けて一口。満足いく味わいだったのか口許がゆるりと弧を描いた。更にもう一口、二口。そうしてとろりと動いた視線がアーデンに辿り着くと少しだけ目を見開き、それから優しい笑みの形に細められる。 
「やっと起きたか。気分はどうだ?」 
 幼子にでも話しかけるかのように甘く耳を擽る低音。気分、と言われてもなんだかとってもふわふわとして気持ち良いだけでよくわからなかった。こんな心地になったのはもう随分と昔の事で、これがどういう気分なのだと説明出来る言葉をアーデンは覚えていない。 
 レイヴスは応えぬアーデンにそれ以上追求するでもなく立ち上がると透明なガラス製のポットを手に取る。中にはたっぷりと刻まれた林檎が鮮やかな紅い液体に浸っていて、ふと気づけばテーブルの上にはレイヴスのカップの対になるような赤い花の模様に金をあしらったティーカップとソーサーが音もなく現れていた。先程までテーブルの上には青い花模様のカップしかなかったはずだが、突然現れたカップへとレイヴスは躊躇いなくポットを傾けて液体を注ぎ入れて行く。仄かな湯気と共にまた一段とアップルティの香りが強くなった気がした。 
「飲むか?」 
 ソーサーに置かれたカップがアーデンに向けて差し出される。いつの頃からかは忘れたが、人ならざる者へと身を落としてからは食事を必要としない身体になってしまった為か味覚が随分と退化してしまい、何を食べても味を感じず食への興味すら長いこと失っていた。人に紛れて生活する為には食事をして見せることだって無いわけではなかったが、決して楽しいものではなくただ淡々と口に入れたものを飲み込めるサイズまで噛み砕いて胃へと流し込むだけの作業でしかない。 
 だが目の前で湯気を立てる紅い液体は何故か随分と魅力的に映り、自然とアーデンは身を起こしてソーサーを両手で受け取る。 
「熱いから気をつけろ」 
 再びカウチへと戻ったレイヴスの言葉に大人しく従ってふぅふぅと息を吹き掛けてから口へと運ぶ。シナモンの香りが爽やかなリンゴの酸味と仄かな甘味と共に口いっぱいに広がってゆく。 
「美味しい……」 
 思わず溢れた言葉にアーデンが驚く。とうの昔に失われたと思っていた味覚が正常に働いている。喉の奥を通り抜ける熱がそのままじわりと溶けるように体温へと変換されてゆく。久方ぶりの味わいをアーデンの意思よりも先に身体が喜んでいる。 「それならよかった」 
 ふわりと綻ぶようにレイヴスが笑う。そんな顔は出会ってからこれまで見たことも無かった。見れるとすら思っていなかった。かつての彼は常に奥歯を噛み締めているようなしかめっ面ばかりで、アーデンを見る眼差しと言ったら疑念と警戒がはっきりと見てとれる不穏な物でしか無かった筈だ。 
 それが今や弓なりに細められて愛しいと言わんばかりの柔らかな眼差しでアーデンを見ている。 
 現実にはそんなことありえる筈が無いのに。 
 だって彼はアーデンを恨みながら死んでいった。 
 そしてアーデンもつい先程、選ばれし王によって死を与えられた筈だった。 
 そう、アーデンは死んだ筈だ。 
 積年の恨みを果たすこと無く眠りに就いたはずだ。 
「ここ、天国?」 
 思い付いたのは帝国に吸収されたどこかの国の宗教にあった死後の世界。餓える事も傷付く事も苦しむ事も無い、夢のように幸せな世界。だがそこに辿り着けるのはその宗教が崇める神が認めた善人のみで、悪人と判断されれば無限の苦しみが続く地獄へと突き落とされた筈だ。さすがのアーデンでも自分が善人だったとはお世辞にも言い難い。 
「ルナフレーナは生と死の狭間の世界だと言っていた。星に還る前に魂を休める場所だと」 
 ルナフレーナ。 
 たかだか二十年程度生きただけでアーデンを憐れんでみせた女。かつては名を聞くだけでも思わず顔をしかめてしまいそうな嫌悪感を持っていた筈なのに、不思議と凪いだ心でその名を受け止めていた。 
「会えたの?愛しの妹さんに」 
「ああ、先程までずっと一緒に居た。……今はノクティスを迎えに行ってしまったが」 
 ノクティス。 
 気が狂いそうなくらいに長いこと待たされた末に漸く生まれて来た選ばれし王。そしてアーデンに死を与えた最後の王。 
 つい先程まで言葉にはし尽くせないような恨みを、怒りを、やるせない悲しみを抱いていた筈なのに、やはりアーデンの心は穏やかなままだった。それどころかこの世界で二人が再会したら漸く幸せになれるのだろうな、と祝福すらしてやりたくなる始末。まるで負の感情の全てをどこかに置いて来てしまったようだ。それが嫌だとは思わない。 
 ただ、こんなにも穏やかな気持ちになっていることに慣れない。心がふわふわと浮わついたまま、この暖かなものをどう受け止めて良いのかわからずに戸惑っている。 
 誤魔化すようにがりがりと頭を掻くと、この気温の高さにかじんわりと汗をかいていた。いつだって寒さしか感じなかった身体にはやはり慣れない感触だが、その人間のような身体の反応に心地よさを覚えたのも事実だ。 
「なんか、夢みたいなトコだね」 
 死んだ筈の人に会えて、恨み辛みを忘れて、恨まれている筈の人に優しくされて。これを夢と言わずになんと呼べば良い? 
「実際、夢のような物だ。仮初めの世界でしかない。だが、願えばなんでも叶う」 
「何でも?」 
「そうだな、ひとまずその重そうな服を着替えたらどうだ?」 レイヴスの視線を追いかければここ暫くトレードマークのように着ていた黒く重苦しい外套。 
人では無い生き物になってからと言うもの世界は凍えるような寒さだった。光を浴びればチリチリと焦げ付くような痛みを受け、それらから守るように次第に分厚く重くなっていった服。こんなに着ていても汗をかくこと等なかったと言うのにこの暖かな空気に肌が湿っている。だからと言って気が遠くなるほどの時をこの姿で過ごして着たのだ、着替えると言っても何を着て良いのかわからない。 
「思い浮かべるだけだ、楽な格好になると良い」 
 楽な格好。 
