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空箱

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化粧1

化粧は武装だ、と言っていたのは誰だっただろうか。
洗い立ての肌に化粧水と乳液を叩き込み、余計な分はティッシュで顔面を覆ってそっと剥がす事で落とす。それから普段は使っていない、舞台役者御用達という下地を塗る。美容業界では肌へのダメージが酷いと言う事で嫌悪されているらしいが、いついかなる時でも美しくマットな肌を保てるという触れ込みの下地は役者のみならず、こういう時に非常に便利だ。ついでに充血と乾燥を防ぐ目薬を差し、しっかりと浸透させるように数秒瞼を閉じたまま数えてから溢れた分をティッシュで拭き取り、目の際には少しひんやりとするクリームを小指でそっと塗り伸ばす。皮膚を引っ張る為にちらりと覗いた下瞼の裏が白い。少しでも血行を良くする為に、クリームを馴染ませるように少し揉み込み、その後はこれも普段はあまり使わないチークを極々薄くリスの毛で出来たブラシで乗せてから濃い肌色の粉を顔全体に叩いて行く。
アイラインは普段よりも太めに、だが強くなりすぎないように縁をぼかし、凹凸を強調させるようにシャドウとハイライトをこれも濃く入れた。仕上げに化粧水を顔全体にスプレーし、ティッシュで押さえた後に血行を良くする事で唇をふっくらと血色良くするリップクリームを乗せればひとまず完成。
洗った肌に適当に粉を叩き、さっとアイラインを引くだけで終わるいつものメイクに比べて随分と時間は掛かってしまったが、その分美しく健康的な顔が作れたと鏡の中で角度を変えて確認してから一息つく。これなら普段よりも気合いが入っていると思われる程度で済むだろう。そう安心して立ち上がればぐらりと身体が揺れて慌てて化粧台に手を付いて身体を支える。どれだけ顔面に完璧な偽装をした所でふらついていたら意味がない。気合いを入れるように短く息を吐き、もう一度鏡で身嗜みを確かめてから部屋を出る。
今日も、忙しい一日が始まる。
カリムの朝食の毒見を済ませたら一足先に部活へ。主に筋トレや基礎練習ばかりになる朝練は地味に辛いが、個人のメニューをこなすだけな分、人目を気にしなくて良い。多少誤魔化して手を抜きながらなんとかメニューを片付け、朝練を終えた後は普段ならばカリムの様子を見に行く所だが今日はそのまま人気の無い空き教室へと逃げ込む。消耗した体力は大きいがまだ倒れる程でも無い。起きた時よりも倦怠感と熱っぽさは増えているが午前に体力育成の授業は無かった筈だから後は座っていれば良い。なんとかなるだろう。机の影、椅子を四つ程並べて身体を横たえ少しでも体力の回復を図りながら手鏡で顔を確認する。完璧に作り上げた顔はまだ崩れていない。だが目付きが少し胡乱になっていた。瞼用の糊でも使ってくっきりとした二重を作った方が良いだろうか、だがその方法は糊を付けていることがわかりやすい。下手な探りを入れられるよりは目を開く努力をした方が良いと結論付けて、少しだけ瞼を下ろす。始業の時間まで、五分程眠れる筈だった。
午前中は恙なく終わり、昼食の時間にはなったが益々体調は悪化していた。食欲が湧かず、頭がぼうっとしている。カリムが昼食の誘いに来る前にと荷物を持ってそそくさと教室を逃げ出し何処で体力の回復を図るべきかと頭を巡らせるが上手く頭が回らない。空き教室には弁当を持ち込んでいる生徒や食堂の喧騒を嫌う生徒がいることが多いので今の時間は使えない。となると思い浮かぶ場所が何も無く、ふと目に着いたトイレの個室へと入り蓋を下ろしたままの便座に腰を下ろすと自然と長い溜息が零れ落ちた。酷い場所だと思うが誰の目にも触れない場所だと思うと驚く程に落ち着く。自分で身体を支える事すら辛くて壁にもたれながら手鏡を確認する。肌を覆い隠すように粉を分厚く乗せた筈なのにどことなく血色が悪いし唇が干からびていた。今度こそ化粧を直さなくてはならない。だがまずは薬だ。荷物の中に忍ばせて置いた熱冷ましの薬を口に放り込んで噛み砕いて飲み下す。苦くて不味い。それから栄養を補うサプリメントと、意識を覚醒させる薬、念の為に吐き気止めを全部まとめて少々効果が過激で貴重な魔法薬の液体で胃に流し込む。昼休みの間に効いてくれれば午後の授業までには持ち直すだろう。流石に部活は何かしらの理由をつけて休まなくてはならないだろうが授業だけはきちんと受けたい。
