忍者ブログ

空箱

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

未来の話

初めてカリムに会った時、「怖い生き物」だと思った。
いずれ仕えるお方だから粗相の無いように、気に入ってもらえるようにとよくよく言い聞かされ、現当主の右腕である父に連れられたアルアジームの屋敷。
初対面だというのにまるで昔から家族でもあったかのような笑顔を向け、仲良くなろうと躊躇いなくスキンシップを取る。主という立場になる事をわかっているのかいないのか、まるで対等であるかのように振舞う。それはアルアジームに仕える家系で大人ばかりに囲まれて育ったジャミルには未知の生き物でしか無かった。父に助けを求めようにも当主様と二人並んで笑っているばかりで手を差し伸べてくれる気配は無く、泣きそうな気持でカリムについて行くだけで精一杯だった。
何故、初めて会う人間にそんなにも気を許せるのかがわからなかった。
何が楽しくてそんなにずっと笑っていられるのかがわからなかった。
わからない生き物には、恐怖しか感じられない。


その恐怖が薄れたのは本格的にジャミルがカリムの従者として付き従うようになって少ししてからだ。
カリムは、いつでもこの世の何もかもが楽しいと言わんばかりに笑っている。まるで悲しみも苦しみも存在しないかのように、ただ笑っている。だがその笑顔にも種類があるのだと長い時間を共に過ごす事で気付いた時、ようやくカリムを同じ「人間」なのだと認識出来た気がする。
楽しい時の笑顔、悲しい時の笑顔、嬉しい時の笑顔、辛い時の笑顔、怒った時の笑顔。
カリムはいつでも笑っている。でも感情が無い訳では無い。ジャミルがアルアジームに仕える者として従者の振舞いを徹底的に叩き込まれたように、カリムもアルアジームの長になる者としての振舞いを言われるがままに遂行しているのだと幼心に理解した。
アルアジーム家を継ぐ者は弱みを見せてはならない。だが余りにも完璧であっても駄目だ。
カリムはいつでも笑っていた。カリムをこの世は楽園だと言わんばかりに笑っていた。暗殺、誘拐、脅迫、様々な脅威がカリムの前に立ちはだかってもなんてことないような能天気な顔で笑っていた。他者の悪意に気付けない盲目の愚者のように笑っていた。そうすることで自分の命を守っていた。この程度の相手ならばすぐに潰せると思わせるくらいに無能で、それでもそんなカリムを守り育ててやりたいと思わせる程度には可能性を秘めている。慎重に考えた末にそう振舞っているようには見えなかったから、きっと今までの経験から染み付いた無意識の習慣。それを憐れだと思うのと同時に、守ってやらなければと思った。最期までカリムの味方でいてやりたいと思った。まんまとカリムの手口に惑わされている。


NRCに入学する事になり、常にたくさんの使用人に囲まれて生活していた生活から一変、ジャミルとカリムの二人きりの生活となった三年間は言葉に出来ないくらい、楽しかった。日々のカリムの世話を一人でこなしながら己の学業もそれなりの成績を出さなければいけない生活は忙しかったが、それでも有り余るほどの解放感。
屋敷に居た頃は、ジャミルが二度「駄目だ」と言えば諦めたカリムが、此処に来てからは我儘を言うようになった。どちらが従者かわからないくらいにいつでもジャミルと共に居ようとべったり張り付いて離れなかったカリムが一人で行動する事を覚えた。屋敷では絶対にやらなかったような無茶をやらかす事もあったし、ジャミルに咎められると拗ねたような表情を見せるようにもなった。
頑なに張り付いていたカリムの笑顔が剥がれてその内面がほんの少し見えるようになり、やっとカリムも年相応の、同い年の子供なのだと理解した。立場が違うだけで、ジャミルと何ら変わらない。NRCに来てからは喧嘩もするようになったし、二人でくだらない事で笑い転げたりもした。まるで本当の友人のようにたくさんの時間を過ごした。
