※二人とも妻子が居ます
まだ正式に跡を継いだわけでは無いが、次期当主としてアジーム家の実務に関わるようになり、隠居の準備に入った現当主に代わって一族の顔となりつつあるカリムの側近を務めるジャミルの毎日は忙しい。今まで通りカリムの身の回りの世話に加えてビジネスの場でのフォローもある。従者の中でも高位に位置するようになり、屋敷内の事にも携わるようになった。公私共にカリムに捧げる生き方は結局今も変わらない。だが、それでも十分幸せだった。幸せだと思えるようになった。
カリムは魔法士養成学校を卒業してすぐに王家の血族の娘を嫁に迎えた。ジャミルはその娘の従者の女を娶った。二人とも親の決めた結婚だったが、不満は無かった。むしろ婚約を申し込みに行く日まで会った事すら無かった筈なのに、まるで最初からその為に生まれてきたかのようにぴったりとジャミルの横に隙間も余分も無く嵌った彼女は、もはや手放せないかけがえのない人になっている。それは勿論、二人の間に生まれた愛しい子も。
生涯の伴侶を得て、そして子を成し家庭を持つようになるとジャミルの目に映る世界は変わった。それはカリムも同じだったようで、かつては主だ従僕だ、友人だのそうではないだのと争った物だが今ではすっかり戦友のような間柄になっている。背中を預けるに足るという信頼。この男になら背中を預けたいと思う信用。生まれた時から育んだ絆のお陰か、後継者として商いをするようになったカリムと、心から生涯をカリムの為に捧げると誓ったジャミルがアジーム家の中心となって動くようになってから、一族はより一層栄えている。
幸せだった。充実していた。
カリムと共に世界を相手にして戦い、家に帰れば愛しい家族がいる。
それ以上に何を望む物があるだろうか。
今日は遅くなってしまったから、とアジーム家の本邸に宛がわれたジャミルの私室に戻る。少し歩けば同じ敷地内に家族が眠る自宅もあるが、今日はなんとなく、妻の横では寝れない気がした。それは予感だが、確信に近い。
仕事をする為に用意されているこの部屋に、ベッドなぞ無い。広く使いやすいデスクと書棚が三つ、クローゼットが一つ、それからソファとローテーブルがあるだけの簡素な部屋。それでも、一従者の部屋としては破格の物だ。カリムが次期当主として認められて来た事によって、従者の扱いも大分変ってきている。ジャミルが此処まで重用された事により他にも実力でのし上がる者が出てくる事だろう。それは同時に余計な諍いを生み出す危険を孕んではいるが、悪くは無いと思う。少なくともジャミルは、漸くありのままに生きることが出来るようになり、ありのままの世界を愛せるようになった。
窮屈な布地に指を引っ掻けて首元だけ緩めると疲れた身体をソファへと身を横たえる。度々訪れては仕事の話をするために何かと長居するから、とカリム自ら選び、勝手に置かれたソファはこういう時に有難い。それなりに上背のあるジャミルが寝転がっても何処もはみ出る事無く、体重を受け止めるクッションは柔らかすぎず、硬すぎず、次の日に腰が痛くなることも無い。
時計を見ればまだ日付を跨ぐ前だった。普段ならば限りある時間を無駄にしたくなくてこれ幸いとばかりにもう少しだけ仕事を片付けてしまおうとしていただろうに、素直に横になっている自分に、笑う。クッションに顔を埋めてゆっくりと深呼吸を一つ。熱砂の夜の空気が疲れた身体に染み渡る。身を丸めて瞼を閉じれば、普段は足首につけたまま体温に馴染み忘れ去られていた細いチェーンがさらりと静かに主張していた。
再び目を開けた時、ジャミルは砂漠の真っ只中にぽつねんと立っていた。
右を見ても、左を見ても、空と砂しか無い世界。雲一つない夜空には満天の星が煌き、ありえない程に大きな満月が煌々とジャミルを照らしていた。頬を撫でる風は、温い。何も無い砂漠の夜だというのに、恐怖は一つも感じられず、むしろ帰るべき場所に来たかのような安心感だけがあった。
さくり、さくりと砂を踏み、歩き出す。行く当てなどないが、辿り着いた場所が目的地だ。迷いはなかった。
