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空箱

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終わる為の回想

周防尊は知らぬ人の想像よりはずっと真面目な生徒だが、それは決して周防が良き生徒であること同義ではない。
売られた喧嘩は言い値で買うし、気に入らない相手ならば問答無用で拳をぶつける。
授業は気が向けば出るものの基本的に寝ているだけだし、気が向かなければ学校に来ない事すらある。
それでも入学してまだ1ヶ月だと言うのに広まり浸透してしまった周防尊像に比べたら実態は随分と大人しい事だろう。
喧嘩で人を殺した事があるだとか。
どこぞのチームを一人で壊滅させただとか。
親が裏社会の権力者だとか。
高校生らしい幼稚さの残る噂を信じて周防の傍には近づいて来ない癖に年頃の好奇心で遠巻きに周防の一挙一動をじっと観察する烏合の衆には正直、苛々する。
だが一発周防が殴れば壊れそうな脆い人間相手に無暗矢鱈と手を上げる趣味は無いので、あまりに鬱陶しい時は抑えが利かなくなるなる前に屋上へと逃げる。
周防にとって、喧嘩も怠惰な生活もその時の感情のままに動いているだけであって目立つ事は本意では無い。


本来立ち入り禁止となっている屋上への階段は照明すら付けられる事無く、まだ昼間だと言うのに薄暗い。
素行のよろしくない生徒たちの溜まり場になっている事を皆知っているのか、階段にすら近づく者が少ない為に静かな空気を一歩ずつ踏み締めて階段を上る。
登りきった所で分厚く、少しペンキが剥がれかけた鉄製の扉を押し開ければキィと錆びついた音が鳴った。
薄闇に慣れた目が、コンクリートに跳ね返る太陽光の眩しさに耐えられず眉間に皺を寄せながら外へと踏み出せば広く開けた灰色の地面の上に人影が一つあるのが周防の目に留まった。
「――……ァ?」
黒髪の人影は周防と同じ制服を着ている所からしてこの学園の生徒なのだろう、だがその手には生徒に似つかわしく無い白い筒から紫煙を漂わせている。
扉の音に気付いたのか、ただ確認するように投げやられた視線とかち合ったのは一瞬、すぐに興味無さげに柵の外へと顔を戻すその男の反応に、周防の方が戸惑う。
今までこの屋上に来て出会った生徒と言えば、見ただけで怯えたように逃げ出して行くか、果敢にも縄張りを主張し排除しようと拳を向けて来るかのどちらかで、こんなにも無関心な態度を向けられた事は無かった。
扉の前に一歩踏み出したまま動きを止めた周防の事など、もはや意識の端にも無いようにのんびりと吸い込んだ紫煙を吐き出す姿に思わず周防の口から舌打ちが漏れた。
拳を交わす所か声さえ聞いていない一瞬の出来事なのに、何故だか負けた気がした。
だからと言って喧嘩を吹っ掛けるような気分でも無い、むしろその煩わしい衝動から逃れる為に屋上に来たのだから。
乱雑に後ろ髪を爪で掻き混ぜると尻ポケットから潰れた煙草を取り出して唇へと差し込み、先客とは反対側の柵へと向けて爪先を向ける。
乱雑に柵へと背を預けるようにして座り込み、ジッポで火を灯せば仄かなオイルの香りと共に肺一杯に煙を吸い込めば沁み渡るニコチンにささくれ立った心がゆっくりと落ち着くような気がした。
灰色の地面を挟んで反対側には、こちらに背を向けたままのんびりとしたペースで煙草を消費する背中がある。
周防を歓迎する訳でも拒絶する訳でもない無関心な背中は、落ち着いて見れば然程悪いモノでも無かった。
良いモノで有るとも言い難いが、別に有っても無くても構わない、というくらいの。

