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空箱

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ピザ

大きな波のような快感から解き放たれた身体から、ずるりと中を満たしていたものが引き抜かれる感覚を息を止めて堪え、そうしてゆっくりと息を吐き出すと共に力の抜けた身体がシーツに沈む。顔に、腹に、足に触れる布地がひんやりと湿っていて不快だが動く気にはなれなかった。
沈んだジャミルの身体を追いかけるようにべたりと背中に張り付き体重を預ける熱い身体。ジャミルの右肩の上に顔を埋めて弛緩する一回り大きな身体はそれなりの圧迫感を持ってジャミルを押し潰したが、それは不快だとは思わなかった。
荒い呼吸が二つ、静かに冷えた部屋の空気を湿らせていた。余韻を纏わせたぼんやりと揺蕩うような意識をさ迷わせながら、ふと、お腹が空いたな、と思う。性欲を満たしたばかりの身体はまだ気付いていないが、そう遠くない内に消費したカロリーを取り戻そうと腹を鳴かせるようになるのだろうという予感。
「……何か食べます?」
ぽつりと溢せば、ジャミルの右肩を暖めていた頭がのっそりと持ち上がる。
「……ぴざ」
まだ熱の収まりきらない吐息が耳に吹き掛けられ、そうしてちゅうと音を立てて啄まれた。
「んっ……また手間のかかるものを……」
「デリバリーでいいだろ、ンなもん」
そう言って薄い耳朶を食まれ、唇で弄びながら尻の合間に埋められるのは、先程までジャミルの中を我が物顔で荒していたまだ硬さを残す熱い塊。生乾きの体液をなすりつけるように揺すられて、んふ、と笑い交じりの吐息が零れる。デリバリーを提案したのは決してジャミルの手間への気遣いでは無い。まだ足りないと素直に年上の男に強請られるのは悪い気分では無かった。
「お店は何処がいいんです?」
確かヘッドボードにスマホを置いていた筈と腕を伸ばして探るもそれらしい感触が指先に触れない。べしべしと闇雲にベッドボードを叩いていると横から逞しく長い腕が伸びて来て、あっさりとスマホを掴み取りジャミルの手に握らせた。
「生地が分厚くて……肉が辛くないやつ」
そして言いたい事だけ言うと再び耳朶を食み、長い髪をそっと避けて項へと唇が移動して行き肌を柔く啄んで行く。
「ああ……前々回くらいに食べた店ですね」
ちゅ、ちゅ、と随分と可愛らしい音が肌の上で踊り、柔らかな唇がそこかしこに押し付けられるのを心地よく受け止めながら両肘をついて身を起こし、スマホを操作して辿り着いた目的の店のホームページでオーダーを打ち込んで行く。布団の中にまで潜り込んだレオナは背筋の溝を舌先でなぞったり肌を啄んだりともはや我関せずの姿勢で好き勝手にジャミルを味わっていた。冷める事を許さないような、だが決して燃え上がらせる事もしない温い温度の中にジャミルを引き留めるような穏やかな愛撫。ただ、ゆっくりと汗に濡れた脇腹をなぞる指先はどちらかと言えばくすぐったさの方が強くて落ち着かないと伝えるべきか否か悩みながら、あ、と声を上げる。
「サイズどうします?」
振り返って問うが、レオナはすっぽりと布団の中に埋もれていた。舌で濡らされたばかりの肌の上を吐息が撫でたので何か答えたのかもしれないが、分厚い布団越しの声はジャミルまでは届かない。ねえ、と膝を折り曲げ踵でレオナの太腿を軽く蹴って呼びかければ抗議のようにがぶがぶと腰骨の上を甘噛みされて思わず声を上げて笑う。
「ふはっ、ちょっと、サイズ決まらないと注文出来ないでしょ、……ッん」
今まではただ子猫がじゃれつくような可愛らしいものだったのに、不意にぬとりと温度を持った舌が今噛まれたばかりの肌を舐り、ぞくりと肌が震える。ただでさえ弱い場所を、分厚い舌が這い、塗り付けられた唾液を啜るように肌を吸われては意識の外に追いやっていた物が再び灯りそうになってしまい慌てて息を詰めて耐える。まだ、そちらに流されるわけにはいかない。せめて、このオーダーを終えてしまうまでは。