 世界から身を守るためにこの衣服を纏うようになったアーデンにとってこの格好が一番楽な格好だったはずだ。しかし目の前のレイヴスの姿はとても快適そうに見える。コットンの柔らかくゆったりとした生地が風が吹く度に揺らめいているし、よく見れば足元は素足だった。男らしく骨張っているが歪みひとつ無い真っ白な爪先。あれで草原を歩いたらさぞ気持ち良いのだろう、いいなぁ、と思わず足裏で生きた草を踏みしめる感触を思い浮かべた途端、レイヴスの吐息が笑いに揺れた。 
「他に無かったのか……いや咎めている訳じゃないんだが」 
 一瞬、何を言われているのかわからなかったが、首元をひやりと風が通り抜けて思わず自分を見下ろすとそこには見慣れた黒い外套は無く、涼しげなコットンのシャツにゆったりとした淡い色のボトム、それから素足。まるでレイヴスとお揃いのような服に包まれた身体がどうにも見慣れず反射的に身構えてしまったものの、恐れていた身体の芯から凍てつくような寒さも焦がされるような光の痛みも感じない。それどころか分厚い服の中で籠っていた体温が解放されて心地よいくらいだ。 
「願えば叶う、ね。なるほど?」 
「理解してもらえたようで何よりだ」 
「それで……何故、俺は此処に?」 
 世界に平和が訪れ妹君は念願の王との再会が約束された。それなのに願えば叶うこの世界でレイヴスがアーデンの傍に居るのはとても不自然だ。アーデンに復讐してやりたいだとか殺してやりたいと言うならばまだ理解出来るが目の前で微笑む男からそんな暗い感情は感じられない。それどころか慈しむような空気でもってアーデンを受け入れている。 
 アーデンにしても心残りは何も無い筈だった。ルシス王家への復讐が果たせなかった事は残念ではあるが、死の安らぎを与えられた今、それほど未練とは感じ無い上にこの穏やか過ぎる世界に似つかわしくない。 
「それは……俺にもわからない」 
「君が此処に居る理由は?」 
「それも……わからないんだ」 
 レイヴスが緩く首を振ると白く見えた毛先が陽の光をきらきらと撒き散らす。今まで気付かなかったがこの子はこんなにも綺麗な子だったのだなと今頃になって漸く気付く。人間に対して綺麗だと感じるのも随分と久々だ。突然、訳のわからない世界に放り出されたと言うのにこんなにも呑気な気分で居られるのは生前忘れていたささやかな幸せに満ちた世界だからかもしれない。 
 暖かな陽の光、心地よい風、草木が揺れる音に甘くて芳醇なアップルティ、壮大な風景と、それから美しい人。 
 その美しい人は空になったカップをテーブルへと置くと少し考えるように首を傾けながら再び唇を開いた。 
「俺が望んだからお前が居るのかもしれないし、お前が望んだからかもしれない。もしくは俺達では無い誰かが願ったからかもしれない」 
「俺達以外の誰かが?俺達が再会するのを願ったと?……ちょっとそれって悪趣味じゃない?」 
「なんだ、会いたく無かったのか?」 
 殺害……よりも酷いことをした加害者と被害者を引き合わせるような無神経さを突いたつもりが、からかうように問われて言葉に詰まる。会いたいかどうかで聞かれれば「考えたことも無かった」というのが正しいが、今この時間を心地好いものとして受け入れている。いつまで経っても懐かない野良猫のようだったレイヴスがこんなにも暖かい好意を送って来ているのにそれを切り捨てる等勿体無いとすら感じている。 
「……会えて良かったよ」 
「それなら良かった」 
 なんとか友好的な言葉を絞り出せば帰ってくるのは満面の笑顔。 
「君、そんな顔出来たんだねぇ」 
「お前こそ、自分では気付いて居ないんだろうが随分と間の抜けた顔をしているぞ」 
 見てみろ、と突然現れた手鏡を手渡されても今さら驚かない。言葉に従い受け取った鏡を覗き込めば確かにそこには緩みきった男のにやけ顔があった。自分の顔ながらこんなにも緩む物なのかと思わず頬を撫でる。 
「凄いね、こんなだらしない顔出来たんだ、俺」 
「前よりも良い顔をしていると思うぞ。お前、実は優しい顔をしてたんだな」 
「止めてよ」 
「照れているのか」 
「君がそんなに性格悪かったなんて初めて知ったよ!」 
 生前、数多の苦しみを腹の底に押し固めて言葉少なに生きていたようなレイヴスは、しがらみから解放されるとなかなか良い性格をしていたようだ。もはやどんな顔をすれば良いのかわからず掌で顔を覆うしかないアーデンを見てからからと笑っている。 
 だが悪くない。 
 そう、この世界は悪くない。 
 幸せとはこんな感じなのかもしれないとすら思えて来るような安らいだ世界。 
「あー……で、俺達はこれからどうすれば良いんだろうね」 
 少しばかり上がった体温を冷ますように掌で顔に風を送りながら話題を変えてみる。暖かいが存在意義の見出だせない優しい世界。それすらも心地良いと思ってしまうのだから始末に終えない。逃げ出すべきなのか留まるべきなのかと考えることすら面倒になる程の安寧はいっそ暴力的だ。 
「何も。好きなことをしたら良いんじゃないか」 
「突然言われてもすぐには思い付かないよね」 
「釣りとか……料理とか。服を着たまま泳ぐとか、綺麗な服を泥だらけにして遊ぶとか……」 
「ねぇ、もしかしてそれって君がやった好きな事?」 
「……ルナフレーナがやりたいと言ったんだ」 
 恥じらうように眉を下げて笑うレイヴスに微笑ましさを感じて口角が緩む。テネブラエで大事に大事に育てられた王子様とお姫様には確かにやりたくとも出来なかった事ばかりだろう。生前は少しギクシャクしていた二人が仲良く楽しげに遊び回る姿を想像すると良い歳をした大人二人のはずなのに可愛いと形容したくなるのだから不思議だ。大分目の前の優しく微笑むレイヴスに慣れて来たらしい、はしゃぐ兄妹の姿が簡単に想像出来てしまった。 
しかしだからといってアーデンも同じことをしたいかと言えばなんとも言えない。楽しい記憶では無かったが経験が無いわけでも無い。それなら別の楽しいことをした方が良さそうだ。 
 良い景色、良い香りの紅茶、心地よい風に穏やかな時間。ここに更に加えるならなんだろうとぼんやりレイヴスを眺めて思い出す。人では無いものになって久しく得られなくなったもの。望む事すら躊躇われて欲しいと思うことすら忘れてしまったもの。 
