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空箱

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兄と弟

「あら、二人は兄弟かしら?仲が良くていいわね」
デート、という程のものでも無いが、たまには外に出てみるかと訪れた週末の商店街。同じように束の間の学園外を楽しむ生徒に紛れて立ち寄ったパン屋の気の良さそうな店員にそう微笑まれて思わずレオナとジャミルは顔を見合わせた。
耳が寒い、とフードを目深に被ったレオナは確かに獣人だとわかりづらいかもしれない。今日のお互いの服はジャミルの私服に合わせた物で、「これで適当に買って来い」と財布だけ渡されたジャミルがサムの店で見繕って来たものだ。二人で色違いのパーカー、レオナは薄いダウンを重ねた上にモッズコートを羽織り、ジャミルはダウンジャケットを着ている。靴は似たようなスニーカーを履いているが、ジャミルがスウェットでレオナはジーンズと変えている。
強いて似ている所と言えば、肌の色と髪の色がこの辺りの住人達よりは似通っていると言えるかもしれない、という程度で、兄弟だと思われる要素は何処にも見つからないとお互いの視線が物語っていた。
「……似てますか?俺達」
歩きながら食べやすいように紙に包まれた二つのバゲットサンドをレオナが受け取るのを見送り、ジャミルはレオナから預かった財布で代金を支払いながら問う。純粋な好奇心だった。
「そうねえ、顔はあまり似ていないのだけれど……雰囲気かしら?間違っていたらごめんなさいね、でも兄弟みたいに仲良しなのは当たっているでしょう?」
にこにことジャミルの親よりも歳上であろう婦人の笑顔にはまるで邪気が無い。心の底からレオナとジャミルの仲が良い事を喜んでいるような、こちらまで釣られてしまいそうな笑顔。
「ええ、まあ……」
「これ、オマケにあげるわ。お兄ちゃんと仲良く分けてね」
そう言って釣銭と共に握らされたのはメタリックな包装に包まれた小さなチョコレートが数個。礼を告げればまたいらしてね、と和やかに見送られ先に出口へと向かっていたレオナの背を追いかけて店を出る。
「………おにいちゃん」
手の中のチョコレートと、レオナと。見比べて思わず零した言葉は驚くくらい、口に馴染まなかった。初めて口にしたのでは無いかと言うくらい、違和感がある。
言われたレオナも変な物でも見たかのようにジャミルを見下ろしていた。きっとレオナだって言われ慣れていない言葉が馴染まないのだろう。それでも、なんだか「レオナが兄でジャミルが弟」という仮初を手放したくなくて、惑う。
「………いっぺん、お兄様って呼んでみろよ」
レオナも同じ気持ちだったのだろう。揶揄するような、それでいて期待するような眼でジャミルを見ていた。
「あなたお兄様ってガラじゃないでしょう」
「じゃあ何なら良いんだよ」
「……兄貴?」
「却下」
「それじゃあ……兄さん?とか」
レオナの顔が満足気に綻ぶ。わけもなく楽しくなって来てジャミルも笑った。こんな事一つで機嫌を良くするこの男は案外可愛い男だと思う。
「はい、兄さんの分のチョコ」
「俺は優しい兄だから可愛い弟に全部やるよ」
「自分が甘い物好きじゃないだけでしょう、それ」
笑いながらポケットにチョコレートをしまい、手渡されたバゲットサンドに齧りつきながら二人並んで歩きだす。慣れない言葉で浮ついた唇を隠すのに、丁度良い塩味だった。

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媚薬 2

窓一つ無い、真っ白な壁に囲まれた四角い部屋、真っ白なベッド、その傍らのテーブルの上には数多の小瓶。
「なるほど、今度は俺の所為ですね」
二度目ともなれば話は早い。レオナは此処に来る前まで何をしていたのか、何故こんな場所に連れて来られたのか全くわからないが、ジャミルがテーブルの上に並べられた媚薬を全て飲み干せば此処から出られると理解している。ということは原因はジャミルで、何かしらやらかした報復を受けてレオナが巻き込まれたのだろう。前回と同じように。
「心当たりあるのかよ」
「ばっちりありますね。……前回レオナ先輩が怒らせた相手も大体想像つきました」
「揃いも揃って同じ相手から同じ手口でやり返されてちゃザマァねえな」
「前回ちゃんと先輩が説明してくれていたら同じ轍は踏まなかったんですけどね」
話ながらもジャミルが瓶へと手を伸ばし、ぐいっと煽る様は淀みが無い。
「あまりいっぺんに飲むなよ。どうなるか見てただろ」
「まあ、一応、毒には耐性ある方ですし」
飲まなければ出られないのはわかっている。だがこの量の媚薬を飲み干す辛さをレオナは身を持って知っている。それなのに止めさせる事は出来ないもどかしさに、前回ジャミルが妙に落ち着き無かった理由を理解した。
「たぶん、大丈夫だと思いますけど。もしもの時は力尽くで押さえ付けてでも無理矢理飲ませて脱出させてください」