それが、最初だった。



三日に一度は屋上に来るような周防とは違い、男が屋上に来る事はそう無いのだと思う。
一週間に一度会えば良い方で、会ったと言っても二人が言葉を交わした事は一度も無かった。
先に居ても後に来ても、初めての時と変わらぬ興味の無い視線を一度向けるだけですぐに周防という存在に無関心になるだけだ。
そしていつも同じ場所でのんびり煙草を一本楽しみ、ものの数分で何事も無かったかのように屋上から去って行く。
一年生の教室から出てくるのを遠くから見かけた事があるから同じ学年なのだろうとは思うが、お互い名前すら知らない。
仲が良いわけでも険悪な訳でも無く、ただ同じ空間で煙草を吸うだけの不思議な存在。
草薙や十束とも、こぞって周防に挑んで来る有象無象とも違う存在の事を、周防は案外気に入っていると思う。
思う、というのは自分でもよくわからないからだ。
お互い無言で煙草を吸う空間は悪く無い、むしろ居心地が良いとすら思う。
だがだからといって親交を深めたいだとか、相手の事を知りたいという興味が沸く事は全くといって無い。
ただ、周防が屋上に居る時間のうち、ほんの少しの時間しか居ない筈なのに、男が屋上に在るのが当たり前になりつつあるだけで。



そんなどちらかが扉を開けた時に一瞬視線を交わすだけの関係が変わったのは夏を通り過ぎ、秋になった頃だった。
屋上を縄張りと主張する輩は相手から吹っ掛けられたから応戦しただけという形ながらも粗方片付けた筈だったのだが、半年近く掛けて人を集め屋上の奪還に挑もうと言う人間が現れたのだ。
生半可な人数では簡単に周防に蹴散らされて終わると分かってか、呼び出された周防が向かった屋上にはずらりと十数人が集まっていた。
幾ら喧嘩が滅法強いとはいえ、周防もただの高校生だ。
獲物を持った大人数相手では分が悪い。
けれど引き下がるつもりは無い。
それは決して正義感からでも、己が最強を信じているからでも無くて、ただ、そこに拳を振るえる相手が居るからだ。


奇声を上げながらバットを振り被ってきた男を切欠に始まった乱闘は予想通り、周防の劣勢となった。
何人かは戦意喪失する程度に伸してやったのだが、幾らなんでも人数が多い。
決定打になるような攻撃は食らって居ないにしても、蓄積される痛みや疲労は少しずつ周防の動きを鈍くする。
それに伴い、以前周防に徹底的に返り打ちにあった記憶からか周防を窺うようにして攻撃の隙を狙って居ただけの連中までやる気に満ちて来ている。
流石に今日は駄目かもしれねぇなぁ、と他人事のように思った時だった。
キィ、と軋んだ音を立てて屋上の扉が開く。
喧騒に埋もれるような小さな音に気付いたのは数人だけで、それでも一人が扉へと視線を向ければ皆ばらばらと意識を釣られて行く。
やがて屋上に居る全ての人の視線を集めたその男はいつもの無関心な眼差しに僅かな嫌悪を乗せて周囲を見渡した後、何事も無かったかのように乱闘を避けて定位置となった柵の前へと歩き出す。
余りにも自然なその動きに呆気に取られたのは周防だけでは無かった。
ぽかんと間抜けな面で通り過ぎる男を見送りそうになったリーダー格がはたと我に返ると男の腕を掴もうと手を伸ばす。
「てめぇ、シカトしてんじゃね…――ッッ」
腕を掴んだ、と思った瞬間にはゴ、と鈍い音と共にリーダー格が糸の切れた人形のようにぐしゃりと崩れ落ちる。
何が起きたのか、一瞬誰もわからなかった。
地面に倒れ伏すリーダー格の前に、ちょうど頭の高さ辺りへと突きだされた男の拳が在るのを見て漸く、あの拳で重い一撃を顔面に食らったのだろうと理解してやっと、皆が今、何をしていたのかを思い出す。
其処から先は、よく覚えて居ない。
周防の仲間とは思わなくても、自分たちの味方ではあり得ないと判断された宗像は済し崩しに周防と同じ側、大人数を相手に戦う側へと回された。
それでも先程よりも向かって来る敵が半分になるだけでも随分と楽になる。
喧嘩で養われた我流の周防とは違い、宗像は何か武道の心得があるのか随分と周防の目には綺麗な動きに見えた。
大人数を相手にも引かず、巻き込まれた形ながらも物怖じせず、周防と同等に戦える宗像の存在は、まるで初めて喧嘩に勝った時のような高揚感を周防に齎した。
背中を託して闘うような関係でも無いが、互いに拳を向ける訳でも無い関係はいつもの屋上での距離感と同じようでいて少し違う。
其処に共有する何かが、互いの存在を認めて配慮する少しばかりの気遣いが生まれる。
不思議と、先程までの敗北の予感は消えて居た。
宗像も、周防も、大人数相手に不利で有る事は変わり無い。
現に二人とも相手の人数は減らしている物の、怪我は増える一方だ。
だが負ける気はしなかった。
既に身体が歓喜に満ちていた。
破壊する事以外にこんなにも満ち足りた気持ちになるのは初めての事だった。



