ドマ城が水に沈んだ夜、筋違砦の夜は文字通りどんちゃん騒ぎとなった。笑う者、泣く者、歌う者、踊る者、早くも酒瓶抱えて鼾をかくもの。皆とにかく浮かれていた。海賊衆としても帝国がいなくなるのはとにかく喜ばしいの一言だが、ドマ出身の者にとっては積年の想いもあって喜びもひとしおだろう。その中心に居るラショウは下戸だと言うのに右から左から酒を注がれ飲みきれない量が膝の上に溢れても笑っていた。一滴も受け付けないと言う訳でもないが、明らかに飲める酒量を越えて飲まされている。これはきっとこのままここで潰されて明日は一日動けなくなるに違いないと、同じように代わる代わる注がれる酒を干しながらタンスイは思った。だが今日ばかりはそれも良い。普段から海賊衆の頭領という立場に縛られ、羽目を外さぬように自制を心掛ける真面目な男なのだから、今日くらいは存分に発散すれば良い。
飲んで食べて騒いで飲んで、頭の中まで酒漬けになった野郎共ばかりになった頃にタンスイはそっと席を抜け出した。先程まではいくら席を立とうとしても力尽くで引き留め離さなかった酔っぱらいどもは今はただ呂律の回らない舌で何事かむにゃむにゃ言っているだけで振り払うのは容易い。いくらドマ城を落としたと言っても帝国が全て撤退したわけではないため警戒を怠ることは出来ず、これだけの騒ぎの中でもひっそりと不寝番をさせられている若い衆が居る筈だ。宴会に混ぜてやることは出来なくてもせめて酒の一杯でも飲ませてやりたいと思いまだ空いていない一升瓶を片手に歩き出す。部屋を出る間際に見た頭領は、すっかり酒が回って据わった目であちこちから投げ掛けられる言葉にただうんうん頷くだけの置物になって居たから寝落ちるのももはや時間の問題だろう。
筋違砦以外にもオノコロ島には何ヵ所か見張りを立てている場所があるが、今日のような晴れの日でも獲物は見逃しても万が一の敵襲から島を守る為には休ませてやる事も出来ない。タンスイとてすでにそれなりの量の酒を飲んでいる。それでも二番手として人生に一度あるかないかのどんちゃん騒ぎに参加出来なかった者を労ってやろうと覚束ない足取りで全てを回ってみれば、何処の見張りも既に酒と肴を持ち込んで勝手に酒盛りをしており気遣うだけ無駄立ったようだ。何よりも酒と博打と荒事が好きな輩が不寝番程度でこんな絶好の機会を逃す筈もない。その上ドマ出身なのに今日の不寝番になっていた者はこっそりと酒宴へと送り出され、代わりに今日の当番では無い者が率先して不寝番をしているのを見たら怒るに怒れず、結局一杯ずつ杯を交わして回ってから砦へと戻る。数ヵ所の見張りに行く度に杯を空にしてきたためにそろそろ本格的に足元が危ういが気分は良かった。空には大きな月が明るく輝き、穏やかな風が酒に火照った身体に気持ち良い。海賊衆は大きな博打に勝ち、頭領殿は積年の秘めた願いを成就させた。これ程まで心地よい気分など早々無い。
ぐるりと島を一周し、漸く酒宴の喧騒が聞こえ始める砂浜まで戻って来た頃、砦の方から歩いてくる大きな黒い人影にタンスイは瞬いた。あれだけ飲まされていながらまだ起きて、しかも出歩いているなど思わなかった。
「珍しいな、まだ起きてたのか」
タンスイの姿を認めた途端に足を止めた影に近付く。下手に砂浜でぶっ倒れられても下の者に示しがつかない、自分で歩けるうちに部屋に連れて帰らねばならないと妙な責任感が芽生えていた。
「アンタ、もう飲めねぇだろ、解放されたんならとっとと部屋戻って寝ちまいな」
先程見かけた据わった目のままにじぃとタンスイを見下ろすだけのラショウの袖を引いて歩き出すように促す。タンスイ、と眠たげな低音に呼ばれて見上げると不意に回る視界。
「う、っわ、おい、待て、」
動きの鈍くなった目が次に見たのはタンスイの倍くらいはありそうな男の尻だった。腹の圧迫感と宙に浮いて心許ない両の足に、ラショウの肩に俵担ぎにされたのだと気付く。
「降ろせって転んだら洒落になんねぇぞ!」
タンスイの抗議も何のその、大きな掌にがっしりと腰を捕まれてしまえばいくら暴れた所で逃れることなぞ出来ない。むしろたまによろめくラショウの足元の怪しさが恐ろしくて息を潜めてじっとしていることしか出来ない。のっしのっしと無言で歩くラショウの顔も担がれたままでは伺う事も出来ずにただ視界に板張りの床が見えることから砦を上っているのだろうと推測するしかない。
「あっ頭領、タンスイさん見つかったんすか!」
「タンスイご愁傷様」
「あんまがっつき過ぎて壊さねぇでくださいよ」
「今日は誰も頭領の家には近付くなって言ってあるんで!なんも気にせず楽しんでください!」