それはジャミルの評価の為でもあるが、同時に従者としての役割でもあった。
主を守る盾が使い物にならなくなっている事実を誰にも知られるわけにはいかない。
薬でどうにか立て直した体力で化粧を直し、午後の授業に向かう。糊で無理矢理開かされている瞼の所為で眼球がひんやりしている気がする。どこかでまた目薬を注さないといけないと思いながら目指す教室の手前に見つけたレオナの姿。普段ならばふんわりと心が弾むが今日ばかりは会いたく無かったというのが正直なところだ。なんだってこんな時ばかりサボらずに校舎の中にいるのだろうか。
「こんにちは、レオナ先輩。珍しいですね?」
「うるせぇな」
見つけていながら声を掛けないのは違和感があるだろうと率先して声をかければ鬱陶しがるような声が帰って来る。
「精々同じ学年にならないように真面目に授業受けてくださいね」
それじゃあ、といつも通りにすれ違った所で不意に背後から伸びた掌に二の腕を掴まれ、抗う力も無い身体は簡単にレオナの胸元へと引き戻された。
「うわ、……何ですか、授業始まりますよ」
普段通りを心がけ、不快だと言わんばかりの顔でレオナを見上げるが、そこには変な物でも見たかのように目を眇めてジャミルを見下ろすエメラルドがあった。
「……ああ、化粧ですか?ちょっと今日は雑誌で見たのを試してみたんですよ。少し雰囲気違うでしょう?」
まるで見透かすかのような視線に耐え切れずに先手を打って釈明をする。だから離せとレオナの胸を押すが分厚い胸板はびくともしなかった。
「ちょっと、先輩、本当にもう授業が始まるので……」
「力尽くで眠らされるのと、自分でベッドに入るのとどっちが良い?」
「昼間から何言ってるんですか、そういうのは後で、」
「無理矢理が好みなんだな、わかった」
「待ってください!!!」
宣言通りにジャミルの首に手を掛けようとするのを慌てて止める。元気な時ならまだしも、薬でなんとか立っているような状態でレオナに抗えるとは思っていなかった。だが、何故。誤魔化す事すらさせてくれずにジャミルを捕らえたまま離さないレオナに悔しさがこみ上げて思わず唇を噛む。折角張り詰めていた緊張の糸がふつりと切れてしまっていた。
「……何で、わかったんですか」
化粧は完璧だった。いつもと同じとまではいかないが、健康的に見える顔を作れていた筈だし動作だってこの程度なら常と変わらない動きが出来ていた筈だった。現にレオナより前にすれ違った同じ部活の同級生達とすれ違いざまの会話をした時は何の疑問も抱かれず、また部活でな!と言いながら別れたのだ。
「……さぁな?」
だがレオナはにぃと意地悪く口角を釣り上げたかと思えば軽々とジャミルを肩に担ぎ上げてしまってそれ以上様子を伺う事は出来なかった。

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未知

セックスとは、奉仕であるとジャミルは思っている。
いかに相手好みの振舞いをし、自らの身体を使って相手を満足させつつも自分のダメージを最小限に抑えるかが腕の見せ所であり、それなりに攻略を楽しんでいる所だってあった。
初めてジャミルに触れた男も、その後長らくベッドを暖める事になる当主も、その当主に命じられ赴いた先の男達も皆ジャミルに優しく快楽を教えてくれたからこの仕事を嫌だと思った事はあまり無い。
