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フェネスタラ宮殿の幽霊

 今や世界中でその名を知らぬ者はいないと言われる写真家、アージェンタム氏が綴る夜明けへの道のりとその後のイオスに暮らす人々を取材したドキュメンタリー「イオスの光」
その第五作目より抜粋 

11.フェネスタラ宮殿の幽霊 

 サラに出会ったのはテネブラエのルクス大通りに面した小さなカフェだった。安価な上に美味しい珈琲とホットサンドが楽しめると評判の店内には子供連れや学生、果ては新聞片手にのんびりと珈琲を楽しむ老紳士まですべての年代に愛されているようだった。 
その中でも彼女に声をかけてしまったのは連れていた子供達に聞かせていた物語が非常に興味をそそられたからであって、決してやましい心があったわけではない。決して。 
 詳しく話を聞きたいと申し出るとサラは快く応えてくれた。 
【20代くらいの女性と十歳前後の男の子、アージェンタムが笑顔で写っている写真】 
サラ:私、生まれたのはリード地方だったんですけれども両親が事故で亡くなってしまってずっと祖父に育てられて来たんです。「夜の子供」だったので初めて遮るものが何もない太陽を目にした時はほんと眩しくて。今だから言えるんですけれど、あの頃はとにかく太陽が大っ嫌いでした。目は痛くてあけていられないし、肌はすぐに火傷になってしまって服を着るのも辛かった。そんな害しかない太陽を大人達がありがたがっているのも、なんだか私が否定されているみたいで本当に嫌でしたよ。「夜の子供」は皆そう思っていたのでしょうけれど。 

大人達が狂喜乱舞した夜明けとは裏腹に、長い長い夜の間に生まれた「夜の子供」達の苦しみは今でもなお続いている。日差しを浴びるうちに治って行く軽度の者から、生涯日差しを浴びるだけで体に変調を来す重度の者まで様々だが皆声を揃えて言うのは「初めて浴びた日差しは痛くて怖い存在だった」。大人たちは当たり前のように日の下で生きて来た為にその恐ろしさに気付くことなく、日差しの下に放置されて皮膚が爛れてしまった子供や失明した子供、またそのような苦痛を信頼する親などの大人から強制されて心の病にかかった子供も多く、彼らにとっては今でも太陽は忌むべき存在だと言う。 

サラ:私の場合は近所に詳しいお医者様がいたので、すぐに日の光が強すぎるのだとおっしゃっていただいて。それで改善するかはわからないけれど、と祖父の故郷のテネブラエに帰って来たんです。あの頃はとにかく街と言うより廃墟と行った感じでたった十年くらいでこんなに復興するとは思いませんでした。幸いにもこちらで少しずつ太陽に慣れて行く事ができて、今ではすっかり日向ぼっこが大好きなんですけれど。ああそうだ幽霊の話でしたよね。テネブラエに来てもすぐによくなるわけでは無かったのでしばらくは同じような子供達と室内でばかり遊んでいたんですが、やはり外で同じ年頃の子供が楽しそうに遊んでるのを見るととても羨ましくって。そんな時にやんちゃな友達がフェネスタラ宮殿で幽霊を見たって話をしてくれたんです。 