「ねぇ、ちょっとさあ……抱き締めてくれない?」 
 こんなにも素直に人に甘えるなど人であった頃もしたことが無い。なのにするりとねだる言葉が出てしまったのはきっとこの世界に慣れてしまったせいだ。今まで幾重にも重ねて積み上げていた他人とアーデンを隔てる壁がすっかり無くなってしまっている。 
「承った」 
 あっさりと了承されて驚くよりも先に期待通りの応えを得たかのような満足感に満たされる。ゆっくりと立ち上がったレイヴスはそっとアーデンの隣へと腰を下ろすと長い腕をすらりと広げた。 
「おいで」 
 愛しい人を誘うかのような微笑みに引き寄せられるようにレイヴスの胸元へと顔を埋めるように抱き付いて押し倒す。うわ、と小さな声をあげながらもレイヴスの腕はしっかりとアーデンの背中を包み込んだ。薄いコットン越しの体温がじんわりと肌に伝わってとても暖かい。ほんのりと薫る紅茶とも違う甘い香りは香水だろうか、澄んだ水のように爽やかな香りを肺一杯に吸い込んで吐き出す。ゆったりとした呼吸に合わせて上下する胸にぐりぐりと頬を押し付けるとふふ、と笑う吐息が頭上から聞こえた。 
「髭がくすぐったい」 
「それくらい我慢してよ」 
「努力はするが……こら……ッはは」 
 眉尻を下げて笑う顔が思いのほか胸を温かくさせたので調子に乗ってさらに髭を擦りつけるとたまらなくなったらしいレイヴスが身を捩って逃げようとする。逃さぬようにずりずりとのし上って押さえつけるとちょうど両腕の間にレイヴスの頭を挟み込むようにして見下ろす事になる。間近から見下ろした二つのアイスブルーは薄っすらと涙に濡れていて素直に綺麗だと思う。くすぐったさから解放されたそれがひたりとアーデンに向けられると溶けるようにじわりと体温が上がった気がした。 
「―――」 
 何か言葉にしようと唇を開いた筈なのに重なった視線に遮られふつりと途切れる。それはレイヴスも同じようで半開きになった唇の奥に濡れた舌が覗いていた。緩やかに髪を撫でて行く風と、重なった胸に伝わるお互いの呼吸、それから暖かな体温。磁石にでもなったかのようにアイスブルーに引き寄せられて顔をゆっくりと近付ける。ただ静かに見つめるレイヴスは様子を伺うようにも、先を期待するように待っているようにも見えた。三十センチ、二十センチ、十センチと顔を近付けて行っても避ける素振りすら見せずただじっとアーデンを見つめ返している。 
あと五センチ、三センチ、一センチ、吐息が触れる程の距離になってほんの少しだけ残っていたアーデンの理性が問いかける。 
「――キスしていい?」 
 一瞬、真ん丸に眼が見開かれたかと思えば次の瞬間には「ふはっ」と吹き出すような笑い声と共に細い三日月の形に歪められた。 
「お前……ッおまえ、此処まで来てそれは無いだろう……ッ」 
「だって凄く急な事だと思うしさあ……無理矢理キスして君にこれ以上嫌われたくないじゃない……」 
「こんな格好で今更何を言ってるんだ」 
 ぴったりと抱き合った状態での言い訳は余計にレイヴスの笑いを誘ったらしい、大口を開けて笑う姿を見てなんだか感慨深いものを感じる。この子もこんな風に笑う事が出来たのかと、笑う姿を見られる立場になったのかと喜びを感じる。 
「ねえ、せっかくのムードぶち破っちゃったのは悪かったけど……それで、キスしていいの?」 
 レイヴスは楽しく笑っているだろうから良いだろうがアーデンとしてみれば返事がもらえずに目の前でお預けを食らっているような状況だ。ずっと見て居たくなるような笑顔ではあるが早く柔らかそうな唇を食みたくてうずうずしている。笑みに細くなったレイヴスの目がまたアーデンへと戻って来ると思わせぶりにそっと頬を両掌で包み込まれた。 
 ちゅ、と音を立てて触れたのは一瞬。レイヴスからキスをされたのだと気付いたのは浮かせた頭をソファのひじ掛けに戻したレイヴスが面白がるような目でアーデンを見上げてからだ。 
「これで満足か?」 
「――ッそんなわけないでしょ」 
 揶揄するような言葉に今度はアーデンから唇を重ねる。先程の子供騙しのような口づけでは無くお伺いを立てるように幾度もリップノイズを響かせる。くすぐったげに震えながら勿体ぶって開かれた唇にすかさず舌を滑りこませれば歓迎するかのようにぬるりと暖かな舌が絡みついた。角度をつけてより深くまで舌を差し込んで舌の根までくすぐってやればレイブスの喉がんん、と小さく鳴る。残るアップルティの香りを根こそぎ奪うかのように丁寧にくまなく口内を舌先で辿ってやれば背中の指先がシャツをぎゅっと握りしめるのを感じた。 
「――は、ずいぶんと情熱的なんだな」 
「嫌いじゃないでしょ?」 
 合間に吐息と共に零れる声は甘い。再び唇を重ねて思う存分温く絡み合う粘膜を味わっていれば次第にレイヴスの腕が、足が、強請るようにアーデンに絡みついてゆくのが心地良い。ぴったりと重なる体温が溶け合って頭の中までぐずぐずに蕩けるようだ。もっと、と差し出される舌先を音を立てて吸ってやればぴくりと悩まし気に寄せられた眉、跳ねた身体。また少し伝わる体温が上がった気がした。 
「……ね、俺のお願い叶えてもらったからさ。今度は君のお願い叶えてあげるよ」 
 唇が触れ合う程の近距離で囁いてやれば少しだけ上がった呼吸を整えるように濡れた吐息が応える。 
「言わなくともわかるだろう?」 
「君の口から聞きたいんだよ」 
「無粋だな」 
「臆病なんだよ」 
 ふ、と触れる吐息が笑みに綻んだ。背からアーデンの頭へと滑る指先が優しく生え際を撫でる。甘えるようにその手に頭を押し付けて擦り付ければぐい、と頭を抱き込まれてレイヴスの首元へと顔を埋める形となりそのまま強く抱きしめた。重なった胸元から少しだけ早くなった互いの鼓動が伝わってまるで本当に生きているかのようだ。 
 すり、と一度懐くように頬をすり合わせてから耳元へと触れる唇。ゆったりと息を吸ってから思わせぶりにレイヴスが口を開く。 
「―――」 