覚えてろ、とお決まりの台詞を残して屋上の奪還を諦めた連中が去っていくのにそう時間は掛からなかった。
相手も意識を失って居るものから負傷で歩く事すら覚束ないような者までと散々たる有様ではあったが、周防と男とて無傷という訳では無い。
取り戻した静寂に二人残されて小さく息を吐き、男を見る。
いつものように無感情な瞳がタイミングを計ったかのように周防を見て居た。
いつもならばすぐに外される視線がひたりと周防に焦点を合わせていた。
思えばこんなにも間近に男の顔を見るのは初めての事のように思う。
今まではずっと、男の背中ばかり見て居た。
口端が切れ、鼻から血を垂れ流しているような顔なのに何故か、周防は綺麗な顔をしていると思った。
ふ、と思わず笑う吐息を漏らしたのはどちらが先だったか。
今まで喧騒と暴力に満ちていた屋上がふわりと柔らかな空気へと変わる。
まだコンクリートの上に残る血痕も、ずきずきと痛まない所が無いくらいに負った怪我も確かに存在しているのに今のこの場所はいつもの屋上だった。
周防と、男と、言葉を交わす訳でも無くただ煙草を一本嗜む時間を共有する屋上だった。
「――…随分と男前が上がったな」
「…テメェこそ。んなツラ出来るとは思わなかったぜ」
初めて交わした言葉は不思議なほど自然に零れ落ちた。
男の姿も喧嘩の跡が生々しく残っているが、周防も右目が半分開かないし首筋の辺りに襟が濡れて張り付く感触があるからきっと酷い姿をしているに違いない。
「お前、名前は?」
口にしてから周防は驚く。
自分から名を聞くなんて事、今までした記憶など一度も無い。
けれど純粋に知りたいとも思った。
覚える為に、忘れない為に、存在を刻む為に。
「宗像だ。宗像礼司。お前は周防尊だろ」
「知ってたのか」
「お前ほどの有名人、知らない方がおかしい」
そう言って笑った宗像の顔を見てやはり綺麗だと思う。
難しい言葉には興味が無いから綺麗としか言いようが無いが、風景が綺麗だと思うのとは違う、じんと心臓の辺りが擽られるような綺麗さだった。
こんな人間も居るのだと、周防は初めて知った。