浮世離れした世界をのんびりと歩いていると、やがて少しだけ周りよりも高い砂の山のてっぺんに不自然に絨毯が敷かれていた。砂に足を取られ登るのに難儀しながらもなんとか辿り着き、大の大人が何人も寝転がってもまだ余るような広さの絨毯の上へと腰を下ろす。緩やかに風は吹くのに砂粒一つ纏わりつかない、心地よい空気、真正面には大きな大きな満月。一番最初に此処へ来た時は見慣れたベッドがある、いかにも一つの目的だけに用途を限られた光景だったというのに、随分とロマンチックになった物だと笑ってしまう。
足を投げ出し、後ろに手を付いて身体を支え、寛ぐ。気付けば履いていた靴は無く、素足だった。裾から覗くアンクレットが静かに月明かりを反射していた。
どれほどそうしていたかはわからないが、遠くの砂の上にぽつりと一滴の緑色が落ちた。
ぽつり、ぽつり、降り始めの雨のようにあちらこちらに落ちた緑は音もなく静かに何も無い砂漠に面積を広げて行く。それと同時に緑に塗り替えられた場所から数多の植物が芽を出し、暗い夜空へと向かって枝葉を伸ばして成長しては色とりどりの花を咲かせていた。気付けばジャミルの居る砂山のすぐ後ろにも広がった緑が立派なジャングルを形成し、乾いた空気に青々とした自然の香りを漂わせている。穏やかで美しい緑の風景。きっと、彼も平和に歳を重ねているのだろうと人知れず微笑む。
さくり、と砂を踏む足音を耳にしてそちらへと視線を向けると、そこには想像通りの、否、想像よりも随分と優しい顔で笑うレオナが居た。体格こそ以前とさほど変わらないだろうに、纏う空気が、大きい。甘く、危うげで気だるげな色気を漂わせていた顔が、すっかり地に足のついた大人の色気へと変わっていた。
「ご無沙汰しています」
絨毯に辿り着き、遠慮なくジャミルの隣に腰を下ろしたレオナへと向けて笑う。ああ、と応えたレオナは、だがジャミルを見ると変な物でも見たかのように片眉を上げ、そしてジャミルの顎を指先で捕らえる。
「なんだその髭。似合わねえ」
消せ、と。ジャミルが応える前に親指がジャミルの顎髭を一撫でし、そうして戻る指でもう一度撫でられる頃には最近になって伸ばし始めた髭の感触が消えていた。
「俺は老け顔だと思ってたんですけど、最近若く見られる事が多くて。カリムよりも年下だと思われるんですよ?だから生やしたんですけど……似合いません?」
「ああ」
「自分では結構気に入ってたんですけどね」
「俺は好きじゃねえ」
「我儘」
そうして、目が合って、ふは、と同じタイミングで笑う。触れるか触れないか、そんな距離に座ったレオナが同じように素足を投げ出し、そうして後ろ手について身体を支える。その手が、ジャミルの手の上に重なっていた。ジャミルよりも大きくて高い体温がじんわりと沁み込む。
「……今回も、随分と間が空いたな」
「二年、くらいですかね。前回、カリムの六人目の子供の話しましたっけ?」
「五……六……?どうだったろうな。カリム似なのに気が強くて手がつけられない女の子だったか?」
「それは二人目です」
「聞いちゃいたが、アジームはすげえな」
「一応、本人も余り兄弟を増やしてやりたくはないらしいんですけどね。可哀想な境遇の女の子を見てしまうと、駄目らしくて」
「片っ端から嫁にしてるのか」
「ええ。それで、嫁に迎えたからには子供を作ってやらないと立場が無いからって、結局子供を増やして」
「相変わらず苦労してるんだな」
「もう慣れましたけどね」
そう、もう慣れた。カリムの優しさは、誰かに抑制出来るような物ではない。それが時に人を傷つける結果になるかもしれなくても、カリム自身が深い傷を負うとしても、カリムは立ち止まらない。自らの足で立つ事を覚えたアルアジームはいつだって希望に満ちた顔で前を向いていた。ジャミルに出来る事はそれを陰から支え、見守り、少しでもカリムが笑って生きていける事を願うだけだ。笑顔の仮面で心を隠していた男が、漸く自分の意思で差し出した手を咎めるような野暮はもう、しない。
「そういえば、先輩の所の娘さん、いくつになりました?」
「来週で六歳だな。マセガキで手がつけられねえ」
「女の子の成長は早いって言いますからね」
「それにしても、だ。もうチェカのお嫁さんになるとか言い出してやがる」
「あっは、父親の楽しみを殿下に奪われたんですか!?」