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オメガバース

 初めてのヒートは祖国を離れて帝国に入ってすぐ、皇帝に謁見する為に部屋に入った時に起こった。発熱、発汗、動悸、それからどうにも抑えきれない性的な昂り。記憶にあるのは部屋に入って数歩進んだ所までで、気がついた時には見知らぬ部屋で宰相の男と交合っている所だった。 
 男は訳がわからず暴れだしたレイヴスを難なく抱き締めると皇帝の前でヒートを起こして倒れたレイヴスを介抱してくれた事、薬が効かずなかなか症状が収まらなかったので静める為に行為に及んだ事、恐らくは皇帝の強いαのフェロモンでヒートが誘発されたのだろうと言う事、宰相自身もΩであるから妊娠の心配は無い等を丁寧に説明してくれた。同じΩのよしみとして何かあれば頼ってくれとも。 
 これから仕える主でも有り敵でもある皇帝の前で無様な姿を晒した情けなさと、そろそろ動いて良い?と男が腰を揺する度に生まれる初めて体験した強い快楽に抗えない無力さで終いには幼子のように泣き出してしまい、レイヴスにとって忘れたくとも忘れられない忌まわしき記憶となって今でも胸に苦く残っている。 

 ~中略~ 
 
「あれ、どうしたのその格好。また襲われた?」 
「わかって居るなら薬を寄越せ。毎度ヒートになってから此処へ来たのでは遅い」 
「だって君、先に渡したら身体に悪い飲み方するでしょ?これは良く効くけど副作用が強いんだからそんなことさせられないよ」 
「子供が出来なくなるくらい別に構わん」 
「Ωに生まれた神凪は血を繋がなきゃいけないんでしょ」 
 漸く黙ったレイヴスに薬と水を差し出せば引ったくるような勢いで奪われて何の疑いも持たずに勢い良く飲み下して行く。それからフラフラと覚束ない足取りで勝手に人のベッドへと倒れ込むとそのまま動かなくなった。 
「ちょっと、他の男のザーメンまみれのまま人のベッドに乗らないでくれない?」 
 苦情を呈した所で薬が効くのをじっと待つレイヴスの反応は無い。もはやこれくらいの言葉では顔をあげる事すらしてくれなくなって寂しいのと同時に、それだけ慣れてしまう程に身体を重ねて来たことがなんだか感慨深いものがある。最初の頃なんて助けを求めることすら出来ずにじっと独りで小さく身を丸めて耐えているだけだった。その度にヒートの匂いを頼りに探しだし、無闇にフェロモンを撒き散らす身体をなんとか部屋に引きずり込んで薬と一時の快楽を与え続けてきた。全幅の信頼、とまでは行かずともヒートの時に頼るべき人間と認識してもらえるようになるまで随分と時間が掛かった。 
「ねぇ洗ってあげるからさ、シャワー浴びようよ。俺がαの臭い嫌いなの知ってるでしょ」 
 漸く顔を上げたレイヴスのこちらを見る眼がとろりと溶けている。ベッドなんて一番アーデンの匂いが染み付く場所に居れば当然の事なのに、この匂いがΩの物だと信じているレイヴスはそうと知らずにいつもベッドに引き寄せられては枕を抱え込んでアーデンの匂いを堪能している。だが今日は駄目だ。レイヴスはこんなに離れていてもわかるほどに他のαの臭いをまとわりつかせていて、ベッドにもそれを残されるかと思うと耐え難い。 
「ほら、お風呂に行くよ」 
 顔をしかめながらもなんとか近づいて脇の下へと強引に手を差し入れて引き摺り上げれば、案外素直に両腕が首へと巻き付いてきた。少し前まではあっさりと持ち上がった華奢な身体は今やずっしりと質量を増している。身長は殆どアーデンと変わらないくらいに伸びたし骨格もずいぶんと男性的になってきた。これで肩幅に見合う筋肉量になったらさすがに抱え上げられ無い気がする。 
「アーデン、」 
 ぐいと腕に引き寄せられたかと思えば重なる唇、積極的なのは悪く無いがその口の中に濃く残る違うαの臭いに耐えきれず、反射的にレイヴスの身体を突き飛ばした。 
「言ったでしょ、αの臭い嫌いだって。お風呂に入ったらいくらでも付き合ってあげるから」 

