高みに上り詰めた身体が、すぅ、っと手元に落ちてくる、その刹那的な感傷を奥歯で噛み締め、それから細く、夜の闇に吐き出す。重力を思い出した身体が、だるい。
もう何度出されたかもわからないもので腹が膨らんでいる気がして何処か息苦しい。せめて、栓をするように突き刺さったままの物から逃れれば楽になるとわかっているのに、このなんとも言えない時間を勿体ないと思ってしまうから、この男が嫌いだ、と思う。
男の腹についた手をそうっと掬い取られ、眼が合う。闇の中に煌々と光る獣の目。ひたりとレオナを射抜くその榛色に、まだ終わって居ないことを知り、ふるりと身体が震える。期待を、したわけではない。怯えているわけでもない。ただ、開け放たれた窓から入り込む夜風が冷たかっただけ。そう自分に言い聞かせても、耐え切れずに囚われていた視線をそっと伏せる。
汗に滑る手を握り、引き寄せる力はさほど強く無かった。だがレオナの身体は驚くほど素直に男の上へと覆い被さり、咄嗟についた手はシーツに散らばる夕焼け色の髪の中に埋まった。角度が変わり緩やかに中を撫でられて零れた吐息が男の上に、落ちる。
言葉は、無かった。ただ、囚われた指先が男の唇へと運ばれ、あえかな水音を立てて啄まれる。誘うように爪を甘く齧り、指の合間をぬるりと舌で撫ぜられ、そうして解放される。応えを求める榛色が緩い三日月を象ってレオナを見て居た。まるで拒絶される事を知らない憎らしい、顔。唇から滑らせた指先で頬をなぞり、ぬるりと汗ばむ頬を撫でれば男らしく張った頬骨が擦り付けられ、益々三日月が細くなっていた。ちゅ、と戯れに掌にも水音を落とされ、大きな掌がレオナの腰を、掴む。ただ、男の両手が、レオナの腰骨を包んでいる、たったそれだけの事なのに吐息が震えてしまうのを誤魔化すようにそっと息を呑んだ。内腿に挟み込んだ男の胴の太さを強く感じても、知らない振りをした。
頬から、生え始めの髭がざらつく顎を通り過ぎて、太い、首筋へ。唾液を飲み下す男の喉仏が、動く。そこに力の限り牙を埋めてやりたいという欲に抗えずに顔を寄せ、尖った軟骨の先に舌を這わせて舐る。舌に染みる男の汗に誘われるまま齧り付き、纏う汗を根こそぎしゃぶりつくすように啜る。
あと一息、太く逞しい首にめり込ませた牙に力を籠めれば、この男は死ぬ。
レオナとて、もう為すがままに逆らえない子供ではない。人の身体の中でも特別無防備なこの場所を噛み千切るくらいは出来る筈だ。
そう、わかっている筈なのに、力を込めた牙が男の首筋の上を、滑る。抑え込み、噛み砕こうとしている筈なのに、ただ甘噛みを繰り返すばかりになるものだから、調子に乗った男が掴んだ腰をゆっくりと持ち上げ、身体の奥底で馴染んだ体温が引き剥がされて行く苦しみに喘ぐことしか出来なくなってしまう。
「ぁ、……ぁ……」
抜け落ちるギリギリで掴んだ掌の力が緩み、重力に従って再びずぶずぶと、すっかりとその形にされてしまって泥濘んだ場所にぴったりと嵌る熱を埋められて戦慄く。だが、それだけだった。あるべき場所に埋め戻された熱は先を強請るような締め付けをただ享受するだけで、それ以上動こうとはしない。埋めた熱でレオナを燻る癖に、それ以上はくれない。
崩れ落ちかけた身体を男の顔の横についた手で支えて起こし、見下ろす。憎しみを、嫌悪を、苛立ちをもって見詰めた先で、男は笑っていた。愉悦を、慈しみを、獰猛さをもって、ただ、笑っていた。
その視線一つで、レオナの何かがぐしゃぐしゃになってしまうのを知っている、顔。
「……ッは、」
笑ったつもりの吐息は、想像よりもずっと熱に溶けていた。だから、この男は、嫌いだ。
幅の広い肩から、くっきりと浮いた鎖骨の上を通って首筋へと、両手を滑らせる。そっと包み込むように優しく握れば指先に伝わるのは頸動脈に流れる血潮。親指には、太い喉仏。レオナの両手の中に、男の命があった。
「……お前に殺されるのは、さぞ美しく、幸せなのだろうな」
包み込んだ首が震え、男の濡れた低音が囁く。抗う事も無く、避ける事も無く、ただ陶然と、レオナの掌に脈動を晒して余りにも美しく微笑む物だから、レオナは、今日も男の代わりに自分を殺した。
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