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空箱

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昔話

伸びるに任せただけのような背まである桔梗色の髪、その隙間から覗く眼は深く沈んで足元へと向けられていた。色褪せて黄身がかった赤い長襦袢、そこから伸びた手足は血の気を感じさせない程に白く、幼さだけが理由では無い華奢な骨っぽい身体は簡単に片手で握り潰してしまいそうだった。こんなのに夜中の枕元に立たれたらさぞ肝を冷やすだろう。 
「今日から入るユカリだ。ラショウ、お前が面倒見てやれ」 
頭領の部屋へと呼ばれるた時からそんな気はしていた。ラショウも海賊衆の一員となって早数年、齡は18を数えていた。ドマ陥落からこちら海賊衆へと身を寄せる人の数は増えるばかりで仕事を覚えた者はどんどん教えを請う立場から授ける側へと代わっていく。先々月にはラショウよりもほんの少し早く海賊衆に入っていた年上の男が弟分を得ていた。その弟分も育てばやがては弟を従えるようになり、そうして血は繋がっていなくとも強い信頼で繋がれた兄弟達は増えていく。 
しかし目の前のユカリと呼ばれた少女をラショウが面倒を見ると言うのは不可解な話だ。海賊衆にもほんの一握りだが女は居る。もちろん男の下について荒っぽい仕事もこなす剛腕の女も居ない訳では無いが、殆どが力を必要としない仕事を請け負い武骨な野郎共を陰から支える仕事を請け負ってくれている。やっと齡が10を越えたかどうかに見えるような小さな少女は、どちらかと言えば力自慢として通っているラショウの仕事についてこれるとは思えない。女達に任せた方がよっぽど良いだろう。そんな内心が顔に出ていたらしい、頭領はがらがらの声で笑った。 
「なあに、最初っからてめぇの仕事を教えてやれってんじゃない。まずはここの暮らしに慣れさせて肉つけさせてやってくれ。ついでに読み書きでも教えてくれりゃあいい」 
「はあ、それは構わないですが…」 
恵まれた環境とは無縁だった者が多いここには読み書きが出来ない者も多く、ラショウのようにちゃんとした教育を受けていた人間の方が稀だ。読み書き算盤を教えたいから、という理由でラショウの下につけるのは間違っていないようだが女の中にも知力に長けた者がいた筈だといまいち納得出来ない。 
「俺がおめぇさんが適任だと思って預けるんだ、まあいっぺんやってみろ」 
「…わかりました」 
頭領にそうまで言われてこれ以上ごねるわけにもいかない。腑に落ちないものを感じながらもそれじゃあ行くぞ、とユカリに手を差し出す。幼子なら手を引くものだと今は亡き血の繋がった兄弟との記憶から無意識にした事だった。今までずっと静かに足元を見ていたユカリは差し出された手を見た後、ラショウを見上げ、それから助けを求めるように頭領を見る。 
「今日からラショウがお前の兄貴だ。見た目はいかついが中身は優しい男だ、言うこと聞いておっきくなりな」 