 フェネスタラ宮殿はかつて神凪の一族、フルーレ家が住んでいたが、長い夜の間にシガイの襲撃によって破壊され放棄されたのだと言う。生き延びた神凪の一族は近くへと拠点を移し、そこを中心に今の復興したテネブラエの町並みがある。だが宮殿だけは今も当時の姿のまま大切に残されているのでテネブラエに訪れた時には是非とも立ち寄ってみて欲しい。建物の中には入れないが一面に広がるジールの花畑と、瓦礫と緑のコントラストが美しい中庭は一見の価値がある。 
【真っ青な花畑の写真】 
【瓦礫に蔦が這い、日差しが差し込む幻想的な写真】 
【森の写真】 
サラ:もちろん、勝手に入って良い場所だとは思っていませんでしたよ。でも復興の手伝いも出来ない子供達は皆暇を持て余していて、すぐに宮殿の探検に行こうって話になったんです。最初は私と、その話をしてくれた男の子と、あと同じように日差しに弱い女の子の三人だったかな。友達の家に遊びに行ってくると嘘をついて朝の日が弱いうちに出掛けて。男の子が壁の壊れている所を知っていて、そこから中に潜り込んで。埃っぽくなってはいましたけれど家具なんかもそのまま残されていて凄く楽しかったですよ、あんな綺麗なお城は初めてでしたから。勝手にいろんな所をあけて、見たことも無いようなふかふかのベッドやソファに飛び乗って埃に咳き込んだりして。広いお庭には一面にジールが咲いていたりして思わず走り回ったりして。その途中に私たちも見たんです、幽霊。私たちが居た建物のちょうど向かいの建物の窓を真っ白な人影が横切るのを見たんです。三人とも大興奮でそこらじゅう探し回りました、あんまり夢中になっていたからついつい日差しの下も平気で歩き回ってしまって、私と女の子の二人とも目が痛くなってしまって。女の子の方は肌も火傷で真っ赤になってしまっていましたね。帰ろうにもまだ日が高くてこれ以上外には出れないし、夕方になるまで待つしか無いかなって三人で部屋の中にいたんですけどお腹は空いてるし肌はヒリヒリするしで心細くなってしまったのか女の子が泣き出してしまったんです。 
【過去のテネブラエ宮殿内部の写真1】 
【過去のテネブラエ宮殿内部の写真2】 
サラ:そんな時に幽霊がすぐ目の前に来たんです。実際には私はその時目が痛くて開けていられなかったので男の子が騒いだ声で気付いただけなんですけれど。大丈夫、心配いらないってとても優しい声だったのは今でも耳に残っています。何をしていたのか具体的な事はわからないんですけれども、泣いてしまった子を丁寧に慰めていてくれたみたいで。段々泣き声が収まって、そうしたら今度は私の瞼に大きな掌が触れてきたんです。ちょっと皮膚が硬くて、でもとても暖かくて。思わず心地よさにうとうとしてしまいそうなくらいで気付いたら目の痛みが無くなっていたんです。女の子の火傷もすっかり良くなったみたいで二人で何が起きたのかわからずにぽかんと呆けてました。ようやく幽霊を間近で見れたんですけど……ほんととても真っ白でした。髪の毛も肌も真っ白で、だけど目の色が左右で違って不思議な人でした。最初、危ないから二度と立ち入らないようにって言われた気がするんですけれども三人共興奮しちゃって散々ぶーぶー文句言ってたら仕方ないな、って笑って。本当にすごい優しい笑顔だったんですよ!もう一人の女の子と初恋だったよね、って今でも話題になるくらいに心を鷲掴みにされちゃいました。それで、遊びに来てもいいけれど危ないから入っちゃいけない場所を教えてもらって、それから大人たちには幽霊の事は内緒にしてくれってお願いされました。私達は此処でまた遊んで良いと言ってもらえたのがうれしくて二つ返事で引き受けましたけれど、今思えばあの時すぐに大人達に知らせて置けば良かったのかもしれませんね。 

 幽霊の正体に気付いた読者の方もおられるかもしれない。けれど子供達は律儀に幽霊との約束を守り、他の子供も誘って幾度も宮殿に訪れながらも決して幽霊の存在を大人に明かす事は無かった。それが良かったのか悪かったのかは今でもわからない。幽霊が何故大人たちの前には姿を現さ無かったのか、その真意がわからなくては全てが憶測に過ぎない。 

サラ:幽霊は行けば毎回いるって訳ではないんですけれど……体感的には週に一回くらいは会えるかもしれないって所でしたかね?幽霊には色んな事を教えてもらいましたよ。テネブラエの古くから伝わるおまじないの歌とか、遊びとか。幽霊は男性だったんですけどね、花冠を作るのがとても上手だったんです。昔は好きな子が出来たらジールの花で冠を作ってプレゼントするものだったって聞いて皆で作り方を習ったりもしましたね。普通の花冠みたいに絡めて行くというよりは土台を作ってからそこに編み込んで行く感じで子供には少し難しかったんですけど、すごく丁寧に根気よく教えてくれて。他の遊びもたくさん……全部今でもやり方覚えています。 
【テネブラエに伝わる花冠を被った笑顔のサラの写真】 
 しかし幽霊との楽しい時間はそう長く続かなかった。幾ら子供たちが幽霊の存在を隠していようと大人達が教えた覚えのない遊びを、歌を、知らぬ間に覚えていれば不審に思われるのは致し方ない事だろう。 

