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空箱

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比翼連理

 今さら、この男に抱かれることに特別な感情は無い。 
 上官の命令に従い身体を使って肉欲を発散させる、言ってしまえば模擬戦として部下と剣を交わす事と大差ない。違うとすればあえて見せつけるための模擬戦とは逆に、この行為が軽々しく他言出来るものではなく秘められて然るべきものだということくらいで、レイヴスがいくら嫌がろうと拒絶しようと自分よりも上の権力者には抗えない、それは帝国軍に入って何よりも叩き込まれた悲しい事実だ。それならば自分も利用させてもらうくらいのつもりで割り切った方が心も身体も楽になる。 

 事後の気だるい身体をシーツに投げ出したまま呼吸を整える。夜ともなれば指先が悴んでしまうような冷えた空気も、汗ばんだ肌にはちょうど良い。この男がレイヴスを抱く時はやけに執拗に愛撫を繰り返すせいで身体に残る疲労感は大きい。丹念に指先と唇で肌をなぞり弱火でじっくりと炙るように呼び起こされた熱は中々消えること無く身の内で燻り続けている。早く冷たいシャワーでも浴びてこの倦怠感を抱き締めたまま眠ってしまいたい所だが背中に張り付く身体がそれを許さないように両腕をしっかり腹の前でクロスさせていて身動きが取れない。背中から伝わる温度はレイヴスのそれよりも随分と低く、ひやりとしているくらいだ。熱を持て余している自分だけが先程の狂宴を引きずっているようでなんだか癪に感じる。 
「君のとこのさぁ……神凪の力?男にも受け継がれてるって本当?」 
 この男の言葉が唐突なのはいつもの事で、知り得ない情報をさも当たり前のようにひけらかすのだっていつもの事だ。だが内容が内容なだけに思わず息が詰まる。 
 女性しかなれない物とされている神凪だが、神凪の力自体は男女関係無く受け継がれている。あくまで女性の方が強く受け継ぎ易いというだけであって、男性であっても強い力を受け継いだ人は多くいた。それどころか表向き神凪に就任したのが女性であっても、その代の神凪の力が弱すぎたために数ある儀式を実際に執り行うのは男性であった事だってある。神秘性の維持、政治的な都合、確実に血を繋ぐ為等様々な思惑があって女性が神凪に就くのが慣例化されているに過ぎない。 
 だがその事を知るのはフルーレ家直系の者か、あとはほんの一握りの家臣しか居ない筈だ。 
 否、居ない筈だった。 
 どう応えるべきか考えあぐねているとするりと伸びた指先がレイヴスの指先をそっと握り込む。 
「受け継いでるんでしょ?癒しの力」 
 先程の問いかけを装った物とは違う、確信を持った声にそれとなく握られた手を払いシーツの上へと起き直す。子供じみた些細な反抗に背中の体温が小さく笑うように揺れた。 
 確かにレイヴスにも癒しの力は受け継がれている。正確には「癒しの力のような物」。本来ならば汚れを、痛みを癒し浄化するはずの力はレイヴスには正しく受け継がれず、癒す事は出来てもそれを巧く浄化することが出来ずに何故か身の内に取り込んでしまう中途半端な物でしか無かった。力を使う度に自身が代わりに怪我を、病を、痛みを負うことになる力を大人たちは使わせなかった。 
 少し自分が耐えれば苦しんでいる人を救える筈であったのに、頑なに力を禁じる大人たちははっきりと言葉にしなくても「出来損ない」と告げられているようで苦い思いをした記憶がある。歴代の神凪の血縁者は大なり小なりその力を使って神凪を助けてきた歴史があるというのに自分だけは弾かれてしまったという疎外感。もちろん力を持たずに生まれてきた先祖も居たのだから気にしなくて良いと母は言ってくれたが、選ばれし王の対となる神凪になる事が決まっている妹の手助けが何一つ出来ない事実は自身の存在意義を大きく揺らがせた。 
「……俺は、受け継いでいない。神凪の力は女性に宿るものだ」 辛うじて取り繕うとしてみるが思わぬ動揺に声が細くなってしまった。後悔しても時既に遅く、背後から楽しげに喉を震わせている振動が伝わる。 
「嘘だぁ、だってこうしているとなんだか落ち着くんだよねぇ」 ざらついた感触がまだ余韻の引ききらない首筋を掠めて思わず身が跳ねる。遅れて男の疎らに生えた無精髭が押し付けられたのだと気付いた。レイヴスに逃げられた指先が今度は腹から叢へと、先程吐き出されて乾ききらない体液を塗り広げるようにゆったりと撫でつけて行くだけで奥に燻る熱を引きずり出されそうで、たまらず肘で背中に張り付く体温を押しやり身を起こす。 