とかなんとか言っていたから安心していたというのに。
「せんぱい、えっちしましょうよお……どおせここでの時間は無かったことになるんですからぁ……っ!」
「うるせえ」
机の上にはまだ二桁の小瓶が残っているというのに、あっさりと薬に負けたジャミルはとにかく欲を発散させる事を求めてレオナにねだることしかしなくなってしまった。隙あらば熱くなった身体をレオナに絡みつかせ、下肢をまさぐり、そっと押しのけた程度では諦めずに何度でも求められるのは普段ならば喜んで受け入れてやるところだが今は非常に鬱陶しい。この部屋を作り出した術者が見ているかもしれないだろうと説得を試みても衆目監視の中でなんて別に珍しい事でも無いでしょうとアジーム家の非常識な習慣をさらりと暴露するだけで話にならず、部屋から出られたらいくらでも相手をすると言っても今がいいと言って聞かない。とりあえず蛇のように絡み付く身体をなんとかひっぺがしてシーツの上に仰向けに転がし、細い腰に跨がって上から押さえ付ける。ちょうど、大事な場所の上だったらしく、お互いに一切衣服を乱していないにも関わらずジャミルの固くなった物がぬるりと布越しに滑り濡れているのがわかった。
「っぁぁああぁ」
背をしならせ、長く濡れた黒髪を振り乱して喘ぐ姿に何も感じない訳ではない。食べてくれと言わんばかりに曝された喉仏に今すぐしゃぶりついてやりたいし、この熱く熟れきった身に欲を突き立てればさぞ天国が見れるだろうとは思うのだが、此処では駄目だ。レオナは番の一番美しい姿を他の誰にも見せる気は無い。
はふはふと荒い息を吐きながら弛緩した身体が達したばかりの蕩けきった瞳を茫洋と虚空をさ迷わせ、そうしてレオナにたどり着くととろりと笑う。
「ね、せんぱい、」
なおも諦めずにレオナの股間へと伸ばされた手を溜め息一つで捕らえ、両腕を纏めて片手でジャミルの頭上で縫い止める。
「おら、えっちしたいならとっとと飲め」
「ごぽ……っぅぅぅ……んんぐ……」
無防備な唇に小瓶を押し付けて傾ければ不服げに唸りながらも大人しく飲み下してはいたが、溢れた液体がとろとろと口から溢れていた。ぷはぁ、と全部飲み干したのを見届けてから瓶を外してやれば、わかりやすく唇を尖らせた拗ね顔。
「おれ、こんなのより先輩のざーめん飲みたいです……」
「誘い方が雑なんだよ」
普段と違い、舌足らずな所はなかなかそそられるが言葉選びは余りにもチープで思わず喉奥で笑う。
「お腹の奥、すごくどくどくして、きゅーってなってるんです……中にいっぱい出して欲しくて疼いて、」
「じゃあ、飲め」
「ぉぷ……んんんんんぅぅぅ~~」
瓶を口に突っ込めば恨めしげな眼を向けながらも飲みはする。飲んではいるのだが、口元も緩んでいるのか溢れる量が増えてきた。苦しげに歪んだ瞳が滲んでいる。
「っぷは、……俺、今中出しされたら子供産める気がするんですよね……」
「俺はガキは嫌いだ」
「大丈夫です、俺は男なので中出ししても妊娠しません!」
だからしましょう、と言わんばかりにレオナの尻の下でもだもだと暴れようとしては勝手に気持ち良くなってひんひん鳴くジャミルの思考はすっかり溶けて無くなってしまったらしい。どうにかしてレオナに抱かれようと必死なようだが、レオナにはそろそろジャミルが紡ぐ言葉の意味がわからなくなってきている。恐らくは本人もわかってないのだろうけれど。
これ以上余計な事を言い始める前に、と機械的に新しい瓶を唇に押し付けるが、いやいやと初めて首を振って拒絶された。転がり落ちた小瓶がジャミルの顎から鎖骨の辺りまでを媚薬で濡らし、甘ったるい香りが一層濃くなる。
「も、……やだぁ……飲みたくないぃ……」
ぐすぅ、とジャミルが鼻を鳴らす。まずい、とレオナの本能が警鐘を鳴らしていたが、逃げ場は何処にもなかった。
「もぉ嫌です……せんぱいたすけて……」
いつも涼しげな目元からぼろりと溢れる涙。へにゃりと悲しげに顔を歪ませてレオナを見上げるジャミルから、せめて天井を仰いで視線を反らす。正直な所、今までで一番レオナに効いている。
「なんっ……で、ったすけてくれないんですかっ……」
おれがこんなに苦しんでるのにぃ、と本格的にぐすぐすと泣き始めたジャミルをあやしてやりたいのは山々だがレオナも抗いがたい欲を耐えるだけで精一杯だった。
あの、アジーム家次期当主の従者に出来ないことなんて無いです、とばかりに何でも一人でこなすのが当たり前だと言う顔をしていた男が。甘える所か人を頼ることもろくに知らず、心を乱す何かがあったとしても平静を装った仮面を被ってやり過ごすことしか出来なかった男が。
レオナならばジャミルを助けて当然だと信じ、甘えきった顔で泣きついて助けを請うようになったこの感動はどう言葉で表したら良いのだろうか。
他人に世話を焼かれて生きるのが当たり前のレオナですら今すぐかしずいて何でも言うことを聞いてやりたい欲求に駆られる破壊力。そもそも、好みの見た目をした男がしどけなくレオナに組み敷かれ、情欲に焼かれた身体で必死にレオナを誘っているのだから元から敵う訳が無い。前回のレオナを見た上で自信がある様子だったジャミルがあっさり媚薬に呑まれたのすら、レオナが居れば大丈夫だという無垢な信頼で気が緩んだからではないかと勝手に予測してしまい、余計に耐え難い愛しさが込み上げる。
「っふぇ、……っう……ぐすっ……れおなぁ……っっ」
悲壮感たっぷりの泣き声に、折れそうになる心を奮い立たせる。自分が媚薬を飲んだ時よりも精神的にはずっと辛いが、誘惑に負けている場合ではない。こんな誰が覗き見してるともわからない空間からは一刻も早く抜け出し、ジャミルをレオナの巣へと連れ帰らなければならない。その為には。
「………あともう少し、頑張れ」
ガラにも無い応援の言葉をなんとか捻り出し、レオナは新たな小瓶を握り締めた。