じゅる、ちぅ、と音を肌で感じる度に跳ね上がる腰を大きな掌で押さえ付けられ、スマホを操作する手も覚束なくなる程に身を強張らせて耐えるジャミルを面白がるように存分に肌を舐め溶かされて行くのをきつく眉を寄せて耐えることしばし。強く、痕が残る程に強く吸われた後に漸くレオナが離れるのを感じて潜めていた息を吐きだす。
「暑ぃ」
もぞりと背後で布団から顔を出したレオナがぼやく。
「当たり前でしょう」
ぬるついた掌がジャミルの肩を掴み、俯せだった身体をひっくり返されながら見上げたレオナの額からは汗が流れ顎から滴り落ちていた。そんな状態になってまで布団の中で夢中になっていたのかと思うとつい笑ってしまう。
ぺろりと唇を舐めたレオナが再びジャミルの上にのしかかり湿らせたばかりの唇が重なる。数度、じゃれるように啄まれてからするりと潜り込んだ舌がそっと口内を撫ぜ、その穏やかな心地良さに瞼を伏せる。右手にはスマホを握り締めたまま、レオナの後ろ髪に指を潜り込ませて引き寄せればそこはしっとりと濡れていた。
「ん……ん、ふ……」
とろとろと温い温度を混ぜ合わせ、飲み込む。夢と現を彷徨う時のような浮遊感。甘やかな水音を残して離れる感触に目を開ければ目の前では満足気にジャミルを見下ろす笑顔。随分とご機嫌のようだ。
「………いや、だからサイズ」
「一番でけぇの」
「一人で?」
「ああ」
それならば一番大きい物を一枚、ジャミルは違う味の一回り小さい物を頼むかと目の前に掲げたスマホでメニューを確認していると、突然身を起こしたレオナがばさりと掛け布団を跳ね除けた。
「うわっ、寒っ」
「俺は暑ぃんだよ」
「俺はさみぃんです」
そのまま圧し掛かろうとするレオナの腹に遠慮なく足の裏を押し付けて退かし、遠くなった掛け布団を手繰り寄せて引き上げる。だらだら汗をかいているレオナはともかく、収まりかけた薄い汗を纏うだけのジャミルにこの部屋の温度は寒すぎる。エアコンをつければ話は早いのだろうが、お互い自分がつけに行くのが嫌だからと口にしていないのはわかっていた。
「おい」
無造作にレオナを足で押しのけ一人でぬくぬく布団に包まれば不服そうな声。ぐい、と布団を引っぺがそうとする腕に引っ張られるがジャミルも確り布団を掴んで離さない。
「嫌です」
確りと目を見て拒絶すれば不服そうな顔をするものの、それ以上強引に引き剥がそうとはしなかった。代わりに溜息一つ落とした後、そっと伺うように布団の端を捲られ、もぞもぞと布団の中へと潜り込んで行くのだから思わず笑いが漏れる。
「わっ、……ッはは、馬鹿ッ止め、……ッッぁはははは」
再び布団の中に潜り込んだレオナが何をするのかと思えば脇腹を擽られてジャミルはそのまま声を上げて笑い続けるはめに陥った。逃れたくても足の間に陣取ったレオナが邪魔で思うように動けず、じたばたと足を暴れさせた所でレオナには何のダメージも入らない。
「ちょっと、っっはは、っまだオーダー終わってなははははっ」
耐えかねて、布団の上からレオナの頭部と思わしき場所を思い切りぼふりと叩いてやればやっと擽る指先は止まってくれたが、代わりに不意に胸の先をぬろりと舌の腹で捏ねられ、ぁあん、とまるでポルノ女優のような声がジャミルの唇から漏れた。セックスの最中に快感のまま声を出す事に躊躇いは無いタイプだが、意図せぬ声はなんとなく恥ずかしい。もう一度強く、ありったけの力を込めて小刻みに震えている布団を叩いた。
は、と浅く息を吐きだしてスマホに視線を戻す。レオナが肉系ならばジャミルはシーフードのピザが良いだろうか。乗っているトッピングにレオナの嫌いな物が無いのを確認していると、布団の中で震えていた当人は再びジャミルの胸に舌を這わせて始めた。今度は予期出来たので素っ頓狂な声を上げる事は無かったが、身体を重ねる度にレオナが丁寧に舐めて吸って育てられた場所を弄られるのにはどうにも弱い。赤子のようにジャミルの胸を吸いながらもレオナの指先はしっかりとジャミルの尻を抱え、思わせぶりに柔らかな肉を揉んでいた。そろそろ、レオナが腹を空かせ始めている。
