優しく髪を撫でる温もりにゆっくりと意識が浮上する。瞼を開ければ夜明け前の薄青い暗闇に浮かぶ黒髪の男がレイヴスを心配そうに見ていた。その余りにも真剣な眼差しに、つい安心させるように手を伸ばす。すぐに骨張った大きな手に掬い取られ、頬を擦り寄せる姿に思わず唇が緩んだ。
「おかえり、アーデン」
「ただいま、エイラ」
昨夜の情事を引き摺り重い体をなんとか起こしてアーデンと頬を触れ合わせる。右に、左に、右に。テネブラエでは当たり前の、親密な相手とだけ交わす挨拶。
「すまないエイラ、また私は君に酷いことを……」
「アーデン」
「大切にしてやりたいと思うのにどうしてか君を壊」
「アーデン」
必死に謝罪を紡ぐ唇を指先一つで黙らせる。もう数え切れないほどに何度も繰り返されたこの不毛なやり取りを長く続ける気は無い。
「……夜が明けてしまう」
「エイラ、……」
ぐしゃりと顔を歪めたアーデンにしがみつくような強さで抱き締められる。青い闇が少しずつ日の光に侵食され始めていた。首元に押し付けられる頭を抱え真っ直ぐ柔らかな髪を撫でる。
「エイラ、君が消えてしまう……」
「此処に居る」
「君は俺を忘れないでいてくれるのに、俺はどんどん君を失うんだ」
「安心しろ、私は傍に居る」
「君をソムヌスに渡したくない」
「私はお前のものだ」
「……どうか、どうかエイラ、私は生きていると言ってくれ!」「アーデン、お前はただの無力な人間だ。安心しろ」
肩に熱いものが触れ、泣きながら震える身体を抱き締める。つい数刻前には荒々しくレイヴスを乱した指先が、ただ輪郭を辿るように全身を這う。性的な意図を一切感じないそれはただ存在を噛み締めるかのような強さで、宥めるように背中を撫でる。
「エイラ、エイラ……!」
華奢とは言えない肩幅も、平らな胸も、腕の中に収まりきれない体もこの男にとっては恋しい女そのものにしか見えないらしい。ただなすがままに受け止めながらも、何度体験してもこの哀れみとも侮蔑ともつかない感情が行き場を無くしてレイヴスを落ち着かなくさせる。眠る前、同じ顔をした男にモノのように扱われていた記憶も新しければ尚更。
「アーデン、私はずっと傍にいる」
「ああ、エイラ……」
感極まったように頬を包み込む両掌に支えられ視線が絡む。涙に濡れた瞳が愛しげに緩んでいた。額を合わせ、その至近距離からの視線に耐えきれず瞼を伏せる。
「君は、君だけが私の帰る場所なんだ、エイラ……」
溢れんばかりの愛情を込めた吐息が触れる、と同時にすぅ、と音もなく触れる熱が消えていく。残る掌の熱さが消える頃にゆっくりと目をあければ、日の光が差し込む部屋の中、レイヴスは一人だった。
初めて黒髪のアーデン…恐らくは本来の彼自身に出会ったのはまだ帝国に来て間もない頃だった。他の新兵達と共に受けた身体計測の他に、レイヴスだけヴァーサタイルの施設に呼ばれ、独自の検査を受けさせられた。何を計測するのかもわからない装置を身体中につけられ、ただひたすら言われるがままに動き、血を抜かれる。 苦痛はさほど無かったが、理由も内容も詳しいことは聞かされぬままモルモットのように何日も検査に付き合わされるのは精神的に辛かった。だがそんな中で唯一安らげるのは全身麻酔によって意識を失う時間だ。強制的に意識がブラックアウトされた後、レイヴスは必ず夢を見た。金色の草原、妹を思い出させるような美しい女性、救世主と崇める群衆、兄と呼び慕う黒髪の弟。見た事の無いその優しい景色の中でレイヴスは「アーデン」と呼ばれ愛されていた。
検査が全て終わり、漸く自室で安らかに眠れるようになったレイヴスの元に黒髪の男は現れた。曙光射す部屋に音もなく現れた男はレイヴスを愛おしげに「エイラ」と呼び抱き締めた。
最初の頃こそ、数カ月に一度現れるだけだった黒髪の男は少しずつその頻度を上げて行き、帝国宰相のアーデンと体の関係を持つようになってからは、行為の後には必ずと言って良い程に現れた。赤い髪のアーデンと情を交わすと零れ落ちるようにレイヴスの身体に夢の続きが注ぎこまれ、その夢を取り戻すようにして黒い髪のアーデンがレイヴスを抱き締める。断片的な夢の記憶はいつも温かい物ばかりだった。そこへ不穏な気配が混じり始めたのはどれくらい前からだっただろうか。それと同時に黒い髪のアーデンの様子も変わって行った。レイヴスをエイラと呼びながら他愛の無い恋人同士の一時を過ごし、夜明けと共に消えるだけの存在だった彼が、いつからかレイヴスに悲しみを、不安を、謝罪を向けるようになった。幼子のようにエイラを呼びながらレイヴスを抱き締め泣く姿は彼なりの罪の意識なのだろうか、レイヴスにはわからない。
一つの国家が滅び、世界は急速に一つの結末へと向かって進み始め、そうしてレイヴスは片腕を失った。
それでもレイヴスの為すべきことは変わらない、変えられない。 今日もアーデンと抱き合った後に自室で一人、眠っていた筈だった。
髪を撫でる優しい手に目を覚ます。
「ただいま、エイラ」
そこにいたのは赤い髪をしたアーデンだった。さも愛おしいと言わんばかりに細められた金色の瞳。先程までと姿形は変わらないのにそっと壊れ物でも扱うかのように優しく抱きしめる掌は驚く程に冷えていた。
彼は、きっともう居ない。
彼が存在した事も、そして音もなく消えてしまった事を知る人もレイヴス以外には居ない。
ついにこの日が来てしまった事を痛ましく思いながら、気を抜けば嗚咽に震えそうになる唇を笑みの形に無理矢理釣り上げる。
「……おかえり、アーデン」
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入りきらなかった補足
・神凪パワーは黒髪おじさんと同じ能力=吸い取ったシガイの記憶が読める
・兄をイドラみたいにシガイ化させて傀儡として使おうと思った物の、神凪パワーで吸い取られるだけでシガイ化せず。正確には少しずつシガイ化してるけれど、本当に微々たる量でおじさん諦めた
・おじさんを吸い取りシガイ化しながら記憶を吸い取る兄と、更に兄からシガイを吸い取り自分の記憶を取り戻すもそれは誰の記憶なのかわからなくなっていくおじさん
・黒髪おじさんと兄はセックスしてない黒髪おじさんは童貞
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