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空箱

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二度寝

ぱちりと目を開ければ見慣れた、だが自分の部屋では無い天井。何度か瞬きをしてから横へ顔を向ければ部屋の主が意識の有る時よりもずっと穏やかな顔で眠っていた。抱き枕のように抱え込まれてはいるがその拘束は緩い。腹に絡みついた暖かな腕をそっと外して退けて身体をずらせば簡単に抜け出せた。身を起こし、ずれた掛け布をそっとかけ直してやるついでにふわふわと柔らかな髪を一撫で。ジャミルの物とは違い柔らかく波打つ髪はたったそれだけでも名残惜しむかのように指先に絡みつくものだからつい口元が緩んでしまう。ぽかりと口を開けて眠る姿はあどけないともだらしないとも言える微妙な所だが、それが可愛く見えてしまうのだからこの男は始末が悪い。昨夜は散々好き勝手にジャミルを弄び腹立たしいとすら思った筈なのにこの野生の欠片も無い寝顔一つで絆されてしまう。
だがいつまでも寝顔を眺めている場合では無い。冬のホリデー以降、ジャミルの朝の仕事量は激減したが皆無なわけではないし、常に余裕を持って行動したい。まずはシャワーを借りて昨夜の名残を綺麗さっぱり洗い流してしまおうと、そっとベッドから足を下ろし立ち上がる。が。
確かに立ち上がろうと力を込めた筈だったのに、身体はべしゃりと重力のままに床に崩れ落ちた。辛うじて両手をついて顔面からぶつかることは避けたが、打ち付けた膝や腰が痛い。そもそも筋肉が悲鳴を上げている。
ジャミルは運動部であるし、そもそも元から鍛えている。夜の事だって昨日覚えたばかりのウブだというわけでもなく、むしろどちらかと言えばこの年齢にしては経験豊富だと自負している。そんな自分がたかだかこの男相手にこんなザマになるなんて、と昨夜の事を思い返しそうになって、止める。
確かに昨夜は少々盛り上がり過ぎて記憶が途切れがちだし、素面なのに気持ち良すぎて辛かったことを朧に思い出したがそんな事をしている場合では無い。原因究明よりもこれからの事だ。とにかくシャワーを浴びねば寮に帰れない。とりあえず這ってでも寮長部屋に備え付けられたバスルームに向かおうと手と膝を床につけて前へと進み出す。
「…………何してんだ、お前」
呆れたような、揶揄するような声に振り向けば主な原因の男が優雅に頬杖をついて見下ろしていた。先程までの愛らしいとすら言える寝顔とは正反対の、にやついた腹立たしい顔で。
「……っ……っっ…………」
言い返してやろうと唇を開くが、出てくるのはほんの少しだけ喉に空気が引っ掛かる音だけ。
「………っ……………っ……」
喉や口の形を変えてどうにか音が出ないかと足掻いてみてもヒュゥ、と空気が通る音しか出てこない。
「……昨日は随分良い声で鳴きまくってたもんなぁ」
昨夜の事を思い返しているのかニヤニヤと笑みを深めるばかりの男に誰のせいだと詰ってやりたいが声が出ない。思い切り睨んだ所で楽しげに口角が吊り上がるばかりだ。
しかしジャミルには時間が無い。今日は休日だから急ぐ用は無いが、カリムの世話はある。冬のホリデー以降、一から十まで全てジャミルが用意してやるのは止め、カリムが一人で生活出来るように訓練はしているが、手は出さずとも近くで見守り、何かあれば口を出してやりたい。近頃では細かい所にたくさん目を瞑ればジャミルが口出すことも無くなっては来たが、だからと言って手放しで放置するのは逆にジャミルが落ち着かない。
のしり、と寝起きの獣がベッドから降りてジャミルの傍らにしゃがみこむ。脇の下を抱えられ、ふわりと浮いた身体にバスルームへと連れて行ってもらえるのかと淡い期待をするもジャミルを確り抱え込んだままベッドに再び引きずり込まれてしまう。慌てて逃げ出そうにも益々腕が足が絡み付くばかりでぎゅうとレオナに閉じ込められてしまった。
べしん、と辛うじて自由になる手で目の前の分厚い胸板を叩いても効かないどころかゴリ、と固くなった股間を押し付けられて青ざめる。
「い、……ってぇな!何しやがる」
普段は三つ編みに結われている辺りの髪を一房、思い切り引っ張れば流石に悲鳴を上げて拘束が緩む。しかめ面になってもなお整った顔に覗き込まれ、睨み付けてやりながらも、か、り、む、と出ない声の代わりに唇を大きく動かしてやれば、すう、とエメラルドが細められた。
「俺の腕の中で違う男の名前出すとはいい度胸だな」
腕の中に留まるつもりが無かったジャミルを無理矢理引き留める男が犬歯を剥き出しにして笑う。誰のせいだと言いたくても開けた唇からは音が出ないまま。発声気管として役に立たない口でせめて、目の前の肩にがぶりと軽く噛みついてやった。
「それは誘ってるんだと受け取るが、良いな?」
のしりと体重をかけられ押し潰されながらの言葉に慌てて口を離して首を振る。違うそうじゃない。ジャミルはただ普段通りにシャワーを浴びて帰りたいだけだと言うのに状況はどんどん悪化する一方だ。ごりごりと内腿に押し付けられる熱に危機感が増す。逃げようともがく身体は全体重を掛けて押さえ付けられ、すっかり下敷きになったジャミルの首を、味を確かめるように舌が這う。押し退けようとした手は大きな掌でシーツに縫い止められ、なんとか自由になる足は重すぎて上手く動かない。
ちゅう、と跡がつく程に肌を吸われても抗議することは出来ず、今まで跡を残すことを許さなかった仕返しのように首に鎖骨に胸元にと唇が寄せられるのを止められない。
しつこいくらいに何度も舌と唇が這い、酷い見た目になっているんじゃないかと言う頃にようやく満足した様子の男が顔を上げて唇を舐める。まるで獲物を前にした肉食獣のような仕草。
「……っふは、なんてツラしてんだお前」
放つ色気が霧散し、代わりに年相応よりも幼い笑顔が弾けてジャミルは目を瞬かせた。なんてツラと言われても自分ではわからない。
「……別にしねぇよ。身体しんどいんだろ」
朝勃ちだから放っときゃ収まると笑いながら、先程までとは違う触れるだけの唇がジャミルの額に押し付けられた。
「んな状態でカリムの世話も何もねーだろ。テメェがお荷物になるだけだぞ」
言われてみれば確かにと、その言葉はすとんとジャミルの心に落ちてきた。気合いで自分の足で立ち、歩くくらいなら出来るだろうとは思うが逆にカリムに心配させて余計に騒がれるのがオチだ。
ジャミルが納得したのがわかったのか、シーツに押さえ付けられていた身体が解放され、そしてまたゆるりと柔らかく腕の中に抱き込まれる。もう逃げようとは思わなかった。
「もう少し、寝てけ。此処で」
つい先程まで捕食者の顔をしていた男が飼い猫のようにすりすりとジャミルに頬擦りするだけで昨夜から今までのあれこれへの怒りが微笑ましさへと変換されてしまうのだから本当に卑怯だと思う。居心地の良い場所を見つけたのか動かなくなった、と思った頃には穏やかな寝息を立て始める男に思わず笑う吐息を一つ吐き出す。この男のように眠れるかはわからないが、ジャミルもそっと頬をすり寄せて目蓋を下ろした。

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