バイトに疲れた身体をなんとか鏡に滑り込ませ、ようやく寮に帰ってきたと普段ならばほっと一息着くところで走る緊張。
どおん、と地響きを伴うような爆発音が聞こえたのはその直後だった。
「えええ……何事っスかあ……」
正直関わりたくない。明らかに面倒事の気配しかしない。知らぬ振りで部屋に戻ってぐっすり寝たい。こちとらお気楽なお坊ちゃんと違い学業に部活にバイトまでこなしてきた働き者なのだ。体力の消耗は極力避けたい。
だが音のする方角は明らかに談話室の方で、ラギーの部屋は談話室を抜けた先にある。つまり普通に部屋に戻るなら爆発の後も何やら騒がしい談話室を通らなければならない。最悪、箒で窓から帰れば談話室を通らなくても済むが、この騒ぎでレオナの機嫌が悪くなるとそれはそれで明日面倒臭い。
今の平穏か、明日の平穏か。
「………………はあ」
知らぬ振りをした所で結局なんだかんだと引きずり出されて強制的に関わらされる気がする。諦めの溜め息一つでラギーは益々騒がしくなる談話室へと向けてとぼとぼ歩き始めた。
喧嘩だろうとは思っていた。血気盛んな所のあるサバナクローの寮生は何かと肉体言語に頼りがちであるから取っ組み合いの喧嘩なぞ珍しく無く、それくらいだったらラギーとて気にせず部屋に帰る。問題はレオナがおねむの時間に騒音を立てて喧嘩していることだ。さすがにあの地響きはいただけない。
今日は何処の馬鹿がやらかしたのかとげんなりしながら向かうと、そこには少々予想外の光景が広がっていた。
やんやと野次を飛ばす人だかりは喧嘩が起きればいつもの事だから良い。既に床を舐めて呻き声をあげることしか出来ない負け犬がたくさん散らばっているのもまあ、これだけ数が多いのは珍しいが無いことも無い。未だ殺気を漲らせて獲物を取り囲み飛び掛かるタイミングを見計らう背中の数も今回は随分と大人数の団体戦だなあと思う所だが、彼らが取り囲んでいたのはスカラビアの副寮長、ジャミルただ一人だった。
「俺一人にすら敵わない癖に大口叩くなバァーーーーカ!!!」
状況は追い詰められているように見えるのにジャミルは怯むどころか中指立てて周りを煽っていた。そんなお下品な事も出来たのだなあとラギーが呆気に取られている間に見事に頭に血を上らせた寮生が一斉に飛び掛かる。
ジャミルの一回りも二回りも大きな体力自慢達だ、流石にユニーク魔法を使ってでも止めなければと一歩踏み出したラギーだが、不意に腕を後ろから捕まれて止められてしまった。
「なん……ってレオナさん?」
ラギーの腕を掴んだ張本人は明らかに面白がる顔で笑いながら立てた人差し指を唇に当て、それから騒動の中心へと視線を向けた。レオナが止めるならばラギーが関わる理由は無い。一応この人、今まさに寮生にやられそうになっているジャミルとそれなりの仲では無かったかと思いながらラギーも視線を戻す。
「はっはー!伏せが上手ですね先輩方!サバナクローでは無様に下級生に尻尾振る練習でもしてるんです?」
少し目を離した隙に何が起きたのかはわからないが既に新たに二人、床に転がる負け犬が増えていた。悠長に煽るジャミルの死角から放たれた魔法にひやりとするも、魔法はそちらを見ないままのジャミルにたどり着く前にバシンと音を立てて弾かれ、放った寮生の下に真っ直ぐ跳ね返って直撃する。その隙に正面から殴り掛かった喧嘩が強いと豪語していた先輩は、ジャミルに触れたと思った瞬間には対して力を入れていない様子のジャミルの手でくるりとひっくり返って宙を舞い、それに驚いて横からつかみ掛かろうとしていたものの躊躇ってしまった寮生の横腹には強烈な蹴りがめり込み野次馬の所まで吹っ飛ばされていた。
「ええ……なんスかあれ……次元が違うじゃないっスか……」
「うちのヤツらと違って、アイツは遊びで覚えたわけじゃねぇだろうからなあ」
「え……重……」
「本人楽しんでるみたいだから良いんじゃねえか?」
「止めなくて良いんスか」
「馬鹿どもの躾してくれてるんだ、ありがてぇだろ」
「はあ……レオナさんが良いならいーんスけど」
ジャミルが逐一罵倒しながら楽しげに寮生を床に転がして行く様を見ながら何処か誇らしげに笑うレオナを見て漸く、ラギーは惚気られているのだと気付いてこれ以上の言葉をつぐむ。
喧嘩の原因が何かはわからない。むしろ本人達も最早覚えていないだろう。ジャミルが煽るから対戦希望者は増え続けるばかりで、喧嘩がどうのというよりもサバナクローの威信をかけてでもジャミルを止めなければと言う空気を感じる。
「……レオナさんは、あれ、勝てます?」
聞いたのはなんとなくだった。普段ならばレオナが負ける可能性を考えていることが知られたら不機嫌にさせそうなものだが、目を細めたレオナはジャミルを見詰めたまま楽しげに口角を吊り上げていた。
「どうだろうな。そもそも質が違う」
「質?」
「……今、ジャミルは遊んでいるだけだからあんなもんだが本来は襲撃者を確実に仕留める為の技術だろ。対して俺は自分の身を守る技術は叩き込まれているが俺自身が刃となる訓練は受けていない」
「……つまり?」
「アイツは矛で俺が盾だと例えれば良いか?あれに負けない自信はあるが仕留めきれるかはわからねぇ」
「……くれぐれも喧嘩しないでくださいっス」
思いの外、真面目な分析が帰ってきてしまいラギーはこれ以上何も言えなかった。レオナとジャミルが本気で喧嘩を始めたらとりあえずもう止めるとかそんな考えは捨てて絶対に逃げてやろうと固く心に誓う。巻き込まれたら死あるのみだ。
目の前では野次馬の数が減り、床に転がる屍ばかりが増えていた。
[2回]
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