「……サイドメニューはチキンとポテトとサラダだけでいいですか?」
布団を捲り中を覗き込むと一度ジャミルを見たレオナの瞳が暗い中で濡れ光っていた。ああ、と短い返答のあと、これ見よがしに舌先が胸の先を突いて転がす光景を見せつけられ、じわじわと込み上げる熱にジャミルは息を呑む。
「ん、……っは、それじゃあ後は……、っっ」
慌てて目を逸らしてスマホの画面へと逃げる。だが一度火が灯ってしまったら駄目だった。充血した場所がレオナの舌先でちろちろと転がされるだけで腹の奥底がずくりと疼く。ふやけてしまいそうな程に舐めて、しゃぶって、噛み付いてとされているうちに目ではスマホを見ている筈なのに気付けばただぼんやりとレオナから与えられる快感に浸ってしまっている。恐らく、後は注文ボタンを押すだけで終わる筈なのだ。漏れが無いか確認してボタンを一つ押すだけだというのに、意識がレオナの触れる場所へと吸い寄せられてしまい上手く頭が回らない。
「あ、ぁ……ッ」
強く、胸の先を吸われるとそれだけで目が眩むような感覚に襲われて身が竦む。じんじんと生まれた熱が胸の先から全身へと小波のように広がっていた。それから漸くレオナが久方ぶりに布団から顔を出して身を起こす。ひんやりとした部屋の空気が二人の間を通り抜けるが、もう寒くは無かった。むしろ、知らぬ間に滲んだ汗がジャミルのこめかみを一筋伝い落ちている。それを舐め取るようにレオナが数度、ジャミルの額に、頬にと唇を押し付けてから両足が抱えられ、ぴたりと押し当てられた熱い塊。先程までこの中にあった物が、再び入口を押し広げて浅い所をぬくぬくと具合を確かめるように擦る。そんな事をせずとも早くもっと奥まで欲しくて、レオナの身体を抱き寄せようとして手の中に握り締めたままのスマホの存在を思い出すような有様。
「っあ、……あ、ぴざぁ……ッ」
腹を満たしてもらう事ばかりに意識が行ってしまい、むしろ早くレオナに夢中になりたくてスマホを押し付ける。不審げに片眉を上げたレオナが受け取り、画面を確認するのを見てジャミルが安心した瞬間。
「――~~~ッッ」
油断した所で一気に一番奥まで突き入れられ、びりびりと頭のてっぺんまで快感が走り抜けて思わず歯を食い縛る。ぐぅ、とレオナも顔を顰めて呻いていたが、片手でジャミルの腰を捕まえ直すとゆるゆると腰を前後に揺すり始めた。
「ゃ、……ッあ、まだ、……っっ」
「っは、まだ注文してねぇのかよ。あと一回画面触るだけじゃねぇか」
邪魔をする誰かの所為で、違う場所を間違えて押してしまいそうで怖くて押せなかったのだと言い訳をする余裕も無かった。最初の衝撃が収まらないうちから熟れた場所を熱い塊に撫ぜられて気持ち良いのが終わらない。
手早くスマホを操作したレオナがぽいと人のスマホを無造作に枕元に放り捨てるのを見届けてから両腕を伸ばせば、心得たようにレオナが身を寄せ、ジャミルが首に抱き着くと同時に抱え上げられた。
「んんぅ……ッ」
抜けかけた物が自重で奥まで再び押し込まれ、深い場所まで満たされて漸く一心地ついた気持ちで息を吐く。見下ろすレオナが顔を傾ける、それだけで意図を理解し引き寄せられるままに唇を近付ける。
「あと30分で着くそうだ」
重なる間際。ぽつりと告げられた配達予想時間に一瞬焦るが、今更止められるわけもない。だが30分で事が済むかもわからない。もしもの時はレオナに任せれば良いだろう、と思考を放棄して身を委ねる。
30分後、いかにも真っ最中ですという濡れた肌にスウェットだけを履いたレオナが酷く不機嫌な顔で前屈みに玄関へと向かう姿は、哀れと思えど面白かった。

