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空箱

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初恋

確かそれは六歳くらいの時の事。
正式にカリムの従者となる事が決まり、本格的な従者としての教育や業務が始まったばかりで、カリムもまた次期後継者としての教育が始まりお互いの立場の違いを理解し始めた時期でもあった。
社交デビューに丁度良いと、初めて正式にカリムが招待された遠くの国の式典。国どころかアジーム本家のある街からも出たことが無かったジャミルにとって期待と緊張の入り混じる初めての外の世界だった。
社交デビューと言っても今まで伸び伸びと自由に育てられたカリムがすべき事は主要な取引相手への顔見せのみ、ジャミルはアジーム家御曹司に相応しい従者としてただ静かに背後に控えていれば良いだけではあったが、これまで見慣れた人間しか居ない環境で育った二人にとって知らない人間ばかりの空間というのは初めての経験であり、ただカリムの後ろに控えていただけだというのになんとか式典を終えて自室へ戻る事を許された頃にはジャミルはすっかりくたびれ果ててしまっていた。
だが一刻も早くカリムを部屋まで連れ帰り寛ぎたいと願うジャミルとは裏腹に、緊張から解放された途端に妙な興奮状態になってしまったカリムはもう少し探検していこうぜ!と式典が終わっても未だあちらこちらで談笑する人ごみの中に駆け出して行ってしまった。二人の名誉の為に言うならば、まだその頃はさほど暗殺や誘拐の危機にあう経験がなく、二人とも知らない場所で子供だけでいる危険性をよく理解していなかったのだ。だから疲れていたジャミルもすぐには追いかけず、だがその場で従者が一人で立ち留まる訳にもいかず、渋々カリムを歩いて追いかけるだけだった。
式典会場の白亜の城にある広大な庭は、熱砂の国よりもひんやりと湿った空気が流れ、濡れた土と花や緑が香る鬱蒼とした木々が生い茂る、まるで御伽噺の世界のようでジャミルも浮足立っていた事は否めない。
先程までは緊張感で殆ど視界に入っていなかった景色をぼんやりと眺めながら、大人たちの足元を縫うようにして彷徨いカリムを探す。歩いていればすぐに見つかるだろうと思っていたがカリムは中々見つからない。談笑に夢中の大人たちは足元を通りすぎる幼子になど全く興味がなく、たくさんの人の話し声が聞こえるのにまるで透明な壁の向こうにいるみたいだった。
最初こそ呑気に初めての場所の空気を楽しんでいたが、どれだけ探しても見つからないと次第に不安が募る。その年頃の子供の思考なんて単純だ。一人ぼっちになれば心細いし、言いつけを守れなかったら怒られてしまうと怯える。初めての場所で、初めての仕事で、初めての失敗であれば尚更の事。泣かない子供と言われていたジャミルでもつい涙腺が緩みそうになって来た頃の事だった。
「ジャミルー!」
舌ったらずな聞き慣れた声に呼ばれて振り返ると、そこにはこちらの苦労も知らずに元気良く手を振るカリムの姿。一人ではなく、不思議な耳をした人と手を繋いでいた。
「カリム……!!」
咄嗟に駆け寄ってカリムの所まで走り、思わず怒鳴り付けてやりたい所だったが人前で主にそんなことをするわけにも行かず、ぐっと堪えてカリムと手を繋いでいる人を見上げる。ライオンのような耳と、良くみれば尻尾も生えていた。知識として知ってはいたが初めて目にした獣人、それもとびきりの美人。ブルネットの柔らかそうな髪と宝石のようなエメラルドの瞳、歳はジャミル達よりも五つは上だろうか、カリムと比べればシンプルに見える服装だが明らかにカリムと対等か、それ以上の地位があるのだとわかる優雅な立ち姿に見惚れそうになり、慌てて頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!」
そう言って再び顔を上げて見上げたその人はふんわりと笑っていた。
「良かったな」
そう言ってぽんぽんと頭を撫でられた。たったそれだけの事なのに何故だか無性に嬉しくて、だがそれを伝える言葉をまだ知らなくて、ジャミルはただこくんと頷く事しか出来なかった。



「今思えばあれが初恋だったと思うんですよねえ」
だらだらとうつ伏せにベッドに寝転がるレオナの尻を枕に怠惰に過ごす休日。話の流れでふと思い出した記憶をぽつぽつとレオナに語ってみせたものの、返ってきたのはふぅんと気の無い返事だった。
あの後、もうはぐれるなよ、とカリムとジャミルの手を繋がせた美しい獣人は誰かに呼ばれて何処かへ行ってしまった。その時なんと呼ばれていたのかも思い出せず、だがあの眩い笑顔は瞼の裏に焼き付いて離れず、何度も夢に見てはドキドキしながら目を覚ました記憶がある。
「御存知無いです?先輩と同じ年頃くらいで、髪も瞳も先輩に似た色の女性」
「……そう来たか」
先程とは打って変わって面白がる声。目を瞬かせてレオナを見やるとニヤニヤとたちの悪い笑みを浮かべた美しい顔がジャミルを見ていた。
「あん時の泣きそうになってたお嬢ちゃんがまさかこんな性悪に育ってたとは気付かなかったなあ?」
「は?」

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