サラ:私も、何気なく鼻歌で教わった歌を歌っていて。祖父に「よく知ってるね、誰に教わったんだい?」って、祖父はただ懐かしくて聞いただけなんでしょうけれど私はもう大パニックで。内緒にするって約束したのにバレちゃう!って。逆にそれが祖父には不審に思えたんでしょうね、そこからは延々問い詰められて、怒られて、泣いて、だけど幽霊を守らなきゃって意地でも言えなくて。……本当はそこで言ってしまった方がよかったのかもしれませんけれど。他所の家でも皆そんな感じで親にバレて、だけど幽霊を守らなきゃって誰も口を割らなくて。何ででしょうね、不思議と「守らなきゃ」って思ったんです。とっても大きくて私達二人くらいなら軽く担ぎ上げてくれるような人だったんですけれど……なんでだろうなぁ……とても、大切だったんだろうなぁ…… 

 気付かれてしまえば後は早い。親から親へと話は広まり、子供たちがいつも遊びに行っている宮殿には誰かが居る、と言う結論に辿り着く。子供達が幽霊のことを話していれば誰も不安になる事は無かっただろう、だが実際には皆一様に頑なに唇を閉ざしたままで、余計に親達の不安を煽るだけとなった。すぐ傍にある拠点では無く敢えて宮殿に隠れるようにして居る人間、それも子供達にこれほど強力な口止めをする力があるとなれば危険人物かもしれないと誰もが思うだろう。 

サラ:それからは家から出るな、外で遊ぶとしても大人の目が届く場所でしか駄目、少しでも逃げようとすれば本気で怒られて……その間に拠点の男の人たち総出で宮殿の捜索をしたらしいんです。これは後になってから聞いた話なんですけれども。何度も何度も連日連夜宮殿の隅から隅まで探し回ったって言ってました。けれど大人達は誰一人幽霊を見つけられなくって、逃げたんだろうって話になって。結局そのまま幽霊は現れないままだったので、行けなくなってから半年後くらいかな?漸く遊びに行ってもいいってお許しが出たんです。その時には宮殿にも定期的に見回りが来るようになってましたし。また遊びに行けるようにはなったのは嬉しかったんですけど、やっぱりなんか違うんですよね、私たちは幽霊に会いに行ってましたから。幽霊が居ない宮殿は綺麗だし楽しい所だけど……寂しいんです。大人達の所為で幽霊が居なくなっちゃったって怒っていた子も居ましたし……幽霊が居なくなったことがショックであんなに毎日のように宮殿に遊びに行っていたのに部屋に引き籠るようになっちゃった子も居ました。その頃の私達にとっては本当に幽霊の存在が大きかったんです。第二の父……母……ううん、なんだろう?傍にいると無条件に安心出来て、心地よくて……神様みたいな物かな?大げさですけど。 
【六神と神凪が対話するシーンを描いた壁画】 
サラ:何度も宮殿に通って、やっぱりどんなに探しても幽霊を見つけられなくて。もう二度と会えないんだな、って皆が思い始めた頃、やっと大人たちに幽霊の事を伝えました。幽霊は悪い人じゃないんだって事だけは知って欲しくて。大人達も幽霊が居なくなってからの子供達の気落ちっぷりを見ていたからか親身に聞いてくれました。そこでようやく、幽霊の正体がわかったんです。誰かが写真を持ってきてくれて、幽霊はこの人か、って聞かれて。実際に会った幽霊よりは若く見えましたけれど思わず嬉しくてこの人!!ってにこにこ顔で答えた私達と、絶望したかのような大人達の温度差が凄かったですね。その頃は自分たちで追い出した癖にって思ってましたけれど…… 

