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空箱

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三億の男

大切な物は、二つ同時には持てない。
ジャミルは、たった一つを選ぶ必要があった。
そうしてジャミルに切り捨てられた男は、悲しみもせずにただ肉食獣の瞳をして笑った。
「逃げられると思うなよ?」



NRCを卒業して数年。
商人として数々の取引を成功させ、今ではすっかり名実共に次期後継者となったカリムを支えるジャミルの毎日は忙しい。カリムのスケジュール管理、取引先の身辺調査、世界の流通の把握、それから商談の場で飛び出るカリムの奇抜なアイデアにいつでも冷静に対応するための下準備。ただの従者である頃と仕事量は比べ物にならないほど増えた。だが、分刻みの過酷なスケジュールであってもジャミルは充実していた。
NRCを卒業した時、アジーム家の従者という立場からの解放をカリムから提案された。勿論家族のその後の保証もするし、自由になった後、何を始めるにも困らないくらいの支度金を用意すると馬鹿みたいな桁の金額を提示され、それと同時に改めてカリムに雇用される気は無いかとも打診された。生まれも身分も関係無く、ただジャミルの能力に対価を払いたいというカリムの提案は、先祖代々の血筋のみで人の価値が決まる熱砂の国では異例中の異例だ。
だからこそ、ジャミルはカリムの誘いに乗った。今のジャミルはアジーム家に代々使える家柄の従者では無く、カリムが個人的に雇用した秘書ということになっている。二人の間にあるのは契約と対価のみ。そうやって関係をすっきりさせて初めてカリムとジャミルは対等に並び立ち、友人、に近い関係になっていると思う。当然色んな所から不快な批難の声は届いたが、この関係であるからこそ実力が発揮出来るのだと結果を出す事で黙らせてきた。



今日は長年アジーム家と取引をしていた実績のある、夕焼けの草原の貴族から紹介された男との顔合わせだった。その男も貴族の血は引いているものの庶子であり、一代でのし上がったやり手の商人。裏ではそれなりのこともしてきたようだが商いの世界ではよくある話だ。清廉潔白の商人の方が信用ならないとすら言える。
顔合わせの会場として指定されたのは熱砂の国にあるオークション会場だった。莫大な富と信頼が無ければなれない会員と、その会員に招待された人間しか入る事の許されない隠された場所。表向きは骨董品や蒐集品を主に扱うオークションとなってはいるが、実際には危険物や多種に及ぶ利権、珍しい生き物から人間まで、表立っては言えないような商品ばかりが並ぶという。あまり気は進まないが意外な事にカリムがノリ気になってしまった為に断る事も出来ず、今日に到る。



会場の中は薄暗く、扇状型のステージだけが眩いスポットライトを浴びていた。ステージのすぐ前には競りに参加する者の為の椅子が並び、更にそこから放射状に離れた場所には競りを眺めるだけのボックス席。こんな後ろ暗い物ばかりが並ぶ競りに出資者本人が参加する事は殆ど無いようで、参加者の席に座っているのはいかにも従者や下僕とわかる者ばかり。その主たる人間は皆、暗いボックス席の奥で優雅に酒を傾けているのだろう。
カリムとジャミル、それから紹介した貴族とその従者、更に今回の相手となる男とその従者もボックス席の一つに居た。商談前の顔合わせとはいえ、既に駆け引きは始まっている。他愛無い世間話と共に酒を嗜みつつ相手の腹を探る作業はジャミルも嫌いでは無いが、此処はカリムに任せる方がずっと良いと学んでいた。いかにも騙し易そうな清らかな笑顔で今までどれだけの利益を上げてきたことか。