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コイバナ

「ジャミルさん、ご相談があります」
「友達にはならないぞ」
そうではなくて、と珍しく言い淀みもじもじし始めたアズールに気味の悪いモノを感じながらも座ったらどうだと声を掛ける。
昼休みも終わり間近の教室。次の授業までの僅かな時間に、読み飽きた教科書を読むよりはまだマシな暇潰しになるだろうと承諾した、ただそれだけだ。アズールの胡散臭さは折り紙付きだが、いつもの見るからに怪しい笑顔ではなく、心の底から困っているが、だからこそ普段から邪険にされているジャミルには相談しづらいもののジャミル以外に頼れる人がいないのだと言わんばかりのしおらしい姿に純粋に興味が沸いたのもある。この男と友達になってやる気はないが、クラスメイトの相談も聞かずに切り捨てるほど、ジャミルも鬼ではない。
「その、イデア先輩とのことなんですが……」
あ、これ面倒臭い類いの話だ、と気付いた時にはもう遅い。隣に腰を下ろしたアズールはちゃっかりと教科書やノートを並べ始め、このまま隣の席で授業を受ける気になっている。授業中は余計な私語を口にするような男ではないだろうが、今日は移動が無いので最後の授業までこの教室だ。つまり、休み時間は全てアズールに奪われてしまう。
「ジャミルさん、貴方……レオナ先輩と手を繋いだのはお付き合いしてどれくらい経ってからです?」
「は?」
思わず大きな声を出してしまい、教室中の視線が二人に集まった。それを犬でも払うように手を振りながら考える。
イデアとアズールがつい最近、いわゆるお付き合いを始めたのは知っている。というよりもほぼジャミルのお陰でくっついたと言っても過言ではない。詳しいことは割愛するが、アズールがイデアに片想いをしていると知ったジャミルが嫌がらせをしてやったつもりが、まんまと恋の成就のお手伝いになってしまっただけだ。別にイデアが誰と恋愛しようと勝手だが、よりによってこの男に兄のように慕っていたイデアを取られたのかと思うと癪に触る。
対して、レオナとジャミルの関係は一応、お付き合いをしている筈ではあるが、いまいち二人がお付き合いというものをよくわかって居ないために曖昧な所がある。そもそもイデアとアズールの二人とは違い、こちらははっきりと終わりが見えている、いわばレオナが卒業するまでの期間限定で、その期間内だけはお互い好みの相手を好きに楽しみましょうという関係だ。きっかけは事故でセックスしてしまった所から始まっているし、その後は時間が合えば気紛れにセックスをするだけの関係が暫く続き、お互い身体だけで無く心も通じていたと知ったのだってつい最近の事だ。お付き合いを始めた時期で言えばアズール達と大差無い。
だがそれを素直に告げるのは躊躇われた。恐らく、世間では恋人になりましょうという契約を交わしてからでないと肉体での交流はしない、はずだ。たぶん。アズールが付き合ってから手を繋ぐまでの期間を聞いたのもそういう慣習を踏まえた上で、どれくらいが一般的なのかを知りたいのか聞いたのだろうと納得する。が。
「……まだセックスもしてないのか?」
「当たり前でしょう何を言ってるんですか!!!」
ばん、っと顔を真っ赤にして机を叩き立ち上がるアズールに再び教室中の視線が集まるが、丁度そこで次の授業の教師がやってきた為に一度そこで話は途切れた。



『それで結局、どれくらい経ってからなんですか』
授業も半ば、丁度今日の授業内容と結論までを大体理解し、あとはわかりきった話を無駄に聞くだけだと飽き始めていた頃。素知らぬ顔で前を向き、あたかも真面目に授業を受けている振りをしたアズールの細い文字がプリントの裏に書かれて差し出された。どれだけ気になっているのだと少し面白くなってきてしまい、アズールの文字の下に素直にそのまま事実を書き連ねてやる。今なら無駄に騒がれる事も無いだろう。
『付き合うより先に手も繋いでるしキスもしたしセックスもしてる』
机の上にプリントを滑らせて差し出せば、息を呑み明らかに狼狽えた気配。かちゃかちゃと忙しなく眼鏡を直す音が聞こえて思わずジャミルはほくそ笑む。
『ふしだらです』
返って来たプリントには少しばかり皺がより、アズールの動揺そのままに震えた文字が書かれていた。あまりにも馴染の無い言葉に吹き出しそうになるのをなんとか堪える。契約を重んじるアズールには確かに刺激が強すぎたかもしれないが、そこまで生真面目な反応を返されるとは、面白い。この男を一度アジームのハーレムに連れて行ってやりたい。カリムは12歳で童貞を卒業していると聞いたらどんな反応をするのだろうか。
『お前だってどうせいずれはするつもりなんだろ』
『それは、そうですけど、こういうのは二人で積み重ねて辿り着くものですから』
『とりあえず押し倒してみたらいいんじゃないか?』
『僕は先輩を傷つけるようなことはしたくないです』
『イデア先輩だって男なんだから触ればその気になるだろ』
『貴方の所のケダモノと一緒にしないでください!』
机の影になる所でアズールが思い切りジャミルの横腹を殴った。痛い。だがそれ以上にあのアズールが、口から先に生まれたのでは無いかと思うくらいに饒舌な男が暴力に頼らざるを得なくなっているこの状況がおかしくてふるふると必死に笑いを抑えて震えることしか出来ない。
「それでは、本日は此処まで」
すっかり意識の外にあった教師の声が授業の終わりを告げ、騒がしくなる教室内。ぶは、と漸く解放出来た呼吸を盛大に吐きだしていると、横ではアズールが慌ただしく立ち上がる所だった。
「少し、頭を冷やしてきます……!」
そういって足早に教室から逃げていく後ろ姿でもわかるくらい、耳朶が真っ赤に染まっていた。勉強道具は隣に置かれたまま、つまりは次の授業までには再びジャミルの隣に戻り先程の続きをするつもりなのだろう。それを面倒だと思いつつも少しだけ楽しみになっているジャミルがいた。
アズールを打ち負かしてやるのは、気持ちが良い。