-------



年末を間近に控えた12月、何処もかしこもクリスマスに向けて何処か浮足立ったような鎮目町を横目に今日も草薙の居るBAR・HOMURAへと向かう。
もはや自宅の玄関のように慣れ親しんだCLOSEの札が掛かった扉を無造作に開ければ、先に来ていた十束の「キングおかえりー」という間の抜けた声と、「最近帰って来るの早いなぁ」なんて母親のような草薙の声が聞こえて、ただいまの代わりに、あぁ、と応えるまでが此処最近の流れになっている。
確かに最近、此処に来るのは決まって夕方だ。
それは丁度、学校でHRが終わった後、寄り道せずに此処まで辿り着くくらいの時間。
気に入りのソファの端へと腰を下ろしながら今更のように気付いた。
「キング、最近何か良い事あった?」
犬のように勢いよく尊の隣へと座った十束が何か面白いモノでも見つけたように眼を輝かせて覗きこんで来るのに思わず眉を上げる。
純粋に質問の意味がわからなかった。
「ァあ?」
「いやほら、最近真面目に学校行ってるでしょ?」
「ああ…」
「何か良い事あったのかなって」
そう問う十束の顔は明らかにあったと決めつけている顔で思わず周防は眉を寄せる。
良い事と言われても何も思いつかない。
むしろ、学校に毎日のように通って居た事にすら今気付いたくらいだ。
一つ、此処最近の変化を思いついたとすれば、同じ時間に此処に来れるようになったという事はつまり、此処に来るまでに喧嘩をする回数が格段に減ったという事だ。
学校内でも最初は触れたら爆発する火山かのように扱われていたのに、この頃はすっかり慣れたのかそれとも触れなければ爆発しない事に気付いたのか、近付こうとする者は居ないが変に距離を置く者も居ない。
屋上での大乱闘以降、周防にそういう目的で絡んで来る人間も居なくなった。
それは学校の外でもだ。
以前は他校の生徒から近所のヤクザの下っ端のようなチンピラまで、角を曲がれば喧嘩が起きるような有様だったが今では下校中の周防と目を合わせる者すら滅多に無い。
だが普通の人ならば平和で何よりと思うそれを良い事と捉えられるかは、周防にはよくわからなかった。
喧嘩は空気のように傍にあって当たり前のモノであったし、現に今、振るわれて居なかった事を思い出した拳が暴力の感触を求めてずくりと疼いた。
「そういやぁ、尊がちゃんと学校行き始めるようになったん、珍しく大怪我して帰ってきた辺りからやなかったか?」
すっかり黙って考え込む所か不穏な空気を纏わりつかせた周防を呼び戻すように草薙の柔和な声がカウンターの内側から届く。
思わず握り締めた拳を解いて息を吐くと周防は乱雑に髪を掻き混ぜた。
「つっても、何も変わんねぇよ。精々、絡んで来る雑魚が減っただけで」
周防の記憶には実際、該当する事柄が無い。
屋上での乱闘は、以前蹴散らした雑魚が徒党を組んで襲撃してきたからだと説明してあるから、それが原因だとは二人とも思って居ない筈だ。
そこで共闘した人間が居る事は伝えていないが。
その時初めて名前を知ったような極めて赤の他人に近い存在だ、特別伝えるような事柄でも無いと周防は思う。
宗像との関係もあれから何か変わった訳では無い。
今までは侵入者の確認だっただけの視線が、周防と言う人間を認識するモノに変わっただけだ。
居ても居なくても良い見知らぬ人間から顔と名前は知っている人間になったというだけで、挨拶をする訳でも無ければ言葉を交わす訳でも無いのは変わらない。
精々一度だけ、たまたま周防が火を忘れた時、安物の100円ライターを恵まれたのが唯一の交流だろうか。
交流と言っても「宗像、火」と端的に呼んだら、向こうから無言でライターが放り投げられただけだが。
「なんや尊、好きな子ぉでも出来たん?にやけてんで」
「え、え、誰、キング好きな子って誰?学校の子!?だから毎日学校行ってんの!!??」
知らぬ間に口許が緩んでいたらしい、指摘されて初めて気付いて思わず周防は渋面を作った。
違ぇよ、と吐き捨てながら詰め寄る勢いで身を乗り出す十束の顔面を遠慮なく鷲掴んで押し退けて、ついでにそれを支えにするようにして立ちあがる。
ぐぇ、と掌の下で潰れた声が上がった。
「照れんでもええやん、おんなし学校やったら俺も協力したるし」
「違ェっつってんだろ」
「ほな誰の事考えてたん?」
「考えてたんじゃねぇよ、たまたま思いだしただけで」
「ほな誰の事思い出したん?」
否定してもどうやら二人の中ではすっかり好きな相手が出来たと思い込みが出来たようでにやにやと浮付いたような笑みが張り付いていて思わず舌打ちが零れる。
いつも騒がしく纏わりついて来る十束はともかく、普段ならば周防の言わんとするところを言葉にせずとも察し、それとなくフォローに回ってくれる草薙まで一緒になって絡んで来ると周防の手には負えない。
そもそも、舌戦には弱いというか、手っ取り早く言うならば口下手だと言う自覚もある。
手を出して片がつく相手ならともかく、草薙と十束を相手にしては周防は尻尾を巻いて逃げ出すしかないのだ。
「……寝る」
せめてもの抵抗に、出来る限りのドスを利かせた低音とそこらの雑魚ならば一瞬で逃げ出すような睨みを置いて行くがこの二人に限って効くわけもない。
あ、逃げた、と背後で声を揃えてはけらけらと笑う声を背に、周防は足音荒く二階へと登った。