刺客が居ないとは言えないが、学園内に住む人間の中にカリムを殺す理由を持つ者が皆無と言っても良いくらいに居ない分、外の世界よりもずっと安全だった。友人というものもたくさん出来たし、屋敷では経験出来ない事が数えきれない程あった。この生活が永遠に続けば良いのにと思わず願ってしまうくらいに満喫した学園生活。アルアジーム家の目が無いのを良い事に、それはもう自由に伸び伸びと過ごさせてもらった。
その楽しい時間も、明日の卒業式で終わる。


ジャミル、と名を呼ばれて唇が重なる。柔らかな感触がふにふにと唇を啄み、それからゆっくりと濡れた舌が潜り込むのを迎え入れ、混ざり合う体温を味わうように瞼を伏せた。
NRCに入学してからの三年間、アルアジーム家嫡男という立場のカリムが、他所で余計なトラブルを起こす事を防ぐための「処理」として何度も肌を重ねて来た。あくまでカリムの性欲処理であり、ジャミルはそのための道具。一方的に奉仕され発散するだけの行為にカリムが不満を抱いているのも知ってはいたが、ジャミルはずっと処理の為の道具に徹してきた。
卒業して屋敷へと帰れば、カリムは本格的にアルアジーム家の跡取りとして生きる事になり、アルアジーム家がより繁栄する為に選び抜かれた家の娘が婚約者として宛がわれ、いずれは跡継ぎを望まれる。ジャミルは変わらずカリムの傍に仕えるが、もう処理をする必要はない。屋敷には他にも女はたくさんいるし、婚約者が早くに決まれば彼女が全てを担うだろう。寂しいとは思うが、致し方ない。元からカリムに触れられるのはNRCに居る間だけだと承知の上で身体を重ねていた。だからこそジャミルを使って発散することは許しても、キスは余程の事が無い限りは許さなかった。ただの道具に余計な情も愛撫も要らないだろう。
だが今日はNRC最後の、否、二人がこうして自由に触れ合える最後の日だ。だからこそ、カリムの望みには全て応えた。思い出が欲しい、なんて女々しい事は口が裂けても言えないが似たような心境であった事は否定出来ない。
カリムを受け入れる場所の準備はいつもジャミルが事前にこっそりと行いカリムには一切触らせなかったのだが、強請られるままに触れる事を許したらしつこいくらいに丁寧に指で中を解かれるばかりか舌まで入れられて散々鳴かされる事になったし、同じく触れる事を許していなかったジャミルの物を口で咥えられた挙句、吐き出した物を飲み込まれた時にはもうアルアジームに死んで詫びるしか無いと思うくらいの罪悪感があった。演技はするな、でも声は殺すなと命じられ、唇を噛むことすら許されずに延々と自分の追い込まれた声を聞く羽目になって恥ずかしいやら気持ち良いやらでジャミルは何度果てたかもわからない。
「んん、……ふ、ぁ……」
ゆったりと口内を撫でる舌が気持ち良い。普段ならばカリムが気持ちよくなることを最優先とし、いかに時間をかけずカリムに満足してもらうかを求めて殆どジャミルが機械的に奉仕していたから、カリムがこんなにも丁寧に抱く事を知らなかった。知りたくはなかった。この分ならアルアジームの跡取りは夜が下手だと噂される事も無いだろうと安心するのと同時に寂しいと思ってしまう。
「っっぁ、……っ」
ぬち、と繋がったままの場所を揺すられて肌がさざめく。もうこれでお終いだと突き放してしまいたいのに、両手の指を絡めてシーツに押さえつけられ、醒めない熱に浮かされた瞳に見下ろされたら言葉が出てこなかった。中で出されたものを塗りこめるように緩やかに粘膜を擦られてもどかしさが募る。
「カリム、……」
止めろと言いたいのか、もっと欲しいと言いたいのか、自分でもわからない。
「疲れたか?」
「ぁ、……ん、だいじょうぶ……」
「ん」
満足気に笑うカリムの労うように重なる唇は優しいのに、水面を揺蕩うように緩やかに、だが確実にジャミルの弱い場所ばかりを擦る動きは明らか下心が滲んでいた。早く、このまま何もかも考えられるくらいに追い詰めて欲しいとも思う気持ちと、穏やかに熱を分け合うようなぬるま湯のような心地を長く味わっていたいという気持ちにジャミルの心も揺れる。
「なあ、もう一回、してもいいか?」