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ごめんなさい

酷い喧嘩をした。
切欠は思い出してもくだらない、とても些細なこと。レオナは何も悪くない。少し言い方が悪かった所はあるが、元から口の悪い二人だから普段なら気兼ねないじゃれあいの範疇だった。それにことごとく噛み付いて攻撃したのはジャミルの方。
わかってはいたのだ。ジャミルがさっさと非を認めて謝ってしまえばこんな大喧嘩にはならなかった。だけどあの時はもう頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、レオナを言い負かしてやることばかり考えてしまっていた。
静まり返った部屋にふわりと香る、紙煙草の苦い匂い。勝手にしやがれと吐き捨てたレオナが向かったのはこの豪華な部屋に見合った立派なベランダ。柵に肘をつき外を眺める背中からはその表情は伺えないが、苛立たしげに尻尾が揺れている。それを、取り残されたベッドの上からただ眺めることしか出来ずにジャミルは膝を抱えて丸まる。
レオナが煙草を吸うところを見るのは、初めてだ。普段は大嫌いだと公言しているくせにサイドボードの一番上の引き出しにひしゃげたパッケージが入っているのは知っていた。臭くて、不快で、呼吸器を傷付けているのが良くわかるから嫌いだと言いながらも何年ものなのかもわからないような煙草を持っているのは、煙草で身体を痛め付けることでしか精神の安定をはかれない時の為だと見つけたその時に教えてもらった。最後に吸ったのはもう二年も前のことだとも。
馴染みの無い苦い香りは夜のサバナクローの風に乗ってジャミルをちくちくと責める。でも、だって、言い訳はたくさんある。だがそのどれもがジャミルの正当性までは保障してくれない。レオナに悪いことをしたという気持ちもあるが、まだくさくさとした心は素直に謝れそうにもなかった。いっそ道理もわからない子供のように泣けたら楽なのにと思うが、ジャミルの眼はからからに渇いていて涙の一粒も出てきそうにはない。
ぼんやりとただレオナの背中を眺めているうちに1本が燃え尽きたようだった。身を起こしたレオナの掌からさらさらと風に乗って砂がさらわれて行く。その時に初めて気付いたレオナの耳。普段はぴんと立てられている獣の耳がへにょりと力なく伏せられていた。まるで怯える草食動物のような。
気付いてしまったら、ジャミルが行かないわけには行かなかった。悪いのはジャミルなのだから、怒る事はあってもレオナがそんなに落ち込むとは思ってもいなかった。それも、これも、全部言い訳だ。
根が生えたように動けなかったベッドの上からなんとか身体を引き剥がして静かに降りると、レオナの耳がぴくりと震えてそっとこちらへと向けられていた。ゆっくりと近づいて行っても、レオナはわかっているだろうにただじっとジャミルに背を向けていた。すぐ真後ろまで来ても、レオナは動かない。振り返ってはくれないが、だがそこからジャミルを置いて行ってしまうこともなかった。
こういう時、なんと言葉を向ければ良いのかジャミルにはわからない。謝罪の言葉だけならいくらでも言える。心にもない謝罪なんて数えるのも馬鹿らしい程にしてきた。今はそんな使い慣れたうわべだけの言葉では駄目だと思うのに、代わりになる言葉は全く思い浮かばない。
「せん、ぱぃ…………」
呼び掛けた筈の声はジャミル自身ですら聞き取れないような小さな小さな声。きっと獣人のレオナなら聞き取ってくれただろうか、いやレオナでも聞こえなかったかもしれない。震えて役に立たない唇の代わりに、目の前の広い背中へと指先を置く。それでも動かないのを良いことに、だがレオナが拒絶するつもりならばいつでも逃げられるようにそろそろと両手をレオナの腹へと回して行く。何も言わない背中はほんの少し、強張っていた。ジャミルの手もすっかり冷えて指先の感覚が鈍い。広い肩に額を乗せ、少しでもこの想いが伝われと、言葉にしきれない感情を押し付けるように抱き締める。


は、と浅い吐息と共に腕の中でレオナの身体から緊張が溶けてゆくのを感じた。それから、夜風に冷えた指先がジャミルの腕を撫でる。それだけで、あんなに言葉に悩んでいたのにまるで魔法のように唇が勝手に動く。
「………ごめんなさい」

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牙2

エキゾチックなキャラメル色の肌と光を弾く真っ直ぐな黒髪。吸い込まれそうな闇を湛えた黒曜石の瞳は見るものを言葉通り「虜」にした。
女が持つ武器はそれだけだった。だがそれだけで此処まで生きてきた。
生まれた時から父はなく、物心ついた頃には母も病で亡くなった。力も学も無い女がこの街で生きる為には身体を売るしかないが、生まれ持った美貌は女に豊かとは言い難くともその日の糧を心配するような生活とは無縁な日々を約束した。
そんな生活が変わったのは女が不思議な力に目覚めてからだった。女と目を合わせた男を虜にする不思議な力。時間は短いが、虜になった男は何でも女の言う通りになる。
その力を得てからは更に女の生活は楽になった。身体を売らなくても、少し裕福そうな男に不思議な力を使えばその日の食べ物には困らない。不思議な力に支配されている時の事を男達は覚えていないようだったから恨まれる心配もない。
あまり使うと体調が悪くなるので多用したつもりは無かったが、何処からか女の不思議な力を知ったスカーの愛人になるまで、そう時間は掛からなかった。