ーーー 



指先一つで簡単に潰してしまいそうな小さな小さな手を引いて島を歩く。一番歳の若い連中が雑魚寝をする家、女達が切り盛りする飯炊き場、男達が仕事に出掛ける船着き場、飲んだくれの医者崩れが診療所を名乗る場所、それぞれに簡単な説明をしてみたものの、ユカリはうんともすんとも言わずにただラショウに手を引かれるままついてくるだけだった。見た目の厳ついラショウと人形のような少女という異色の組み合わせを男達にからかわれても、子供と見れば目尻を下げる女達に優しい声をかけられても、同い年くらいの子供達に遊びに誘われても、伏し目がちに顔をそちらへと向けるだけでそれ以上の反応は無かった。それどころかラショウが握っている手すら、握り返す力は全く感じられない。手を引けば歩き出すが引かなければ止まる、まるで歩行出来るだけの人形のようだ。無理に引き摺らない程度の力でユカリの手を引いて歩く、たったそれだけの事に随分神経を使ったし時間も掛かってしまった。すでに日は陰りを見せて飯炊き場からは良い匂いが漂ってきていて思い出したように腹の虫がぐうと鳴く。 
「早めに飯を食うか」 
仕事帰りの男達の喧騒の中で食べるよりは早めにすませてしまった方が良いだろうと声をかけるがやはりユカリは足元を見ているだけだった。こんな小さな少女が突然縁も所縁も無いこんな場所に放り込まれれば不安や緊張でそんなこともあるのだろうと応えの無いのは気にしない事にして飯炊き場へと手を引く。おおよそユカリが関わるであろう場所は回れた事だし今日は食事を取ったら早めに寝かしつけてしまえば良いだろう。食べて、寝て、明日になれば少しは何か変わるだろうと楽観的に考えていた。 
小粒の貝を昆布出汁と醤油で煮しめたもの、海草の和え物、焼き魚になけなしの葉っぱのおひたし、それから米。近頃は兄達の酒宴に混ざれるようになろうとお猪口一杯の酒も飲んでいたが今日は控えた。たったそれだけであろうとも飲んだらユカリの面倒を見る余裕も無く寝てしまう。 
「好きなだけ食べるといい。早くしないと無くなるぞ」 
行儀を知らない野郎だらけのこの島に膳などというお上品な物は無い。早めに来たとは言え、茶碗を片手に大皿に乗せられた料理へと我先に箸を伸ばす大食らい共が此処へ駆け込んで来るのも時間の問題だ。座卓の隣に座らせたユカリは卓上にこれでもかと並んだ料理を見渡した後、初めてラショウを真っ直ぐに見上げた。桔梗色の髪の間から覗く瞳は窺うようでも不安に揺れているようにも見えた。 
「たくさん食べろ。箸は使えるな?」 
それを遠慮だと思うことにして食べる事を促がしながら一足先に手を合わせていただきます、と礼をしてから料理へと手を伸ばす。何せラショウも食べ盛りだ、湯気を立てる料理を目の前に待てが出来るほど腹の虫はおしとやかではない。取り皿に山のように盛っては米と一緒に掻き込む。酒飲みの為に塩辛く味つけられたおかずは非常に米が進んだ。 
ユカリも暫くはそんなラショウを見上げていたがほどなくしておずおずと箸と茶碗を手にした。子供用の食器等無いために長くて使いづらいだろう箸を持つ手つきは思いの外綺麗で、ラショウと同じ大きさの茶碗にたっぷり盛られた米は箸先で上品に掬い取られて口の中へと運ばれていた。小さな口を動かして飲み込まれて行く様子を見届けてやっと人間らしい反応を得たようでそっと息を吐く。食事にすら無反応だったらどうしようかと心配していた。 
「遠慮しなくて良い、食べれるだけ食べてしまえ」 
目の前の米ばかりを口に運ぶユカリにまだ遠慮があるのだと思い大皿の料理を小皿に取り分けて目の前へと置いてやるとまた揺れる瞳がラショウを見た。 
「食べろ。今日のお前の仕事はとにかく食べる事だ」 
遠慮をするなと言う事をとにかく伝えたくて皿の上に料理を追加してやる。山盛りの料理と米はとてもユカリに食べきれるとは思っていないが残ればラショウが片付ければ良い、そんな気楽な気持ちであった。ラショウを見ていた瞳が目の前の山へと映り、そしてラショウへと戻るとくしゃりと歪む。それは喜びとは程遠く、どちらかと言えば泣く直前のような悲愴感と緊張感を混ぜたような色だった。だがそれを見せたのは一瞬で、再び手元へと視線を落とすと黙々と食べ始めたので何も言えずに見守る。気になりはしたもののたかが食事だ、腹一杯食べていればとりあえずは良いだろうと。 
身形も身体も貧相なユカリの事だからてっきり少しも食べないうちに腹が脹れて殆どラショウが食べる事になるだろうという予想を覆され、黙々と皿の中身を減らしていた。すでに大人の女でも根を上げるような量が小さな身体の中に詰め込まれている。よっぽど腹を空かせていたのか、食べる速度は遅くとも良く食べるのは良いことだと少しばかり血色の良くなった横顔を暢気に眺めていた時だった。ぐ、と不意に突き上げられたように丸くなる背と口を押さえる両手、外に出すのはなんとか留めたようだが不自然に膨らんだ頬。 
「お前、…そんなになるまで食べる奴があるか」 
好きなだけ食べれる食事が嬉しくて子供らしい貪欲さで限界を越えても食べてしまったのだろう、人間らしい感情を感じられて微笑ましくなるがさすがにここでぶちまけられたら後で兄さん姉さん方から非難轟々だ。慌てて着ていた羽織を丸めてユカリの口許へと宛がい抱え上げて裏口へと走る。人目につかない建物の裏手で身体を下ろし、そのまま吐かせてしまおうと羽織を取ろうとすると思わぬ抵抗にあった。 
「辛いだろう、我慢せずに吐いてしまえ」 
よっぽど苦しいのだろう、歪んだ瞳からぼろぼろと涙を溢しながらも頑なに出そうとはしない姿に焦れて強引に両腕を口許から外させる。 
「うっ、ぉぇ、っっ……」 
耐えきれずに口から溢れ出る吐瀉物が、地面に舞い落ちた羽織に容赦なく降り注ぐのはもう仕方無いと諦める。一度口から出てしまえば止まること等出来ず、びくびくと跳ねる背を撫でてやりながらよくもまあこんな小さな身体にこれだけの量を詰め込んだものだと逆に感心する。食べたものを殆ど吐き出してしまって荒い呼吸に上下する背の骨っぽさが指に刺さる。 
「…ご、めんなさぃ…」 
「良い、良い、気にするな」 
初めて聞いた声は胃酸で焼けて掠れていた。その哀れな声にもう少し早く気付いてやれば良かったと心が痛む。 
「今日は流石にもう食べられないだろう、水でも飲んで…」 
「食べられる!」 
声量は小さくとも言葉を遮ってでも発せられた強い意思に瞬く。振り返ったユカリの顔は口許を濡らしながらも必死の形相と言うのに相応しい程に張り詰めていた。 
「食べられる、から…ちゃんと食べるから…」 
気迫に気圧されて一歩離れるユカリを見守ると、ラショウから今吐き出した物へと視線を移した後、徐に地面へと膝をつくと髪が吐瀉物にまみれるのも構わず顔を寄せて行く。 
「…っっ何する気だっ」 
自分が吐いた物を口にしようとしていることに気付いて慌てて抱え上げると先程はおとなしく縮こまっていただけの身体が儚くもがいた。 
「ちゃんと食べるから、全部食べるからっ、」 
追い出さないで。囁くよりも小さな声に愕然とする。ユカリは決して食べたくて吐くまで食べていたわけでは無かった。ラショウが食べろと言ったから、食べなければ機嫌を損ねて追い出されるかもしれないと怯えていたから食べていただけだったのだ。良かれと思って山盛りにしてやった料理もユカリからすれば無理難題を吹っ掛けられていても追い出されないためにはこなさなければならないと必死に腹に詰め込んでいたのだろう。気付いてやれなかった自分と、目の前に料理を差し出されてそんな決意で望まなければならないような育て方をした見知らぬ大人達に言い様の無い怒りを覚えた。どんな環境でどう育ってきたのかは知らない、だがこんな幼子が飯を食べるだけでそんな緊張感を強いられて良い筈がない。 
「…悪かった。別に無理に食べなくても良いんだ、こんなことではお前を追い出したりはしない」 
「食べられるから、お願いします、食べるから」 
「食べたく無かったら食べなくて良い、大丈夫だ、絶対に追い出さない」 
泣きじゃくりながら追い出されない為に必死な身体を抱き締めて背を撫でる。昼に手を繋いでいた時には血が通っているのかわからないくらいに冷えていた身体が今は燃えるように熱かった。大丈夫、追い出さないから、少しでも緊張を解いてもらおうとラショウも懸命に穏やかな言葉を掛ける。大丈夫、大丈夫、何が大丈夫なのかもわからないまま小さな身体をいつまでもあやし続けた。 