「別にそれは構わねえんだが、チェカもチェカで娘にべたべたでな。馬鹿みたいに猫可愛がりしやがるからアイツが勘違いするんだ」
「滅茶苦茶嫉妬してるじゃないですか!」
「してねぇよ」
憮然とした横顔は、少し、学生時代のレオナを思い出す。重なった掌の、指の合間をなぞる指を挟み込み、そっと肩に頭を預けた。思い出よりもずっと厚みがあり、安定感がある。こつりと、そのジャミルの頭に触れるレオナの頭が預けられ、随分と伸びた髪がふわりと流れて重なった掌を擽っていた。
話題なら、いくらでもあった。二年の間に笑い話になるような出来事は山ほどあったし、家族の事だって、同じ子を持つ父として愚痴やら惚気やら事欠かない。妻の事を語らせれば、ジャミルだって自分の妻が世界で一番良い女だと胸を張って言えるが、レオナの砂を吐くのではないかと思えるくらいの甘い惚気話を嫌という程に聞かされて腹が捩れる程笑った。あの、レオナ・キングスカラーがまさか自分の妻を女神とまで称え崇め奉る未来が来るなどと、あの頃は思ってもみなかった。
そうしてふつりと、まるでレコードの再生が終わった時のように声が途切れる。唇を開けば言葉を紡ぐ事は出来るが、しようとは思わなかった。満ち足りていると思った。もう、二人の間にある空白を埋めようと躍起になるような歳では無かった。飢えを満たす逢瀬から、幸せを分け与える為の逢瀬になったのだと思う。それがとても誇らしく、そして少しだけ寂しい。
気付けば大きな満月はとうに二人の頭上を通り越し、砂と緑の入り混じる地平線の向こうがほんのりと明るくなっていた。
重なった掌が、表皮をそっと引っ掻くように、撫ぜていた。水分を失い、硬くなった皮膚が、名残惜しいとでもいうようにジャミルを撫ぜていた。それだけで十分だ。
見上げれば、穏やかな、深みを増したエメラルドがジャミルを見て居た。目尻に笑い皺が出来た、愛する妻と子供を持つ男の顔。ジャミルも同じ顔で笑っているのだろうか。きっと笑っているのだろう。
笑みを深めたレオナに手首を掴まれて、引かれる。決して強くはないその力に身を委ねてレオナの足を跨ぐとそのままぺたりと身体を預けて押し倒す。すぐに背が抱き締められ、懐かしい体温に包まれる。此処でしか息が出来ない時間があった。此処にいる時だけが、ジャミルで居られる日々があった。けれどもうこの腕の中で息をする事は出来ない。何よりも安らぎを得ていた筈のレオナの体温が、遠い。せめて、今だけはもう少し傍に寄り添いたくて、ぎゅう、と抱き締める。
「……今、お前は、幸せだな?」
慰めるように髪を撫でられ、歳を重ねて甘さの中に渋みを帯びた低音が穏やかに問う。首筋に懐くようにこくりと一つ頷けば、身体の下で緩く笑う吐息が零れた。
「レオナも、幸せだろ?」
「ああ」
問い返せば、深い溜息のように染みる声が陶然と答えた。思わずジャミルも笑う。身を起こし、レオナの身体の上を這い、広がるブルネットの海に手を付いて見下ろす。記憶よりも削げた頬を指先でそっと撫でれば喉でも慣らしそうな程にエメラルドが緩んでいた。
「……もう、捨てた方が良いと思います?」
聞いてから、少しだけ後悔する。余りにも無粋だった。けれど気になっていたのも事実だった。もはや二人に必要が無い物なのだとわかっていたのにこうして見つめあう事が許されているのはただの甘えであり、惰性であるとわかっていた筈だ。少しだけ考えるように目を細めたレオナが、同じようにジャミルの頬を撫でる。大きな掌に頬を押し付けて甘えるのが、ジャミルは好きだった。
「……要らないと思ったら、捨てれば良い」
そのまま指先はジャミルの髪の中へと潜り込んでぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。結わいていた髪が引っ張られ、乱され、まるで犬扱いだ。そんなので喜ぶ筈も無いのに、なんだかおかしくて声を上げて笑う。そうすると、髪を乱していた掌がぐ、とジャミルの後頭部を掴み、引き寄せ、こつりと額が重なった。間近のエメラルド。吐息が触れる距離で、視線が重なる。
「俺は、いつまででもテメェの幸せを願ってやるよ」