普段はスカーの寵愛を受ける唯一としてのんびりベッドを暖めるだけの生活を送り、たまにスカーから指名された男に不思議な力を使って命じられた通りに動かす。スカー自身のことは好きになれなかったが、誰も手出しが出来ないこの街一番の強者に守られているという安心感は大きい。女に操られた者達はきっと殺されているか、それとも命を奪われるよりも酷いことをされたのだろうとわかってはいるが、それよりも女は自分の命の方が大事だった。この街では生き延びた者だけが正義だ。


その日、女が命じられたのは最近この街にやってきた男を不思議な力で虜にしている間に捕縛してしまうこと。その男の噂は女も知っている。常に白い日除けのフードを被った隻眼の美丈夫。身長こそそれなりに高いものの細身の身体でとても強く、彼を殺そうと出掛けたスカーの手下達が毎日のようにボロボロになって帰ってくる。もはや力ではスカーですら敵わないのでは無いかと噂になっていたので、女の不思議な力を使った上で殺そうと言うのだろう。


隻眼の男は日中は大通りで何かしら聞き回っているという情報から、女は彼が住み処としている家と大通りの間にある、人通りが少なく空き家が連なる道を選んで待ち構える事にした。護衛に二人程、スカーの手下も控えているので心配することは何もない。
薄汚れた白い廃墟が夕暮れに染まる頃、噂の男はやってきた。白いフードの下から覗く黒い眼帯と、鮮やかな緑色の眼。余りにもこの街にそぐわないほどの美しさで堂々と夕焼けを歩む姿に女は思わず見惚れ、それから慌てて自分の役割を思い出す。
「あの、そこの方」
目の前を通りすぎた隻眼の男の背後から声をかえる。何度もしてきたことだというのに、わけもなく声が震えた。
「あ?」
足を止めた男が振り替える。一つしかない眼が女を見定めるように見下ろし、それからふわりと微笑んだ。
「なんか用かよ」
女は人よりも美しい自信があった。この街で一番美しいとすら思っていた。それは女の独り善がりでは無く、数多の男達からもずっと言われてきたことだ。だが、この男は違う。美醜だけではない、ただ見ているだけで人を惹き付けてしまうような圧倒的な存在感。まるで女の方が不思議な力を使われてしまったかのようだ。少女のように胸が高鳴り自然と視線が吸い寄せられてしまう。捕らわれてしまわぬようにそっと視線を伏せ、隻眼の男の袖口を引く。
「……どうか、一晩。お側に居させてはいただけませんか?」
振り払われない腕に指を絡ませ身をすり寄せる。豊満な女の乳房を押し付けてやれば、断る男はいなかった。
「……へぇ?」
面白がるような声すら、艶めいて女の心を震わせる。頤をそっと捕まれ、乱暴では無いが有無を言わせぬ力で持ち上げられれば再び見上げる事になる隻眼。そのままたっぷり五秒は値踏みされて頬が熱い。祈るような気持ちで一つきりの緑色を見上げていれば、にぃ、と犬歯を剥き出しにして男が笑った。
「いいぜ、買ってやるよ」


