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空箱

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胡蝶の夢

にいさま、と久しく耳にした懐かしき呼び名は記憶に残る声よりも随分と低く艶を帯び、そして緊張感に尖っていた。何事かと声のした方へと顔を向けるよりも早く突き飛ばされながらなんとかそちらを見れば、今しがたまでファレナが立っていた場所に身を滑り込ませた弟の美しい横顔がぐうと苦痛に歪み、薄く艶やかな唇から鮮血を溢れさせている所だった。
レオナ、と叫んだ声はまるで自分の声ではないかのような悲痛さを帯びていた。床に打ち付けられた痛みも忘れてすぐさま駆け寄り、儚く崩れ落ちる肢体を抱き留めて腕の中に抱え込む。周りでは衛兵が血に濡れた凶器を握り締めた男を取り押さえ、侍女達の悲鳴で耳が痛い程に騒がしくなっているというのに不思議とファレナとレオナだけが静寂に包まれていた。きつく眉を寄せ痛みに呻きながらもうっすらと開かれたエメラルドがファレナを捕らえ、赤く染まった唇が微笑みの形を作る。
あいしている、と囁くような音色が確かにファレナの鼓膜に届いたと同時にすぅ、と力を失いファレナの腕の中で重みを増す身体。
愛する弟の命が失われようとしている事が信じられずに吠えるようにレオナの名を呼んだ。
「……というところで泣きながら目が覚めたのだよ」
「だせぇ」
はっ、と鼻で笑えば咎めるように奥を捏ねられて息を飲む。しつこいくらいにねちっこく時間をかけて全身舐め溶かされ、足の指の先まで甘い熱を植え付けられ、ようやく腹の奥まで熱を埋められて解放される時が近いと思いきや始まった今朝の悪夢の長話。中途半端な所で放り出されていた身体が妙な熱を籠らせていた。ただ一つに溶け合って忘れてしまった境界線を思い出させるように、腹の中の異物を主張するべく緩やかに揺すられただけだというのにレオナの意思に逆らい恐ろしい程に身体が歓喜に震えている。
「待っ、……て、そんな急に……」
「お前は、勝手に死んでは駄目だよ」
「兄貴、」
「お前を殺すのは、私だけだ」
逃げを打つ腰を捕まれ、抜け掛けた熱がぐずりと最奥を穿つ。幾度も兄に殺されてきた心と身体の一欠片たりとも譲らぬとでも言うような傲慢な瞳がレオナを見下ろしていた。
それに歯向かう気力は既に殺されていた。
逃げ出す勇気も殺されていた。
兄の愛と言う名の毒でレオナの身体はすっかり腐り果てていた。
後に残ったのは辛うじて人の形を保てるだけの骨に、最後の砦とばかりに纏わせた脆く儚いプライドの残り滓。
それすらもそう遠くないうちに兄の腕の中で朽ち果てて行くのだろうと、熱に滲む兄の姿からレオナは目を反らした。

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