~中略~ 

 選ばれていながら自覚も覚悟も持たぬ腑抜けの王。世界が、妹が、今どういう状況にあるかも理解せずにのうのうと基地に現れたノクティスにただ灸を据えてやるつもりで出た筈だった。
「将軍」 
 呼び掛けられて我に返る。まだ頭がぼうっとしていて動かない。犬のように浅い呼吸と激しい動悸の音が耳に五月蝿い。汗が滲む程の身体の熱、これに似た症状と言えばヒートだがつい先週終えたばかりの筈だ。なるべくヒートを起こさないように強い抑制剤も毎日かかさず飲んでいる。今朝も飲んだか?いや飲んだ筈だ。 
「君の運命の番、ノクティス王子だったんだねぇ。あ、今は陛下か」 
 重い揚陸挺の稼働音が響き渡る中、ここに居るのはレイヴスとアーデンだけだった。うんめいのつがい、その単語だけが意味もなく頭の中でぐるぐる回る。 
 ただ一発くらい殴り付けてやろうと思っていただけなのに、ノクティスを見たとたんに得体の知れない衝動に突き上げられて本気で殺そうと思った事は覚えている。全身が怖毛立ち、拒絶するよりも先に引き寄せられるようにして手が出そうになる程の恐怖とも怒りとも着かない心の昂り。間違いを起こすくらいなら殺してしまわなければとただそれだけが頭を駆け巡って、アーデンが横槍を入れなければ本気で殺していたかもしれない。
「ねぇどんな気持ち?妹さんを差し置いて自分が運命の番って」
 違う、あれは運命なんかではない。得体の知れない何かに引きずり込まれまいと殺意を覚える程の恐怖だった。運命なんかであるはずがない。風邪か何か、もしくは王子一行のα達にあてられて身体がおかしくなっただけだ。断じて運命の番などではない。ノクティスは妹が幼少の時から想う大事な相手なのだから。 
自分が運命の番であってはならない。 
「気付いてる?いま君、すっごくメス臭い」 
 いつの間にか目前でしゃがみこんだアーデンが嗤っている。ふわりと香る、馴染んだアーデンの匂い。誘われるように手を伸ばせばあっさりと抱き締めることが出来た。分厚い服の下に案外しっかりとした骨格と筋肉が付いていることがわかるくらいに強く腕に抱き、首元に顔を寄せて肺いっぱいに匂いを取り入れると、馴染んだアーデンの香りに張り詰めていた何かがとろりと蕩ける。 
「アーデン、……」 
「ちょっと、此処まだ外なのわかってる?」 
「いいから、早く」 
「後で嫌がるのは君でしょ」 
「頼むから」 
 渋るアーデンに焦れて体重を掛けて押し倒す。ごん、と鈍い音がした気がするが焦らす方が悪い。腰の上に跨がると既に服の中が濡れて居ることに気付く。昂りを押し付けるように腰を揺らすだけでぬちぬちと腿の方まで濡れた布がまとわりついて擦れて気持ち良い。濡れた布越しにアーデンの股間も固くなっていることが伝わってついねだるように丁寧に尻を擦り付けてしまう。 
「もぉ、後で恥ずかしい思いしても知らないからね?」 
 気遣う素振りで舌舐めずりする男に身体の奥が疼く。一刻も早く何も考えられない程に乱して欲しかった。 

~中略~ 

「妊娠した」 
 今日は晴れてる、くらいのノリで言われて一瞬なんの事だかわからなかった。 
「へ?」 
「だから、妊娠した」 
「誰が」 
「俺が」 
「誰の子?」 
「貴様以外に居ないだろう!!」 
 ガンっとテーブルを拳で叩く姿に思わず首を引っ込める。将軍様は相当気が立っているようだ。 
「知ってたの?俺が……」 
「αだと言うのは先程知ったばかりだ。よくも騙してくれたな」  滅茶苦茶に不機嫌そうではあるが当たり散らすほどに怒っていると言うわけでは無さそうだ。突付けばすぐに破裂しそうではあるが。長年、同じΩだと信じて居たからこそヒートの度にゴム無しでの性交をねだっていたのだろうから予期せぬ妊娠に苛立つのは仕方ないことだろう。実際には運命では無くともヒートの度にαの子種をたっぷりと注がれて来ていたのだから、逆によく今まで孕まなかったものだと感心する。むすっと仏頂面でテーブルに頬杖つく姿からは母性らしきものなど一切見えないがその腹にはアーデンとの子がいると思えばつい頬が緩んでしまう。 
「そっかぁ、俺の子かぁ……」 
 もはや10年以上関係を持っているのに全く孕む気配が無いから若干諦めていた。運命の番を見つけたとたん孕んだというのが腹立たしくもあるが生まれる子供に罪は無い。 
「男の子?女の子?まださすがにわかんないか」 
「そんなもの調べていない、それよりも……」 
「産むよね?」 
 遮るように聞いてやれば呆気に取られたような顔。堕ろす気でいたのが丸わかりだ。漸く宿った命をそんなにあっさり殺す気になるなど本当にこの子は情緒と言うものが無い。否、正確には本当は溢れる程に有り余るそういった感情を「余計な物」として切り捨てようと必死なのだろう。咄嗟に否定出来ずに言葉を探しているのが良い証拠だ。本当に不要だと思っているのならはっきりと否定すれば良いだけなのにぐっと唇を噛み締めて視線をさ迷わせながら必死で考えている、産んで良いものか、否か。そんな隙を見せるからついアーデンもちょっかいを出してやりたくなるのだと言うのに。 
「産んでよね、俺、家族欲しかったんだ」 
 駄目押しとばかりに続けてやれば根が優しい神凪様は勝手にこちらを可哀想な生き物だと哀れんであっさりと陥落したようだ。だが、となにかうだうだ言っているようだがそんなもの建前でしか無いのはわかっている。 
「元気な子が生まれると良いね」 

拍手[1回]

