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空箱

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6

部活が終わり、各々着替え等を終らせた後は個別解散となるものの、運動後の青少年がその後する事など飢えた腹を満たす事以外になく、結局部員の殆どがぞろぞろと連なって食堂に向かうのが常となっている。その道中で持ち上がったマジフトの新戦術の話題。誰かが言い出した、粗いが斬新なその戦術は食堂で夕食をとる間も盛り上がり、片付けるからと食堂を追い出されても話し足りずにサバナクロー寮の談話室に移動してまで白熱した。斬新なだけに穴も多く、それを埋める為の案が出ては別の問題点が出てくる。更にその問題を解決しては、と終わりが無くとも最初は荒唐無稽にも見えたそれが洗練され実用に耐え得る戦術に仕上がっていく様にレオナもつい夢中になってしまった。
ふと気付けば一般的な寮の消灯時間が迫ろうとしていた。サバナクローの寮生はどうでもいいが、他寮の部員達はさっさと返さないと後で文句を言われるのはレオナだ。名残惜しさを感じつつも充実した気分で続きはまた明日の部活で、と解散させ、ラギーに他寮の追い出しを任せて自室に戻る。
夜の涼しい風が通り抜ける廊下を進み、寮の最上階、一番奥の部屋。朝レオナが出て以来、無人だったはずの部屋の扉を開けた瞬間に香る、他人の香り。連絡も無しに突然やってくるのは珍しいと思いつつ、確かにこの部屋に居る筈なのに、物音無く、暗いままの部屋に少しだけ考えた後、明かりをつけないまま中へと足を踏み入れる。何かを企んでいるのかと多少警戒しながら進んだ物の、当の本人はレオナのベッドの上に堂々とクッションを抱えて猫のように丸まって寝ていた。
どんな顔をして寝ているのかと、ベッド端に腰を下ろし顔に掛かる髪を掻き上げてやれば下から覗いたのは闇に溶けそうな昏い瞳。
「遅いです……」
「早く会いたいとは言われてねぇからなあ?」
「そんな事言うわけないです」
指から逃れるようにクッションに顔を埋めて、もごもごとくぐもった返事が返って来るのに思わず喉奥が震える。飼い主が居る癖に野良猫気取りで他人のベッドを占拠している奴が一人前に拗ねている。
「じゃあ邪魔だ、帰れ」
「嫌です」
「お迎え呼んでやろうか?」
「要りません」
「それとも俺が送り届けてやろうか?」
「先輩、いつからそんなに面倒見良くなったんですか」
ふふ、と笑う声が漏れ、漸くクッションから離れたジャミルが両手をレオナに伸ばす。望んだ物が手に入る事を疑わない眼差しがレオナを見る。これが他の人間だったらばその傲慢さに苛立ちを覚えるだろうに、ジャミルが相手だと強請られるままに与えてやりたくなるのだから不思議な物だ。だがそこにあるのは優しい感情では決してないとお互いわかっている。わかった上でジャミルはねだり、レオナは与える。
乞われるがままジャミルの上にべったりと体重を預けて圧し掛かり、首筋に顔を埋めると珍しくシャワーを浴びずに来たのか汗の香りがした。香料に誤魔化されない匂いを嗅ぎ味を確かめるように首筋を舐めると、満足気にレオナの背を抱き締めたジャミルがくすぐったげに笑う。
「先輩、汗臭い」
「人の事言える立場じゃねえだろ」
「匂います?」
「いつものくせぇ匂いよか全然良いけどな」
「サバンナの野生児にボディソープは高度な文明過ぎましたね」
「照れてるならもう少し可愛げ見せろ」
「餌くれるなら尻尾振ってやってもいいですけど」
「てめぇが振るのはケツだろうが」
「先輩下品です」