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媚薬

窓一つ無い、真っ白な壁に囲まれた四角い小さな部屋。真ん中にはキングサイズの真っ白なベッドが一つと、横に置かれた大きなテーブルの上に並べられた数えきれない程の薬瓶。
気がついた時にはレオナとジャミルは二人揃ってそのベッドの上にいた。此処に来る前に何をしていたのか、何故こんな場所にいるのかはわからないのに不思議とテーブルの上に並んでいる瓶をレオナが全て飲み干せばこの空間から出られるのだと理解していた。瓶の中身が媚薬であるということも。
明らかに他者による悪意に巻き込まれていると言うのに不安は無かった。この異常な状況にも関わらず、二人に身の危険は無いことも、カリムの心配をしなくても良いことも理解しているからかもしれない。思考を操作する魔法がかけられているのは確かだ。
だが流石に理解しているからとはいえ強要は出来ない。先輩、と控えめに呼び掛ければレオナは辺りをぐるりと観察し、それからジャミルとテーブルの上を険しい顔で見比べた後に盛大に舌打ちをこぼした。
「………どうしましょうか」
「俺が、飲めば良いんだろ」
やはり全てを理解しているらしいレオナが酷く嫌そうな顔をしながらもあっさりとテーブルへと手を伸ばすので、慌てて腕を掴んで引き留める。
「そんな、この量を飲むのは流石に無茶ですよ」
「死ぬような量じゃねえとわかってるからやれと言われてるんだろ」
酷く棘のある声ではあったが、ジャミルが両腕で抑え込んだ手を振り払われる事は無かった。苛立ってはいるものの、この理不尽を舌打ち一つで受け入れたレオナに感じた違和感。ジャミルと同じように訳のわからないまま連れられて来たのだとすれば、この男がこうも簡単に異常な状況を受け入れ、適量を遥かに越えた本数の媚薬を飲めと言われて素直に応じるとは思えない。
「……何故こうなったのかご存知なんですか?」
「……………」
腕は振り払われない。だがレオナはこちらを見ない。無言が全てを物語っていた。
「知ってるんですね」
「……テメェは巻き込まれただけだ。大人しくしてろ」
そう言われて大人しく従うのはどうにも落ち着かないが、レオナが成さねば出れないこの状況ではジャミルに出来ることは何も無い。仕方無く腕を解放すれば嫌な事はさっさと片付けるとばかりにレオナが小瓶を一本手に取り、親指で蓋を押し開けてかぱりと勢い良く飲み干す。男らしい喉仏がごくりとやけに艶かしく上下に動いた。
「……不味い……」
「……確かに凄い匂いですね」
空になった瓶からふわりと甘ったるい匂いが溢れていた。その匂いは確かに何処かで嗅いだ媚薬の匂いと似た物で、これなら全てを飲み干しても命には別状が無いだろうとジャミルも察する。だがこの量ともなればただでは済まないだろう。そこで漸く、何故巻き込まれる明確な理由もないままジャミルが此処にいるのか察する。
「……さしずめ、俺は先輩を慰める役目として呼ばれたんですかね」
「あの陰険野郎の考えなんざ知るかよ。……ああ童貞にはこんな事考えつかねえだろうから主犯はアイツか。うざってえ」
ぶつくさと文句を言いながらも片手で蓋を開けては瓶を空にしていく様は半ば自棄になっているようにも見えた。
「……あの、何か手伝える事があったら何でも言ってくださいね」
「テメェは何も関係ねぇのに巻き込まれただけだって言っただろ。変な気遣いするんじゃねえ、暇なら寝てろ」
そう言ってまた新たな瓶を煽ったレオナはジャミルを見ないまま空にした瓶を足元に投げ捨てていた。早くも二桁に達しそうな数の空き瓶が無造作に転がっている。せっかく為すべき事を見つけたと思ったのにレオナに拒否されてしまっては無理矢理手を出すわけにもいかず、見守る事しか出来ないのが歯痒い。
寝てろと言われた所でジャミルはレオナのように目蓋を閉じればすぐに眠れるタイプでも無く、仕方無く、手持ち無沙汰を誤魔化すように枕を抱えてころりと寝転がってみる。部屋には媚薬の甘い香りに満ちているというのにシーツはひんやりと冷たい。同じベッドの上にいるのに触れる事無くただ眺めているだけというのは初めての事だなと、ふと思った。


かぱかぱと勢い良く瓶を空けていた手が止まったのはそれからすぐの事だった。テーブルの上に残る瓶の数からして三分の一程消費した頃だろうか。次の瓶を掴んだものの、開けるのを躊躇うように手に力が入っていた。レオナの眼がすぅと細められ、ゆっくりと肩で息をしている。
「……先輩」
「………うるせぇ」
口を開くことすら許さないと言わんばかりに唸るような低音。押し殺した声が、レオナの身体の変化を如実に伝えていた。良くみれば肌がうっすらと汗を帯びて濡れている。情事の時のような、艶めいた横顔。それでも頑なにジャミルを見ないまま、掴んだ瓶の蓋を開けると一気に煽る。少しだけその動作が鈍くなっていた。とりつくしまも無い拒絶はレオナの余裕の無さだろうか。
一本、瓶を干す度にレオナの呼吸が荒くなり、堪えるように前屈みにテーブルへと肘をついて身を支える姿は媚薬がしっかりと効果を発揮しているのだと傍目にもわかる。レオナの、自分の不始末は自分でどうにかすると言わんばかりに一人で全て飲み干そうとする意思は尊重してやりたいが、ジャミルが巻き込まれただけの被害者だとしても、そんな状態になっても頑なに頼ろうとはしてくれないのが不満でもある。寮服の上からでもわかるほどに股間を固くしているくせに、今にも獲物に飛び付きたいとでも言うような獰猛な眼をしているくせに、この歳上の男はジャミルに弱味を見せようとしない。
「……せんぱ、」
「さわんな!!!」
ただ少し、こちらを見て欲しいだけだった。気を引こうとそっとレオナの太股に触れた手は、バシンと思いがけない程の強さで払いのけられ驚きに目を見張り固まる。
それはレオナも同じだったようで、ようやくジャミルを見た眼が驚きに見開かれていた。レオナが振り払った癖に、本意では無かったとばかりに狼狽えた瞳がさ迷い、そして深く、眉間に皺を刻みながら気を静めるような細く長い息を吐く。
「…………食い殺されたくなかったら、大人しく、してろ」
まるで苦虫でも噛み潰したかのような声が必死に言い聞かせるのを聞いてしまったらそれ以上ちょっかいをかけようと言う気にはとてもなれなかった。すみません、とつい謝罪を溢せば宥めるように乱雑に頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。熱い掌だった。