それは決して当たり前の事では無く、ジャミルは運が良い方なのだということだって知っている。アジーム家に仕えていれば忘れそうになってしまうが、この国は決して豊かなわけでは無い。王や貴族、商人の一部には腐るほどの金があったとしても、少し離れた田舎では未だにその日の暮らしにすら困り、人身売買が当たり前のように行われていると聞く。初潮も迎えていないような幼い女の子が嫁として男に買われ、無理な性交、妊娠で命を落とす事も少なくない中で、同じ欲の捌け口として使われながらも当主からは愛人の一人のように可愛がられ、ジャミルがアジームの持ち物である事を理解している他の男達もそう簡単にジャミルを傷つける事は出来ない。思春期を迎える手前には、一度だけ、大の大人が片手で縊れそうな子供相手に欲情する事実に対しておぞましさを覚えたりもしたが、それだけだ。嫌悪感で飯が食える訳でも無い。ジャミルが少しの吐き気を堪えるだけで皆が良い思いをするのだから耐えて然るべきだろう。ジャミルが我慢している物なんて、他にもたくさんある。それが一つ増えた所で今更何も思わない。
だから、慣れているつもりだった。そこらの少し女を抱いた事がある程度の男なら簡単にジャミルの虜に出来ると思っていた。
レオナは傲慢に見えて何処か脆そうな匂いがするから見た目通りの獣のようなセックスか、それとも王族ならば教科書みたいに馬鹿丁寧でよそよそしいセックスでもするのだろうか。どちらにせよ、下手に初物っぽく振舞ってしまっては何か面倒な事になりそうだが、あの年代には余りにもこなれた姿を見せると逆に萎えると言われた記憶がある。経験はあるが、そこまで慣れてない風を装うのがちょうど良いだろうか、なんてそれなりに楽しみにして対策だって考えて来たのだ。
そっと手を取られ、優しく引かれてシーツへと滑らかに押し倒される。顔に見合わず丁寧なタイプだったかと思いながら見上げたレオナの顔を見た瞬間、ぶわりと何か、熱くてぼわぼわしたものが身体から膨れ上がって思考を濁らせた。
「ジャミル」
「……あ……う……」
名を呼ぶ声が、顔が、今まで見た事のあるレオナの顔よりも少しだけ甘い。その事に気付いてしまったらうまく言葉が出てこなかった。何か言わなくてはと思うのに、舌が上手く回らずレオナを直視出来ない。ぼぼぼぼ、と火を噴きそうなくらいに顔面が熱を持っているのを自分でも自覚して益々混乱する。
今までこんな事は一度だって無かった。むしろ最初は一番大事な所だから細心の注意を払って相手を読み取る事に集中してきたのだ、恥じらう演技としてならまだしも、ただ純粋に耐え切れずに瞼を伏せてしまうなどまるで敵前逃亡しているようで嫌だと思うのに身体が言う事を聞いてくれない。
ふ、と笑うような吐息が額に触れ、そしてそっと少し荒れた唇が瞼に押し付けられる。それだけでまるで眼球がどろどろに溶けてしまったかのように熱い。頬を硬くタコの出来た掌で包まれるだけで脳が気持ち良いと認識してふわふわしている。性的な快感とはまた違う、未知の心地良さ。ジャミルが知らないそれは怖くもあり、切ない程にもっと欲しいと求めてもいた。身の置き所がわからずに、せめて身体の輪郭を確かめるようにレオナの背へと腕を回してそっと抱き寄せれば褒美のように重ねられる唇。ふわりと、また何かが身体の中から溢れる。こんなにもたくさん何かが溢れているのにジャミルの中はまだまだ知らない何かがいっぱいに詰まっていて息苦しい。
「ん、……ぁ……」
喘ぐ唇に滑り込んだ舌が絡まるだけで気持ち良すぎて意識が白んでしまいそうだった。まるで薬か魔法でも使われて強制的に情感を高められている時のようだ。制御出来ない身体を怖いと思うのに、その先を求める心が恐れ知らずにも強請るように舌を差し出す。レオナの好みを探るだとか、満足させてやろうだとか、そんな下心は全部吹き飛んでしまってただ身を委ねる事しか出来なくなっているというのに嬉しいという気持ちで満たされてしまう。
「……ぁ、」
