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空箱

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 明日1300 
 自室に戻った瞬間に目に入ったのは無造作に足元に置かれた真っ白なカード。単語が一つに四桁の数字、それだけで正確に意味を理解してしまい思わず舌を打ち鳴らす。拾いもせずに通り過ぎながら明後日の予定を脳裏に並べ立てた所でもう一度鳴らしそうになった舌打ちを寸でで止めた。どうせ考えるだけ無駄だった。明日も夜まで詰まっていた筈のスケジュールは都合良く午後から無くなり、明後日から元通りのスケジュールに戻れれば良い方、悪ければ数日拘束されて暫く戻れないかもしれない。後ろ楯の無い准将のスケジュールを弄る事などあの男には息をするより容易く、いくらレイヴスが考えた所で男の気紛れで予定などくるくる変わる。ならば余計な事を考えずにただじっと無駄な時間が終わるまで身を任せるだけだ。プライドだけで敵わぬ相手に無駄に抗うだけの若さはもう、無い。 

 帝都グラレアより三十分程郊外へと車を走らせて辿り着く閑静な高級住宅街。その中でも人工的に作られた森に隣接した場所に帝国宰相の私宅はあった。陽があるうちは故郷を彷彿とさせる緑に囲まれた家だが夜ともなればじっとりとした土の湿気と共に何処か陰気な臭いを纏わりつかせ、なんとも薄気味が悪い雰囲気になる。家の傍らに赤い車が止まっているということは家主は既に中に居るのだろう。隣に並べるようにして車を止めて一呼吸。時計を見れば指定された時刻より十分程早いがエンジン音でレイヴスの到着は家の中まで伝わっているだろうからのんびりもしていられない。行きたくない気持ちは強いがどうせ逃げる事も出来ない。呼び出しを放棄すれば後で余計に辛い目に会うのは身に染みて理解していた。嫌な記憶を呼び起こしてしまい胸の奥の方でどろりと濁った感情が渦巻くのを溜息一つで逃すと、なるべく平然を装って愛車から出て玄関へと向かった。 
「いらっしゃい」 
 呼び鈴を鳴らさずとも開いた扉に疑問を抱く間も無く家主が現れる。普段の暑苦しい程に着こんだ服ではなく、シャツとスウェットという随分とラフな服装をしたアーデンの姿は何度見ても見慣れない。口元に笑みを描きながらも値踏みするように細められた双眸から逃れそうになるのを意思の力で真っ直ぐに見つめ返してやれば猫のように眼が歪む。 
「上がって、シャワー浴びておいで」 
 促されるままに室内へと足を踏み入れる。辛うじて室内が見える程度の最低限の明かりしか置かれず、窓から差し込む日差しは分厚いカーテンに隠された暗い部屋は何度来ても何処か息苦しさを感じて好きではない。せめて窓を開け放って外の空気を取り入れたら良い物の、全てを拒絶するように締め切られたこの家は闇の底の淀みのように纏わりつく不快感が拭えない。 
「いつもの部屋で待っているから」 
 もはや数えきれぬ程に聞いた一連の台詞の後にさっさと自室へと向かう背中を見送ってからレイヴスもバスルームへと向かう。殆どを帝都で過ごし、此処に来るのはたまの休暇だけと言う割りには埃っぽさも無く手入れの行き届いた室内、使われた形跡も無くただの装飾のように置かれた家具の数々は今日も記憶と違わぬ配置で静かにそこに在る。休日を一人で過ごしたい時の為に所持している家だと聞いたが実際にはその殆どにレイヴスを伴って来ている気がする。此処に来るのは多ければ月に数度、少ない時は半年以上間が空く事もあるが、帝国宰相の立場にある男がそう頻繁にこの家へと帰る暇があるとは思えない。アーデンの時間が出来た時、普段生活の拠点にしている要塞では出来ない事をレイヴスに強要する時にこの家の扉は開かれる。 