それからは、ただ何も考えずにレオナを眺めるだけに留めた。酷く苦しそうではあるが、顔の良い男が必死に溢れそうになる情欲を抑え込む姿は鑑賞に値する。レオナがこんな姿をさらす機会など早々無いだろうし、釣られてジャミルまでもが性欲を引きずり出されかけていることさえ除けばこんな贅沢な見物も無いだろう。そうでも思ってみなければ落ち着かない。
瓶の半分が空になる頃には荒い呼吸に肩を泳がせるようになったレオナは、半開きになった唇は干からびているのに口の端からは唾液なのか媚薬なのかもわからぬ液体を垂れ流し、拭う余裕も無くずっと眉間に皺を寄せていた。虚ろな眼は何処を見ているのかも定かでは無く、最初の勢いは衰え少しずつ機械的に瓶を干して行くのがやっとの様子。少し離れていてもわかる、レオナの熱気。あの熱に触れられる事をどうしても考えてしまい、ジャミルは枕をぎゅうと力一杯に抱き締めて息を吐き出すことしか出来ない。
「ジャミル」
息を潜めてただぼうっとレオナに魅入ってしまっていたジャミルを呼び戻したのは掠れたレオナの声だった。あれ程拒絶していた男から呼ばれてつい期待感に身を起こす。テーブルの上の瓶は、残り僅かになっていた。
「はい」
「俺に、お前のユニーク魔法をかけることは出来るか」
だが返ってきたのは形振り構わずやり遂げようとするレオナの意地。それが寂しくもあり、愛しいとも思う。
「先輩が受け入れてくれたら出来なくもないと、」
「やれ」
ジャミルを見る眼が追い詰められていた。深窓の令嬢でもあるまいし、むしろその欲をぶつけられることを期待すらしているのに反論を許さない勢いのレオナの態度にわけもなく口許が緩む。大事にされていると知るのは悪い気分ではない。
「どんな命令をすれば良いですか?」
「何があろうと此処にあるモン全部飲み干して、その後は薬の効果が切れるまで絶対に目覚めないように寝かし付けろ」
「……仰せのままに」
身動ぐだけでも辛そうなレオナがのっそりとジャミルに向き直る。餌を目の前にした餓えた猛獣のような顔をしているくせに、血の色が無くなるまで拳を握り締めて必死に堪えていた。今すぐ抱き締めてこの身を差し出してやりたい気持ちを押し殺し、ジャミルもレオナに向き直る。
「……絶対、成功するという保証は無いですからね」
「わかってる。はやく」
無駄口を叩く暇などないと急かすようにぐるると威嚇するような唸り声が上がる。ジャミルとてここまで来て今更レオナの意思を曲げさせるつもりは無い。ただ、ジャミルも学園内では指折りの魔法士であるという自負はあるが、レオナも普段は怠惰を極めているが実際は優れた魔法士だ。そう簡単に支配出来るとは思っていない。
部屋一杯に満ちた媚薬の香りに呼び起こされる雑念を振り払うように大きく息を吸い、吐き出す。きちんと姿勢を正して座り、真っ直ぐにレオナを見上げた。
「瞳に写るは、お前の主――」