「じゃあお上品にどう言えばいいんだ優等生」
「……」
問い、視線を重ねれば一瞬の間。それからおかしくなって二人同時に吹き出す。あまりに下らない、実りの無い会話だが拗ねた子猫の機嫌は少し良くなったようだった。
「シャワー浴びてくるから待ってろ」
この後することは決まっている。どうせまた汗をかくのだとわかっていても一度さっぱりしたい。身を起こし、ベッドを降りようとするとぐん、と尻尾が引っ張られ思わず痛みにバランスを崩しそうになるのを寸でて踏み止まる。
「おっまえな……」
「俺もシャワー、浴びたい」
「じゃあ来ればいいだろ」
「やだ」
手に捕えたレオナの尻尾の毛をくるくると指に絡ませ弄ぶジャミルが何を言いたいのかがわからない。逃れようとしても巧みに指先が絡みつき離れずレオナも付け根がぞわぞわする。じ、っと伺うような瞳がレオナを見上げているがレオナにその真意は伝わらない。眉を寄せ、首を傾けてやればジャミルの唇が尖り、あからさまに拗ねた顔をする。
「抱っこ。……して、……ください」
いかにも察せないレオナが悪いと言わんばかりに唇を開いた癖に、途中で我に返ったのか次第に声が小さくなり顔を伏せる。自分が羞恥心に耐えられるラインも見極められずに口にしてから初めて気付くその不慣れさ。余りにも甘える事と無縁だったことが伺えるその反応だけで、ついレオナが甘やかしてやりたくなるのも仕方が無い事の筈だ。思わず腹から笑い声が漏れてしまう。
すっかり恥じ入ったようにシーツに顔を埋めてるくせに八つ当たりで引っ張られる尻尾が痛い。だが暫く笑いは暫く引っ込む気配が無い。
「恥ずかしがるくらいなら言うんじゃねえよ。おら、お姫様。仰せのままにバスルームにご案内してやるから起きろ」
尻尾を握る手を捉えて引けば素直に起き上がるが顔は伏せたままだった。覗き込んでやりたい気もするがそれはバスルームに行ってからでも良いだろう。背と、膝の裏に手を当てれば顔は見せない癖に大人しく両腕がレオナの首に回るのが余計に笑いを誘う。
よ、と勢いをつけて持ち上げると腕の中の身体が緊張するのがわかった。レオナの首を頼りにぎゅうと身を丸めて縮こまっている。そうしてくれた方が運びやすいのは確かだが、本当に器用な癖に不器用というか、妙な所で可愛げを見せてくるからついつつきたくなってしまうのだ。
ジャミルが今日、何を求めて部屋に来たのかはわからないし、聞く気も無い。必要もない。ジャミルとてレオナに告げる気は無いだろう。お互い欲しい物を奪い合うだけの関係だ。気が乗れば投げ返してやるし、そうでない時はジャミルがどれだけ弱っていようと容赦なく突き放す。
だからこそ気楽だし、気が乗った時は存分に甘やかしてやりたいと思うようになったのはいつからだったか。ジャミルがこうして慣れない我儘を言うようになったのはいつからだったか。
すっかり思い出せない記憶をたどるよりも、まずは明るい場所で真っ赤になっているのであろうジャミルの顔を見てやろうとバスルームの扉を蹴り開けた。



行為の後の充足感と、倦怠感、それから眠気。
独特の心地良さに揺蕩いながら腕の中の温もりを抱え込んで一息吐く。すっぽりと収まった温もりが抗うことなく居心地の良い場所を探して身動ぎ、そしてレオナの胸元に額を付けて落ち着く。込み上げる欠伸を奥歯で噛み殺しながら、ふと思いついた疑問に唇を開く。
「……もし、お前の主から俺を殺して来いと言われたらどうするんだ?」
思いつきに理由などない。だがそういう命令が実際にジャミルにくだらないとも限らない。お互い、人よりも命の価値が重いという自信がある。ピロートークに相応しくない物騒な話題だという自覚もあるが、それを気にするような相手でもない。