ゆるゆると次第に硬さを取り戻す物に煽られてとっくにその気になっているのはカリムだってわかっているだろうに、わざわざ聞いて来る辺りがまたジャミルの羞恥心を煽る。というよりも、慣れていない。いつだって誰かに身を委ねる時、そこにジャミルの意思は必要無かった。ジャミルがどう思っていようと相手の意のままに振舞っていればいずれ終わる行為。普段ならば心で何を思おうと口だけは「もっと欲しい」と強請る事が出来ただろう。心を殺して与えられた役目を全うする事には慣れている。だが今日はもう道具になりきる事が出来なくなっていた。これが最後だというだけでジャミルはどんな顔を作れば良いのかわからなくなっていた。こんなにも醜い未練を晒していることをきっとカリムは知らない。それで良かった。そうであって欲しかった。この波打つ心の内を知られていたら羞恥心で死んでしまう。
「なあ、ジャミル」
「ひぅ……んんんッ」
ぐん、と少し強く押し込まれてすっかり蕩けた腹の奥から痺れるような快感が走る。早く何も考えられなくなるくらいにして欲しいのに再び緩やかな動きになったカリムは楽し気にジャミルを見下ろすばかりだった。何か言葉を紡ごうと唇を開くが漏れる吐息は音になれず、どんどん顔面に熱が集まるばかりで視界が滲む。
「っはは、こんな可愛いジャミル初めて見た」
目尻の涙を吸い取られ、誰のせいだと睨んでみるもカリムは笑みを深くするばかり。役に立たない唇の代わりに絡まる指を強く握り、まだろっこしい動きしかしないカリムの腰に足を絡めて引き寄せる。
「あはは!そう来たか!本当は言葉で聞きたかったけど……また今度な」
ちゅうともう一度唇を重ねてからカリムが動きやすいようにと体勢を変える。漸く望んだ物が与えられる事に安堵しながら、また今度は無いのだと切なくなる気持ちから目を反らした。



卒業から退寮の日までそれなりに猶予があるとはいえ、いかんせんカリムの私物は多い。NRCに来てからは断る方が面倒になってカリムからの贈り物を渋々受け取っていた為に、ジャミルの私物も馬鹿に出来ない量になっている。そしてそれを片付けるのはほぼジャミル一人だ。式の後はひたすら不要物を捨て、無くても生活に困らないモノから屋敷へ送り、その合間にもカリムの世話をする。結局退寮日ギリギリまで荷造りに追われ、漸くすべての荷物を運び出した後、空っぽになった部屋を名残惜しむ暇もなく屋敷に帰るしか無かった。
久しぶりに帰る熱砂の国は既に日が落ちて夜の時間だった。三年間の寮生活を終え、漸く跡継ぎ候補筆頭であるカリムが帰って来るという事で今夜は盛大な宴が開かれる事になっているため、落ち着く暇も無く準備に駆り出される。宴好きなのは何もカリムに限った事ではない。
まずはカリムに身形を整えさせねばと風呂へと引き渡す。何から何までジャミルが手をかけていたNRCとは違い、それぞれに専用の役目を持った使用人が居るのが楽ではあるが寂しくもある。だがこれが正しい形なのだと言い聞かせ、自分も支度の為に自室に向かおうとした所で父に捕まりカリムとは別の、だがアルアジーム家しか使用を許されていない風呂へ向かえと指示された。理由を尋ねても曖昧な笑みに誤魔化され、いいから行きなさい、あとはそちらの指示に従うようにと端的に伝えるだけでさっさとどこかへ行ってしまう。アルアジーム家嫡男の為の宴ともなれば父も忙しいのだろう。久方ぶりに会った実の父親と言えど此処ではアルアジーム家に仕える上司と部下のような物だ。父に命じられたのならば逆らう事は許されない。
首を捻りながらも指示された場所へと向かえば、待ち構えていた女達に有無を言わさず服を脱がされ浴槽へと連行される。かつて、風呂の間も傍に居てくれとカリムにせがまれて何度か入った事はあるが、服を着たまま、本当にただ傍でカリムが入浴する所を眺めているだけのものだった。決して色とりどりの花が浮かべられて良い香りのする湯に浸かった事は無い。何かを聞こうにも妖艶に微笑む彼女達にあれよと言う間に湯に沈められ、四方八方から伸びた腕に肌や髪を清められる。何か褒められていたようだったが他人に世話を焼かれる事に慣れず戸惑うジャミルには彼女たちの言葉の半分も理解出来なかった。