獣のような荒い呼吸に支配されながらも、瞳に虚ろな赤い光を宿したレオナが最初の頃のような怒涛の勢いで機械的に媚薬を全て飲み干した、という所で一面真っ白だった景色が一変し、気付けば見慣れたレオナの部屋のベッドの上に二人は居た。ふと眼に入った時計が示すのはジャミルがこの部屋に来た時と同じ時刻。いつもの逢瀬の日、約束通りの時間にレオナの部屋を訪ね、ベッドに乗り上がった所であの真っ白な部屋に連れ込まれたのだと思い出す。
匂いも、温度も、通い慣れたレオナの部屋。あの部屋で過ごした時間も無かったことにされているのであればまるで夢を見ていたようだ。
落ち着ける場所に戻って来た事で思わずほっと息を吐きだし、つい気を緩めたのがいけなかった。ジャミルとレオナを繋ぐ魔法の糸のような物がふつりと切れる感覚。それはレオナへの暗示が切れたという事。慌ててレオナへと視線を戻すが、とうに寝ていると思っていた筈なのに横になってなどおらず、それどころか飢えた獣染みた形相で青みの増したエメラルドがジャミルを真っ直ぐに捉えていた。
咄嗟に逃げようとするも獣の瞬発力には敵わず、弾丸のように飛び掛かるレオナに成す術なく捕らえられ、がぶりと布越しの肩に犬歯が食い込む。
「痛っっ……た……!?」
だが、それだけだった。噛み千切られるかと思うような勢いが不意に止まり、ふすふすと歯の間から抑えきれない息を漏らし燃えるような熱い身体がジャミルをがっちりと腕の中に閉じ込めながらも、寸での所で耐えていた。ジャミルの太腿に遠慮なく硬く昂った物が擦り付けられているのに、首に顔を埋めたままそれ以上の事はしないように、決してジャミルを傷つけないようにとギリギリの理性で踏み止まっているかのようだった。
「……レオナ先輩」
呼びかけても返事は無かったが、抗議するように少しだけ肩に食い込む歯が深くなった。せめて抱き締めてやりたくても苦しい程に巻き付いたレオナの両腕がそれを許さない。あれだけの量の媚薬を飲んだのだからよっぽど辛いのだろう、未だに欠片でも理性が残っている方が不思議なくらいだ。そうまでして貫き通したレオナの意地を尊重してやるべきなのだとはわかっている。レオナは決して解放を望んでいない。それでも、こんな熱い身体に包まれてしまってはもうただ目の前で見ている事しか出来ずにいるのは耐え難い。
「……先輩、ごめんなさい」
そっと、ままならない手を下肢へと伸ばし、レオナの硬く熱を持った場所を探る。既に気付かぬ間に達していたのか布越しに触れるだけでぬちりと水音が立ちそうな程に中が濡れていた。
「ぐ、ぅ――っ」
びくびくとジャミルに絡み付く身体が震えて、痛いくらいに抱き締められる。ぐり、と頭と言わず身体と言わず全身でジャミルに擦り付く様はこんな状況だと言うのに幼子のようにも見えた。
「先輩が、俺の為に頑張ってくれてたのもわかってるんです。だから、これは俺の我儘です」
目の前でへたりと伏せられた獣の耳に唇を寄せて食む。薄い縁の感触を味わうように舌を這わせればひくんとレオナの肩が跳ねた。逃れようとするのを許さぬよう追いかけ、柔らかな産毛を濡らし、そっと熱の籠った息を吹き込む。
「俺、先輩に抱かれたいです」


ジャミルの身体を明け渡す事でレオナの苦しみが楽になれば良いと思っていた。普段、焦れったい程に丁寧にジャミルを抱く男であっても、半分理性を失いかけているような今の状況で同じようにジャミルも快感を得る事は無理だと思っていた。気を付けるべきはレオナの無茶で怪我をしないことだが、そもそもそういう行為をする為にこの部屋を訪ねているのだし、その為に準備だってして来てある。正気では無いレオナの体力にどこまで付いていけるかはわからないが、心を無にして時間が過ぎ去るのを待つための心得はそれなりにある。レオナの助けになるのならば多少の苦痛は目を瞑ろうと覚悟を持って誘ったつもりだった。
それなのに、肉に熱を埋められればそれで良いとばかりに尻だけを露出させ、乱れた寮服を絡みつかせたままのジャミルに挿入するほど余裕がない癖に、ジャミルを抱くことに慣れた身体は的確に弱い場所ばかりを狙い逃げることを許さない。気遣いを忘れた、痛みしかもたらさないような下手で乱雑な動きの筈なのにレオナの熱気にあてられた身体は言う事を聞かず、少しでも体力を残す為に溢れそうになる熱から意識を背けたいのに、気付けば首の根を熱い掌に捕まれてシーツに押し付けられ、背後から犯されているだけで気持ち良い。
レオナの飢えた獣の呼吸と、シーツに押し付けられくぐもるジャミルの呻き、それからぐちゃぐちゃにジャミルの腹の中を掻き混ぜる水音が静かな夜の空気に散らかっていた。濡れた肉を打つ音だけがやけにはっきりと鼓膜を打つ。