そう言って、長い睫毛が下りてエメラルドが隠された。触れた額から何かを通じ合わせるような、穏やかな祈り。ジャミルも両手でレオナの頬を包み込み、瞼を閉じる。
「……俺もですよ」
もうすぐ、朝が来る。
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それを思いついたのは、レオナの卒業を一カ月後に控えた頃のこと。
レオナとジャミルは、お付き合いをしている。と、周りには思われているが、それはある意味で正しく、ある意味では間違っている。
レオナとジャミルは、お付き合いの真似事をしているが、それはレオナの卒業と同時に終わりを迎えるような儚い関係である、というのが正しい。
そもそも惚れた腫れたなんて話をジャミルとした事は一度もない。気付いたらそんな関係になっていた。思ったよりも居心地が良かったから、そのままずるずるとレオナは手を伸ばしたし、ジャミルはその手を拒まなかった。それだけの話だ。
情は、ある。
惚れてる、と言っても過言では無いし、同じだけの想いをジャミルがレオナに向けているだろうことはわかっていた。触れて、抱き寄せて、身体を重ねて、じゃれる事もあったし、喧嘩だってした。けれど、想いを言葉で伝える事はしなかった。出来なかった。
所詮、二人は帰る場所が違う。互いよりも大切な物があった。大切な物の為ならば簡単に切り捨てる事になるであろう相手に、今までの人生を捨てて傍に居ろなどと言える筈も無い。終わりが見えているものを愛でられる程、まだ二人は強く無かった。
だから、卒業と同時に絶つ筈だった縁を繋ぎ留める物を贈ろうと思いついたのはほんの気紛れだった。
ジャミルは二年次のウィンターホリデー以降、随分と呼吸がしやすくはなったようだが、レオナの傍ほどに寛げる場所まだ見つけられていないようだったから。
仮にも先輩であるレオナなら、学年トップ争いに食い込む程の実力を持つジャミルの勉強の相談にも乗ってやれるから。
ジャミルの立場上、一人くらいはアジームも学園も力の及ばない知り合いが居た方が良いだろうから。
色んな言い訳をしながら冗談めかした軽口で向けた提案は、思いの外あっさりと受け入れられた。曰く、俺も思い出が欲しい、との事。そう、これは思い出だ。思い出を形にすれば、きっと心は楽になる。
そうして二人で捲った古代魔法の分厚い辞書。前から目星をつけていた魔法を示してやれば「顔に似合わずロマンチックですね」などと失礼な事を言いながらひーひー笑い転げていたので、その日はそのままベッドに引き摺り込んでしまって作業は何一つ始まらなかった。そんなじゃれ合いも、もう一カ月後には出来なくなる。
古の姫が、愛し合いながらも敵国同士になった為に別れざるを得なくなった王子を想い、編み出したという魔法。身に着ける事で想い人を恋しく思う気持ちを蓄え、蓄えられた力が満ちた時に二人の夢を繋ぐという。
その姫は指輪の内側に埋めた石に魔法を籠めたという話だったが、流石に指輪は目立つし炊事を行うジャミルには不向きだったので、二人で相談した上でアンクレットにすることにした。目立たぬ合成魔法金属製の細いチェーンに念入りに千切れないようにと防御魔法をかけ、石はジャミルが翠玉を、レオナは黒曜石を選んだ。
術式はさほど複雑では無いが、とにかく手間のかかる魔法だった。卒業までの一カ月は毎日のようにジャミルと顔を合わせては石に魔法を籠め、改良案を思いついては議論し、試行し、時には些細な言い争いになったりもしたが、それもこれも含めて「思い出」だ。最初で最後のジャミルとの共同制作。何も生み出せず、何も残せない関係が唯一残せる「思い出」作りに二人で夢中になった。
そうして卒業したレオナがジャミルと再会したのはたったの一カ月後の事だった。レオナの記憶と寸分違わぬサバナクローの、レオナの部屋。特別隠す事はしなかったが、関係を見せびらかせて歩くのは嫌だとジャミルが言ったから、二人の逢瀬は殆どがレオナの部屋だった。思い出の大半は、この部屋の記憶が占めている。たった一カ月で繋がるなんてアンタどんだけ俺の事好きだったんですか、お前こそ、と軽口を叩き二人で笑いながらベッドに縺れ込み、一カ月ぶりの温もりを存分に貪り合った。
