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空箱

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ごめんなさい

酷い喧嘩をした。
切欠は思い出してもくだらない、とても些細なこと。レオナは何も悪くない。少し言い方が悪かった所はあるが、元から口の悪い二人だから普段なら気兼ねないじゃれあいの範疇だった。それにことごとく噛み付いて攻撃したのはジャミルの方。
わかってはいたのだ。ジャミルがさっさと非を認めて謝ってしまえばこんな大喧嘩にはならなかった。だけどあの時はもう頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、レオナを言い負かしてやることばかり考えてしまっていた。
静まり返った部屋にふわりと香る、紙煙草の苦い匂い。勝手にしやがれと吐き捨てたレオナが向かったのはこの豪華な部屋に見合った立派なベランダ。柵に肘をつき外を眺める背中からはその表情は伺えないが、苛立たしげに尻尾が揺れている。それを、取り残されたベッドの上からただ眺めることしか出来ずにジャミルは膝を抱えて丸まる。
レオナが煙草を吸うところを見るのは、初めてだ。普段は大嫌いだと公言しているくせにサイドボードの一番上の引き出しにひしゃげたパッケージが入っているのは知っていた。臭くて、不快で、呼吸器を傷付けているのが良くわかるから嫌いだと言いながらも何年ものなのかもわからないような煙草を持っているのは、煙草で身体を痛め付けることでしか精神の安定をはかれない時の為だと見つけたその時に教えてもらった。最後に吸ったのはもう二年も前のことだとも。
馴染みの無い苦い香りは夜のサバナクローの風に乗ってジャミルをちくちくと責める。でも、だって、言い訳はたくさんある。だがそのどれもがジャミルの正当性までは保障してくれない。レオナに悪いことをしたという気持ちもあるが、まだくさくさとした心は素直に謝れそうにもなかった。いっそ道理もわからない子供のように泣けたら楽なのにと思うが、ジャミルの眼はからからに渇いていて涙の一粒も出てきそうにはない。
ぼんやりとただレオナの背中を眺めているうちに1本が燃え尽きたようだった。身を起こしたレオナの掌からさらさらと風に乗って砂がさらわれて行く。その時に初めて気付いたレオナの耳。普段はぴんと立てられている獣の耳がへにょりと力なく伏せられていた。まるで怯える草食動物のような。
気付いてしまったら、ジャミルが行かないわけには行かなかった。悪いのはジャミルなのだから、怒る事はあってもレオナがそんなに落ち込むとは思ってもいなかった。それも、これも、全部言い訳だ。
根が生えたように動けなかったベッドの上からなんとか身体を引き剥がして静かに降りると、レオナの耳がぴくりと震えてそっとこちらへと向けられていた。ゆっくりと近づいて行っても、レオナはわかっているだろうにただじっとジャミルに背を向けていた。すぐ真後ろまで来ても、レオナは動かない。振り返ってはくれないが、だがそこからジャミルを置いて行ってしまうこともなかった。
こういう時、なんと言葉を向ければ良いのかジャミルにはわからない。謝罪の言葉だけならいくらでも言える。心にもない謝罪なんて数えるのも馬鹿らしい程にしてきた。今はそんな使い慣れたうわべだけの言葉では駄目だと思うのに、代わりになる言葉は全く思い浮かばない。
「せん、ぱぃ…………」
呼び掛けた筈の声はジャミル自身ですら聞き取れないような小さな小さな声。きっと獣人のレオナなら聞き取ってくれただろうか、いやレオナでも聞こえなかったかもしれない。震えて役に立たない唇の代わりに、目の前の広い背中へと指先を置く。それでも動かないのを良いことに、だがレオナが拒絶するつもりならばいつでも逃げられるようにそろそろと両手をレオナの腹へと回して行く。何も言わない背中はほんの少し、強張っていた。ジャミルの手もすっかり冷えて指先の感覚が鈍い。広い肩に額を乗せ、少しでもこの想いが伝われと、言葉にしきれない感情を押し付けるように抱き締める。


は、と浅い吐息と共に腕の中でレオナの身体から緊張が溶けてゆくのを感じた。それから、夜風に冷えた指先がジャミルの腕を撫でる。それだけで、あんなに言葉に悩んでいたのにまるで魔法のように唇が勝手に動く。
「………ごめんなさい」

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