空き家の中に紛れたスカーの拠点の一つ。今はもっぱら女の仕事場となっている家にはベッドとテーブルと椅子が一つずつしか置いていない。部屋に入るなり、勢い良くフードを脱ぎ捨てた隻眼の男がふるりと頭を振った。そのてっぺんには獣の耳が二つ。続けて眼帯すらも取り払い、露になるのは縦に走る傷痕と、女と同じような色の漆黒の瞳。予想だにしなかった素顔に女がぽかんとしていると、男は緩やかに波打つ腰の辺りまで伸びたブルネットの髪を手でかき混ぜながら笑った。
「此処じゃあ目立つだろ。だから隠してたんだ」
良く見れば男の足元では細い尻尾が揺れていた。初めて見る獣人。そんな存在がいることは知っていたが、まさか目の前の男がそうだとは思ってもみなかった。
「あの、……その目は、見えていらっしゃるの?」
何か言葉繋げなければと思ったのに、出てきたのはそんな好奇心丸出しの台詞。客商売をしているものとしてあり得ないと思いつつも、獣人を見るのが初めてなら、緑と黒の色違いの瞳を持つ人を見るのも初めてなのだ。この街しか知らない女の興味を擽るには十分だった。
「ああ、良く見えてる。なんならこっちよりも良く見えてるくらいだ」
こっち、と指差された緑の右目。それから男はさっさとベッドに向かうと我が物顔で枕に背を預けて足を投げ出す。
「だから、楽しませろよ?」
色違いの眼が女を見ていた。まるで道端の手品師でも見るような楽しげな笑顔で。
「ご期待に沿えると良いのですが」
そう、男に興味を惹かれている場合ではない。女の役目はこの男に不思議な力を使って無力化させること。いつでも力は使えるが、出来るだけ近くで、出来れば唇が触れる程の距離の方が確実に効く。スカーでも敵わないかもしれない相手だから慎重にならなければ。決してこの男がどんな風に女を抱くのか気になっているわけでも、死なせてしまうのは惜しいと思っているわけではない。
纏っていた外套を脱ぎ落とす。それから巻きつけていたスカートを。長いチュニックが太股までを覆っている為にまだ足しか見えないだろう。靴を脱ぎ、男を見るが楽しげに、だが下卑た欲を余り感じさせない視線が静かに女を見ているだけだった。男は何も言わない。床に散らばる服を乗り越え、チュニックとと下着のみの頼りない格好でベッドへと近付けば男が手を差し出し、手を重ねると男の腰に跨がるように引っ張りあげられる。細いように見えて確りとした筋肉を纏った身体。触れるところが熱い。真正面に見下ろす色違いの瞳は弓形になったまま、ただ女を見ていた。そっと肩へと両手を乗せれば腰に熱い腕が絡まり、引き寄せられる。至近距離で見る美しい顔にどくどくと女の心臓が悲鳴を上げそうな程に脈打っていた。キスをしようと、静かに顔を近付けて行く。
「人の男に手を出すの止めてもらえますかぶっ殺すぞ」
突然の第三者の声に驚いて振り替えると、そこにはしっかりと戸締りをした筈なのに開け放たれた部屋の扉に腕を組んでもたれ掛かる人がいた。長く艶かな黒髪を一つに束ね、キャラメル色の肌をしたこれまた美しい人。隻眼の、いや隻眼と思われていた男と同じ緑と黒の色違いの瞳が冷ややかにこちらを見ていた。
「お前、何もこれからって時に来なくたっていいだろ」
「視界共有までしておいて何ほざいてるんですか」
「暇だろうと思ってな」
「こっちが縛られて袋詰めにされて運ばれてる間にそんな一人でのうのうと楽しんでる光景見せられても殺意しか沸きませんけど!?」
女が困惑している間に二人は慣れた様子で言い争っていた。ずかずかと部屋に入ってきた黒髪の男はそのままベッドの足元に空いているスペースにぼふりと顔から突っ伏す。
「……おい、休む前に仕事しろ」
それを、隻眼だと思われていた男が爪先で小突く。
「アンタだって視界共有してたんだからわかってるだろ、俺は働いたんであとはやって」
「俺は執行権限の無ぇ下っぱだからな。説明責任はテメェにあるだろ」
「普段上司である俺の言うこと何一つ聞きゃしない人が何言ってるんですか」
べしべしと小突く爪先を容赦なく叩いた黒髪の男がやがて諦めたようにはぁぁぁと深い溜め息をついた。それからのっそりと起き上がると不承不承といった姿を隠しもせずにベッドから降りて女の目の前に立つ。
「……とりあえず、レオナから降りてもらえます?」
ぶ、とレオナが吹き出していた。なにがなんだか全くわからないまま戸惑う女はレオナの腕に抱えられてベッドの上に下ろされた。未だ不服そうな顔はしつつも、は、と短く息を吐いた黒髪の男がきりっと姿勢を正す。
「俺達は魔法士保護法第二条三項に基づき貴女を保護しに来ました。貴女に拒否権はありません。もしも拒否する場合は同五条八項により魔法の行使及び対象の処分も許可されているので逃げよう等とは思わないで、」
「おいジャミル」
「なんですかやれって言ったり止めたり邪魔ばっかりして」
「絶対伝わってないぞ」
二人の視線が女に集まるが、女は困ったように笑うことしか出来ない。レオナの言う通り何一つ理解出来ていなかった。
「…………つまり、俺達は、大人になってから魔法に目覚めてしまった人達を保護して専門の学校に送り届けています。逃げようとしたら殺しますけど、大人しくついて来て正しく魔法の扱いを学んでさえくれたら今まで通りの……むしろ今よりもっと良い生活が出来ます。どうしますか?」

拍手[0回]

