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空箱

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寄り道

ホリデーの間に色々あったらしい。
初日からまるっと実家に帰っていたレオナは実際に現場に居合わせたわけではないが、スカラビア寮に籍を置く部活の後輩に聞けば事のあらましは大体把握出来る。
レオナに何の相談も無く大掛かりな反逆を企てた上にオーバーブロットまでした犯人でもあり、週に一度はレオナのベッドを暖めていた件の男は随分とすっきりとした顔で約束の時間に現れた。やらかしたらしいな、とからかっても、失敗を知られているのは恥ずかしいと笑うだけで気に病む様子もない。ならば。
「……一度、別れるか」
事後の、気だるさに任せてジャミルを腕に抱いたままぽつりと声に出す。熱の余韻に蕩けていたジャミルがトロリと瞬き、それから首を傾けた。
「先輩がそう決めたのなら、従いますけど……」
まだ同じ体温を有している癖に、あっさりとレオナの腕の中から逃れようとする身体に苦笑いしてしまう。仮にも恋人のような関係である筈なのに、突然の別れ話を戸惑う素振りすら見せずにすんなりと受け止めようとするのが気に食わない。未だにレオナの執着心を全く理解していないその態度に、この選択は間違っていなかったと確信する。
「まあ、待て。別にお前に飽きた訳でも興味無くなった訳でもねえよ」
「なら、何故です?やはり外聞が悪いですか?」
やっと困惑したように眉尻を下げたジャミルを逃さぬように抱き締め直す。常ならば心得たように背に回る腕が、迷いを露にレオナの胸元で丸まっていた。
「違ぇよ。……お前、自由になったんだろ?」
正確には自由とは程遠い環境のまま何も変わっていないようなものだろうが、本人の意識としては違う筈だと確認するように顔を覗き込めば、少し考えた後に綺麗な卵形の頭が縦にこくりと揺れた。
「なら、いっぺん俺からも自由になってみろよ。……そうだな、期間は一ヶ月。その後に俺の所に帰って来たいと思ったなら、言え。一ヶ月の間に違う男に惚れたら好きにしろ」
わかったか?と問えど、はあ、と返事はなんとも曖昧なものだったがまあそんなもんだろうとレオナは思う。
ジャミルにとってこの関係はお互いに利点があったから続いている、程度にしか思っていないのだろう。レオナは暇潰しにも性欲処理にも、更には雑用までこなせる便利な人間を得て、ジャミルは居心地の良い逃げ場を得た上に恋人ごっこまで出来て華やかな学園生活の想い出作りが出来るという打算的な目的でしか繋がって無いとジャミルは思っているに違いない。そこに存在する感情を頑なに見ない振りをしているのか、それともそもそも気付いていないのかは定かでは無いが、今一度知らしめる必要がある。
「ああ、勘違いするなよ。テメェが他の誰に惚れようと勝手だが、俺はお前を手離す気はねぇからな」
「…………?それ、別れる意味あります……?」
「意味があるかは、テメェ次第だな」
はあ、と納得はしていない様子ながらもわかりましたとジャミルが答えたのが、一ヶ月前。
たかが一ヶ月、されど一ヶ月。
学年も部活も違えば驚く程にジャミルとの接点はない。一年前ならば当たり前だった筈のその距離が遠く感じてしまうのだから、レオナ自身、随分とジャミルに入れ込んでいると改めて自覚させられる日々だった。
今夜、空いてますかと言う簡素なメッセージ一つ受け取っただけで口元が緩みっぱなしになるのだから恐ろしい。
朗報が届けられるとは限らない。だが例えジャミルがこのまま別れたいと言ったとしても、本人に宣言した通りに手離してやる気はない。首輪に繋がれた飼い猫よりも、誰にも憚ること無く自由に羽ばたく鳥の方が狩猟本能を揺さぶられてしまうのは獣の性だ。
果たして、約束の時間にレオナの部屋に現れたジャミルはレオナの顔を見た途端にへにゃりと顔を綻ばせた癖に、すぐに視線を落としてもじもじとし始めた。落ち着かなく足元で視線をさ迷わせている姿からは歓喜と緊張が滲み出ている。あの、いつでも物分かりの良いセックスドール気取りだった男に何かしらの情緒が生まれていた。これでにやけるなという方が無理だ。
「……で?結論は出たか?」
問えば、ちらとレオナを見てはすぐにまた足元に視線を戻したジャミルがこくりと頷く。
「聞かせろよ、約束だ」
扉の前から動かないジャミルの代わりに、のそりとベッドから抜け出してジャミルの前に立つ。ふわりと濃くなる久方ぶりのジャミルの香りに手が出そうになるのを、ズボンのポケットに捩じ込んで押し留めた。
「……先輩の、所に、帰ります」
恥じらうような声に、たちの悪い笑みが浮かんでしまいそっと片手で口元を隠す。
「何故?」
問い返されるのは予想外だったとでも言うように勢い良くレオナを見上げたジャミルの眼が見開かれていた。揺れる瞳がレオナを見つめ、それからじわじわと肌の血の気が良くなってゆく。もはやレオナがにやけているのは口元を覆った程度にでは隠しきれなかった。
「っっわかる、だろ!それくらい!」
べしん、と勢い良く腰の辺りを叩かれる。珍しく幼稚な八つ当たり。
「わかってても聞きてぇんだよ」
「俺にだけ言わせるのは卑怯だ!」
「お前の返事次第でいくらでも言ってやるよ」
「要らないです!!!」
「何でだよ」
耐えきれずに声を上げて笑えば今度は腹を叩かれた。思わず宥めるように頭をぽんぽんと撫でればその手も叩き落とされ、その癖、一歩近付いたジャミルがレオナのシャツの裾を掴む。
「ぅぅううう………」
「ほら、言っちまえよ」
まだ、抱き締めることはしない。レオナの肩に額を預けて唸るジャミルの顎に指をかけてあげさせれば初めて見るような真っ赤に染まった顔で涙を浮かべた黒曜石がレオナを睨んでいた。
「俺はこの為に一ヶ月待ってやったんだからな」
「ばかじゃないのか」
「いじらしいだろ」
すう、と半目になった瞳がレオナを見つめ、それから瞼を伏せて諦めたように細く長い溜め息を吐く。ジャミルが言葉にしない限り終わらない事を理解したのだろう。再び開かれた眼が真っ直ぐにレオナを射た。
「俺は、貴方のことが――――」

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