きっと今頃カリムも同じ扱いを受けているだろうが、一介の従者であるジャミルがこのような扱いを受けるのはどう考えても不相応だ。だがここで逆らうわけにもいかない。湯に濡れた布を張り付かせただけの艶めいた彼女達に囲まれ、際どい場所までも念入りに洗われるのを諦めの境地で受け止め、ただ為すがままに身を委ねる。湯浴みが済むと柔らかなタオルで丁寧に水気を拭き取られ、そうして柔らかなクッションが敷き詰められたソファに座らせられた。髪には何かを塗られた上でドライヤーが当てられ、顔からつま先まで肌全体に謎の液体やら油のようなものやら揉み込むように塗り込まれ、辺りに蜂蜜と花を混ぜたような甘い匂いが広がっていた。きゃあきゃあと世話をする女たちはそれはそれは楽しそうにジャミルの世話を焼き、髪は二人がかりで何か複雑な作業をしているようで、両手足にはいつの間にか増えた女たちが真っ赤なマニキュアを塗り、そうして顔に粉をはたかれた辺りで我に返る。何か、とてつもなく面倒な事に巻き込まれている気がする。
「私は、これから何をさせられるのですか?」
カリム付きであるジャミルは彼女達よりも立場が上である筈だが、父に従えと言われた手前、敬語でそっと問う。だがうふふと意味深に笑い、「おめでとうございます、どうか末永くお幸せに」「絶世の美女に仕立ててみせますからね」「これからの末永いお付き合い、よろしくお願いします」「きっと坊ちゃんも見惚れてしまいますわ」「お好きなお色があったら申しつけてくださいませね」と全く答えてくれる気配はない。不穏な言葉も聞こえたようだがそれ以上を教えてくれる気は無いようだ。諦めて、彼女たちが言うままに瞼を伏せる。よくわからないが、女装をさせられるのだろうという事はわかった。それがわかった所で何がどうというわけでも無いが。


思考を放棄して暫く。
漸く解放されたジャミルの前に鏡が置かれ、そこで初めて自分の有様を見る事が出来た。鮮やかな赤を基調とした熱砂の国の伝統的な女性用の衣装、頭から肩回りまで巻かれた軽い素材のストールと装飾品で巧く男の骨っぽさを誤魔化し、あんなにたくさん塗りたくられたと思っていた顔はすっぴんであるかのようにナチュラルだが、確かに自分の顔である筈なのに随分と女性らしく見えるように塗り替えられていた。ジャミルの双子の姉だと言っても違和感が無いと思う。至る所に豪奢なアクセサリーをつけられて目がちかちかする。こんなに派手に飾り立てられて、これでは、まるで。
考える間も無く「さあ、急ぎますわよ」と新たにやってきたメイドに急かされて移動させられる。着慣れぬ女性物にどうしても足の運びがぎこちなくなるし、普段よりも随分と小股に歩かなければ引っかかって転んでしまいそうだった。
案内されるままに辿り着いたの部屋にはきちんと正装を着込んだカリムがいた。ジャミルを見るなり目を輝かせて駆け寄り抱き着いて来るのを慌てて受け止める。普段よりも踏ん張りが効かずに少しだけよろめいてしまい、慌てたカリムに恭しく手を取られ、ソファへと導かれた。
「思った通り、すごく綺麗だ!!!」
「やっぱりお前が何かしでかしたんだな……」
メイドが扉を閉めて二人きりになったのを確認してから息を吐く。帰る前から既に疲れていたのにわけのわからない事に巻き込まれて精神的にも疲労感が募っていた。宴はこれからだというのに気が重い。このままソファにずるずると埋もれてしまいたいが気慣れぬ衣装とそこかしこでしゃらしゃらと音を立てる装飾品を壊してしまいそうで迂闊に姿勢を崩す事も出来ない。
「なあ、よく顔を見せてくれ」
だがはしゃぐカリムはきらきらと輝かんばかりの笑顔でジャミルの頬を両手で包み込み、ずいと身を乗り出して至近距離から宝石のような眼で見て居た。
「凄いな、いつもと別人みたいだ……あ、でも今度化粧しないままでも着てくれよ」
「そのまえにどういう事なのか説明を……っおい」
余りにも自然に唇を重ねようとしたカリムに思わず顔を背けて仰け反る。もうここはNRCではない。万が一にもこんな場面を誰かに見られでもしたらジャミルの首が飛ぶ。
「あ!そうだった!すっかり忘れていたな!」
