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空箱

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オメガバース

 初めてのヒートは祖国を離れて帝国に入ってすぐ、皇帝に謁見する為に部屋に入った時に起こった。発熱、発汗、動悸、それからどうにも抑えきれない性的な昂り。記憶にあるのは部屋に入って数歩進んだ所までで、気がついた時には見知らぬ部屋で宰相の男と交合っている所だった。 
 男は訳がわからず暴れだしたレイヴスを難なく抱き締めると皇帝の前でヒートを起こして倒れたレイヴスを介抱してくれた事、薬が効かずなかなか症状が収まらなかったので静める為に行為に及んだ事、恐らくは皇帝の強いαのフェロモンでヒートが誘発されたのだろうと言う事、宰相自身もΩであるから妊娠の心配は無い等を丁寧に説明してくれた。同じΩのよしみとして何かあれば頼ってくれとも。 
 これから仕える主でも有り敵でもある皇帝の前で無様な姿を晒した情けなさと、そろそろ動いて良い?と男が腰を揺する度に生まれる初めて体験した強い快楽に抗えない無力さで終いには幼子のように泣き出してしまい、レイヴスにとって忘れたくとも忘れられない忌まわしき記憶となって今でも胸に苦く残っている。 

 ~中略~ 
 
「あれ、どうしたのその格好。また襲われた?」 
「わかって居るなら薬を寄越せ。毎度ヒートになってから此処へ来たのでは遅い」 
「だって君、先に渡したら身体に悪い飲み方するでしょ?これは良く効くけど副作用が強いんだからそんなことさせられないよ」 
「子供が出来なくなるくらい別に構わん」 
「Ωに生まれた神凪は血を繋がなきゃいけないんでしょ」 
 漸く黙ったレイヴスに薬と水を差し出せば引ったくるような勢いで奪われて何の疑いも持たずに勢い良く飲み下して行く。それからフラフラと覚束ない足取りで勝手に人のベッドへと倒れ込むとそのまま動かなくなった。 
「ちょっと、他の男のザーメンまみれのまま人のベッドに乗らないでくれない?」 
 苦情を呈した所で薬が効くのをじっと待つレイヴスの反応は無い。もはやこれくらいの言葉では顔をあげる事すらしてくれなくなって寂しいのと同時に、それだけ慣れてしまう程に身体を重ねて来たことがなんだか感慨深いものがある。最初の頃なんて助けを求めることすら出来ずにじっと独りで小さく身を丸めて耐えているだけだった。その度にヒートの匂いを頼りに探しだし、無闇にフェロモンを撒き散らす身体をなんとか部屋に引きずり込んで薬と一時の快楽を与え続けてきた。全幅の信頼、とまでは行かずともヒートの時に頼るべき人間と認識してもらえるようになるまで随分と時間が掛かった。 
「ねぇ洗ってあげるからさ、シャワー浴びようよ。俺がαの臭い嫌いなの知ってるでしょ」 
 漸く顔を上げたレイヴスのこちらを見る眼がとろりと溶けている。ベッドなんて一番アーデンの匂いが染み付く場所に居れば当然の事なのに、この匂いがΩの物だと信じているレイヴスはそうと知らずにいつもベッドに引き寄せられては枕を抱え込んでアーデンの匂いを堪能している。だが今日は駄目だ。レイヴスはこんなに離れていてもわかるほどに他のαの臭いをまとわりつかせていて、ベッドにもそれを残されるかと思うと耐え難い。 
「ほら、お風呂に行くよ」 
 顔をしかめながらもなんとか近づいて脇の下へと強引に手を差し入れて引き摺り上げれば、案外素直に両腕が首へと巻き付いてきた。少し前まではあっさりと持ち上がった華奢な身体は今やずっしりと質量を増している。身長は殆どアーデンと変わらないくらいに伸びたし骨格もずいぶんと男性的になってきた。これで肩幅に見合う筋肉量になったらさすがに抱え上げられ無い気がする。 
「アーデン、」 
 ぐいと腕に引き寄せられたかと思えば重なる唇、積極的なのは悪く無いがその口の中に濃く残る違うαの臭いに耐えきれず、反射的にレイヴスの身体を突き飛ばした。 
「言ったでしょ、αの臭い嫌いだって。お風呂に入ったらいくらでも付き合ってあげるから」 

