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空箱

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水底

夜の砂の家は静まり返っていた。
夜更かしは良くないと散々幼馴染みにも言われて来たが、一度文字を追うことに夢中になってしまうとなかなか止められるものではない。多くの人が集まり騒がしい昼間と違い、蝋燭が空気を焼く音と紙を捲る音しかない静けさの中ならば止める理由もない。
そうして今日も自室に持ち込んだ本を、ベッドに腰掛けて読み耽るウリエンジェの部屋の扉が静かにノックされる。こんな夜更けにミンフィリアやタタルが訪れる筈もない。少しばかりの不信感を抱きつつも、どうぞ、と答えて顔を上げる。
「やっぱりまだ起きてたな」
へらりと軽薄な笑みを浮かべて部屋に入って来たのはサンクレッドだった。同じシャーレアンで賢人の地位を頂いた男だが、特別親しいというわけでもない。むしろ流れる水のようにころころと表情を変えるこの男の事を少し苦手に思っているくらいだ。華やかに飛沫を上げて流れる水面の下に、ウリエンジェには想像もつかないような濁った川底の気配を纏わせていればなおのこと。
「このような夜深に何か……ご用でしょうか」
少しの緊張を纏わせたウリエンジェに構わず、ずかずかとベッドに近付き本を取り上げるサンクレッドからは深い酒粕の香りが纏わりついていた。
「いやなに、用があるというわけじゃ無いんだがね」
「ならば、」
「人恋しい夜、ってあるだろ?」
「……はあ」
「まあ、悪いようにはしないから付き合ってくれよ」
彼の言葉はいつだって難解だった。だから余計に苦手意識ばかりが膨れ上がる。何かを乞われているというのはわかるが、肩を押され、ウリエンジェをシーツの上に縫い止めるようにサンクレッドがのし掛かって乞われるもの、とは。
「あの、」
「悪いな」
ウリエンジェが言葉を紡ぐ前に謝られ、甘やかな造形の顔が近付き唇が唇で塞がれる。荒れてかさつい皮膚の感触と、甘ったるい酒粕の匂いを帯びた吐息が吹き込まれて反射的に顔を反らして逃げた。
「っ……サンクレッド、貴方……」
「なあ、頼むよ」
拒絶の言葉を紡ぐ筈だった唇がひとつも音を紡げぬまま吐息を溢した。薄っぺらな笑顔を浮かべている癖に、滲んだ水底。
覚えたのは、恐怖か、憐憫か、それとも。
無言を肯定と捉えたサンクレッドが再び唇を重ねるのを避けられないまま、ウリエンジェはただ静かに暗い水の中に引きずり込まれていると感じた。

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