 そして大人達が「幽霊」の正体を子供たちにわかりやすく説明した話と「幽霊」との思い出話が組み合わさり、尾ひれ背びれを付け加えながら形を変えて一冊の絵本にまとめられたのが「ジールの王子」だ。世界中で大人が読んでも泣ける絵本として流行したのでご存知の方も多いかと思う。ジールの国の王子が太陽を食べる魔物に家族と離れ離れにされながらも冒険をしてゆく「よくある」ストーリーではあるのだが、その最後の物悲しさはこの「幽霊」の話が混ざった結果だろう。 
【ジールの王子の絵本表紙】 
サラ:今では皆この絵本のお話を知っているでしょう?とても良いお話だとは思うんですけど……やっぱり本物を知っている身としては正しい王子のお話も知って欲しいんですよ。大人達に聞いた王子の話も、絵本に描かれた王子のお話も、幽霊とはどこか違うんですよね。だから私が知っている幽霊のお話も子供達には伝えたいなって。あの時一緒に遊んでいた友達は皆子供に幽霊のお話していると思います。 

 サラへの取材を終えた後、町中で遊ぶ子供たちの何人かに声をかけて「ジールの王子」の話を教えてくれと強請ってみたところ、驚く事に絵本の内容を教えてくれたのは一人だけで、後は多種多様な王子の話を聞くことが出来た。恐らくは幽霊に出会った子供達それぞれが感じたままに伝えた事で印象が変わってみえるのかもしれない。独自の脚色や、子供に聞かせる為にハッピーエンドに纏め上げられた物まで、そうしてそれが子供同士で議論になりまた新たな王子像が作り上げられて行ったのだろう。 
 もしもテネブラエに訪れる事があったら「ジールの王子」の話を子供から大人まで聞いてみて欲しい。きっと貴方だけの「王子」が出来上がる筈だ。

