熱帯雨林エリア。この植物園において唯一スコールを模した降水機能を備えた場所。雨が降らないうちにと慌てて植物を採取しに来たことはあれど、わざわざ雨の降る時間を狙って此処へ来たのは初めてのことだった。
普段ならば人が歩く通路にそっと腰を下ろす。硬い。そのまま仰向けに寝転がればごつりと後頭部がぶつかって僅かな痛みをもたらした。こんな行儀の悪いことをするのも初めてだ。小石を平らに慣らして固めたような通路の地面の上、大の字に寝転がれば目の前には遠く空が望める透き通った天井。水気を帯びた土の香りと、騒がしい程に数多の草花が主張しおり混ざった香り。ひどく、長閑だった。
ぽつりと、一粒の水が頬を叩いたのはそれからすぐのことだった。ぽつり、ぽつり、少しずつ増える水の粒は透明な天井以外には何も見えない場所から落ちて次第に勢いを増し、見る間にジャミルを濡らして行く。ざあざあと雨粒が葉を、地面を、ジャミルを叩き痛い程だった。眼を開けていられずに瞼を伏せるとまるで豪雨の中に閉じ込められたかのような感覚。先程まで暑いくらいだった肌から見る間に温度が奪われ、濡れた衣服が貼り付いて自由を奪う。まるで雨によって地面に磔にされているようだ。ともすれば身を削ぐのでは無いかと思う程強い雨に打ち付けられて呼吸すらままならない。
「…………何してんだ、お前」
不意にかけられた声に薄く眼を空けて見上げれば、呆れた顔のレオナの姿。さすが植物園の管理人と噂される男、きっちりとエリアを隔てる透明な魔法の壁の向こうでスコールの被害を受けずにしゃがんでジャミルを見ていた。まさか寝坊することはあってもこんなに早く来るとは思っていなかったが、見られたからには今更取り繕うのも無駄だろう。
「雨に打たれて冷たくなるのはどんな気持ちなのかと思いまして」
ただでさえ雨で音が聞き取り難いというのに容赦なく口の中に注ぎ込まれる雨で口の中が一杯になってしまい、ごくりと飲み込む。普通の水の味がした。
「死にてえのか?」
まるでそうは思っていない気だるげな声に問われて思わず笑う。雨が喉を打って、少しむせた。
「まさか。他人を犠牲にしてでも生き延びますよ、俺は。……でも、踏み台にされる人間の気持ちは知っておくべきかと思いまして」
「悪趣味だな」
「律儀だと言ってください」
は、とレオナが鼻で笑う。
「テメェが見なきゃならねぇのは足元じゃなくて前だろうが」
「……たまには先輩らしいこと言えるんですね。流石に何度も同じ学年を繰り返している方は違う」
「管巻きてぇだけなら帰るぞ。付き合ってられねぇ」
雨の向こうでレオナが立ち上がり、今にも背中を向けてしまいそうになるのを、待ってください、と呼び止める。
「起こしてください」
「テメェで立ち上がれよ」
「甘えたい気分なんです」
どの口が、とでも言いたげに盛大に顔をしかめた後、溜め息一つでレオナが雨の中に右手を伸ばす。それを掴み取り、ぐっと強く引けば思いの外あっさりとレオナの身体が雨の中へと引きずり込まれた。だが。
「……ずるくないですか」
「俺は濡れるのは嫌いだ」
ジャミルのすぐ側で見下ろすレオナは良く見れば薄い膜のようなものに包まれて濡れる前に雨雫が弾かれていた。いつの間に魔法を使ったのか考える暇もなく、今度はジャミルの身体が強引に引きずりあげられ雨の外へと力尽くで連れ出される。ついでとばかりにぶわりと暖かな風がジャミルの身を撫でて水浸しになっていた筈の身体が一瞬で乾かされてしまった。
「……せっかく浸っていたのに酷いです」
「テメェが俺の礎になれるタマなら踏みつけてやっても良いんだがな」
そうじゃないだろうと言わんばかりの視線に値踏みされ、大人しく両手を上げて降参のポーズを取る。これ以上、レオナの機嫌を悪くさせたくは無かった。
「俺は足元なんざ気にしてやらねぇからな。構って欲しいなら見える場所に居ろ」
それでも、こうやって見つけに来てくれたじゃないですかとは、さすがに言えなかった。再び繋がれた手を引かれて熱帯雨林エリアを後にする。ジャミルにはその手を命綱代わりに握り返すことしか出来ない。
振り替えると、いつの間にか雨は止み、濡れた草花が午後の日差しを反射させ煌めいていた。
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