------


宣言通りにベッドに横になったまま気付けば本当に寝入ってしまったらしい。
ベッドとソファ、他には殆ど物が置かれて居ない部屋に日の出前の薄ぼんやりとした光が差し込んでいた。
気付けば何時間寝ていたのだろうか、なんとなく身体は怠いし空腹で胃が竦む。
とりあえずは何か腹に入れるものを、とつい先程登ったばかりな気がする階段を下りた。

店への室内扉を開けた途端、今まさに階段へと向かおうとしていた草薙とかち合う。
店内はすっかり明かりが落とされ、外からの淡い光が差し込むばかりという事はとうに閉店の時刻を過ぎ、片付けすらも終えた後なのだろう。
「なんや尊、今頃起きよったんかい。何も食わんと寝てもうて腹減ってんちゃう?」
けれど仕事後の疲れを滲ませながらも草薙の言葉は正に周防が求めて居た物で、遠慮よりも先に素直に頷いてしまう。
「待っとき、今簡単に作ったるわ」
何でもないことのように軽く草薙が言うから、周防も逆らわずに店へと戻る後に続いてカウンターのスツールへと腰を下ろす。
必要最小限に絞られた照明の中、まだ引き摺る眠気のままに欠伸を一つ、吐き出す。
パスタでええか、と問われたのに頷くと後はただひたすら待つだけだ。
大ぶりの鍋にたっぷりと入れた水に火を掛け、冷蔵庫からぽんぽんと迷い無く取り出された野菜やウィンナーを切り刻み、頃合いを見て沸騰した鍋の中へとパスタが滑らかに渦を描くように消えて行く。
流れるような手付きで行われる「調理」というものは周防にとって魔法と似たような不思議さで自然と何をするでも眺めていた。
「で、さっきは誰を思い出してたん?」
不意に問われてとっさに何の事だかわからなかった。
顔だけ振り返ってにやりと笑う草薙の顔を見てやっと、夕方の話題の話だと気付く。
「好きな子っちゅうんは…まあ違うとしても。屋上で友達でも出来たん?」
すぐにまた調理へと視線を戻す草薙の背を見ながら周防は思わず眉を潜めた。
図星を指されたようでいて少し違う、友達という単語はきっと周防と宗像の間に相応しく無い。
赤の他人、顔見知り、屋上で喫煙する仲間、周防の少ない語録では相応しい言葉が思いつかず、肯定も否定も返せずに唸る。
「ほい、おまちどーさん。よく噛んで食べぇや」
悩んでいる間にも気付けばほかほかと湯気を立てるナポリタンが眼の前に差し出されていた。
限界に近い空腹を覚える胃を抱えたままこれ以上、脳を動かしてなぞいられない。
渡されるままにフォークを受け取ると周防はパスタを口に運ぶ作業へと移った。
「で、どんな子ぉなん?」
飢えに荒ぶる胃が少し落ち着きを取り戻す程度にナポリタンを口に入れて暫し。
カウンターの内側から周防の食事を眺めていた草薙の声でまだその話題が終わって居なかった事を知らされ再び周防の眉間にしわが寄る。
そもそも、無言で返してやったというのに既に居ると決めつけている草薙に僅かばかりの悔しさがある。
言葉にせずとも伝わるのは時に便利だが、時に腹立たしい。
未だ関係性を言葉に表せない周防は少しだけ考えた後、一番簡単な方法を思い出した。
「宗像…って知ってるか。多分、一年の」
草薙は学年こそ違うが、周防と同じ学校に在籍している。
外に出れば酒も煙草も喧嘩も嗜む癖に、校内では成績優秀で運動神経抜群、更には顔も性格も良いという優等生を演じている、らしい。
高校くらいはまともに卒業しておきたいから学校の中では大人しくしておく、というのが本人の弁だがその割に三年生だけならまだしも、下級生や果ては教師まで何処で交流の切欠を掴むのか分からない相手にまで手広く交友関係を広げて優等生ごっこを楽しんでいるようだ。