和やかに顔合わせは進み、今回の相手の事は可も無く不可も無くという評価だった。目立つ欠点は無いが、特に魅力も感じない。駆け出しの頃ならばこれも大事なコネクションとして手を取るのも有りだが、今やそれなりの知名度と信頼を勝ち得ているカリムならば居ても居なくても変わらないレベル。明日の商談がよっぽど価値のあるものでなければそのまま二度と会う事も無いだろう。
オークションもそろそろ終わりが近付いているようで、熱気の籠ったステージ上には布がかけられた大きな四角い箱が置かれていた。大方、中には人が入っているのだろう。先程も何度か、布の下から無骨な檻が現れ、その中には幼気な少女や筋骨たくましい男性が悲壮な顔をして閉じ込められているのを見た。憐れとは思うが、そういう国であるのだから仕方がない。
「それでは最後の商品はこちらです」
恭しい司会の台詞と共に布が取り払われる。露わになる大きな檻と、その中には一人の男性。会場にどよめきが走った。
「この顔、ご存知の方もいらっしゃるでしょう、夕焼けの草原の現国王陛下の弟君、レオナ・キングスカラー!」
は?と。呆気にとられた声が出そうになり慌てて飲み込む。状況が上手く理解出来なかった。レオナの卒業を機に別れた相手ではあるが、その目立つ立場ゆえに近況はそれとなく知っているつもりだった。国に戻った後は、兄である国王の元で政に関わっていたこと。スラム地区の劣悪な環境の改善に尽力していたこと。あまり表舞台に上がることは無いが、美しく聡明な王弟は密かに噂になり、世の女性たちを賑わせていたこと。
そんなレオナがこんな場所で競りにかけられているのはどう考えても不自然だった。
「一流の魔法士である当商品ですがご安心ください、由緒ある魔封じの拘束具も勿論セットになっております。ご希望があれば洗脳や記憶改変の術者も控えておりますのでいつでもお申し付けくださいませ」
穏やかな司会の台詞は物騒な物ばかりで、人権も何もなく、ただこれから物のように売られる商品なのだとまざまざと伝えていた。だが当の本人は、ただ檻の中に裸同然に放り込まれていた今までの商品とは違い、きっちり衣服を着て、座り心地の良さそうなソファの上に長い足を組んで座り、随分とリラックスした様子で寛いでいた。首と手首にだけ今までの商品と同じように無粋な拘束具がついていることで辛うじて商品なのだと認識出来るレベル。まるでこれから売られる人間の態度とは思えない。見た目が良く似た偽物かとも思ったが、それが檻の中で拘束された状態だというのにこうも王者のような貫禄を出せるものだろうか。
その、無粋な鋼鉄を物ともせずに呑気に辺りを見渡す視線がひたりと、ジャミル達の座るボックス席を捉え、そして肉食獣の瞳で笑う。
これは、本物のレオナだ。
「それでは100万からスタートです!」
司会者の声と共にあちこちから一斉に手があがり、司会者の告げる金額がどんどん上がって行く。わけがわからないままにカリムを見ればそれはもうきらきらと目を輝かせてジャミルを見ていた。その、笑顔の理由もわからない。問いただそうと唇を開くも声になる前に突然カリムが立ち上がり、ボックス席を抜けてステージの方へと向かっていく。客人も居る前で何故そんな勝手な事を、とフォローすべく残された者達を見るが、気を悪くする所かカリムと同じように皆笑っていた。
「一億、一億が出ました。一億です。他にありませんか」
マイク越しに興奮した司会の声が響く。レオナが一億。そんなバカみたいな金額を出してまでレオナを買おうとする輩には反吐が出るが、レオナならその価値も当然、むしろ足りないだろうともジャミルは思った。
「三億!!!」
会場に響き渡るカリムの良く聞き慣れた声。しん、と一瞬静まり返った会場は、すぐに三倍になった金額にざわざわと大騒ぎになっていた。ジャミルからは背中しか見えないが、あの眩しいまでの笑顔を浮かべているに違いない。多分、そうするのだろうなとは思っていた。カリムは売りに出されている友人を見捨てられるような男では無い。だがその金額。商売人として駆け引きも無くその金額を出すのはどうなんだと後で叱ってやらねばと思う。
「三億出ました!三億です!他ありませんね!?」
カン、とハンマーが打ち鳴らされ取引が終了すると一斉に会場が沸き立つ。拍手、歓声、まるでお祭りムードだ。それらに手を振って応えながら堂々と帰ってきたカリムが、ジャミルの前に立つとにんまりと口角を釣り上げた。
「これ、ジャミルへのプレゼント。受け取れないって言うなら雇用主の権限で命じる。受け取ってくれ」
「は?」



※カリムもレオナも貴族も今回の紹介相手も会場も皆グル

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