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空箱

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アーデンが居ないと生きられないレイヴスの話

 とろ、とろ  
 ゆっくりと口を満たす液体は重くて甘い。だがそれは美味と称するには刺々しく、飲み下せばどろりと濁った何かが身体の奥底を芯から冷やす。  
「おいしい?」  
 揶揄するような声には応えず、ただアーデンの指先を伝うそれを幼子のように吸う。心は拒絶したいのに飢えた身体は正直で、ゆっくりと伝い落ちてくるだけでは足りずに浅ましく指先を舐めしゃぶってしまう。  
「俺、動けなくなる前においでってちゃんと言ったよねぇ」  
 喉に絡み付く甘さを飲み下す度に広がる漠然とした焦燥感と共にじわじわと体温が戻って行くのを感じる。  
 暖かい。  
 だが心が冷える。  
 それでもレイヴスは、これを飲まなければならない。  
 生き延びる為に。  
「はい、もうおしまい。動く事は出来るようになったでしょ」   アーデンが自らつけた掌の傷から流れ落ちる液体が尽き始めた頃に指先が離れて行く。  
「俺だって痛覚はあるんだよ。残りはあとで、俺の部屋でね」   言われて始めて気付く。先程までは鉛のように重たく身体を起こしていることさえままならなかったのに、まだ気だるくはあるが動けるようになっている。なんとか両の腕に力を込めて床から身を起こすと、飲み込みきれずに顎を濡らした液体を拭い取った指先が唇に押し当てられ、反射的に吸い付いた。  
 甘い。  
「ふふ、髪にもついてる。ちゃんと綺麗にしてからおいで」  
 離れ際に掬い取られてははらりと落ちるレイヴスの白金の髪にまとわりついた黒い液体を視界の端に捕らえながらも目は浅ましくアーデンの背を追う。足りないと、形振り構わず縋りそうになるのをぐ、っと堪える。  
「じゃあ、また夜に」  
 アーデンとてレイヴスの飢えを理解しているだろうに無情にも笑顔で扉の向こうへと消えてしまった。束の間の優しさにも見えた施しは、ただレイヴスに現実を突きつける為の嫌がらせに過ぎない。金属的な冷たさを宿す金色の瞳はいつだってレイヴスが足掻く様を静かに見ている。生かさず、殺さず、いつだって叩き潰せる小さな生き物がもがく様が見たいだけの憐れな生き物。  
 そうして中途半端な施しを受けて取り残されたのは胃の底から広がる悲しみとも怒りとも絶望ともつかない、いてもたっても居られないような不安感と、それでもそれを飲みたいと渇望する飢えた身体だけ。  
 まだ濡れた感触を残す頬を袖口で乱雑に拭えば真っ黒に汚れた。  
 人では無い生き物に流れる何か。  
 今のレイヴスを生かすと同時に「誰か」の感情を絶えず伝えるそれは今のレイヴスの命綱になってしまった。否、化け物を喰らってでも使命を果たすまでは生き延びると腹を決めた。それがアーデンの掌の上であろうと、体よく利用されているだけであろうと、可能性があるのならばそれに全力で挑む。もう迷っている暇など無かった。日に日に人では無い何かに身体が侵食されているのがわかる。そう遠くないうちに、レイヴスはアーデンと同じモノになってしまうのだろう。既に三日と「食事」を絶てばろくに動けない身体になってしまった。以前は一週間開けても大丈夫だったのに。  
左腕を失った時からレイヴスの結末はアーデンに定められてしまった。抗いたくとも動けなければ話にならない。今レイヴスに出来る事は少しでも長く人として命を長らえる事だけだった。  使命を果たすまで、人でいられるだろうか。過る不安から目を背け、アーデンを追うべくレイヴスは立ち上がった。  



 身体が燃えるように熱い。 
 それに比例するように心の奥底が凍えそうな程に冷え切っている。  
「っあ、……っぁ、あ……」  
 ずん、と強く奥を突き上げられて背が撓る。込み上げた物が一気に弾けて目の前が真っ白になる。気持ち良い。アーデンに触れられる肌はじんじんと疼くような熱が生まれて溶けてしまいそうな程に熱いのに、その中に沁み込んだ感情は寂しくて、悲しくて、悔しくて、どうにかなってしまいそうだった。  
「君、いつも泣くよね。そんなに気持ち良い?」  
 動きを止めたアーデンの唇が目尻に触れる。見当違いな慈しみは心地良いがそこから流れ込む感情は辛くなるばかりで溢れる涙が止まらない。こんなにも苦しいのに、身体はアーデンから与えられたもので先程までが嘘のように活力に溢れ満たされてしまう。心と体が乖離し過ぎていて思考が追い付かない。ただ一つわかるのは、それでもまだ足りないと飢えた身体が叫んでいる事だけだった。  
「あー、でん……ッ」  
 助けてくれ、とは言えなかった。そもそもこんな身体になってしまったのはアーデンの所為だ。指輪に焼かれ、人として死にかけた身体を無理矢理生き永らえさせられなければこんな苦しみを味わう事は無かった。言う事を聞かない左腕が、レイヴスの意思に反してアーデンに縋りつく事も無かった。  
「おねだりしてるの?……ずいぶんしおらしくなったじゃない」  
「……っひ、ぅ、……んっ」  
 違う、と否定したくともどろどろに溶けてしまった場所をかき混ぜられると何も考えられなくなる。その先に与えられる物を期待して、まだ人である筈の右腕すらアーデンの背に縋ってしまう。  
「いいよ、素直におねだり出来たご褒美にたくさん食べさせてやる」  
「っはやく、……」  
 早く、余計な事を何も考えられなくなるまで満たして欲しい。余計な情が沸く前に。言葉にならない想いを押し付けるようにアーデンを抱き締める。  
「今日はずいぶんと情熱的だね」  
 そう笑って本格的に動き始めたアーデンに、レイヴスは身を委ねるしか無かった。 

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