比翼連理

 今さら、この男に抱かれることに特別な感情は無い。 
 上官の命令に従い身体を使って肉欲を発散させる、言ってしまえば模擬戦として部下と剣を交わす事と大差ない。違うとすればあえて見せつけるための模擬戦とは逆に、この行為が軽々しく他言出来るものではなく秘められて然るべきものだということくらいで、レイヴスがいくら嫌がろうと拒絶しようと自分よりも上の権力者には抗えない、それは帝国軍に入って何よりも叩き込まれた悲しい事実だ。それならば自分も利用させてもらうくらいのつもりで割り切った方が心も身体も楽になる。 

 事後の気だるい身体をシーツに投げ出したまま呼吸を整える。夜ともなれば指先が悴んでしまうような冷えた空気も、汗ばんだ肌にはちょうど良い。この男がレイヴスを抱く時はやけに執拗に愛撫を繰り返すせいで身体に残る疲労感は大きい。丹念に指先と唇で肌をなぞり弱火でじっくりと炙るように呼び起こされた熱は中々消えること無く身の内で燻り続けている。早く冷たいシャワーでも浴びてこの倦怠感を抱き締めたまま眠ってしまいたい所だが背中に張り付く身体がそれを許さないように両腕をしっかり腹の前でクロスさせていて身動きが取れない。背中から伝わる温度はレイヴスのそれよりも随分と低く、ひやりとしているくらいだ。熱を持て余している自分だけが先程の狂宴を引きずっているようでなんだか癪に感じる。 
「君のとこのさぁ……神凪の力?男にも受け継がれてるって本当?」 
 この男の言葉が唐突なのはいつもの事で、知り得ない情報をさも当たり前のようにひけらかすのだっていつもの事だ。だが内容が内容なだけに思わず息が詰まる。 
 女性しかなれない物とされている神凪だが、神凪の力自体は男女関係無く受け継がれている。あくまで女性の方が強く受け継ぎ易いというだけであって、男性であっても強い力を受け継いだ人は多くいた。それどころか表向き神凪に就任したのが女性であっても、その代の神凪の力が弱すぎたために数ある儀式を実際に執り行うのは男性であった事だってある。神秘性の維持、政治的な都合、確実に血を繋ぐ為等様々な思惑があって女性が神凪に就くのが慣例化されているに過ぎない。 
 だがその事を知るのはフルーレ家直系の者か、あとはほんの一握りの家臣しか居ない筈だ。 
 否、居ない筈だった。 
 どう応えるべきか考えあぐねているとするりと伸びた指先がレイヴスの指先をそっと握り込む。 
「受け継いでるんでしょ?癒しの力」 
 先程の問いかけを装った物とは違う、確信を持った声にそれとなく握られた手を払いシーツの上へと起き直す。子供じみた些細な反抗に背中の体温が小さく笑うように揺れた。 
 確かにレイヴスにも癒しの力は受け継がれている。正確には「癒しの力のような物」。本来ならば汚れを、痛みを癒し浄化するはずの力はレイヴスには正しく受け継がれず、癒す事は出来てもそれを巧く浄化することが出来ずに何故か身の内に取り込んでしまう中途半端な物でしか無かった。力を使う度に自身が代わりに怪我を、病を、痛みを負うことになる力を大人たちは使わせなかった。 
 少し自分が耐えれば苦しんでいる人を救える筈であったのに、頑なに力を禁じる大人たちははっきりと言葉にしなくても「出来損ない」と告げられているようで苦い思いをした記憶がある。歴代の神凪の血縁者は大なり小なりその力を使って神凪を助けてきた歴史があるというのに自分だけは弾かれてしまったという疎外感。もちろん力を持たずに生まれてきた先祖も居たのだから気にしなくて良いと母は言ってくれたが、選ばれし王の対となる神凪になる事が決まっている妹の手助けが何一つ出来ない事実は自身の存在意義を大きく揺らがせた。 
「……俺は、受け継いでいない。神凪の力は女性に宿るものだ」 辛うじて取り繕うとしてみるが思わぬ動揺に声が細くなってしまった。後悔しても時既に遅く、背後から楽しげに喉を震わせている振動が伝わる。 
「嘘だぁ、だってこうしているとなんだか落ち着くんだよねぇ」 ざらついた感触がまだ余韻の引ききらない首筋を掠めて思わず身が跳ねる。遅れて男の疎らに生えた無精髭が押し付けられたのだと気付いた。レイヴスに逃げられた指先が今度は腹から叢へと、先程吐き出されて乾ききらない体液を塗り広げるようにゆったりと撫でつけて行くだけで奥に燻る熱を引きずり出されそうで、たまらず肘で背中に張り付く体温を押しやり身を起こす。 