ちゅ、と音を立てて唇が離れると自分でも驚くくらいに名残を惜しむような声が出てしまい、思わず唇を噛む。まだレオナがどんなジャミルを好むのかわかってもいないのに迂闊な事をしたとひやりとするが、目の前のレオナの顔がそれは嬉しそうに綻ぶものだから恐怖が全て吹っ飛んでしまう。
「れ、おな、せん、ぱい……」
ならば、と強請りたくてもまるで初めて行為に挑む処女のように強張った舌が縺れてうまく言葉を紡げなかった。それが恥ずかしくて悔しいのに、レオナの濡れて煌く弓形のエメラルドに見詰められるだけでほろほろと尖りそうになった心が崩れて多幸感の海に沈んでしまう。
再び唇が重ねられ、服の下へと潜り込んだ掌が汗ばんだ肌を辿る。ジャミルは何もしていない。ただレオナから与えられる何かに溺れないように息継ぎするので精一杯で、何も返せていない。輪郭を保つのがやっとな程に心も体もとろとろに蕩けてしまって役に立たないのに、レオナが笑っているから、嬉しそうにしているから、つい、身を委ねてしまう。
ごり、と下肢に押し付けられたレオナの股間が硬さを帯びていた。こんなふわふわになってしまったジャミルでも、レオナは楽しんでくれているのだろうか。ただの置物のようになってしまった身体でも許されるのだろうか。
出来れば、気に入ってもらいたい。今夜限りで終わりにしたくない。
初めて利害関係無く次を望む心がジャミルの中に生まれている事を薄っすらと自覚しながら、次第にジャミルの意識はレオナの熱の中に溶けて行った。

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取説

1.あなたの顔がとても苦手です。不用意に近付けないでください。※でもキスは近付かないと出来ないので接近を許可します。
2.俺のメンタルが荒れてる時に限って珍しくサボらず校内に居るのはやめてください。びっくりします。大人しく昼寝しててください。構うな。
3.恐らく気付いていないのだと思いますが、たまにあなたの尻尾が足に絡みついています。これは不快とかではないのですが、無意識なのだとしたらどうかと思うので一応お知らせしておきます。
4.よそでテンションが下がる出来事があってもあなたの誘いは断れないのでお見苦しい姿を見せるかもしれません。すみません。
此処に来ればそのうち直るのでほっといてください。構ってくれても良いです。たぶん、構ってくれた方が早く直ります。でもほっといてください。
5.あなたの声もとても苦手です。特に、している時に耳元で喋られると無理です。耐えられません。
言葉選びも大変駄目です。何故そこまでピンポイントに苦手な言葉ばかり言えるのか不思議なくらいです。絶対に止めてください。
6.名前を呼ばれると不整脈が起こるので控えてください。命に関わります。たまになら良いです。
7.時々頭を撫でてくれるのは悪くないです。
後ろから抱えられて肩に顎を乗せられるのも嫌いじゃないです。
これからも続けてください。でも肩の上に顎を乗せたまま喋るのは厳禁です。
8.必要以上に優しくしようとするのは止めてください。俺は男なのでそんな簡単に壊れませんし、雑に扱われる方が慣れてます。
王族ならそういうのも教育されているのかもしれませんが、下々の民には不要の気遣いなので止めてください。逆に居心地悪いです。
9.目が覚めたらちゃんと自己申告しろ。寝た振りするな。絶対に言え。狸寝入りするな。
10.して欲しくない事や直して欲しい所はたくさんありますが、あなたの事が嫌いなわけでは無いです。
でも飽きた時は言葉にしないでください。メッセージが送られて来なくなったらちゃんと察するので、そうしてください。
「…………なんスか、これ」
引きちぎったノートの一ページに殴り書かれていた乱雑な、だが元は上手なのだと察せられる細く綺麗な文字を最後まで読み終えて思わずげんなりしながらラギーはレオナを見た。
「どう思う」
「どう、って……」