「ぅあ、………っ」
吐息のような細やかなレオナの喘ぎと、幾度目になるかもわからない吐精に腹が膨れる。もうこれ以上入らないと思う程に注がれたものが泡立って溢れ下着も寮服もぐちゃぐちゃになっているというのに、更に奥深くへと種を植え付けるように最奥まで押し込まれた萎えない熱が内臓を揺さぶり否応無くジャミルを煽る。何も考えずただ身を委ねていれば良いと思っていたはずなのに、レオナの熱に飲み込まれ無いように必死でシーツを握り締め奥歯を噛んで耐えるのが精一杯だった。
は、と浅く息を吐いたレオナが今までずっと埋めたままだったものをずるりと抜く。ぽかりと空いた場所が冷えた気がした。ようやく落ち着いたのかとほっと息を吐き、溢れそうになる熱を堪えようとずっと強ばっていた身体を弛緩させた時を見計らったかのようにぐるりと身体が引っくり返される。随分と久しぶりに見る、レオナの顔。未だに肩で呼吸をしているような有り様ではあったが、先程よりも随分と理性を取り戻したようだった。
「……ひでぇツラ」
がさついた低音が笑う。言われてみれば、汗なのか涙なのか涎なのかもわからないもので顔はぐちゃぐちゃで、肌にべったりと張り付いた髪が邪魔臭い。酸欠気味でぼうっとした意識にひんやりとした夜の部屋の空気が心地好かった。
「……人の事言えた顔ですか?」
言い返せば短く笑ったレオナが乱雑に前髪をかきあげていた。ぐっしょりと汗に濡れた髪が払われて滅多に人目に晒されない額が露になる。普段纏わりつかせている怠惰をかなぐり捨てて溢れ出す野性味のある美しさに腹の奥がきゅうと疼いた。
「俺は、止めたからな」
真っ直ぐに宣言したレオナが無造作に、だが気遣いを思い出した手でジャミルの下肢に絡み付いたままだった衣服を強引に引きずり下ろしてベッドの外に放り捨てるとべしゃりと水分を含んだ重い音が響く。
「俺が、望んだんですよ」
ジャミルの両足が抱えられ、どろどろと飲み込みきれずに白濁を溢れさせる場所に宛がわれた熱はまだ衰える気配もない。近付くレオナの身体を両腕で引き寄せて唇を求めると、低い笑い声と共に噛みつくような勢いで唇が塞がれた。
「あっあ、あ、ゃだ、せんぱ、っあ」
意識が正常に戻りつつあるのなら、その後は何の心配も要らないと思っていた。だが理性を取り戻しつつも薬によって昂った熱を持て余したレオナは一番性質が悪かった。
「てめぇ、が、望んだんだろ……っ」
「や、――ぁっっ」
泣いても喚いても、懇願しても罵詈雑言を投げつけても開き直ったレオナは止まらない。溢れる快感で制御不能になってしまった身体がジャミルの言うことを聞かずにガクガクと跳ねているのに、強引に押さえ付けられなおも腹の内側を擦られる。
「イ、ってる、――ッっイってるからぁっっ」
「そう、かよ」
無意識に逃げようとした身体は強く腰を掴んで引き摺り戻されて奥の柔い場所を貫かれる。せめて暴力的なまでに与え続けられる快感を散らそうと身を捩れば咎めるように弱い場所ばかりをごりごりと抉られて成す術無く昇りつめる事しか出来ない。そうしてジャミルが制御出来ない快感に溺れているのをわかっているくせに、ただ腰を振るだけで満足していた時とは違いレオナはジャミルを嬲る事を楽しんでいた。
「あ、あぅ、待っ……ッふ、ぁ、やら、あっああ」
「大人しく鳴いてろよ、舌噛むぞ」
少しでも休ませて欲しくてレオナを押し返そうと突っ撥ねた両腕はあっさりと手首を捉えられ、そのまま引き寄せられて逆に肌に濡れた陰毛が押し付けられる程に深くまで飲み込まされる。ぐちゅりと重い水音を立てる程にぐるりと中を掻き混ぜられるだけでまた否応なしに高みへと放り出され、快感に強張り仰け反れば待っていたと言わんばかりに胸の先を噛まれて目の前が真っ白になる。
「ひ、――ッっ」
「う、……ぐッッ」
ぎゅうぎゅうと締め付けた熱がまた腹を満たしていた。だが、それを止める事も、逃げる事も、ジャミルには出来ない。もうどこまでが自分の身体なのかもわからないくらいに溶けきっているのに、それよりも熱い塊が休むことを許さずにジャミルを追い立てていた。
「あ、ああっあ、あ、ぁ」
閉じる事さえ忘れられた唇はろくに言葉も紡げず、レオナが一突きする度に意味の無い音が押し出されるばかり。硬く熱い指先が肌をなぞるだけで、胸を分厚い舌で捏ねられるだけで、そのまま歯が食い込むほどに噛まれたってジャミルの身体は気持ち良いとしか認識出来ず、快感の沼底で空気を求めてみっともなく喘ぐことしか出来ない。
「っぁ、あ、あふ、あぁ、あ」
熱に滲む視界の中、未だ獰猛な色をしたエメラルドが楽し気に笑っていた。その瞳はまだまだ食べたり無いと餓えていた。
まだ当分、眠れそうには無かった。