腕の中の身体が静かになったのはとっぷりと日も暮れた頃だった。背にした建物からは騒がしいくらいの喧しさで野郎共が飯を争うように腹に詰め込んでいる様子が聞こえている。ゆらりゆらりと揺れながら腕に抱えたユカリの様子を伺えば腫れ上がった瞼を重たげに震わせてぼんやりとした瞳が虚空を映していた。 
「眠いなら、寝てしまえ。大丈夫、明日もお前はここで生活するんだ」 
大丈夫、意味もわからなくなるくらいに繰り返した単語を呪いのように掛けながら静かな寝息が聞こえるようになるまでラショウはただ小さな身体を抱き締めていた。 



ーーー 



「おい、人が必死にてめぇのデカブツ可愛がってやってんのに考え事かよ」 
ぺしん、と軽く頬を叩かれて我に帰る。腹の上では根本近くまでラショウを飲み込んでふうふう荒い息を吐いているタンスイがじっとりとした眼でラショウを見下ろしていた。 
「いやなに、随分大きく育ったもんだなと思っていた」 
「はあ?」 
腰骨へと添えて居た手を腹から胸へと滑らせればぬるついた汗に濡れた肌にくっきりと溝を作った筋肉がうねる。 
「あっ、あっ、馬鹿、今触るなって」 
咎めるようにラショウの手首にしがみつく両手はラショウと比べてしまえば小さく華奢だがタンスイの種族の中では大きく男らしい手だろう。びくびくと跳ねる身体が落ち着くのを待ってから腹筋の力だけで寝ていた上半身を起こす。背を抱いてぴったりと身体を抱き寄せれば素直に肩に頭が預けられた。 
「ユカリ」 
耳元で呼んでやれば腕の中で緩く笑う振動に合わせて粘膜に包まれた自身がぎゅうと締め付けられる。 
「っはは、…随分懐かしい名前を」 
ユカリの名前はタンスイの暗い記憶の象徴だ。一時はその名を出すのも憚られていた時期もあった。だが今はもうこうして笑って懐かしむ余裕がある。つくづく大きくなった、と暖かな感情が胸に満ちた。 
「おら、思い出に浸ってねぇでそろそろ目の前の俺も可愛がっちゃくれねぇかね」 
首へと腕を絡めて顎に噛み付かれる。生きているのかもわからない人形のようだったユカリから随分と元気に育ったものだ。思わず肩を揺らして笑いながらお望み通りにタンスイの身体を布団へと押し付けてのし掛かった。

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