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空箱

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寄り道 2

思い描いていた物とは多少形は変わってしまったが、ホリデーの一件以降、ジャミルは自由を得た。
従者としての役割を放棄するつもりは無いが、従者としての役割以上の事をしてやる気も無い。今までカリムの為に余計に割いていた時間を自由に使える。つまりは、仮にも恋人という関係になったレオナと会う時間を増やせるということだ。
そう思ってそれなりに久方ぶりの逢瀬を楽しみにしていたというのに、レオナから告げられたのは期間限定とは言えど関係の解消を告げるもの。飽きたわけでは無いと言う。外聞を気にしての事でも無いと言う。
こういう時、どういう反応をするのが正しいのか、ジャミルにはわからなかった。
それでも動揺したり悲しむ素振りを見せるのがみっともない事だということは知っている。アジーム家のハーレムで女達の醜い争いは嫌という程見て来た。レオナだって、あんなハーレムの女達のように恥も外聞も無く泣き付くような男には興味がないだろう。
ジャミルには、ぽかりと穴が開いたような気持ちをどう処理すれば良いのかわからないまま冷静な顔を繕って頷く事しか出来なかった。
レオナを過信しているわけでは無いが、あの怠惰な男が無駄な嫌がらせなどを好む男ではない事は知っている。考えがあって、そうしたのだと信じている。だが、その考えが全く想像つかない。
せっかく一緒に居られる時間が増えた途端に放り出されて、ジャミルにどうしろと言うのだろうか。
ジャミルを手離す気は無いのに、一カ月もの間レオナから離れろと言う。その間に他の男に惚れるのもジャミルの自由だと言う。つまりは、他の男に惚れて来いとでも言うのだろうか。金と権力を持て余した男達の中にはそういう趣味の人が居ることも知っている。自分の所有物が他の男に汚されているのを見るとたまらなく興奮するのだと聞いた事がある。レオナもそういう趣味だったと言う事だろうか。
レオナの他に、ジャミルの心を揺さぶる人が居るだろうかと知っている顔を思い浮かべる。
憧れる人、尊敬する人、羨む人、気安い人。
相応しい人はたくさん思い浮かぶものの、何かがしっくりこない。命じられれば身体を明け渡す事は簡単だが、それは何かが違うだろう。惚れるという事は、もっと衝動的でヒステリックな、美しく着飾っていたハーレムの女達を醜い化け物に変えてしまうような強い感情を伴う筈だ。
そこまで考えて、ふと何故レオナなのだろうかと気付く。
顔は、好きだ。自分の好みの男の顔というものを余り考えた事は無かったが、あの顔を見るとつい嬉しくなってしまうのだから好きなのだと思う。本心から笑った時は案外幼くなる顔や、熱っぽい瞳でジャミルを捕らえる時の顔などは不思議な力でジャミルを抗えさせなくしてしまうくらいの威力を持つのだから、レオナの顔が好きなのは間違いない。
あとは、声。普段はやる気を感じさせない怠惰な音色ばかりだが、あれでいて色んな音が出る事を知っている。あの声でねだられると強く拒絶出来ないのは、ジャミルがあの声に弱いからだ。
それから身体。筋肉を過不足なく纏った理想的な体躯。昼に見かけた時ですら、服の下に隠された肌のラインを夢想してしまうくらいに脳裏に焼き付いた美しい身体。あの身体に傅いて奉仕してやる楽しさは、あの身体が好きだからなのだと思う。
中身に関しては、なんとも言えない。纏う空気は嫌いでは無いが、本人は無意識なのだろうが時折滲み出る育ちの良さが立場の違いを思い出させて息苦しくなる時がある。ジャミルの腹の底までも見通すような頭脳は話していて小気味良いが、同時に至らなさまでも全て知られているようで恐ろしくもある。
レオナに惚れている、という程の強い感情は無い。
だが、一時とは言え手離されてしまうと心許なくなってしまう。
繋ぎ止めたいと思う。けれど、その方法がわからない。レオナが手離す気が無いと言うのなら、何故放り出すような真似をしたのだろうか。結局何もわからないまま思考は堂々巡りをしてしまう。
いつもならレオナの部屋を訪ねていた金曜日の夜。忙しくしている日中は忘れられていた事も、暇を持て余してしまえば嫌でも脳裏に甦る。
会いたい、と思う。
早く会って、何故こんな事をしたのか問い詰めてやりたい。常ならば今頃レオナの部屋で温もりを分けあっている頃だ。こんな一人寂しくベッドで死んだ魚の目をして何も無い天井を見上げている事も無かった。いっそ、言われた通りに誰か目ぼしい人の所にでも行って恋をしてみるのも良いかもしれないと頭では考えるのに身体が動こうとしない。これがレオナが相手ならすぐにでも飛んで行くのに、と思いながら無理矢理目を瞑って眠りの世界に逃げる。それ以外に、出来ることが無かった。
とても、とても長い一ヶ月。結局何故レオナがこんなことを提案したのかもわからず、他にジャミルが惚れるような相手を見付ける事も出来ないままやっとたどり着いた約束の日。
会うのを禁じられていたわけでもないのに、なんとなく近寄りがたくてレオナとは殆ど顔を会わせる機会も無く、またレオナからもメッセージの一つも来ることは無かった。このまま、忘れ去られてしまっているのでは無いかという不安を抱えながら恐る恐る「今日、空いてますか」とメッセージを送る。普段、スマホを持ち歩く事すら忘れがちな怠惰な男から「いつもの時間に待ってる」と短い返信がすぐに来ただけで喜んでしまう自分が恨めしい。
そうして約束の時間に訪ねたレオナの部屋。たった一ヶ月ぶりだというのに酷く懐かしくて、満足げに微笑みレオナの姿が眩しくて、やっぱり好きだなあ、と思った所で初めて気付いた。
そうか、自分はレオナを好きなのかとようやくすとんと納得する。恋とか愛とか惚れた腫れたはわからないが、ジャミルはレオナが好きなのだ。それと同時にじわじわと込み上げるのはむず痒いような、照れ臭いような、ふわふわとした気持ち。
「……で?結論は出たか?」
問われ、レオナを見るが変な緩みきった顔を晒してしまいそうで慌てて俯いて一つ頷いて見せる。あんなに見慣れた筈の顔なのに、あんなに会いたいと思った顔なのに、とても直視出来そうに無かった。
「聞かせろよ、約束だ」
手離す気は無いと、レオナは言っていた。
ジャミルを忘れることなく、こうして待っていてくれた。
穏やかに笑みを滲ませた声に促され、変な声が出ないように気を付けながら唇を開く。
「……先輩の、所に、帰ります」 
「何故?」
この流れならすんなりと受け入れてもらえるものだと信じて疑わなかったのに問い返され、選択を間違えたのかと驚いて顔をあげる。だがそこには想像したような拒絶の色は無かった。それどころか隠そうとしてはいるものの隠しきれていない、ニヤニヤと楽しげに笑うレオナの綺麗な顔。
やっと、全て理解した。
この男が何故こんな事をし始めたのかも、今何を求められているのかも。ジャミルはこの一ヶ月、レオナの意図がわからずこんなにも不安を抱えて過ごしたというのに、この男は。
「っっわかる、だろ!それくらい!」 

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