 頭から爪先まで、外側のみならず内側まできっちりと洗い上げてからバスルームを出る。決してそれはこれから起こることへの期待では無い、ただの自衛だ。まだこの家に呼ばれたばかりの頃に言われた通りただ肌の汚れを落としただけで部屋に向かった際、アーデンの手によってアーデンに見られながら中まで洗われた時の屈辱とも情けなさともつかない絶望は耐えがたい記憶として骨身に染みている。人として根本的な尊厳を根刮ぎ奪うような辱しめを受けるくらいならば先に自分で済ませてしまった方がまだ痛みは少ない。 
 バスローブが用意されているのは見えていたが、適当に水気を拭いた後は一糸纏わぬまま部屋へと向かう。すぐに床に捨てられる事になるものをわざわざ着るのも、アーデンにこれみよがしにローブを紐解かれるのも好きではなかった。 
「あれぇ、着替え、ちゃんと用意してあったでしょ?」 
 見慣れた寝室の扉を開けるなり面白がる声が飛んで来たが予想の範囲内だった。ベッドに横たわりながら行儀悪くワインを傾けるアーデンの瞳が弓なりに歪む。 
「どうせすぐ脱ぐだろう」 
「なぁに?バスローブ羽織る間も惜しいって?」 
 こんな些細な揶揄にいちいち腹を立てるのも面倒で口を閉じる。そもそも言葉を返したこと事態が間違えだった。一を投げれば十の悪意が返ってくるような男を相手にするにはただ静かに黙って全てが終わるのを待つのが一番なのだと長年の付き合いで学んだ。一欠片でも何かを渡せばアーデンは面白がってそれをいたぶり倒す。 
「それじゃあ期待に応え無いとね」 
 のそりと身を起こしたアーデンが床へと足を下ろす、その動作だけで長年この家に通い続けた身体は考える間もなく男の膝の間へと歩み寄ってぺたりと尻を床に落ち着けた。ひんやりと冷えた大理石の床がシャワーで火照った身体に心地よい。よく躾のなった犬を褒めるようににんまりと笑みを広げたアーデンの手がまだ湿り気を残した髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。 
「それじゃあ、つけるよ」 
 仰々しく取り出されたのは血の色をした肌触りの良いベルベットで出来た大型犬用の首輪だった。そこから繋がる鎖が擦れる音にぞわりと肌が粟立ってしまい慌てて息を細く吐き出す。抗う気は無い、だがまだ羞恥心もプライドもある。聞き馴染んだ音だけで身体が少し浮き上がるような落ち着かない気持ちになるのを知られる訳には行かなかった。気付いているのかいないのか、アーデンの指が首の裏へと首輪を回してちょうど喉仏の前で軽く絞める。気道は確保されているが少し圧を感じる程度の強さ、鎖を引かれると僅かな息苦しさで自然と腰が浮いた。
「はい、ご挨拶して」 
 ひくりと喉が勝手に震える。この家で行われる無駄の中で最も苦手で嫌な時間がやって来た。反射的に抗おうとするのを意思の力で抑え込む。此処で躊躇いを見せれば嬉々としてアーデンは更に追い討ちをかけてくるだろう、躊躇っている暇は無い。知らず乾いていた喉を湿らせるようにねばついた唾液を飲み込み真っ正面から視線を重ねる。 
「レイヴスは、……悪い子です、どうか躾をしてください、ご主人様」 
 数えきれない程に口にさせられた言葉であってもどうしても慣れる事が出来ない。理性ではわかっていても本能が言葉を否定しようとするのを必死で押さえつける。声は震えなかったか、視線は揺れなかったか、平坦を装ったつもりだったがじわりと熱くなった顔面と滲んだ視界に今日も平静を装え無かったことを知り唇を噛む。 
「よく言えました。……ふふ、顔真っ赤」 
するりと冷えた指先が頬を撫でるのに耐えきれずに目蓋を下ろした。込み上げる羞恥心がこれ以上露にならないようにとそっと吐き出した息が震える。 
「それじゃあ、どんな悪いことをしちゃったのか報告してもらおうか」 
 上機嫌なアーデンの声に理想的とは言えずとも失敗はしていない事に安堵する。上手く言えずに機嫌を損ねてしまった時は口にするのも憚られるような散々な目にあった。あの時のような辛い思いをするくらいならば一瞬の屈辱に見てみぬ振りをした方がよっぽど良い。 