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新年会

 夜のテネブラエ、フェネスタラ宮殿。  
 以前より予定されていたルシス王家からの使者と会談の後に、たまたまタイミング良く現れた復興支援を生業とする傭兵団長も交えて臨時の会食。  
 程よくアルコールも回り腹も満たされ、このまま各々部屋に戻って眠るだけかと思いきや「せっかく集まったんだから肩肘張らずにもうちょっと飲もうよ」という傭兵団長の鶴の一声で場所をレイヴスのプライベートルームへと移して二次会を開催する運びとなった。  
「あらためまして、新年おめでとー!」  
 先程のテネブラエの重鎮も交えた会食とは打って変わってアラネアの声は明るい。アラネア、イグニス、レイヴス、三人揃う事はほとんど無いがそれぞれ付き合いはそれなりに長いし、あの十年を互いに支えあい乗り越えた仲間だという意識が皆それぞれにある。  
「あ、これ美味しい」  
「こんな機会もあまりないだろうから二十年物のワインを持ってきた」  
「レイヴスのそういうトコ好き」  
「お前が好きなのは酒だろう」  
 帝国の頃から二十年近い付き合いになるという二人のやり取りも随分と砕けたものだ。各々ソファにゆったりと寛ぎながら簡単なツマミを肴にグラスを傾けている。そこにイグニスも混ざって穏やかな空気が流れているなど、かつては想像もできなかった。  
「メガネくんはいつまで居るの?」  
「明日の昼には発つつもりだ」  
「そうだよねぇ、アンタの彼氏うるさそうだもんねぇ」  
 んんぐぅ、とイグニスが妙な声を上げながら咽そうになった。噴出さなかったのが不思議なくらいだったが気合いで堪えたらしい、飲み下した後にげほ、と小さく咳を零す。  
「なぜそれを…じゃない、なぜそうなったんだ」  
「あんたも結構酔ってるね?そんなの見りゃわかるわよぉ、初めて会った頃にはもう付き合ってたでしょ?長いよね」  
 かくいうアラネアもだいぶ酔っているようだ。もともと静かな性質というわけでは無いが普段よりも上機嫌に舌が回っている。  
 ぐうの音も出ずに黙り込んで言葉を探すイグニスをからからと笑うアラネアの横ではレイヴスが穏やかに、だがやはり楽し気に目を細めていた。  
「そうなのだろうなとは思っていたが…そんなに昔からだったのか。いつからなんだ?」  
「あたしも知りたい!具体的にはいつなの?小さい頃からずっと一緒なんでしょ?」  
 イグニスの恨みがましい視線がちらとレイヴスに向けられるがグラスを掲げて応えて見せるだけだ。所詮は付き合いの長い者だけの砕けた酒の席だ。一番若いものが玩具代わりに突かれるのは致し方ない事だろう。暫く悩むように無言を貫いていたイグニスだったが溜息一つで諦めると、ぐしゃりと髪を掻き混ぜながら唇を開いた。  
「高校の頃だ。彼氏、などという関係になった覚えは無いが…… 「ヤっちゃったと」  
「……まあ、そういうことだ」  
 直截な言葉に一瞬言葉を詰まらせるも諦めて全面降伏することにしたらしい。イグニスのような男が高校の頃からあの男と身体を重ねていたことに驚くべきか、それから10年以上一途に愛を育んでいる事に納得するべきなのか。  
「そんなに長く付き合ってて飽きない?」  
「そもそもそういう関係では無いと言っているだろう。共に在る事が当たり前すぎて……そういう事を考える次元に居ない」「でもヤる事はヤるんでしょ?」  
「う……その、なんというか、習慣で……」  
「習慣になるくらいお盛んなんだ!?」  
 あっはっは、と声を上げて笑うアラネアと、横ではレイヴスも肩を震わせている。何を言っても酒の回った頭では二人を喜ばせる事しか出来ないようだ。だがとてつもない羞恥心はあれど、今までこの手の話はほとんどしたことが無いイグニスにとっては少しだけ興味がある部分でもある。  
「そういう貴女も。ウェッジさんが心ぱ――」  
「で、レイヴス将軍と宰相ってどういう関係だったの?」  
 ウェッジの名前が出た瞬間のアラネアの切り替えの早さは恐ろしい程だった。奥では突然話を振られたレイヴスがんっふぐぅと変な声を出して咽そうになっている。  
「私が帝国に入った頃にはもうあんた宰相と寝てたでしょ?けどいまいちどういう関係だかわからなくってさぁ」  
「いや……その……」  
「恋人同士って空気でも無いし、だからってあからさまに険悪って感じでも無いし、気になってたのよね」  
「だから……それは……」  
「結局、宰相の事好きだった?」  
 レイヴスがこんなに狼狽えている所をイグニスは初めて見た。哀れにも思うが先程の恨みと、このアラネアの勢いが万が一にもこちらに戻ってくるのは避けたいので黙って聞き役に徹することにする。というよりアーデンとレイヴスがそんな関係であった事など初めて知った。純粋に興味が沸く。 
「……好きとか……嫌いとか、そういう話じゃない」  
 溜息のように紡がれた言葉があまりにも穏やかだったのでアラネアとイグニスは息を飲んだ。二人とももっと愚痴や恨み言が出てくるとばかり思っていたのだ、知らず固唾を飲んでレイヴスの次の言葉を待ってしまう。  
「あ、いや、本当に巧く説明出来ないんだが…少なくとも好きでは無かったし、いつか殺してやるとは思っていた」  
 その言葉の割には余りにも懐かしむように穏やかな微笑みを浮かべているレイヴスに思わず二人は顔を見合わせ、そしてあまり深く突っ込んではいけない予感を感じて話題を切り替える事にした。楽しい酒の席が追悼式のようになってしまうのはごめんだ。  
「で、ウェッジさんとは――」  
「はい、それじゃあ次はメガネくんと彼氏の初夜の話を詳しく聞かせてもらおうか!」  
 テネブラエの夜はまだしばらく明けそうにない。 

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配送業アーデン×団地妻(?)レイヴス

※細かい事は気にしたら負け
 チェラム配送  
 アーデンが個人で営む零細配送業者である。ほとんど趣味でやっているような物なので利益は度外視、大手配送業者の下請けとして暇潰し程度に配送をこなしお小遣い程度の金をちまちま稼ぐだけの、あえて金を稼ぐ必要の無いアーデンのごっこ遊びのような物だ。 
 営業日も疎ら、請け負う仕事量も極々少量、そんな適当な運営のチェラム配送だが業者指定の配送依頼を送る依頼主が一つだけある。  
 ルシス団地の最上階、1001号室。  
 その「お得意様」から依頼があると聞いてうきうき集配所へと駆け付ければ荷物は片手で軽々持てるような小さな段ボール、品名には「玩具」とだけ書かれていた。 思わずにやけそうになる口元を隠しながらざっと他の近場の配送を数点請け負ってミニバンで出発する。勿論、1001号室の配送は今日の最後、それが終わればアーデンの本日の営業は全て終了だ。  