洗濯物を回収に来たラギーに、部屋に入るなりこの紙を「読め」と押し付けてきたレオナはぱっすんぱっすんと不機嫌そうに尻尾でベッドを叩きながらじっとりとあぐらを掻いて座っていた。いかにも虫の居所が悪いですという威圧感のある凶悪顔。正直関わり合いになりたくない。
ノートを借りた時などに見たモノよりはずいぶんと崩れてはいるが、この字を書いた人は恐らくジャミルだろう。お付き合いしているんだかそれとも爛れた関係なのか詳しい事はよく知らないし、何故この文章が書かれる事になったのかは全くわからないが、近頃この部屋に度々訪れているらしいジャミルからレオナに向けて書かれていたのだとすれば。
「お前の見解が聞きたい」
「見解?」
「率直に言って、俺はアイツに無理を強いてると思うか?」
あ、駄目だこの人。
完全にポンコツだ。
わかってしまえばこの凶悪顔は機嫌が悪いのではなく、ただしょんぼり落ち込んでいるだけなのだと理解して思わず吹き出してしまいそうになるのを咳払いでなんとか誤魔化す。
「えっと、本当に俺の素直な感想を述べさせてもらいたいんスけど、怒らないでくださいよ」
「ああ」
睨むようなエメラルドが真っ直ぐにラギーを見る。そんな真剣な顔をしないで欲しい、こちとらこんなにもあからさまな文章を書いて寄越してくるジャミルと、普段の知性は何処へやら額面通りに言葉を受け取ってしょげてるレオナの恋愛ビギナー達の甘酸っぱさにあちこち痒くなっているのだ。憧れていた筈の先輩と、有能だと思っていた筈の同級生のそんな姿は見たく無かった。
「俺に惚気ないで欲しいっス」
「は?」
「それじゃ、レオナさんおやすみなさい!」
とレオナがきょとんとしている間に叫びながら走ってレオナの部屋から逃げ出す。洗濯物が一枚も回収出来てないがもうそれは今度だ。ジャミルが何のつもりであの文章を書いたのかは知らないがどう考えてもラギーがどうこうレオナに教えるよりもとっとと二人で話し合えという案件だろう。というよりとにかく関わりたくない。巻き込まれたくない。ほっとくと余計に拗れそうな予感もあるが今はまだ現実逃避したい。

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実り

種を埋めたのは事故だった。
呑気な飼い主の、毒なのか薬なのかもわからぬ水をたっぷり注ぎ込まれた肥沃な土を隠し持つ干からびてひび割れた表面を無理矢理ほじくりかえして種を押し込むような所業。
最初は種を埋めていた事すら気付かず、またレオナも寝れば忘れると思っていた。だがその日から気付けば掘り返された土の複雑な色をつい思い出しては姿を探してしまう自分に気付いた。
だから、育てようと思ったのだ。レオナですら何の種なのかわからぬ種が、あの土の中でどう育って行くのか見届けたいと思ったのだ。
誘えば、簡単にレオナの元にやってくる。
だが種を埋めた筈の場所はきっちりと元通りに干からびているだけで、レオナがせっせと水を撒いてみてもなかなかあの日見た不思議な色合いを見せない。
ならば、と水を撒きながら耕す事にした。本人はとても嫌がっていたが、少しでも水を得た土は少し柔らかくなる。その隙に湿った表面に鍬を突き立て、渇いた表面を崩すように中の土と混ぜていく。深くまで耕せる日もあれば、表面に傷をつけることすら叶わない日もあったが、嫌がる割には呼べば簡単にレオナの元に水を浴びに来るのだから、きっと種も芽吹きたがっているに違いない。
嫌だ嫌だと言いながらも断られないことを良いことに、こまめに呼び出しては丁寧に水を撒くうちに、いつしか表面はレオナの与えた水でしっとりと艶を帯びるようになっていた。とはいえ、それはレオナの側にいる時の話であり普段は見慣れたひび割れた土だったが、その事については文句は無い。むしろ下手に誰かに見られてせっかくここまで耕した畑を横からかっさらわれるのは許せない。此処に育つのはレオナの埋めた種ただ一つだけであるべきだ。