「――……それは、今すぐの話か?」
抱かれている相手を殺せと言われても抗う所か受け入れ、最初に実行する手立てを思案するその回答に思わず喉奥で笑う。
「そうだな、在学中に、だ」
とろりと眠気を漂わせる目尻を親指で撫で、頬に指の背で撫でればいかにも甘く懐いて見せる癖に目線は何処か遠くを見て真剣にレオナを殺す算段をしている。全く持って飽きない生き物。殺さない、という選択は無いのだなと込み上げる笑いで口角が緩む。
「……在学中、という事なら、ラギーを狙います」
いかにも真剣に考えているような声でぽつりとジャミルがこぼす。うん、と相槌を打ちながら、先を促すように髪を撫でる。
「ラギーのストーカーが……先輩に嫉妬して殺害を企てた、というシナリオで……ああでもサバナクローの皆さんは鼻がいいから……下手な小細工はバレるか……ううん……?」
ただの思い付きの質問に真剣に考え込むくらいにはジャミルも眠いのだろう。ふぁ、と溢れた欠伸の後にはレオナに額を擦り付けてむずがる。
「いっそ……今このままアンタにナイフ突き立てた方が早いか……?俺は先輩を愛していたのに、殺す筈なんかないのに手が勝手に動いたんだ誰かの魔法のせいだ、って……悲劇のヒロインみたいに泣き喚いて……」
「役者にもなれるのか、大したもんだな」
「まあ、先輩が素直に殺されてくれないと返り討ちになって死ぬだけなんですけどね」
「そうだな」
「死にたいんですか?」
思わぬ事を聞かれて思わず息を呑む。死にたい、わけでは無い。だが、何故か言葉が出なかった。
「死にたいなら……殺してあげてもいいですけど……在学中は止めてください面倒臭いんで……」
「卒業後ならいいのか」
「カリムが許せばですけど……いやカリムが許すわけ無いな……やっぱり駄目だ死にたいなら自分で死んでください」
「死にたいわけじゃない」
「じゃあ、生きたいです?」
再び言葉に詰まる。それを悟られたく無くて、誤魔化すように後頭部を引き寄せて唇にかぶりつく。
「んん、……っん、」
眠気でか動きの鈍い舌を絡めて吸い上げれば存外素直な両腕がレオナの首筋に頭に絡みついてもっとと強請られる。舌の根を擽り、差し出される舌を無遠慮にじゅるじゅると音を立てて吸い上げてやれば黒く長い睫毛が震えていた。
「んっ………はあ、……」
存分に堪能して解放してやればゆるりと震えて持ち上げられた瞼の下から覗く昏いジャミルの瞳。夢と現を彷徨うような茫洋とした眼差しに惹かれて眦へと口付けを落とす。
「逆に……先輩なら、どうやって俺を殺してくれます?」
余りに普段とはかけ離れた素直な質問に思わず、ふは、と笑いが漏れた。
「そうだな……一息に此処を噛み千切ってやる」
後ろ髪を引っ張り、痛みに眉を潜めながらも晒された喉仏に甘く歯を立て、吸い付く。
「ケダモノ……」
「そこが好きなんだろ」
あっは、とさも楽し気に笑うジャミルの身体を抱き締めて執拗に首筋をしゃぶりつくす。痕をつけるなと以前言われたような気がするが知ったことではない。ジャミルもけらけらと笑ってレオナを抱き締めるばかりで咎める様子は無かった。
「っは、……もしも、アンタが俺を殺す事があったら……屍は砂にして誰にもバレないようにしてくれ……」
「ご主人様への配慮か」
「いや。どうせ死ぬなら何もかも無になりたい」
「記憶には残るだろ」
「……殺したアンタが責任持ってどうにかしてくれ」
「無茶を言うな」
二人、抱き合って、笑い転げる。夜明けはまだ遠かった。

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