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寄り道 2

思い描いていた物とは多少形は変わってしまったが、ホリデーの一件以降、ジャミルは自由を得た。
従者としての役割を放棄するつもりは無いが、従者としての役割以上の事をしてやる気も無い。今までカリムの為に余計に割いていた時間を自由に使える。つまりは、仮にも恋人という関係になったレオナと会う時間を増やせるということだ。
そう思ってそれなりに久方ぶりの逢瀬を楽しみにしていたというのに、レオナから告げられたのは期間限定とは言えど関係の解消を告げるもの。飽きたわけでは無いと言う。外聞を気にしての事でも無いと言う。
こういう時、どういう反応をするのが正しいのか、ジャミルにはわからなかった。
それでも動揺したり悲しむ素振りを見せるのがみっともない事だということは知っている。アジーム家のハーレムで女達の醜い争いは嫌という程見て来た。レオナだって、あんなハーレムの女達のように恥も外聞も無く泣き付くような男には興味がないだろう。
ジャミルには、ぽかりと穴が開いたような気持ちをどう処理すれば良いのかわからないまま冷静な顔を繕って頷く事しか出来なかった。
レオナを過信しているわけでは無いが、あの怠惰な男が無駄な嫌がらせなどを好む男ではない事は知っている。考えがあって、そうしたのだと信じている。だが、その考えが全く想像つかない。
せっかく一緒に居られる時間が増えた途端に放り出されて、ジャミルにどうしろと言うのだろうか。
ジャミルを手離す気は無いのに、一カ月もの間レオナから離れろと言う。その間に他の男に惚れるのもジャミルの自由だと言う。つまりは、他の男に惚れて来いとでも言うのだろうか。金と権力を持て余した男達の中にはそういう趣味の人が居ることも知っている。自分の所有物が他の男に汚されているのを見るとたまらなく興奮するのだと聞いた事がある。レオナもそういう趣味だったと言う事だろうか。
レオナの他に、ジャミルの心を揺さぶる人が居るだろうかと知っている顔を思い浮かべる。
憧れる人、尊敬する人、羨む人、気安い人。
相応しい人はたくさん思い浮かぶものの、何かがしっくりこない。命じられれば身体を明け渡す事は簡単だが、それは何かが違うだろう。惚れるという事は、もっと衝動的でヒステリックな、美しく着飾っていたハーレムの女達を醜い化け物に変えてしまうような強い感情を伴う筈だ。
そこまで考えて、ふと何故レオナなのだろうかと気付く。
顔は、好きだ。自分の好みの男の顔というものを余り考えた事は無かったが、あの顔を見るとつい嬉しくなってしまうのだから好きなのだと思う。本心から笑った時は案外幼くなる顔や、熱っぽい瞳でジャミルを捕らえる時の顔などは不思議な力でジャミルを抗えさせなくしてしまうくらいの威力を持つのだから、レオナの顔が好きなのは間違いない。
あとは、声。普段はやる気を感じさせない怠惰な音色ばかりだが、あれでいて色んな音が出る事を知っている。あの声でねだられると強く拒絶出来ないのは、ジャミルがあの声に弱いからだ。
それから身体。筋肉を過不足なく纏った理想的な体躯。昼に見かけた時ですら、服の下に隠された肌のラインを夢想してしまうくらいに脳裏に焼き付いた美しい身体。あの身体に傅いて奉仕してやる楽しさは、あの身体が好きだからなのだと思う。
中身に関しては、なんとも言えない。纏う空気は嫌いでは無いが、本人は無意識なのだろうが時折滲み出る育ちの良さが立場の違いを思い出させて息苦しくなる時がある。ジャミルの腹の底までも見通すような頭脳は話していて小気味良いが、同時に至らなさまでも全て知られているようで恐ろしくもある。
レオナに惚れている、という程の強い感情は無い。
だが、一時とは言え手離されてしまうと心許なくなってしまう。
繋ぎ止めたいと思う。けれど、その方法がわからない。レオナが手離す気が無いと言うのなら、何故放り出すような真似をしたのだろうか。結局何もわからないまま思考は堂々巡りをしてしまう。
いつもならレオナの部屋を訪ねていた金曜日の夜。忙しくしている日中は忘れられていた事も、暇を持て余してしまえば嫌でも脳裏に甦る。
会いたい、と思う。
早く会って、何故こんな事をしたのか問い詰めてやりたい。常ならば今頃レオナの部屋で温もりを分けあっている頃だ。こんな一人寂しくベッドで死んだ魚の目をして何も無い天井を見上げている事も無かった。いっそ、言われた通りに誰か目ぼしい人の所にでも行って恋をしてみるのも良いかもしれないと頭では考えるのに身体が動こうとしない。これがレオナが相手ならすぐにでも飛んで行くのに、と思いながら無理矢理目を瞑って眠りの世界に逃げる。それ以外に、出来ることが無かった。
とても、とても長い一ヶ月。結局何故レオナがこんなことを提案したのかもわからず、他にジャミルが惚れるような相手を見付ける事も出来ないままやっとたどり着いた約束の日。
会うのを禁じられていたわけでもないのに、なんとなく近寄りがたくてレオナとは殆ど顔を会わせる機会も無く、またレオナからもメッセージの一つも来ることは無かった。このまま、忘れ去られてしまっているのでは無いかという不安を抱えながら恐る恐る「今日、空いてますか」とメッセージを送る。普段、スマホを持ち歩く事すら忘れがちな怠惰な男から「いつもの時間に待ってる」と短い返信がすぐに来ただけで喜んでしまう自分が恨めしい。
そうして約束の時間に訪ねたレオナの部屋。たった一ヶ月ぶりだというのに酷く懐かしくて、満足げに微笑みレオナの姿が眩しくて、やっぱり好きだなあ、と思った所で初めて気付いた。
そうか、自分はレオナを好きなのかとようやくすとんと納得する。恋とか愛とか惚れた腫れたはわからないが、ジャミルはレオナが好きなのだ。それと同時にじわじわと込み上げるのはむず痒いような、照れ臭いような、ふわふわとした気持ち。
「……で?結論は出たか?」
問われ、レオナを見るが変な緩みきった顔を晒してしまいそうで慌てて俯いて一つ頷いて見せる。あんなに見慣れた筈の顔なのに、あんなに会いたいと思った顔なのに、とても直視出来そうに無かった。
「聞かせろよ、約束だ」
手離す気は無いと、レオナは言っていた。
ジャミルを忘れることなく、こうして待っていてくれた。
穏やかに笑みを滲ませた声に促され、変な声が出ないように気を付けながら唇を開く。
「……先輩の、所に、帰ります」 
「何故?」
この流れならすんなりと受け入れてもらえるものだと信じて疑わなかったのに問い返され、選択を間違えたのかと驚いて顔をあげる。だがそこには想像したような拒絶の色は無かった。それどころか隠そうとしてはいるものの隠しきれていない、ニヤニヤと楽しげに笑うレオナの綺麗な顔。
やっと、全て理解した。
この男が何故こんな事をし始めたのかも、今何を求められているのかも。ジャミルはこの一ヶ月、レオナの意図がわからずこんなにも不安を抱えて過ごしたというのに、この男は。
「っっわかる、だろ!それくらい!」 