二度目と三度目はやはり一カ月程度の間隔をあけて、レオナの部屋で会った。
四度目は一カ月と少しの時間が空き、レオナは数える程しか足を踏み入れた事のないジャミルの部屋で会った。夢の中なら自室でも存分に声を上げられるとジャミルは笑っていた。
五度目、六度目、と回数を重ねるごとに少しずつ再会までの時間は伸び、十度目を迎える頃には三カ月も過ぎていた。ジャミルも学園を卒業した後だった。
そこからは、期間も、場所も、様々に変化した。たった一週間で会う事もあれば、半年、酷ければ一年も会わない事もある。今まではどちらかの私室だった風景が、見知らぬ寝室であったり、学園の一室であるようでいて何処か違う、まるで掠れた記憶のように不明瞭な場所だった事もある。最初の頃はそれが目的だったとばかりに必ず肌を重ねて温もりを確かめていたのに、徐々にその頻度が減った。ただ寄り添い、手を繋いで過ごすだけの時間が増え、いつしか唇を重ねる事も無くなった。
もう隠す事も無いだろうと、妻を娶った事をそっと打ち明ければ、ジャミルはとうの昔に結婚していた上に既に子供まで作っていて、あまりの馬鹿馬鹿しさに二人で腹を抱えて転げまわった事もある。
ジャミルも、レオナも、もはやお互いに向けているのはかつてのような甘酸っぱい物では無い。レオナが家族を愛し、何よりもかけがえの無い物と思っているように、ジャミルもまた家族を愛し慈しんでいるのは話していればよくわかる。
きっと、今突然石が壊れて二度と夢で会えなくなったとしても、それなりの悲しさは覚えても溜息一つで済ませてしまうだろう。石に力が溜まる頻度だって、年単位の時間をかけてやっと一度会える程度に減っている。
それでも、まだ会えているのだ。もう要らない、と捨てる事も出来ず、お互いに恋しいと思う気持ちをほんの少しずつ抱えて生きているのだと再会する度に突き付けられている。
ジャミルを心の底から愛しいと思う。傍に居なくても構わない、ただ、幸せに笑ってくれているのならそれだけで良いと願う気持ちは、恋慕というよりは家族に対するような愛情だった。
もう、いいだろうか。
「――……今度、家族を連れて、お前を訪ねて良いか」
もう何度目かもわからない逢瀬。今日は、雪景色の街並みを見下ろせる石造りのバルコニーだった。ベンチにぴたりと身を寄せて座る二人の上に雪がちらほらと舞い落ちているのに少しも寒くは無かった。ただ、雪に煙る夜の明かりが美しく煌いていた。
ぱちりと瞬いたジャミルが、久々に見るような幼さを滲ませた顔でレオナを見て、それからとろりと蕩けるように笑う。
「ええ、勿論。それより先に、俺が先輩を訪ねますよ。妻と、子供を連れて」
きっと、もう実際に会ったとしても迷わないだろう。迷うかもしれないと怯える事も無いだろう。むしろ一度腹を括ってしまえば何をそんなに躊躇っていたのかとすら思う。
本物の、ジャミル。卒業して以来、一度も会っていない。願望を投影する夢の中のジャミルと、現実のジャミルが同じだとは限らない。だがきっと、もう大丈夫な筈だ。
久方ぶりの再会を喜び、握手をし、ハグを交わす。お互い自慢の妻と子供を紹介し、そうして古い友人同士の、家族ぐるみの付き合いを始める。
妻や子を前にした知らないジャミルを見るだろうし、レオナもきっとジャミルの見たことが無い顔を見せては笑われるのだろう。
なんと幸せな光景だろうか。これを、幸せな光景だと思える日が漸く来たのだと、嬉しくて泣きたいような気持ちだった。
「目が覚めたら、真っ先に手紙を送り付けてやるから、予定を調整しておけよ」
「此処二年くらい、休みなしに働いてたんで思い切り長期休暇もぎ取ってやりますよ」
ジャミルの肩を抱き寄せて、頭にこめかみを預ける。ジャミルの体重が肩に預けられ、宥めるようにレオナの腿を撫でていた。こんな触れ合いはもう二度とないのかもしれない。夢で会う事すらなくなるのかもしれない。
それでも、レオナは初めて夢から覚めるのが待ち遠しいと思った。
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