お互い、学校の中でまでべったりしていたいなんて感傷は持ち合わせていないので校内で周防と草薙が話す機会など殆ど無いに等しいが、一年生の中でも有名な「草薙先輩」の噂は教室に居れば嫌でも耳に入る。
逆に、その「草薙先輩」が各所から集めた噂を周防に教えてくれる利点もある。
主に誰が周防を逆恨みしているだの、どの時期は教師の見回りがあるからサボり場所には向いていないだのといった噂が殆どだが。
「宗像って、あの宗像礼司?彼がどないしたん」
何処か含みある言い方が気になりはしたが、予想通りに宗像の存在も知っていた事に安堵して一つ頷く。
「そいつがたまに、屋上に来て煙草吸ってく。そこに居合わせるってだけだ」
周防にとっては当たり前の日常となっていたモノが草薙には随分と驚くものだったらしい。
いつも柔和な笑みを浮かべて居る事が殆どの眼がまんまるに見開かれている所なぞあまり見た事が無い。
へぇ、と気の抜けた声しか返せない様子に逆に周防の興味がそそられる。
「そんな驚く事か?」
「いや、なあ。俺の知っとる宗像と随分と印象が違うから」
「印象?」
「実際に喋った事は無いねんけどな、宗像言うたら、どっかのボンボンで、頭は学年一位とか取るレベルにええらしいんやけど身体が弱いとかで体育も殆ど見学してるっちゅー、お上品なおぼっちゃまなイメージがあったから」
聞きながら掻っ込んだパスタを思わず噴き出す所だった。
身体が弱いなぞ、あれだけの立ち回りをした男の何処から生まれる言葉だ。
「あいつ、この前の屋上で巻き込まれてたが…俺とタメ張れるくらいに強かったぞ」
「は?え、強かった…って、喧嘩なんてするん!?王子が!?っちゅーか聞いてへんでそんな事!」
結局、屋上での乱闘の一部始終を事細かに説明させられる事となり周防は過去に端折って
説明した自分を恨んだ。
いつ説明しようと手間は変わらないが今説明する面倒さに勝る手間は無い。
ついでにそれまで会話すらした事無かった事、その日だけは少し言葉を交わしたモノの、その後も会話なぞした事無い事まで喋らされ、草薙が落ち着く頃にはすっかり冷えてしまった残りのパスタを食べながら耳に引っ掛かった単語を思い出す。
「王子、って何だ」
「王子は王子やろ。ボンボンで、顔が良くて、いっつもにこにこしとるって女の子がきゃーきゃー言うとる」
草薙の知る宗像と周防の知る宗像には随分と印象の違いがあり過ぎてそろそろ同じ人物の話をしているのかわからなくなってくる。
周防が知っている宗像といえばいつも全てに無関心な無表情と、舞うように敵を蹴倒す姿と、あの日一度だけ見た鼻血塗れの笑顔だけだ。
「わからんもんやなぁ…宗像にそんな裏の顔があったなんて…いや、むしろそっちが素か?」
しみじみと溢される草薙の言葉に周防は声無く同意する。
あの無機質な視線の男がひとたび屋上から降りれば女子に王子等と呼ばれ持て囃されている等、想像だにしなかった。
否、屋上に在る宗像以外の姿を想像した事すら無かった。
周防にとって、実際に周防の眼で見た宗像が宗像の全てであって、それ以外の宗像など端から存在していない。
在っても無くても構わない、そのほんの少し上に居る男。
それが周防に取っての宗像だ。
草薙の知る噂話も一晩寝れば忘れてしまうような気がする。


気付けば外は徐々に日が昇り明るさを増していた。
冬の遅い夜明けは、間もなく人が動き出す朝がすぐ其処に迫っている証拠だ。
一服したらもうひと眠りして、そのうち起きたら学校に行くか。
煙草に火をつけながら周防は口元を僅かに緩めた。

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