「明日のタンスイさんの仕事は俺らでなんとかするんで存分に頭領に可愛がられてくだせぇ!」
「頭領殿は血が収まらねぇそうだ、しっかり慰めてやんな」
部屋からあぶれて外で飲んでいる奴等からやんややんやと掛けられる野次に反論してやりたい気持ちはあれど肩に担がれているままでは格好もつかない。そもそも腹を圧迫されて揺られているせいで怒鳴ったら言葉以外のものまで出てきてしまいそうだ。てめぇら覚えてろよ、とラショウのこの奇行に至るまでを知っている様子の野次馬に力無く恨み言めいた言葉を向けるも、返って来るのはげらげらと酔っ払いの品の無い笑い声だけだった。
家にたどり着くなりそのまま布団の上に少し手荒に下ろされ、一息つく間も無く覆い被さって来るラショウに流石に慌てる。
「待て、待て、何も準備してねぇから出来ねぇぞ」
体格差が激しい為に体を重ねるとなればそれなりの準備が要る。それをわかっている筈なのにラショウは止まるどころか追い剥ぎのような手荒さで黙々とタンスイの身ぐるみを剥いでは表れた肌の上に無差別に唇を押し付けて行く。押し退けようとも襟首掴んで引き剥がそうにもずっしりとした体躯はびくともしない。
「おい、聞けって。…そもそもそれだけ酔ってて勃つのかよ」
なんとか逃げようと身を捩りながら脛でラショウの股間を探れば案の定、熱いが柔らかい固まりがあるだけだった。だがラショウの手はお構いなしにその足をひっ掴むと易々と下履きごと剥ぎ取ってしまう。
「なんとか言えよ、おい」
幼子のおむつでも換えるかのごとくいとも簡単に素っ裸にさせられて、段々諦めに近い感情を抱きながらも髪を引いて抗議するも、それすら鬱陶しいと言わんばかりに唇が重ねられる。
「んぅ…おいってば、…んんん」
酒臭い口付けから逃れようと顔を背ければ顎を捕まれ強引にまた唇が触れる。分厚い舌が無遠慮に口内を撫でて気持ち良いような気もするが、何せタンスイも今日は飲みすぎている。快感と呼ぶには余りにも鈍くて遠い。肩を強く叩いても吐息ごと飲み込まれて喉が鳴る。もうこれは何を言っても止まらない気なのだと観念して抵抗を止めるとじゅる、と音が立つ程に舌を吸われてじわりと熱が身体に灯った。
「っは、……壊れねぇ程度にしとくれよ」
漸く顔を上げたラショウを見上げてせめてもの願いを向ける。酒の回った身体で動いた所為か、お互い息が荒い。もう好きにしてくれと大きな身体を足の間に挟み込んだまま大の字でラショウを見上げていれば据わった目が静かにタンスイを見下ろしていた。だがそこから動く様子が無い。何かを言おうとしたのか唇がわななき、そして噛み締められる。どうするのかとただぼんやり眺めている事しばし、幾度か唇は動くも言葉になる前に消える。
「ぁんだよ、言いたい事があんなら言ってみろよ」
素っ裸にひん剥いた癖に突然放り出されても居所が悪い。促すようにじっとりと汗ばんだラショウの頬を撫でてやると、不意にぐっと唇を噛み締めたかと思えばぼろりと紺碧の瞳から涙が溢れた。
「…タンスイ、」
押し殺すように震えた声は儚く名を呼んだ。一度溢れ出したら止まらなくなったのか、ぼろぼろと涙を溢れさせながら再びタンスイの肩へと顔を埋めながら次第に耐えきれず大きくなる嗚咽。ああ、と漸く合点がいった気持ちでタンスイはゆるりと笑った。
「なんだ、あんた、今までずっと我慢してたのか」
誰よりもドマの奪還を願いながら誰よりも海賊衆である事を自分に強いた男は、今の今まで「帝国に勝った」事を喜べても「祖国の解放」を喜べなかったらしい。今回の戦はあくまで海賊衆を脅かす帝国の排除に協力したという形であって、ドマの奪還が目的では無い。酒の席でそんな事を気にするような奴は殆ど居ないだろうに、普段は飲まないクソ真面目な頭領殿はずっと気にして我慢していたようだ。変に押し込めるから、逆に酒の力でおかしな方向に爆発してやがるじゃねぇかと喉奥で笑いながら幼子のように胸元で咽び泣く頭を抱きしめてやる。
「いい、いい、泣いちまえ。思う存分ぶち撒けちまえ。俺しか聞いてねぇよ」
先程までは強姦する気かという勢いだったラショウの腕がぐぅと強くタンスイの身体にしがみついていた。傍から見れば熊に襲われている人のような図だが、きっとこの熊は25年前に家族を全て帝国に奪われ行く宛も無く彷徨っていた少年だったラショウの姿に違いない。これで漸く魘される夜も無くなるのだなと、吠えるように声を上げて泣く背中をタンスイはいつまでも撫で続けた。
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