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寄り道

ホリデーの間に色々あったらしい。
初日からまるっと実家に帰っていたレオナは実際に現場に居合わせたわけではないが、スカラビア寮に籍を置く部活の後輩に聞けば事のあらましは大体把握出来る。
レオナに何の相談も無く大掛かりな反逆を企てた上にオーバーブロットまでした犯人でもあり、週に一度はレオナのベッドを暖めていた件の男は随分とすっきりとした顔で約束の時間に現れた。やらかしたらしいな、とからかっても、失敗を知られているのは恥ずかしいと笑うだけで気に病む様子もない。ならば。
「……一度、別れるか」
事後の、気だるさに任せてジャミルを腕に抱いたままぽつりと声に出す。熱の余韻に蕩けていたジャミルがトロリと瞬き、それから首を傾けた。
「先輩がそう決めたのなら、従いますけど……」
まだ同じ体温を有している癖に、あっさりとレオナの腕の中から逃れようとする身体に苦笑いしてしまう。仮にも恋人のような関係である筈なのに、突然の別れ話を戸惑う素振りすら見せずにすんなりと受け止めようとするのが気に食わない。未だにレオナの執着心を全く理解していないその態度に、この選択は間違っていなかったと確信する。
「まあ、待て。別にお前に飽きた訳でも興味無くなった訳でもねえよ」
「なら、何故です?やはり外聞が悪いですか?」
やっと困惑したように眉尻を下げたジャミルを逃さぬように抱き締め直す。常ならば心得たように背に回る腕が、迷いを露にレオナの胸元で丸まっていた。
「違ぇよ。……お前、自由になったんだろ?」
正確には自由とは程遠い環境のまま何も変わっていないようなものだろうが、本人の意識としては違う筈だと確認するように顔を覗き込めば、少し考えた後に綺麗な卵形の頭が縦にこくりと揺れた。
「なら、いっぺん俺からも自由になってみろよ。……そうだな、期間は一ヶ月。その後に俺の所に帰って来たいと思ったなら、言え。一ヶ月の間に違う男に惚れたら好きにしろ」
わかったか?と問えど、はあ、と返事はなんとも曖昧なものだったがまあそんなもんだろうとレオナは思う。
ジャミルにとってこの関係はお互いに利点があったから続いている、程度にしか思っていないのだろう。レオナは暇潰しにも性欲処理にも、更には雑用までこなせる便利な人間を得て、ジャミルは居心地の良い逃げ場を得た上に恋人ごっこまで出来て華やかな学園生活の想い出作りが出来るという打算的な目的でしか繋がって無いとジャミルは思っているに違いない。そこに存在する感情を頑なに見ない振りをしているのか、それともそもそも気付いていないのかは定かでは無いが、今一度知らしめる必要がある。
「ああ、勘違いするなよ。テメェが他の誰に惚れようと勝手だが、俺はお前を手離す気はねぇからな」
「…………?それ、別れる意味あります……?」
「意味があるかは、テメェ次第だな」
はあ、と納得はしていない様子ながらもわかりましたとジャミルが答えたのが、一ヶ月前。
たかが一ヶ月、されど一ヶ月。
学年も部活も違えば驚く程にジャミルとの接点はない。一年前ならば当たり前だった筈のその距離が遠く感じてしまうのだから、レオナ自身、随分とジャミルに入れ込んでいると改めて自覚させられる日々だった。
今夜、空いてますかと言う簡素なメッセージ一つ受け取っただけで口元が緩みっぱなしになるのだから恐ろしい。
朗報が届けられるとは限らない。だが例えジャミルがこのまま別れたいと言ったとしても、本人に宣言した通りに手離してやる気はない。首輪に繋がれた飼い猫よりも、誰にも憚ること無く自由に羽ばたく鳥の方が狩猟本能を揺さぶられてしまうのは獣の性だ。
果たして、約束の時間にレオナの部屋に現れたジャミルはレオナの顔を見た途端にへにゃりと顔を綻ばせた癖に、すぐに視線を落としてもじもじとし始めた。落ち着かなく足元で視線をさ迷わせている姿からは歓喜と緊張が滲み出ている。あの、いつでも物分かりの良いセックスドール気取りだった男に何かしらの情緒が生まれていた。これでにやけるなという方が無理だ。
「……で?結論は出たか?」
問えば、ちらとレオナを見てはすぐにまた足元に視線を戻したジャミルがこくりと頷く。
「聞かせろよ、約束だ」
扉の前から動かないジャミルの代わりに、のそりとベッドから抜け出してジャミルの前に立つ。ふわりと濃くなる久方ぶりのジャミルの香りに手が出そうになるのを、ズボンのポケットに捩じ込んで押し留めた。
「……先輩の、所に、帰ります」
恥じらうような声に、たちの悪い笑みが浮かんでしまいそっと片手で口元を隠す。
「何故?」
問い返されるのは予想外だったとでも言うように勢い良くレオナを見上げたジャミルの眼が見開かれていた。揺れる瞳がレオナを見つめ、それからじわじわと肌の血の気が良くなってゆく。もはやレオナがにやけているのは口元を覆った程度にでは隠しきれなかった。
「っっわかる、だろ!それくらい!」
べしん、と勢い良く腰の辺りを叩かれる。珍しく幼稚な八つ当たり。
「わかってても聞きてぇんだよ」
「俺にだけ言わせるのは卑怯だ!」
「お前の返事次第でいくらでも言ってやるよ」
「要らないです!!!」
「何でだよ」
耐えきれずに声を上げて笑えば今度は腹を叩かれた。思わず宥めるように頭をぽんぽんと撫でればその手も叩き落とされ、その癖、一歩近付いたジャミルがレオナのシャツの裾を掴む。
「ぅぅううう………」
「ほら、言っちまえよ」
まだ、抱き締めることはしない。レオナの肩に額を預けて唸るジャミルの顎に指をかけてあげさせれば初めて見るような真っ赤に染まった顔で涙を浮かべた黒曜石がレオナを睨んでいた。
「俺はこの為に一ヶ月待ってやったんだからな」
「ばかじゃないのか」
「いじらしいだろ」
すう、と半目になった瞳がレオナを見つめ、それから瞼を伏せて諦めたように細く長い溜め息を吐く。ジャミルが言葉にしない限り終わらない事を理解したのだろう。再び開かれた眼が真っ直ぐにレオナを射た。
「俺は、貴方のことが――――」

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