いやあすまんすまんと気分を害するでもなく隣に腰を下ろしなおしたカリムにほっと息を吐く。カリムの手が離れた後でも頬が熱かった。
「一つだけ確認しておきたいんだが。ジャミルは、一生、俺の物だよな?」
予期せぬ質問に思わず瞬く。何かを塗りたくられた睫毛が重い。正確にはジャミルの身はアルアジーム家の物であってカリム個人の物では無いが、いずれカリムが受け継ぐ物であれば間違いでは無いだろう。
「そう、だな。カリムがそう望んでくれる限りは」
「だよな!」
眩いばかりの満面の笑顔。この笑顔は「嬉しい時」のテンションが上がり切っている笑顔だ。そうして立ち上がったカリムがジャミルの前で膝をつき、ジャミルの両手を取る。余りにも自然に行われた所為で主が従者に傅く等と文句を言うのも忘れてカリムを見る。
「俺と結婚してくれ!ジャミル!」
「はあ?」
「というよりもう結婚は決まってるんだ!これからもよろしくな!」
そうして捕らえられた指先に唇を押し当てようとするので思わず振り払ってしまった。此処が二人きりで本当に良かった。
「待て、話が見えない」
「言ってなかったんだが、今日は俺の婚約発表の宴でもあるんだ」
「婚約」
「そう!」
「誰の」
「俺の!」
「誰と」
「ジャミルとだぞ!」
「わけがわからない」
「だよなあ!」
あっはっは、とカリムはさも楽し気に笑っているがジャミルはそれどころではない。これは何の悪ふざけだ、だが最初に風呂場へ行けと指示したのはジャミルの父だ、つまりは父も承知の上の悪ふざけなのか?父が許しているのならば当主様とて知っているのだろう、ならば此処はただ受け止めればよいのだろうか?いや、男同士で結婚出来る筈が無い。何かしらの理由で本来の婚約者が来れなくなったから今日一日限りを凌ぐための代役?それならジャミルで無くてももっと適した女性がいるだろう。ぐるぐる回る思考に身動き取れないジャミルを良い事にカリムが指先で顎を掬いあげた、と思った時には唇が塞がれていた。
「んぅ……ッかりむ、……ッ」
抗議しようにも圧し掛かられ後頭部を抱えられてしまっては逃げようがない。無遠慮に潜り込んだ熱い舌がカリムの興奮を表すようにジャミルの口内を荒して行く。顔も体も熱いしもう何がなんだかわからなくて最早泣きそうだ。それでもなお深く交わる事を求めるように角度を変え重ねられる唇に息も出来ない。
その時、こんこん、と扉をノックする音が響き、ちゅうと音を立てて漸くカリムが離れる。に、と満足げな笑顔を見せられるがもはやジャミルが自分がどんな顔をしているかもわからない。外に向かって入室を促す声に慌ててストールを目深に被って顔を隠す。メイドとカリムが何か言葉を交わしているのを遠く聞きながら必死に呼吸を整え平静を取り戻そうと努力する。従者はいついかなる状況に置かれたとしても決して平静を失ってはならない、ずっとその教えを守って来たつもりであったし、自分がこんなにも平静さを失う日が来るとは思わなかった。
「驚かせてごめんな?でも絶対に幸せにするから!」
そういう問題じゃない、そう言いたくとも、「さあさあもうお客様は集まっていますお二人も宴へ」と追いやるメイドの手前何も言葉にすることが出来ず、ただ唇を噤むしか無かった。


顔見せだけだからジャミルはただ何もせず、何も喋らず笑っていてくれるだけでいいと言われ連れ出された宴のど真ん中。あちこちから「ご婚約おめでとうございます」と声を掛けられカリムと話し込むその一歩後ろでひっそりと微笑んで見せる。それが役割だ、と言われれば内心の動揺は抜けきらないままではあったが機械的にこなすことは出来た。ジャミルに話しかけようとする者があればカリムが矛先を奪い取るようにして割り込み楽し気に話し始める。本当にただジャミルは何も喋らず、ただ笑うだけで済んでしまった。
宴が終わった後に当主様の部屋へとカリムと揃って呼ばれ、そこに居たジャミルの父も交えて漸く詳しい説明をされる。
カリムとジャミルが結婚するのは本当であること。
対外的には「病弱で人前に中々出る事が出来なかったジャミルの姉の「ライラ」がカリムに嫁入りする」という事になること。