 十五時四十七分。 
 十四時から十六時までの配送依頼だったものの、途中の道路工事で迂回した為にギリギリの時間になってしまった。車をあえて駐車場に滑り込ませると弾む心を抑えるようにサイドミラーをのぞき込んで身だしなみのチェックなどしてみる。 それから本日最後の荷物を片手に車を降りてエレベーターへ。足取りがどうしても浮かれているのは仕方ない。 廊下に出てすぐ、一番手前の部屋の扉の前に立って一呼吸、それからインターホンを押すとちゃちな機械音がピンポーンと間延びして響いた。  
「――……はぃ……」  
「チェラム配送です」  
 応答に出たのは若い男の声、いつもならば鳴らしたら飛びつくような勢いですぐ応答があるというのに今日はずいぶんと間が空いたし、何より声が吐息のように掠れて覇気が無い。もしや体調不良などでこの後のお楽しみは無くなってしまうのではないかと不安が過る。たん、たん、と爪先で地面を叩きながら扉が開かれるのを待つもインターホン越しの声以降、しんと静まり返った部屋からは何の音も聞こえない。  
 ピンポーン、もう一度ボタンを押す。  
 今度は先程と同じ時間待っても応答はない、本当に体調不良が悪くて動けなくなっているのでは、と思った途端に扉の向こうから聞こえたガタンという大きな音と細い悲鳴のような男の声。  
「ちょ、奥さん!?大丈夫!?」  
 思わずドアノブを捻ればあっさりと扉は開かれた。  
 見慣れた廊下、その玄関に一歩届かない場所にへたり込んだ裾の長いシャツ一枚だけを纏った男、びくびくと絶えず肩を跳ねさせながら何かを堪えるように身を丸める姿に思わず駆け寄ろうとして、気付く。  
 羽音のように空気を震わせる音、それからふわと鼻に触れる生臭い臭い。そっと近づいて覗き込めば裾の捲れた男の尻から伸びる数本のカラフルなコードとスイッチ。 焦りが一転して高揚へと変貌する。口元がにやけるのを今度は隠しもせずに未だに震える肩へと手を伸ばす。  
「待ちきれなかったの?俺が頑張ってお仕事してる間に一人だけずるくない?」  
ずるりと這うようにして男が動く。ぺたりとアーデンの膝に手をかけてようやく上げられた顔は真っ赤に上気し潤み切った眼から一筋涙が溢れた。  
「……はやく、」  

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日記

 ※十年の間にたくさん言葉を覚えたシガイのレイヴス 
 ※あーでんはおうさまにあいにいきました 
 
あーでん いない  
また おーさまのおともだち ところ  
かえる いつ 
 
あーでん いまも いない  
まつ きらい あきた  
はやく かえる して 
 
おなかすいた あーでん いない  
あーでん かえる しない? 
 