「……××男爵と、寝ました」 
「また他の男を咥え込んだの?何故?」 
「……耐えられなかったから、です」 
「おちんちん欲しくなっちゃったんだ?」 
 そんなわけあるかと殴り付けてやりたくなるのを固く拳を握り締める事で押さえ付けて、従順に頷いて見せる。全ては茶番だ。アーデンが用意した男に誘われるまま寝ては、後でこうして他の男と寝た罰と称して辱しめを受ける。拒む事を許さず、事実をねじ曲げて「レイヴスが淫らな身体を持て余して男を誘った」という自白を強要したいが為の仕込み。後ろ楯の無い属国上がりが逆らえない相手ばかりをけしかけた癖に、誰彼無く誘い込む淫乱だとレイヴスを罵る事に楽しみを見出だしているアーデンの陰湿な遊びは確実にレイヴスの心を蝕んでいた。決して好き好んで言われるがままに受け入れている訳では無い。だがアーデンの望むような言葉を選んで口にする度にそれが事実だったかのように身体に染み込んで行く。ただ身を守るために逆らうことを止めただけの筈なのに、本当にただの快楽を求める淫乱に成り下がったような気になってしまう気持ちと、望まぬ性交渉に耐えきれず暴れだしたくなる気持ちが胃の奥底でぐるぐると重く渦巻いている。 
「他には?どうせ他にもたくさん咥え込んで来たんでしょ?」  この茶番の全ての元凶が、あたかもレイヴスが悪いかのように言う。怒りとも屈辱ともつかない感情で血が昇りそうな頭をなんとか巡らせて前回この家に来た時から今日までに相手をした男の名前を並べたてる。その度にちくりちくりとレイヴスを貶めるような言葉を投げ付けられて波打つ感情をひたすら抑え込む事だけに集中する。そうでもしないとがむしゃらに殴りつけて抗ってしまいそうだった。レイヴスではアーデンを傷つける事も、逃れ切る事も出来ないというのに。 
「四人、か。あれだけお仕置きされてもまだこんなに男を誘い込むなんて君もスキモノだね」 
 指折り数えては嘲るように笑う顔にようやくこの辱しめが終わるのを感じて安堵した。理性のあるうちに「性欲に抗えず男漁りをする淫売」として自らに呪いをかけるような言葉を紡がなくてはいけないこの時間が一番苦手だった。 
「一人十回として……四十回かな。お尻出して」 
 言われた通りに向きを返ると床に手をついて尻を差し出す。獣のように恥部をさらけ出す格好になるが先程までよりはよっぽどマシだった。羞恥心や痛みは耐えていれば過ぎ去るが意に反して口にした言葉はいつまでもじくじくと心をに膿を溜めて行く。 
 背後でベッドから降りたアーデンがひたりと冷たい掌を尻に宛がい、それから振り上げる。 
「……っ、」 
 バシンと派手な音を立てて男の固い掌が尻を叩く、その衝撃と痛みに息を飲む。いーち、にーぃ、間の抜けたカウントと共に叩かれるうちにじわじわと鋭い痛みが熱を帯びて皮膚の上を広がって行く。痛い筈なのに、焼けるような熱が何か違う感覚を呼び起こしそうになるのを息を詰めて知らぬ振りをする。 
「きゅーう、じゅう……ふふ、ここも真っ赤になっちゃったねぇ」
 叩かれて熱くなった尻を撫でるアーデンの掌も熱い。じんじんとした痛みで感覚の鈍くなった尻を這っていた手がふと内側へと滑りさらけ出された穴へと触れ、思わず肩が揺れた。 
「……ここ、ちょっとお口開いてるね。待ちきれずに慣らして来たの?」 
 爪の先をつぷつぷと出し入れされてぞわりと産毛が立ち上がる。そのままぐ、と押し込まれれば乾いた皮膚が粘膜を引っ掻けながらも柔らかく奥まで指を飲み込んだ。そのまま指の腹で粘膜を探るように撫でられてついきゅうと締め付けてしまい漏れそうになった声を噛み締めた。 
「物欲しそうだね。何か入れてあげようか」 
 するりと指が抜けてベッドに戻ったアーデンが何かを漁る物音を聞きながらただ顔を伏せて待つ。何を取り出すのか気にならないわけでも無いが、今顔を見せては余計にアーデンを喜ばせるだけだと自覚出来るくらいには表情筋が言うことを聞かなかった。ふんふんと上機嫌に鼻歌を歌いながら背後に戻ってくるとひたりと入り口に当てられたのは冷たくて固い何か。 