実際に存在しない「ライラ」の戸籍はアルアジーム家の富と権力で既に用意されているということ。
屋敷内の人間は皆、カリムに嫁入りするのがジャミルである事を知っているし、厳重に口外しないように命じてあるので屋敷内ではジャミルとしてでもライラとしてでも好きなように過ごして良いということ。
ただし公的な場に夫妻で招待された場合などは「ライラ」として振舞えるよう、これから女性の仕草や振舞いを習得すること。
いずれはアルアジーム家当主の妻という身分になるので覚悟を決めろということ。
他にもいろいろと説明をしてもらい大体の事は理解は出来たが納得は出来なかった。だから、何か質問があるかと問われ、迷わず唇を開く。
「何故、私なのですか?……この結婚は、何の為なのですか?」
ジャミルとしてはとても真剣で、一番大事な事柄だった。これからの役割については指示されれば従うが、理由がわからなければこんな他人を欺き続けるような生活に一生を捧げられない。
だが問われた三人は一瞬ぽかんと間が抜けたような顔をし、それから呆れたような視線がカリムに集中した。当主様と父の深い溜息が聞こえて訳も無く肩が竦む。何かいけない事でも聞いてしまったのだろうかと不安になるジャミルの横ではカリムが慌てていた。
「思ったよりも時間が無くて!説明する前に時間が来ちゃって!」
「わかったから早くお前の口から説明してやりなさい……」
「あ、今此処でなさらなくても結構ですよ。また疑問などがあればまたご説明いたしますので今日は解散という事でよろしいですね?どうか、続きはご自分のお部屋に戻られてからお願いします」
「わかった!」
「それではお休みなさいませ」
またもやジャミルが一人だけ会話から取り残されていた。訳知り顔の三人でとんとんと話は進み、立場が一番低いという事もあってジャミルの意思とは関係無く物事が進んで行く。今日はこんなのばかりだ。だが父も、当主様も怒っているわけでは無いようだった。呆れたような、微笑ましい物を見るような笑顔で見送られ、カリムに手を引かれるままに自室へと引きずり込まれる。もう逆らうのも遮るのも面倒になってしまうくらいには疲れていて、早く「続きの説明」とやらを聞いて服も化粧も全部取り払って寝てしまいたかった。きっと一度寝ればもう少し頭もまともに働くはずだ。



豪奢なアクセサリーを纏った正装のまま、抱え込まれ引き摺られるようにしてベッドに倒れ込む。様々な特例があったNRCに居た頃ならばともかく、本来ならばジャミルが乗って良い場所ではないとか、そもそも話をする体制では無い等、小言と共に丁寧に辞退させていただくべき所だったがもうすべてが面倒だった。どうせ部屋の中にはカリムとジャミルの二人しか居ないのだから、多少の事は学生気分が抜けていないのだと多めに見てもらおう、と誰にバレる訳でも無いがひっそりと心の中で言い訳をする。
「何から説明したらいいかなあ……」
確りとジャミルを胸元に抱え込んで寝転がっているものだから、ジャミルの頭の下にはカリムの腕がちょうど良い枕になっていた。こんな体勢になるのを許したのは初めてだったが、包まれる温かさに思わず身体の力が抜けて行く。明かりをつける間も無くベッドに上がってしまった為に、青白い月明かりを頼りにカリムを見る。視線が合うと、に、と口角を上げたと思った次の瞬間には唇に触れるだけの口付けをされ、それからぎゅうと抱き締められた。もう何か言うのも面倒だから好きにさせる、という事にしておく。
「……昔、誘拐されただろ。一緒に。やるなら俺をやればいいのに、関係無いジャミルに手を出した」
いつの、どの誘拐の事だろうか。心当たりがあり過ぎてわからない。カリムを守りジャミルが盾になるのは当たり前の事だ。カリムを守った傷ならばジャミルにとってはむしろ名誉の証だろう、カリムが気にする必要は無い。
「アルアジームだから俺が誘拐されるのに、傷つくのはいっつもアルアジームじゃないジャミルで、ジャミルがアルアジームでない限り俺の犠牲になるんだなって思って。ジャミルは、ジャミルでいる限り俺の為に傷つくんだなって」