そうしてレオナが丁寧に手をかけていると、ある日柔らかく濡れた土の中にぽつりと芽が生えていた。余りにも柔く儚い姿ながら鮮やかな緑は、大木に育った暁にはさぞ美しい葉をつけるのだろうと予想させるような鮮烈な色。
決して有象無象の虫に食い荒らされないように、折角芽吹いた命が誰にも踏み荒らされないようにと守るレオナの手間は一層増えたが不思議と面倒だとは思わなかった。
以前ならば渇いているから水だけもらえれば充分、それ以外の施しは無用と言わんばかりだった土が、早くレオナの水を浴び、世話を受けて大きく育ちたいのだとばかりに自らレオナの元へとやってくる。
レオナもまた、可愛らしい芽を懸命に守り育てようとする姿に執着していることを自覚していた。ただ偶然蒔かれた種が元気に育てば良いと言うわけでは無い。レオナの水だけを得て、レオナの手で育ち、レオナの前でだけ大輪の花を咲かせて欲しいと願うようになっていた。
一度芽吹いた緑は水を与えるだけでもすくすくと育ち、世話をし栄養となりそうなものを与えれば与えるだけ良く育った。ついこの間までレオナが守ってやらなければ簡単に踏み潰されてしまいそうだった芽はいつしかレオナを守れるほどの大木になり、寄り掛かってもびくともせず、むしろ頼られたことを喜ぶように育った枝葉がレオナを包み込み、小さくても鮮やかでたくさんの花を咲かせていた。
その大きさに見合わぬ可憐な花から溢れ出す香りは数多の人を引き寄せたが、全てレオナが追い払ってやった。この木を育てたのはレオナだ。レオナだけの美しい緑だ。その一欠片も誰かに譲ってやるつもりはない。
そうして、卒業を控えたレオナのベッドの上、最近ではいかにも待ち遠しかったとばかりに腕の中に飛び込んで来ていたジャミルが能面のような顔でやって来ては、初めて部屋に来た時のようにベッドの横からレオナを見下ろしていた。
「……先輩、俺が卒業するまで待っていてくれますか」
緊張にか震える声で、いつの間にか熟していたらしい果実がレオナに差し出されようとしていた。甘く人を誘い込むような香りを放ち、触れれば崩れてしまいそうな程に熟れたこの果実を、レオナが大事に育て上げた努力の結晶を、手に取らないという選択肢があるとでも思っているのだろうか。

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人格入れ替わりネタ

「それでは元に戻れるまでの一週間、皆さん二人を助けてあげてくださいね」
以上、解散と学園長の一声で集まってきていた教師や野次馬がそれぞれ散って行く。残されたのは当事者二人と、有無を言わさずに二人のフォローを務める事になったラギー、ジャミルが元に戻るまでの間、カリムが平和で健全に学園生活を送れるように学園長と直々に契約を交わしたオクタヴィネルの三人と、その世話をされるカリムだけだった。
「昼は学食で良いとして、朝と夜の食事はフロイドが作り、心配ならば毒味もしましょう。身の回りの護衛兼フォローは僕とジェイドで交代でします。よろしいですね?」
「おう!世話になるぜ!」
「ああ。細かい指示は後でメッセージで送る。わからないことがあればすぐに連絡してくれ」
元気良く答えるカリムはいつものことだが、中身がジャミルだと知ってるとは言えレオナがはきはきと答える姿にはまだ違和感しかない。
「カリム。ターバンがずれている」
更にはカリムの服装の乱れを甲斐甲斐しく直すレオナなど、わかっていてもつい不思議なものを見るような心地でラギーは眺めてしまった。
「おい、もうカリムの御守りはタコ野郎に任せたんだろ。行くぞ」
レオナの腕を掴み強引に引こうとしたジャミルも、聞いたことも無いような棘のある低音で酷いしかめ面をしていた。普段のひんやりとした温度とは違う、今にも唸り声を上げて噛みつきそうな凶悪な顔。そのまま歩き出そうとするが、体格差ゆえかレオナに力負けしてつんのめる姿に思わず吹き出しそうになるのを辛うじて堪える。オクタヴィネルの三人はこの後のんびりカリムの世話をするだけで良いが、ラギーはこのあべこべな二人の世話をしなけらばならないのである。出来るだけ平和に過ごしたい。
