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空箱

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エイラ

うにゃあ、と寝室から不機嫌そうなエイラの唸り声が遠く聞こえる。恐らくは、ようやく目覚めた眠り姫が今日も果敢にエイラと仲良くなろうと手を伸ばしては不興を買ったのだろう。実家では犬を飼っていたという彼女は猫の扱いを理解していない。思わず笑いを誘われながら、手早く書きかけの文章を最後まで打ち込んで保存ボタンを押す。レイヴスが起きたのなら朝食、……すでに昼食の時間だったが用意せねばならない。
立ち上げていたプログラムを終了させ、薄いノートパソコンを閉じる頃にリビングに現れたレイヴスは、素肌にアーデンのシャツを一枚羽織っただけの姿だった。そんな薄着ではそろそろ寒いのでは無いかと思うが、この見た目も中身も上等なお姫様は服を着ることすら自分一人ではしてくれない。むしろ一枚でも羽織って来ただけ良くやったと誉めてやりたくなるのだから、我ながら甘やかしていると思う。
案の定、さむい、とこぼしながら今までノートパソコンが置かれていた膝の上に乗り上がる身体をそっと抱き留めてやれば、小さくて柔らかな身体は寝起きに相応しく暖かかった。
「おはよう、レイヴス」
挨拶代わりに髪に口付けをしても、ぐずるように身動ぎぺたりと胸元に顔を埋めて脱力する姿はそれこそ猫のようだった。
「……エイラって、婚約者の名前?」
唐突に、だが今日の天気でも聞くかのようなあまりにも気負いのない声で聞くものだから、つい素直に頷いてしまった。
「そうだよ」
「だから私は嫌われているのか」
「ただの猫だよ、関係ない」
「でもエイラなのでしょう?」
声に何処か拗ねたような色が見えて思わず頬が緩む。かつて婚約者だった女性が忘れられずにつけてしまった彼女と同じ名前。あまりに未練たらしいと気付いて恥ずかしくなってきた頃にはすでに猫は自分の名前をエイラだと覚えてしまっていた。今では自分自身の心の整理がつき、愛しい飼い猫としてエイラを呼べるが、それをレイヴスが指摘してきた上に珍しく感情を見せるとは。思わず抱き締めて頬擦りをすれば、いたい、と小さな抗議の声が上がった。
「エイラから名前をもらったのは確かだけど……もう昔の話だよ」
離れようとする身体を逃さぬよう、今度は優しく抱き締めて目元に頬にと唇を幾度も押し付ける。これが恋なのか保護欲なのか、それとも自尊心を満たす為のエゴイスティックな行為なのかはわからないが、レイヴスを手離したくないという想いは確かだった。不服そうに眉根を寄せながらも暫く黙ってキスの嵐を受け止めていたレイヴスは、逡巡するような間を置いてからへにゃりと眉尻を下げてまた肩へと顔を押し付けてしまった。
「……エイラと上手くやっていける自信が無い」
「一緒に住む話、考えてくれたの?」
最初はただレイヴスの身体に釣られた数多の男の中の一人だった。それがなんとなく放って置けずに世話を焼いているうちに懐かれたのか、レイヴスにとって都合の良い男にまでなった。その頃にはレイヴスをすぐに抱ける安い女というよりも、手元に置いて愛でてやりたいと思うようになっていた。それが恋だなどと言うつもりは無い。あの手この手でレイヴスを手元に引き寄せ甘やかし、自分がいなければ息も出来ないようになってしまえば良いと思うのはそんな暖かな感情では無いだろう。ひとところに留まる事を怖がる彼女がそう簡単に頷いてくれるとは思っていなかった誘いだが、この様子ならば旗色は悪く無いかもしれない。むしろ自分の意思を極力まで表に出さないようにしている節のあるレイヴスのこの言葉は勝利したも同然では無いのだろうか。
「……猫をどうにかしてくれるなら考える」
「大丈夫、すぐに仲良くなれるよ」
なんせ君とエイラは似ているから、とは言葉にせず、ただこの浮き足立つ感情のままにレイヴスを抱き締めた。

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