「お前の体温が低すぎるから人の体温が気持ち良く感じられるだけだ……もういいだろう、退け」 
 そのまま立ち上がろうとした所で、思いの外強い力で腕を引かれてシーツへと逆戻りしてしまった。すかさず上へと圧し掛かった男が無遠慮に腹の上へと無遠慮に腰を下ろして来たので反射的に身が強張る。 
「知ってるんだよ、力を使っちゃ駄目ってママに言われてるの。律儀に守って来て偉いよねぇ」 
 嘲笑うかのような声に奥歯を噛み締める。この男はいつだってそうだ。 
 最初から核心を言えば良いものを、外側からじわりじわりと舐るようにしてこちらの壁を剥がしにかかって来る。取り繕う嘘も、逃げる事も許さずに獲物がもがく様を楽しんでいるかのようでいっそ腹立たしい。今だって最初から全て知っていると話せば良いものを、レイヴスが一つずつ建てた壁を丁寧に端から壊して行くばかりだ。 
「――それで、それがどうしたんだ。言いたい事は要点をまとめて言え」 
 声が怒りで低くなってしまうのは仕方が無い。だが下手な抵抗が無駄だとわかった今、これ以上取り繕った所で意味が無い。それならばさっさと言いたい事を言わせてとっととこんな場所から離れてしまうのが得策だと暴れだしそうな腹の虫を押さえつける。 
「ルシスの王と、神凪って本能的に惹かれあうんだってね」 
 要点をまとめろと言った傍から話題が飛ぶ。 
 は?と思わず間抜けな声が口から洩れた。 
 今更何故それを知っていると問うのも馬鹿らしいから聞かないが、そんな話は母から聞いた覚えがある。 
 王と神凪は惹かれあうものであるが決して血を重ねてはならない。 
 理由も謂れもわからぬままに伝わる神凪の血族の言い伝え。
 現に妹は随分昔に会ったきりの年下の王子に恋であるのかはわからないが夢中であるし、母も初恋はレギス王だと寝物語に言っていた。どれだけ好きになっても決して結婚してはいけない決まりなのだと聞いて妹は一週間程落ち込んでいたことを思い出す。 
「それが、何か?」 
「俺の事、好き?」 
 今度こそ声すら出ずにさぞ間の抜けた顔を晒してしまっただろう。 
 母を殺した国の宰相を、国を焼いた男を、こうして不健全な関係を強要してくる男を、どうやったら好きになれる?どれだけにこやかに笑っていようと胡散臭さが拭えない髭面の男を?抗わずに大人しく男に組み敷かれているのは保身と時間的効率を考えた結果の妥協であって好きでしている事ではないし、そのことは顔に態度に思う存分出してやっている筈なのでこの男が勘違いする筈もない。 
「神凪の血、引いてるんでしょ?俺の事好きになったりしてない?」 
 楽しげな笑みにどこか期待するような物が混ざるのがより一層胡散臭さを増す。 
 いまいち話の繋がりが理解出来ないが、先程の神凪と王が惹かれあう話に絡めた話題なのだろうか。それにしてもこの男はルシスの王どころかニフルハイムの宰相だ。惹かれるも何も、本来ならば敵であった男だ。 
「お前は王では無いだろう」 
 そしてレイヴスも神凪では無い。それで話は十分の筈だ。 
 その筈だった。 
「そう、――……そうだよねぇ」 
 口喧しい男が珍しく言葉に詰まる。 
 それからしみじみと紡がれる言葉は溜息のように何か、色んな物を綯交ぜにして吐き出された。 
 そのままぼすりとレイヴスの上へと抱き着くように倒れ込む一瞬、男の顔が笑ったままなのに泣きそうに見えたのは目の錯覚だろうか。 
「あーあ、フラれちゃったよ。悲しいなあ、慰めてよ」 
 首元に唇を落とす男の顔はもう見えない。 
 だがその声は普段通りの胡散臭さを取り戻し、手は漸く引こうとしていた熱を呼び起こそうと肌の上を撫で始める。 
「慰めを求めるなら他所へ行け……ッ」 
「大丈夫、ちゃんと気持ちよくしてあげるから」 
 いまいち会話が噛み合わないのもいつものことだ。先程はきっと見間違えなのだろう。この男が泣きそうになるなどと。 
 なんとか逃れられないかと男を押し返してはみるが男は頑なに首筋に鬱血跡を残すことに夢中で離れる様子が無い。まだ柔らかく綻んだままの場所へと押し込まれた指ど同時に兆しても居ない性器を握る性急な手に暫く眠る事は出来ないと諦めてレイヴスは息を吐いた。 