「……気分良いですね」
少し足を踏ん張るだけでジャミルの強引な動きにあっさり抗って見せたレオナがニヤァ、と嫌な笑みを浮かべていた。
あ、レオナさんそっくり。いや見た目はレオナ本人だった。
とりあえず今日と明日は二人ともまとめてレオナの部屋に押し込み、必要とあらばラギーが世話をする。既に二人の人格が入れ替わっていることは知れ渡っているが、混乱を避けるためにその後の事はまだ保留。ジャミルはカリムと離れることを最後まで渋っていたが、下手にジャミルの見た目をしたレオナをスカラビアで預かる方が面倒が多いと言うことでなんとかこの形に落ち着いた。
しかし夕食を終え次第部屋に押し込められた所ですることが無い。普段ならベッドに横になればすぐに眠れた筈なのにジャミルの身体は数分目を閉じていたくらいでは眠りに落ちることは出来なかった。
「先輩、シャワー借りました」
「ああ」
汗を湯で流せばそれで終わりのレオナとは違い、随分と時間が掛かっていたジャミルがようやくバスルームから出てきた。シャワーを浴びるだけで何をそんなに時間が掛かるのかはわからないが、こころなしか見慣れた自分の身体よりも髪に艶を帯び、肌が潤っている気がする。
普段のレオナと同じように下着一枚で出てきたジャミル(身体はレオナ)がベッドに乗り上がるとさも当然と言わんばかりにレオナ(身体はジャミル)のうえに覆い被さり、自分に見下ろされる異様な光景につい避ける事を忘れてしまったことに本能的に失敗したと察する。
「物は相談なんですが、」
「駄目だ」
恐らく聞いては駄目なおねだりをされる予感に即座に拒絶し、自分の身体の下から抜け出そうとするがそれを見越していたかのように両手を捕らわれシーツに押し付けられる。にっこりと笑う自分の笑顔が違和感有りすぎて怖い。
「まあ、聞いてくださいよ」
「嫌だ離せ」
「先輩を抱きたいです」
「くっそ俺の身体は力が強いなテメェもう少し鍛えろよ!」
「今なら抱かれるのは俺の身体だから良いでしょう?」
じたばたと有らん限りの力で抗い抜け出そうと暴れたつもりだったがレオナの顔をしたジャミルの身体はびくともせず、むしろ軽々と両腕を頭上で一纏めにして片手で押さえ込まれ、空いた手がレオナの意思を無視して服の中に潜り込む。
「……ざっけんな、お前自分のツラ相手に勃つのかよ!」
「それが不思議な事に、なんか先輩の……というより俺の匂い?嗅いでるとムラムラしてくるんですよね」
そう言って首筋に顔を埋めたジャミルが深呼吸するとぞわぞわと肌が粟立っていた。これは決して期待や快感ではない、はっきりとした恐怖だ。何が悲しくて自分相手に手も足も出ずに組み敷かれなければいけないのか。
「初めてだし、先輩が協力してくれないとちょっと力加減が出来そうに無いんですけど……良いですよね、俺の身体だし」
そう言ってべろりと首を舐められて本格的に危機を覚えた身体が反射的に身を捩り、少し離れた隙をついて顔面の中心に思い切り頭突きを叩き込む。自分の顔だろうが知ったことか、自分の身体に抱かれる恐怖体験をするよりもずっとマシだ。
「い……っっったぁ……!!何するんですかアンタの顔に!!」
流石に鼻を押さえて怯んでいる間に力任せにレオナの皮を被ったジャミルの髪を引っ張り体勢を入れ換えようとするが、鼻から血を流すジャミルも負けじとレオナの喉を片手で掴み血流と気道を正確に圧迫してくる。
なんとか捕らえようと振り回される腕を掻い潜った手で目潰しを仕掛けてやれば漸くジャミルがレオナの上から飛び退り、身を起こしたレオナと一触即発の空気で向かい合う。
「先輩の顔を傷付けた罰としてなんとしてでも今日は抱かれてもらいますからね……!」
「何でだよ俺の身体なら好きにさせろ!」
今夜は暫く眠れそうにはなかった。

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