「……っ、」 
 ローションが塗られているのか軽く押し込まれただけでつるりと簡単に中へと侵入するそれには酷く冷たくて身がすくむ。先端は丸みを帯びているが幹に緩やかな凹凸を持ち、ずっしりとした重みがあるが大きさは指より少し太いくらいでそこまで大きくなく、あっさりと全て中に収まってしまった。 
「何かわかる?」 
 問われて反射的に探るように粘膜が異物を咀嚼するように蠢いて喉を鳴らす。石や金属のような固くて重い物質で出来ている事以外はわからず、素直に首を振った。 
「当てられるまで出したら駄目だよ」 
 言うなり再び尻に振り落とされた掌に反射的に強張った筋肉が勝手に中の異物を奥へと引き込むように飲み込む。意図せずにごり、と内側から凹凸が壁を抉り、ひ、と情けない声が出た。 「当てられるかなぁ、ヒントはねぇ、君もこの部屋で見たことがあるものだよ」 
 ばしん、ばしんと叩かれる度に奥へと潜り込みそうになる異物に取り出せなくなる恐怖を感じて緩めようとしては、痛みでまた中が蠢き触れたく無い場所を抉る。じわりと身体の奥底から滲むように生まれる熱に抗いながら必死に記憶を辿るも、叩かれる痛みとその度に腹の底で沸き上がる疼きに意識が散らされる。幾度も衝撃を与えられた皮膚は焼けるような痛みから鈍い痛みへと変わっていた。きっと明日は椅子に座るのも難儀するほど内出血が広がっているに違いない。 
「さんじゅう。ふふ、まだわかんないかなぁ」 
 アーデンの楽しげな声とは反対にレイヴスは荒く短い息を吐き出すことしか出来ない。痛みで麻痺した皮膚の上を撫でる手の感触は遠く、額に滲んだ汗が顎先までするりと落ちた。 
「そうだなあ、この前はこれが君の王様を追い詰めたかなあ」
 レイヴスの、王様。その何を比喩したのかわからずとも胸の裡を波打たせる言葉に意識が持っていかれた瞬間にまた叩かれて、油断した肉筒が強く異物を噛み締める。 
「ふ、ぁ……っ」 
「ほんと、君はお尻に何か入ってれば気持ち良さそうだね」 
 中で位置を変えた異物が強く抉った場所から痺れるような快感が走り、咄嗟に身を守るように背を丸める。こうなってしまうともう駄目だ。今までどれ程必死に見ない振りをしてきていても、一度明確に気持ち良いと認めてしまうと心がずるずるとそちらへと引きずられてしまう。 
「っひ、……っぃ、……っんんッ」 
 痛い、熱い、気持ち良い。叩かれた場所から広がる熱が細波のように全身に広がる。異物が何か、脳裏にうっすらと輪郭を描こうとしていたものが、与えられる快感で線を繋げないまま霧散していく。 
「よーんじゅう。……もうガッチガチ」 
 尻の合間からすっかり固く張り詰めた袋の裏までを擽るように爪先がなぞり背筋がぞくぞくと震えた。 
「お仕置きなのに君ばっかり気持ち良くなっちゃってずるいよね。俺も気持ち良くしてよ」 
「ぅぐっ……」 
 ぐっと鎖を後ろに引かれ首に食い込むベルベットの苦しさに自然と身体が起き上がる。軽く咳き込みながら振り返ると、足を広げてベッドへと腰かけたアーデンが更に鎖を引くので自然と足の合間へと這うようにして近付く事になる。すぐ目の前には柔らかいスウェットを押し上げる股間、伺うように目だけでアーデンを見上げると弓なりに細められた瞳がレイヴスを見ていた。 
「手は使っちゃ駄目だよ」 
 じっとりとまとわりつくような視線から逃れるように股間へと顔を寄せて布越しに唇を押し付ける。まだ中途半端な硬さでしかないことにひっそりと落胆しつつも鼻先でシャツを掻き分けてウエストのゴムへと噛みつけば臍下から生えたアーデンの体毛が顔に触れた。そのまま顎を引いてゴムを引き摺り下ろすとぶるりと現れた剥き出しの性器が頬を叩く。すっかり見慣れてしまったそれの先端に、括れに、裏筋にと口付けを落として行けば擽ったげに目の前の腹筋が震えていた。知らず唾液を飲み下す。喉が物欲しげな音を立てて思い出したように羞恥心が頭をもたげたが、下手に恥じらえば恥じらうだけ長引く事を知っていた。早く終わらせるにはいかに恥を捨てて下品に、淫らにアーデンの望む姿を装って見せるかだ。 