「それは……その為に俺が存在しているのだから当たり前だろう」
うん、そうなんだけど、と煮え切れない返事で笑いながらカリムの手がジャミルのストールをするりと抜き取り、綺麗な形に結われた髪を片手で解き始める。案外丁寧な手付きで髪を解されるのが心地良くてつい為すがままに委ねた。あの頃は守る事に必死で、カリムが無事でさえあれば他はどうでも良くて、まさかそんな気を使わせてしまっていたとは思わなかった。もう少し互いの立場が近ければ、もっと深くまで踏み込みカリムの心の内を分けてもらう事も出来たのかもしれないが、ジャミルの立場でそんな事を出来るわけもない。そしてカリムは笑顔で自分の内側を隠す事に長けている子供だった。ジャミルすらも測りかねる笑顔の向こう側の本音を今、打ち明けられているのだと思うと嬉しくも有り、緊張もする。
「だから、ジャミルを守るためにはどうしたらいいかなって思ったんだ。俺がジャミルを庇って傷ついても誰も怒らない世界にするにはどうしたらいいかなって。守るだけだったら……閉じ込めてしまうのも有りだと思ったんだけどさ。俺の部屋に閉じ込めて、俺以外誰にも会えないようにして、俺以外見えないようにして」
ジャミルに対して少々過保護過ぎると思うと共に、能天気にすら見える笑顔の向こうでそんな事を考えていたなど知らなかった。思わず目を見開くと照れたようにカリムが笑う。多分そこは照れるべき場所ではないと思うが、何故かそれが可愛く見えてしまい思わず釣られてジャミルまで口元が緩む。
大分カリムの表情は読めるようになったとはいえ、やはりその突飛な思考回路には未だに理解が追い付かないのだと実感する。それなりに懐かれているという自覚はあったが、こんなにも想ってもらえているとは思ってもみなかった。物騒な言葉ではあったが、ジャミルを守りたいという優しさは必要が無い物だと注意したい所だが嬉しいのも事実だ。散々口煩くカリムの自由な精神を家の為にと檻に閉じ込めていたジャミルにそれだけ愛着を持ってもらえるという事はありがたい事だと思う。
綺麗な形に整える為に引っ張られていた頭皮がカリムの手によって緩められて釣り上げられていた瞼がとろりと落ちそうになる。カリムのベッドの上で、更には腕の中という、本来の立場上あるまじき場所にいるというのに心地良い。
「でも、俺が欲しいジャミルはそうじゃないんだ。誰よりも綺麗で、かっこよくて、強くて、たまに料理しながら鼻歌歌ってたり、蝶が腕に止まっただけで泣きそうになってたり、頑張り過ぎて立ったまま寝ちゃったり、俺の為に怒ったり笑ったりしてくれるジャミルがいいんだ。今までと変わらない、いつものジャミルが欲しかったんだ」
色々と言いたい事はあった。ジャミルをそんな風に思っていたのかとか、そんな過度に褒め称えられるものでもないとか、欲しいも何もジャミルは殆どカリムの物だとか。恰好悪い所を見られていた事だって知らなかったし、恥ずかしいやら照れ臭いやらで巧く言葉が見つからない。
「ちょうど、婚約者選びの話が来ていたから、これだ!って思って。ジャミルが俺の奥さんになれば、例え俺がジャミルを庇って死んだとしても夫が愛しの妻の為に命を落とすだけのありふれた美談だろ?」
だが話は何だか思わぬ方向に転がっている気がする。カリムがジャミルを庇って死ぬなんてことは万に一つもあってはならない。それがジャミルの使命だというのもあるし、ジャミル個人の願いでもある。カリムを守る為のジャミルを守るためにカリムが死ぬとは本末転倒だ。
「カリム、……」
「言いたいことは大体わかってるって。でも、俺はジャミルを守りたいし、ジャミルの為に死ねるのなら本望だと思ってる。ジャミルがどう思ってようとな!」
何を馬鹿な事を言っているのだと咎めなければいけないのはわかっていた。だがジャミルの反論を一切聞く気が無い笑顔に思わず言葉を失う。
「だから、ジャミル以外とは絶対結婚しないって言った。子供も絶対作らないって。別に俺が子供を作らなくたって代えはいくらでもいるだろ?今だって俺を排除して成り代わりたい叔父も弟もいっぱいいるんだから。わざわざ俺みたいに面倒ごとに巻き込まれる子供なんて、作らない方がいい」