~中略~ 

 選ばれていながら自覚も覚悟も持たぬ腑抜けの王。世界が、妹が、今どういう状況にあるかも理解せずにのうのうと基地に現れたノクティスにただ灸を据えてやるつもりで出た筈だった。
「将軍」 
 呼び掛けられて我に返る。まだ頭がぼうっとしていて動かない。犬のように浅い呼吸と激しい動悸の音が耳に五月蝿い。汗が滲む程の身体の熱、これに似た症状と言えばヒートだがつい先週終えたばかりの筈だ。なるべくヒートを起こさないように強い抑制剤も毎日かかさず飲んでいる。今朝も飲んだか?いや飲んだ筈だ。 
「君の運命の番、ノクティス王子だったんだねぇ。あ、今は陛下か」 
 重い揚陸挺の稼働音が響き渡る中、ここに居るのはレイヴスとアーデンだけだった。うんめいのつがい、その単語だけが意味もなく頭の中でぐるぐる回る。 
 ただ一発くらい殴り付けてやろうと思っていただけなのに、ノクティスを見たとたんに得体の知れない衝動に突き上げられて本気で殺そうと思った事は覚えている。全身が怖毛立ち、拒絶するよりも先に引き寄せられるようにして手が出そうになる程の恐怖とも怒りとも着かない心の昂り。間違いを起こすくらいなら殺してしまわなければとただそれだけが頭を駆け巡って、アーデンが横槍を入れなければ本気で殺していたかもしれない。
「ねぇどんな気持ち?妹さんを差し置いて自分が運命の番って」
 違う、あれは運命なんかではない。得体の知れない何かに引きずり込まれまいと殺意を覚える程の恐怖だった。運命なんかであるはずがない。風邪か何か、もしくは王子一行のα達にあてられて身体がおかしくなっただけだ。断じて運命の番などではない。ノクティスは妹が幼少の時から想う大事な相手なのだから。 
自分が運命の番であってはならない。 
「気付いてる?いま君、すっごくメス臭い」 
 いつの間にか目前でしゃがみこんだアーデンが嗤っている。ふわりと香る、馴染んだアーデンの匂い。誘われるように手を伸ばせばあっさりと抱き締めることが出来た。分厚い服の下に案外しっかりとした骨格と筋肉が付いていることがわかるくらいに強く腕に抱き、首元に顔を寄せて肺いっぱいに匂いを取り入れると、馴染んだアーデンの香りに張り詰めていた何かがとろりと蕩ける。 
「アーデン、……」 
「ちょっと、此処まだ外なのわかってる?」 
「いいから、早く」 
「後で嫌がるのは君でしょ」 
「頼むから」 
 渋るアーデンに焦れて体重を掛けて押し倒す。ごん、と鈍い音がした気がするが焦らす方が悪い。腰の上に跨がると既に服の中が濡れて居ることに気付く。昂りを押し付けるように腰を揺らすだけでぬちぬちと腿の方まで濡れた布がまとわりついて擦れて気持ち良い。濡れた布越しにアーデンの股間も固くなっていることが伝わってついねだるように丁寧に尻を擦り付けてしまう。 
「もぉ、後で恥ずかしい思いしても知らないからね?」 
 気遣う素振りで舌舐めずりする男に身体の奥が疼く。一刻も早く何も考えられない程に乱して欲しかった。 

~中略~ 

「妊娠した」 
 今日は晴れてる、くらいのノリで言われて一瞬なんの事だかわからなかった。 
「へ?」 
「だから、妊娠した」 
「誰が」 
「俺が」 
「誰の子?」 
「貴様以外に居ないだろう!!」 
 ガンっとテーブルを拳で叩く姿に思わず首を引っ込める。将軍様は相当気が立っているようだ。 
「知ってたの?俺が……」 
「αだと言うのは先程知ったばかりだ。よくも騙してくれたな」  滅茶苦茶に不機嫌そうではあるが当たり散らすほどに怒っていると言うわけでは無さそうだ。突付けばすぐに破裂しそうではあるが。長年、同じΩだと信じて居たからこそヒートの度にゴム無しでの性交をねだっていたのだろうから予期せぬ妊娠に苛立つのは仕方ないことだろう。実際には運命では無くともヒートの度にαの子種をたっぷりと注がれて来ていたのだから、逆によく今まで孕まなかったものだと感心する。むすっと仏頂面でテーブルに頬杖つく姿からは母性らしきものなど一切見えないがその腹にはアーデンとの子がいると思えばつい頬が緩んでしまう。 
「そっかぁ、俺の子かぁ……」 
 もはや10年以上関係を持っているのに全く孕む気配が無いから若干諦めていた。運命の番を見つけたとたん孕んだというのが腹立たしくもあるが生まれる子供に罪は無い。 
「男の子?女の子?まださすがにわかんないか」 
「そんなもの調べていない、それよりも……」 
「産むよね?」 
 遮るように聞いてやれば呆気に取られたような顔。堕ろす気でいたのが丸わかりだ。漸く宿った命をそんなにあっさり殺す気になるなど本当にこの子は情緒と言うものが無い。否、正確には本当は溢れる程に有り余るそういった感情を「余計な物」として切り捨てようと必死なのだろう。咄嗟に否定出来ずに言葉を探しているのが良い証拠だ。本当に不要だと思っているのならはっきりと否定すれば良いだけなのにぐっと唇を噛み締めて視線をさ迷わせながら必死で考えている、産んで良いものか、否か。そんな隙を見せるからついアーデンもちょっかいを出してやりたくなるのだと言うのに。 
「産んでよね、俺、家族欲しかったんだ」 
 駄目押しとばかりに続けてやれば根が優しい神凪様は勝手にこちらを可哀想な生き物だと哀れんであっさりと陥落したようだ。だが、となにかうだうだ言っているようだがそんなもの建前でしか無いのはわかっている。 
「元気な子が生まれると良いね」 

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