 大きく口を開けていっぱいに差し出した舌の腹でまるでソフトクリームを舐めるかのように根本から括れまでをなぞりあげる。舌の上で固さを増すそれが舌の奥の方で擦れると鼻から息が抜けた。幾度も其処が擦れるように顔を動かして舌を這わせると既に痛いくらいに張り詰めた自身が疼いて内腿が震えた。
「君が好きなのはもっと奥でしょ?」 
 先を促す言葉と共にこめかみに差し込まれた指先が頭を撫でる。ちらと視線を上げれば先程よりも欲を色濃く乗せて濡れた瞳がそこにはあった。そっと押し付けるように力の入った指先に促されて先端を口に含む。すっかり固く膨らんだそこに歯を立てないように、つるりとした表皮を唇で辿りながら口内へと招き入れて行き、幅の太い場所を唇の内側に入れて一呼吸入れる。口の小さなレイヴスにはここを通り抜けるまでが一番気を使う所だった。目一杯に口を開けて歯の間を通り抜けさせてしまえば少しだけ楽になる。ゆっくりと奥へと飲み込む度にずるずると擦られる咥内にきぅ、とつい尻の中の異物を締め付けてしまう。 
「んふぅ……ぅう……」 
 声を噛み締める事も出来ずに意味を成さない音として漏れる声。知らずすがるようにアーデンの腿へと手をかけてしがみつく。普段食事をするときならば反射で飲み込もうとしてしまう位置まで受け入れるために無理に開いた喉が震えていた。そこまで口に入れてもまだ根本にはたどり着かない。 
「ぉぷ……っふ、……うぐ……」 
 そこからゆるゆると浅く抜き差しを繰り返すと分泌された粘度の高い唾液が口内を満たしてぬるつき、喉に流れてむせないようにしようとする度に情けない声が漏れて羞恥に目蓋が震えた。じんわりとまた目元に熱が集まるのを感じる。口蓋を先端が通りすぎる度にじわじわと広がる熱と酸素が足りずに赤らむ視界、苦しいのか気持ち良いのか曖昧な場所を漂う浮遊感に滲んだ涙。 
「ふふ、お尻揺れてる。えっちだね」 
 そっとアーデンの指先が零れた髪を掬い上げて耳へとかける、その冷たさが心地よく肌に染みた。言われて初めて気付いた事実に耐えきれずに目蓋を下ろす。身体が動かないように内腿を引き寄せて耐えようとすれば意図せず中の物まで締め付けてがくんと腰が跳ねてしまう。一旦呼吸を整えて落ち着こうと頭を後ろに引こうとした瞬間、こめかみを包む両手。 
「こら。休んじゃ駄目でしょ」 
 ずんと喉の奥まで突き入れられて反射的に込み上げた吐き気を押さえ込もうと粘膜が戦慄く。その絞まる感触を楽しむようにずるずると出し入れをされて鼻まで詰まってしまって呼吸が出来ない。 
「ッッぉぼっ……うぇ、っ……っぶ」 
 逃れたくとも頭を固定する両手は力強く、少しでも酸素を取り込もうと口を開けては更に奥まで突き入れられる。苦しいのに最奥を擦られる度に背筋を駆け抜けていくのは快感で、次第に霞みかかる思考の中でただ一つ歯を立てないようにしなければと力が入らずにがくがくと震える顎を必死に開いた。込み上げる熱で汗なのか涙なのか、それとも涎や鼻水なのかもわからない濡れた感触に溺れているような錯覚に陥る。 
「ぅぷ、っぐ、ぉごっ、おっ、」 
「きれいな顔なのに、ぐっちゃぐちゃ、ははっ」 
 荒い呼気に混ざる嘲笑が遠い。急速に全身が緊張してゆき意識がすぅっと遠退いて行く感覚。 
「―――っっっぁ、」 
「っは、出すよ……っ」 
 意識が落ちるギリギリ一歩手前、ずるりと奥まで差し込まれていた熱が一気に咥内を擦りながら抜け出て息を吸う暇も無く全身が強張る。目蓋の裏でちかちかと光の明滅が散りばめられて頭の中が真っ白になった。気持ち良い、それだけが身体中を駆け巡りびくびくと身体が跳ねるのが止められない。それから遅れて顔にかかる熱くてどろりとした液体。 
「ははっ、君、喉でイったの?」 
