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空箱

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噛み癖

さて、困った。
ジャミルは部室の明かりをぼんやりと眺めながら溜息を吐く。薄情な部員達はジャミルと目を合わせぬままそそくさと着替えてさっさと出て行ってしまった。残されたのはフロイドと、二人きり。
そのフロイドといえば、ジャミルを後ろからしっかりと抱え込んで首筋をはぐはぐと齧っている。尖った歯が肌を傷つけない程度の強さで幾度も立てられ、時折大きな舌がべろりと舐めてはちゅうと吸い付く。くすぐったいとも痛いとも言えない、なんとも言えない感触。
「なあ、そろそろ行かないと」
「ん、ん~~」
朝練でしっかりと汗をかいた後だから、正直な所、恥ずかしいし勘弁して欲しい。一度寮に戻ってシャワーを浴びようと思っていたから碌に汗も拭いていないし、フロイドに齧られているせいで右肩がべしょべしょになっている。だがまるで大事なぬいぐるみでも抱えるかのように長い腕で確りと腕の中に閉じ込められていては逃げ出す事も出来ない。一時間目が始まる前に飽きてくれれば良いのだが、飽きてくれなかった場合はどうしようか。
「早く着替えないと、授業が始まる」
「ん~~」
ジャミルの腹をがっちりホールドしている腕をぺんぺんと叩いてみるが、何がそんなに楽しいのか夢中になったフロイドからは生返事しか返ってこない。仕方なしに、ぐ、っと身体を前に倒して立ち上がるそぶりを見せれば、今まで加減されていた歯が容赦なく項に食い込む。
「い”っっっ……ったぁ……」
何か、抗議のような声が聞こえるが齧る事を止めない所為でふがふがと何を言っているのか全く聞き取れないし、肋骨を折る気かというくらい腕の力が強くなって苦しいし、歯が痛いし吐息が擽ったい。
「せめて、いったん着替えないか?またその後齧ってもいいから」
「そーやって逃げる気でしょー?だめー」
流石に同じ手は二度使えないかと漏れそうになった舌打ちを飲み込む。そう、別にフロイドにただ延々と齧られるのは今日が初めてというわけでもない。「噛み心地が良い」という謎の理由でしょっちゅう齧られている。最初こそはなんとか逃げようと抗ったものだが、抵抗すれば抵抗するほどテンションが上がって齧る事に熱中するフロイドを見て抗う事を止めた。一時間もずっとひたすら右肩をがじがじちゅるちゅるされた後、がっちり抱え込まれたまま寝落ちられて更に三時間も身動きが取れなくなったトラウマは大きい。
「なら、せめて場所を移動しないか。此処、汗臭くて嫌だ」
「んー、しょーがないなー」
漸く解放された右肩がひんやりしている。だが安心したのも束の間、立ち上がろうとする前に、腹に掛かる圧と浮遊感、気が付いた時にはフロイドの肩の上に荷物のように担がれていた。
「お、ッ前、なあ!」
「だってー、逃げる気だったでしょー?」
見えるのはフロイドの背中ばかりで表情はわからないが、楽し気な笑い交じりの声が応えだろう。がっしり片腕で足を抱えられてしまっては逃げようもない。否、やろうと思えば出来るが下手に事を荒立てるよりは穏便に行きたい。抗えば抗う程フロイドのテンションが上がるのはわかりきっているのだ。
「何処行こっかなあ」
「校舎、校舎が良い」
「んー……」
頼むから校舎に行ってくれ。逃れられなくてもせめて人目につく所に行ってくれ。そうしてこの状況を見た誰かが早く保護者に連絡してくれ。いっそアズールが直接通りかかってくれ。
ひょろ長い見た目からは想像つかない程安定した歩みに揺られながら逆さになった周囲を伺うが、誰も彼もが好奇の眼差しで見ているか、そっと憐れみの表情を浮かべた後に視線をそらして何処かへ行くばかりだ。あ、おい、写メを撮るんじゃない、いや撮っていいからそのままアズールに送ってくれ。頼むから。
「ぃいいっっっだだだだだだ!!!」
「あはっ、此処もいー噛み心地ー」
シャツがめくれあがって剥き出しになった腰骨ががじがじ齧られて痛みが走る。確かに噛みたい欲求を中断させていたわけだし目の前にあるしでつい齧ってしまうのも仕方ないのかもしれない。いやそんなわけあるか。
「痛っ……後で好きなだけ齧っていいから前見て歩け!」
がじがじするフロイドにさすがに抗議の意を込めてなんとか自由になる膝から下で腹を蹴ったり、手で背中をべしばし叩いてみるが、あはは~と楽し気に笑うばかりで効いた気配が無いし、知らぬうちに人気の無い方に来てしまっている。せめて、スマホを持ってくればよかったと後悔してももう遅い。はあ、と深い溜息一つ吐き出してジャミルはただ運ばれるままだらりと身体を弛緩させた。


通行人から報告を受けたアズールとジェイドが慌ててやってくるのはそれから十分後の事。





蛇足
アズール「フロイド、もうすぐ授業ですよ」
フロイド「えー、興味なーい」
ジェイド「貴方はそうでも彼は授業に行きたい筈です。放課後ならいくらでも好きにして良いですから今は離してあげてください」
ジャミル「おい」
ジェイド「楽しみを後に取っておくのも良いと思いますよ」
アズール「今、解放してあげれば夜に彼が何でも食べたい物を作ってくれますよ」
ジャミル「俺の意思は」
フロイド「んー……じゃあそうする……」
ジャミル「俺はそんな事するなんて一言も……」
アズール「(フロイドの事ですから、放課後まで覚えてるとも限りません。運よく忘れてくれればそれで良し、もしも覚えていたら……あなたの主の宿題をこの僕が見て差し上げましょう)」
ジャミル「(お前が見てくれるのは確かにありがたいと言えばありがたいが、俺にあまりメリットは無いぞ。というより多少の手間が減って噛み跡が増えるだけならデメリットの方が大きいんだが)」
アズール「(今更噛み跡くらい構わないでしょう。ライオンの歯形よりは痛くないのでは?)」
ジャミル「!」
アズール「商談成立ですね^^」

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