「お前の体温が低すぎるから人の体温が気持ち良く感じられるだけだ……もういいだろう、退け」 
 そのまま立ち上がろうとした所で、思いの外強い力で腕を引かれてシーツへと逆戻りしてしまった。すかさず上へと圧し掛かった男が無遠慮に腹の上へと無遠慮に腰を下ろして来たので反射的に身が強張る。 
「知ってるんだよ、力を使っちゃ駄目ってママに言われてるの。律儀に守って来て偉いよねぇ」 
 嘲笑うかのような声に奥歯を噛み締める。この男はいつだってそうだ。 
 最初から核心を言えば良いものを、外側からじわりじわりと舐るようにしてこちらの壁を剥がしにかかって来る。取り繕う嘘も、逃げる事も許さずに獲物がもがく様を楽しんでいるかのようでいっそ腹立たしい。今だって最初から全て知っていると話せば良いものを、レイヴスが一つずつ建てた壁を丁寧に端から壊して行くばかりだ。 
「――それで、それがどうしたんだ。言いたい事は要点をまとめて言え」 
 声が怒りで低くなってしまうのは仕方が無い。だが下手な抵抗が無駄だとわかった今、これ以上取り繕った所で意味が無い。それならばさっさと言いたい事を言わせてとっととこんな場所から離れてしまうのが得策だと暴れだしそうな腹の虫を押さえつける。 
「ルシスの王と、神凪って本能的に惹かれあうんだってね」 
 要点をまとめろと言った傍から話題が飛ぶ。 
 は?と思わず間抜けな声が口から洩れた。 
 今更何故それを知っていると問うのも馬鹿らしいから聞かないが、そんな話は母から聞いた覚えがある。 
 王と神凪は惹かれあうものであるが決して血を重ねてはならない。 
 理由も謂れもわからぬままに伝わる神凪の血族の言い伝え。
 現に妹は随分昔に会ったきりの年下の王子に恋であるのかはわからないが夢中であるし、母も初恋はレギス王だと寝物語に言っていた。どれだけ好きになっても決して結婚してはいけない決まりなのだと聞いて妹は一週間程落ち込んでいたことを思い出す。 
「それが、何か?」 
「俺の事、好き?」 
 今度こそ声すら出ずにさぞ間の抜けた顔を晒してしまっただろう。 
 母を殺した国の宰相を、国を焼いた男を、こうして不健全な関係を強要してくる男を、どうやったら好きになれる?どれだけにこやかに笑っていようと胡散臭さが拭えない髭面の男を?抗わずに大人しく男に組み敷かれているのは保身と時間的効率を考えた結果の妥協であって好きでしている事ではないし、そのことは顔に態度に思う存分出してやっている筈なのでこの男が勘違いする筈もない。 
「神凪の血、引いてるんでしょ?俺の事好きになったりしてない?」 
 楽しげな笑みにどこか期待するような物が混ざるのがより一層胡散臭さを増す。 
 いまいち話の繋がりが理解出来ないが、先程の神凪と王が惹かれあう話に絡めた話題なのだろうか。それにしてもこの男はルシスの王どころかニフルハイムの宰相だ。惹かれるも何も、本来ならば敵であった男だ。 
「お前は王では無いだろう」 
 そしてレイヴスも神凪では無い。それで話は十分の筈だ。 
 その筈だった。 
「そう、――……そうだよねぇ」 
 口喧しい男が珍しく言葉に詰まる。 
 それからしみじみと紡がれる言葉は溜息のように何か、色んな物を綯交ぜにして吐き出された。 
 そのままぼすりとレイヴスの上へと抱き着くように倒れ込む一瞬、男の顔が笑ったままなのに泣きそうに見えたのは目の錯覚だろうか。 
「あーあ、フラれちゃったよ。悲しいなあ、慰めてよ」 
 首元に唇を落とす男の顔はもう見えない。 
 だがその声は普段通りの胡散臭さを取り戻し、手は漸く引こうとしていた熱を呼び起こそうと肌の上を撫で始める。 
「慰めを求めるなら他所へ行け……ッ」 
「大丈夫、ちゃんと気持ちよくしてあげるから」 
 いまいち会話が噛み合わないのもいつものことだ。先程はきっと見間違えなのだろう。この男が泣きそうになるなどと。 
 なんとか逃れられないかと男を押し返してはみるが男は頑なに首筋に鬱血跡を残すことに夢中で離れる様子が無い。まだ柔らかく綻んだままの場所へと押し込まれた指ど同時に兆しても居ない性器を握る性急な手に暫く眠る事は出来ないと諦めてレイヴスは息を吐いた。 

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