「――……っげほ、っうぇっ、」 
 言うことを聞かずにがくがくと跳ねる身体が急激に取り込んだ空気に噎せて咳き込む。肌がざわざわと余韻に波打っていた。震える目蓋を開けても涙がぼろぼろとこぼれ落ちるばかりで歪んだ世界。はー、はー、と獣のように荒い呼吸をしばらく繰り返してようやく酸素の回り始めた脳がアーデンとスウェットを力の限り握りしめていたことに気付いて力を抜く。 
「ぁっ、」 
 こつん、とやけにその音は響いて聞こえた。今まで咥え込んでいた物が無くなった喪失感に血の気の引く音が聞こえた気がした。 
「あーあ、まだ出して良いって言ってないのに落としちゃって」
 はぁ、と濡れた声と溜息が頭上から降って来る。少しでも穏便に終わらせたいのに少しの油断でまた一つレイヴスを嬲る理由を与えてしまった絶望でふわふわと余韻に浸っていた思考が急速に冷静さを取り戻してゆく。一歩、二歩と膝を擦りながら後ろへと下がれば大理石の床の上には飛び散った白濁色の体液と黒く艶めいたチェスの駒。 
「ビショップ……」 
「そう。本当は当てて欲しかったんだけどなあ」 
 髪を撫でるその手の優しさが逆に恐怖を煽る。今まで言いつけを守れなかった時に受けた仕打ちが脳裏を過り身が竦んだ。
「ご、ごめんなさい……」 
 どうにか機嫌を取らねばと咄嗟に思いついた言葉は震えていたが、アーデンはそれがお気に召したらしい。にんまりと笑みを広げると良い子、と頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。 
「いいよ、今日はお口を頑張ったからね。……君も随分楽しんだみたいだけれど」 
 少し休憩しようか、とスウェットを直して立ち上がったアーデンが炭酸水のボトルとタオルを持って再びベッドの上へと戻る。鎖を引かれるのに従いベッドの上へと乗りあがると色んな体液でぐちゃぐちゃになった顔を優しく拭われた。居た堪れなさからそれ以上動けずにいるレイヴスの汗から下肢の汚れまでもがアーデンの手によって拭き取られ、それからボトルを渡されるがままに口をつける。荒れた喉を通り過ぎる炭酸が心地良く、気付けば一気に一本飲み干してしまっていた。それをただ見守るだけのアーデンの穏やかさがありがたいものの何か裏があるように思えて息を潜めるようにして伺う。 
「落ち着いた?」 
 問われ、頷く。少し目元が腫れぼったい感じや軽い頭痛はあるが先程までの嵐のような熱は落ち着いて来ていた。それよりもレイヴスの失敗を責めないアーデンが不気味でずっと冷えた心地だ。ずい、と近づいてくる顔に思わず身を竦めて後ろへと下がろうとすると男の吐息が嗤った。 
「怯えちゃって、かわいいね?」 
 そのまま唇がふに、と柔らかく重ねられるのをただ見ていた。一度、二度、啄まれた後に濡れた感触に促されるように唇を開くとするりと舌が中へと滑り込む。丁寧にざらついた粘膜を絡ませて擦られて身体の力が抜けて行く。快感よりも心地よさを植え付けるような緩い動きに自然と瞼を伏せて自ら舌を差し出していた。笑う吐息が聞こえる。けれど舌はレイヴスの望みを正確に受け取り心地よい場所ばかりを掠めて喉が鳴る。最後にちゅぅと音を立てて舌先を吸われて肩が跳ねた。 
「少し、寝るといいよ。まだ夜はこれからだからね」 
 とん、と肩を押されて背中からシーツに沈み込む。体力の回復を図らなければならない何かがあるのかという恐怖を感じつつも柔らかいクッションに埋もれる心地良さで自然と瞼が重くなる。まるで幼子をあやすかのようにそっと髪を撫でられてしまえば先程までに精神的にも肉体的にも多大な疲労を感じていた身体は素直に睡魔を手繰り寄せて抱き締める。 
「おやすみ」 
 鎖がベッドヘッドへと繋がれる音を聞きながら眠りの中へと落ちる間際、額に柔らかな感触が触れたのを最後にレイヴスの意識は途切れた。 

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