何か、言わなければと思うのだが巧く言葉がまとまらない。ジャミルを守りたいというだけならば、結婚なぞしなくたって他にも方法がある筈だと思うのに、有無を言わせぬ勢いのカリムに圧されて口を開くのすら躊躇ってしまう。さすがはアルアジームの子だと妙な感心をしてしまう。
「ジャミルとの結婚許してくれないなら卒業後も帰らないで駆け落ちしてやるって言った。何処か違う国でジャミルと心中するからほっといてくれって。そしたらジャミルの父さんが味方についてくれて、戸籍作ったり、今日の準備してくれたり、父上を説得してくれたりして……あ、ギリギリまでジャミルには伝えない方がいいってアドバイスしてくれたのもジャミルの父さんだぞ!」
どうだ!と言わんばかりの笑顔が眩しい。というより情報量が多すぎて頭がついてゆかない。
「何で……」
「ん?」
「俺なんかの為に、何でそこまで……」
細かい事はさておき一番の疑問を漸く口に出来た、と思った所で、あああ!っとカリムが叫ぶ。
「一番大事な事言うの忘れてた!ジャミル、好きだぞ!」
「うん??ありがとう???」
「そうじゃなくて!」
ごろりと身体が仰向けに転がされ何をと思う間も無くカリムが覆い被さる。ぴたりと額をくっつけられ、月の様に細くなった瞳がひたりとジャミルを見て居た。
「あいしてる」
たった五文字の短い言葉。だが余りにも突然言われると意味がわからなくて、何度か頭の中で繰り返す。あいしてる、あいしてる、愛してる?先程まであれだけ言葉を並べていたカリムがただじっと黙ってジャミルの反応を伺っている。
「――……!」
理解した、と同時に逃げなければと思った。急速に顔面が熱を帯びている。これは多分、理解しては駄目な類の言葉だ。嬉しい等と思う事は言語道断、これ以上惑わされる前に逃げなければと思うのに、吸い込まれたようにカリムの瞳から目が離せない。そっと押しのけようとした指先はただそっとカリムの肩に添えられただけになってしまい、男らしさを帯びてきた骨格の感触に、初めて出会った頃よりも随分と成長したのだなと関係無い事まで頭を過る。
間近で観察していたカリムにはすぐさまジャミルの動揺が伝わったようで、くしゃりと嬉しそうに笑っていた。
「ジャミルをあいしてるから、誰にも渡したくないから、俺のお嫁さんになって欲しいんだ」
「――いやだ、と言ったら?」
「その時は本格的に監禁か誘拐を考えないとな!」
あっはっは、と笑っているがこの目は本気の目だ、と下手にわかってしまうのが今だけはありがたく無かった。ささやかな反抗はあっさりと封じ込められもう二の句が告げない。
「でも、ジャミルだって俺の事あいしてるだろ?」
否定を許さない王者の笑みでカリムが笑う。
決して誰にも知られぬように、自分にすら見えないように蓋をしていた感情を見透かされていたのが悔しい。いつから気付いていたのかと思うと恥ずかしい。カリムはいつもそうだ。カリムの為を思って最新の注意を払って築き上げてきたジャミルの気遣いを全て台無しにする。嬉しいなんて思いたくないのに、否定してやりたいのに溢れる感情が涙になってぼろぼろ零れ落ちる。
「面倒ごとはちょっと増えちまうかもしれないけどさ、絶対、幸せにしてみせるから。俺を信じてくれ」
元より生涯をカリムに捧げている身だ。ジャミルが思い描いていた進むべき道筋とは大幅に違っていたが、これだけ求められて拒絶出来る筈もない。なのに壊れた蛇口のように涙が止まらず震える唇は嗚咽ばかりで巧く言葉が紡げず、代わりにぎゅうとカリムを抱き締める。
「――……ありがとな」
正しく汲み取ったカリムの柔らかい声と温もりに包まれ、気付けば泣き疲れてそのままそのまま抱き合って朝まで寝てしまった。
翌日、メイクも衣装も乱れ、泣き腫らした目で主の部屋から出て来たジャミルの姿が噂となり再び当主と父に呼び出される事となるのはまた別の話。

拍手[0回]

PR

comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]