商いの国として華々しく豪奢な国の中心部とは対照的に、その日の暮らしにすら困窮する貧民たちが集まるスラム街。自分が生きる為に他人を利用するのも殺すのも当たり前、人の死肉を食べてでも命を繋ぐのがやっとのその地域に奇妙な二人連れがやってきたのはつい最近の事だった。
常に日よけの白いフードを深く被り、左目を黒い眼帯で覆っていてもわかる程の美丈夫と、顔もわからぬ程にフードを目深に被った一回り小さな性別すらわからない人間。
外から来た人間は、それもとびきりの美形ともなればこの街に置いて格好の餌食にしかならない。一つくらい目が無かろうが捕まえて売り飛ばせば結構な額になるだろう。有象無象を殺してバラして売るよりも、外側が美しい人間を生きたまま売った方が遥かに楽に金になる。考える事は皆同じで、その二人組がやってきたその晩には数多の街の住人が隻眼の男を捕えようと二人が寝床に選んだ空き家を襲撃したが、皆悉く返り討ちにあい逃げ帰ることしか出来なかった。実際に出向いた人間から聞いた話によれば、数多の襲撃者を追い払ったのは隻眼の男ただ一人だけだったという。もう一人の性別もわからぬ人は空き家から出てくる気配すらなく、一人で家の外に出て来た隻眼の男が次々と襲撃者を拳一つで追い返した。誰一人として殺される事は無かったが、隻眼の男に傷をつける事すら出来ず、そしてその強さは一夜にして街に広まった。
誰も敵わない強い男が現れたとなれば黙っていないのがこの街を仕切っている集団。秩序も何もないこの街であっても、否、何もないからこそ暴力で街を支配する人間達が居る。スカーと呼ばれるこの街で一番恐れられている男は、隻眼の男の噂が広まるとすぐに排除するべく動きだした。暴力で支配している人間なら当然の事だろう、自分よりも強い者が現れてしまっては全てが水の泡だ。
だが逆に、常にスカーの暴力的な支配に虐げられていた街の民は隻眼の男への期待が高まっていた。支配者が変わったからといって自分たちの生活が変わるとは限らない。だがこの男ならば今よりもマシな生活が出来るのでは無いかと思わせるような何かがあった。見る者を惹きつける鮮やかな緑の一つ目から溢れ出す王者のような貫録。金にも余裕があるらしく、飢えた子に食べ物を恵んでやっている所を見たという者がいれば、怪我をして蹲っていた所を手当てしてもらった者もいた。この街の情報を収集しているらしく、話せばぶっきらぼうではあるが優しく微笑まれる事もあるという。
着実に街の住人からの信頼を得る隻眼の男の下にはスカーの配下が毎日のように命を奪いに襲いに来ていたが、あまりにも簡単にやり返され逃げ帰るのみとなってしまった為にもはや話の種にすらならない。


そうして。
全力で取り掛からねば隻眼の男を消す事が出来ないと判断したスカーが配下である男に下した命令は家に居る筈のもう一人の人間を攫ってくることだった。隻眼の男は度々外へと出てくるが、もう一人の方はこの街にやってきた時以来、誰も見たことが無い。街の者が所在を訪ねても、隻眼の男はいつも「身体が弱くてあまり外を出歩けない」と説明していたのだから攫うのは容易だろう。そして、そんな存在を連れ匿っているのであればそれは確実に隻眼の男の弱点だろう。
スカーの配下の中でも上位に位置する男もそれなりに力自慢ではあるが、既に何度か隻眼の男を襲撃して返り討ちにあっている。隻眼の男が不在の時を狙うと言っても住居に何が仕掛けられているかはわからない為に二人ほど手下を引き連れて隻眼の男の住処を訪ねる。
時刻は夕刻、騒ぎになり隻眼の男が帰って来てしまっては元も子も無いと、人目に付き難い平屋の建物の裏側の窓をこっそりとこじ開けて忍び込んだその部屋に、その人はいた。ボロい外観とは裏腹に埃一つ無いベッドの上に長く艶やかな黒髪を持つ、隻眼の男とは違った美しさを持った男がのんびりと寝そべっていた。窓からの侵入者にも驚いた様子はなく、それどころか男達を見て緑と黒の色違いの瞳がうっそりと笑いかけて来た。
場違いな笑顔がもたらす異様さに首の裏がぞっとするような思いをするが、下手に暴れられて手こずるよりは良い。美しいその男は三人がかりで押さえつけても、縛り付けてもただ笑っているだけで抵抗すらしない。拭いきれない薄気味の悪さを感じながらも、きっと頭がイカレているのだろうと思う事にして、猿轡を噛ませた上で布袋の中に入れる。あとはそっとこれをスカーの下に運ぶだけだ。



床に放り出された美しい男を見たスカーはいたく喜んだ。これだけ美しければ隻眼の男か、それ以上の値段で売れるだろう。人質として利用した後は売り飛ばせば良いし、そうでなくてもこの顔であれば色々と楽しめそうだ。
「お前が、スカーだな?」
そこへ突然響いた知らぬ男の声にその場にいた全員が身構える。振り返れば、拘束されたまま転がされていた筈の美しい男が足元に解けた縄を絡ませながら立ち上がる所だった。
「俺はあの人みたいに優しく無いからな。今すぐこの街から出て行くのと、此処で死ぬの、どちらがいい?」
にっこりと。美しい顔が笑みを象っているだけだと言うのに、まるで喉元に牙を立てられているかのような心地だった。

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