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アーデンと猫

 猫を一匹、飼っている。 
 白銀の毛並みに均整の取れた身体、顔立ちはとびきりの美人。性格は好奇心旺盛で、気紛れなところはあるが概ね飼い主に従順。手を煩わす事も多いけれど、案外この猫との生活は楽しい。 
 神凪は死に、王はクリスタルに囚われ、世界は闇に閉ざされた。外はシガイで満たされ、人は僅かに残された拠点を頼りに細々と命を繋いでいる。かつて栄華を極めた帝都グラレアにあの頃の面影は無い。シガイや魔導兵に好き放題に破壊しつくされ、暖かな血肉を持つものの絶えた死の世界。まるで世界中で猫とたった二人きりになってしまったようで悪くない。 
 すり、と足に押し付けられる柔らかな毛の感触に宙に浮いていた意識が戻って来る。暇を持て余してソファに身を預けていたらそのままぼんやりとしてしまったようだ。 
 ジグナタス要塞、元は将軍用の執務室だった場所に多少の手を加えて猫の為の部屋にした。何だかんだとアーデン自身、此処に居ることが多いので二人の部屋と言っても間違いでは無い。見下ろす先には黒く煌く眼球にくっきりと浮かび上がる金色の瞳。人ならざる者の証であるそれがひたりとアーデンを見据えてはぐるるぅと喉を鳴らした。 
「ごめんごめん……ちょっとぼーっとしちゃってたよ」 
 ご機嫌取りに頭を撫でてやれば滑らかな指通りの中で数本、指先に絡んだ毛先。これはまた後で丁寧にトリートメントとブラッシングをしてやらねばならない。「彼」と比べたら驚く程に風呂嫌いになってしまった猫をどうにか風呂場まで連行し、顔に湯が掛かるのを嫌がるところをなんとか宥めすかして髪と身体を洗ってやるのはなかなかに骨が折れる仕事だが、それなりに楽しいとも思っている。なんせ頑なに余計な接触を拒んだ彼と同じ形をした物を、ほんのちょっとの手間だけで自由に弄り回せるのだ。お気に召さない時は容赦なくもとに戻されてしまうが、それでもアーデンが作業をしている間は大人しくしていてくれる。 
 煮るも焼くもアーデンの意のまま。アーデンだけを頼り、アーデンだけを慕い、アーデンの為に応えてくれるこの猫を可愛いと思わないわけが無い。たまにご機嫌斜めになってこっちを見てくれない事だって無いわけでは無いが、そんなものは拗ねているだけにしか見えず、結局可愛いだけだ。 
 そんなアーデンの思考などお構いなしに猫はもっと撫でろと言わんばかりにぐいぐいと頭を押し付けてくる。 
「焦らなくてもちゃんと構ってあげるよ。ほら、おいで」 
 そう言って両手を広げてやれば躊躇い無く膝の上に乗りあがる猫の体温はひやりと冷たい。体温が無いわけでは無いのだから、せめて服を着てくれたら此処まで冷える事はないだろうにどうしてかこの猫は服を嫌う。以前の「彼」と同じようなデザインの物から気心地が良く楽な物など多種多様な服を与えてはみたが、着せられる時は大人しくしている癖にすぐに脱ぎ捨ててしまう。 
 その代わりにとでも言うべきか、「彼」の時は考えられない程にすぐアーデンにくっつきたがる。アーデンとて人のような温度は有していないというのに素肌同士をぺたりとくっつけて抱き締められる事を好む。今もアーデンの膝の上で力任せに服を剥がそうと引っ張られて息が詰まりそうだ。 
「ちょっと、丁寧に扱ってよ。一張羅なんだかさぁ……」 
 知性を失った指先は「彼」程に器用は動かない。留め金もボタンも、猫にとっては力で引き千切れるものでしかない。今にも服を破きそうな程に力の入った指先をそっと握ってやれば喉の奥で不服そうな唸り声が上がった。それでも大人しく布から手を放し、じっと金の瞳が伺うようにアーデンを見る。 
「ほら、オネダリしたい時はどうすればいいんだっけ?」 
 冷え切った指先を温めるように包み込んだまま問いかければ、少しだけ考えた後にぺろりと乾いた唇を舐める姿。恐らくは、普段言葉を発する機会が無い為に硬くなりがちな舌の準備運動のようなものなのだとは思う。だが真っ白な猫のそこだけ赤く色づいた舌が無造作に唇を湿らせる姿は酷く扇情的だ。 
 お上品さを崩さなかった「彼」の姿を模しているから尚更。「ぅ、あ、あー、でん」 
「うん」 
「あーで、あーでん、す、き」 
 余り使われずにがさついた低音がたどたどしく音を紡ぐ。 
 アーデンよりもよっぽど体格に恵まれた身体が。 
 顔を合わせれば嫌悪、疑心、拒絶しか向けてこなかった「彼」と同じ形をしたものが。 
 言葉の意味も分からぬまま、ただアーデンに求められるままに発する舌っ足らずな言葉はなんとも言えない背徳感で背筋がぞくぞくする。 
「そっかぁ、俺の事、好きなの?」 
「あー、でん、す、すき、あーでん」 
「よくできました」 
 縺れそうになる舌を必死に動かして紡ぐ言葉は「彼」であれば死んでも口にしない言葉であっただろうに、目の前の猫はただアーデンにご褒美をもらいたいが為だけに必死だ。応えるようにショールを外し襟を寛げて行けば待ちきれないとばかりにぐりぐりと頭が首筋に懐いてくる。 
「こら、ちょっとは待ってってば。脱ぎ辛いでしょ」 
 さらさらと肌をくすぐる毛先がくすぐったい。懐くだけでは足りなくなったのか首筋に舌が、歯が、唇が押し付けられて唾液に濡れた場所がひやりとした。それからむき出しになった腹へと無遠慮に押し付けられる熱。隠すものを纏わない猫の昂りが恥じらいも無く二人の間で形を成して揺れている。 
「オネダリしただけでこんなになっちゃうの?ヤらしいよねぇ」
 卑猥な野次だって今の猫には意味を持たない。簡単な言葉なら理解はしているようだが応えてくれる事は稀であるし、そもそも言葉で意思の疎通を図ろうという意欲が感じられない。猫が必死に繰り返すあーでん、すき、の二つの言葉だってベッドの上で快感を餌に根気よく教え続けてやっと言えるようになった。この二つの言葉を言えば気持ちよくしてもらえる、たったそれだけの理由で口にしているに過ぎない。 
「ほら、ベッドに行こうか。早く欲しいんでしょ?」 
 上は前を寛げ終えて後は脱ぎ落すだけだが猫が邪魔でそうもいかない。だが猫はと言えば無理やり服を押し開いてぺったりと胸をくっつけるようにしがみついてくるばかりで離れる気配が無い。それどころか早くもアーデンの腹に昂りを擦り付けるように腰を揺すり始める始末。 
「そろそろ待ても覚えてもらわないとなぁ……さすがに此処じゃ足が痛くなっちゃうよ」 
 そう言葉にしつつもアーデンは唇が緩んでしまうのを止められない。発情による体温上昇でようやく熱を帯び始めた身体をしっかりと抱き抱えると、よ、と勢いをつけて立ち上がる。甘やかし過ぎている自覚はあるがこんなにも無条件にアーデンを求める「彼」の姿にあまり厳しい躾をするのも可哀想だとつい思ってしまうのだ。「彼」が相手ならば腹の底の淀みを投げつけるようにぶつけていた欲も、猫ならばふわふわの柔らかな物で包み込んでドロドロに甘やかして溶かしてしまいたくなる。  片手で服を脱ぎ落としながら壊れ物のようにそっと大事にベッドの上へと猫を下ろす。筋力は無い方だが「力」があれば成人男性程度の重さは苦でも無い。 
「さあて、今日はどんな風に可愛がられたいのかな?」 
 中でイく事は覚えたし、他の場所だって触れれば可愛い鳴き声をあげられるくらい随分と快感を得られるようになってきた。
 そろそろしゃぶってもらおうかなあと計画を立てながら、真っ白な猫の手に引き寄せられて唇を重ねた。 







・宰相の力と帝国の技術力を掛け合わせたら消滅する寸前のシガイを回収して再構築くらい出来るんじゃないかな、と。
・人の部分は回収出来なかったから中身は全てシガイ、でも義手とか生前取っていた生体サンプル等を核にしてもにゃもにゃごにゃごにゃしたら見た目そっくり、知性はシガイ並な物が出来上がるんじゃないかなって妄想

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