べっど こわれる した  
あーでん いない  
おこる していいよ  
あーでん かえる して  
まつ できない 
 
あーでん の ふく やぶく した  
あーでん おこる していいよ  
はやく おこる して  
あーでん いない こわれる たくさん 
 
あーでん いない  
おへや こわれた なおる できない 
 
あーでん いない  
かえる しない 
 
あーでん どこいる  
あーでん いきたい  
まつ きらい 
 
あーでん いない  
うごく できない  
あーでん かえる しない 
 
あーでん いない  
あーでん まつ してる  
いいこ してる  
あーでん さわる したい 
 
あーでん うごく できない  
いいこ した  
まつ した  
あーでん さわる して  
あーでん すき ばいばい 

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彼岸

 ぽか、ぽか。 
 暖かな日の光と、草原の上を走り抜ける風の音。浮上しかけた意識が心地よさに引きずられてまた眠りに落ちそうになる、そんな温度。こんなにも穏やかな心地で太陽の光を受け止めたのはいつぶりの事だろうか。 
 ふわりと鼻を擽る香りはシナモンの効いたアップルティ。カップへと注がれる軽やかな水音に他人の気配を察して重たい瞼を持ち上げる。 
 それは不思議な光景だった。 
 見渡す限り広がる青々とした草原。地の果てまで続いていそうな広大なそこには所々に色とりどりの花が風に揺れて見え隠れし、時おり蝶がひらりひらりと花の間を行き交う。空は真っ青に晴れ渡り、降り注ぐ陽光はほんの少し汗ばみそうな暑さ。だがそれを癒すように涼しげな風が緩やかに肌を撫でていく。 そんな中に一本だけそびえ立つ一本の巨大なメイプルの木の影に隠れるようにぽつりと建てられた白い東屋の下には、アーデンが今まさに身を預けているふかふかのソファと白いテーブル、それから柔らかそうなカウチに背中を預けてティーカップを片手に寛いでいるレイヴスの姿。帝国で見慣れた軍服ではなく、あんなに苦労して身体に馴染ませていた義腕も無く生身の左手。白いコットンシャツにゆったりとした淡い色合いのボトムスを履いた彼は随分とリラックスした様子でカップから立ち上る香りを楽しんでいた。 
 その顔の穏やかさと言ったらアーデンが知る彼とは別人かと思うくらいだ。青い花の模様に細やかなシルバーで縁取られたティーカップを口に運ぶ様は優雅そのもので育ちの良さが伺える。ふぅ、と息を吹き掛けてからそっとカップを傾けて一口。満足いく味わいだったのか口許がゆるりと弧を描いた。更にもう一口、二口。そうしてとろりと動いた視線がアーデンに辿り着くと少しだけ目を見開き、それから優しい笑みの形に細められる。 
「やっと起きたか。気分はどうだ?」 
 幼子にでも話しかけるかのように甘く耳を擽る低音。気分、と言われてもなんだかとってもふわふわとして気持ち良いだけでよくわからなかった。こんな心地になったのはもう随分と昔の事で、これがどういう気分なのだと説明出来る言葉をアーデンは覚えていない。 
 レイヴスは応えぬアーデンにそれ以上追求するでもなく立ち上がると透明なガラス製のポットを手に取る。中にはたっぷりと刻まれた林檎が鮮やかな紅い液体に浸っていて、ふと気づけばテーブルの上にはレイヴスのカップの対になるような赤い花の模様に金をあしらったティーカップとソーサーが音もなく現れていた。先程までテーブルの上には青い花模様のカップしかなかったはずだが、突然現れたカップへとレイヴスは躊躇いなくポットを傾けて液体を注ぎ入れて行く。仄かな湯気と共にまた一段とアップルティの香りが強くなった気がした。 
「飲むか?」 
 ソーサーに置かれたカップがアーデンに向けて差し出される。いつの頃からかは忘れたが、人ならざる者へと身を落としてからは食事を必要としない身体になってしまった為か味覚が随分と退化してしまい、何を食べても味を感じず食への興味すら長いこと失っていた。人に紛れて生活する為には食事をして見せることだって無いわけではなかったが、決して楽しいものではなくただ淡々と口に入れたものを飲み込めるサイズまで噛み砕いて胃へと流し込むだけの作業でしかない。 
 だが目の前で湯気を立てる紅い液体は何故か随分と魅力的に映り、自然とアーデンは身を起こしてソーサーを両手で受け取る。 
「熱いから気をつけろ」 
 再びカウチへと戻ったレイヴスの言葉に大人しく従ってふぅふぅと息を吹き掛けてから口へと運ぶ。シナモンの香りが爽やかなリンゴの酸味と仄かな甘味と共に口いっぱいに広がってゆく。 
「美味しい……」 
 思わず溢れた言葉にアーデンが驚く。とうの昔に失われたと思っていた味覚が正常に働いている。喉の奥を通り抜ける熱がそのままじわりと溶けるように体温へと変換されてゆく。久方ぶりの味わいをアーデンの意思よりも先に身体が喜んでいる。 「それならよかった」 
 ふわりと綻ぶようにレイヴスが笑う。そんな顔は出会ってからこれまで見たことも無かった。見れるとすら思っていなかった。かつての彼は常に奥歯を噛み締めているようなしかめっ面ばかりで、アーデンを見る眼差しと言ったら疑念と警戒がはっきりと見てとれる不穏な物でしか無かった筈だ。 
 それが今や弓なりに細められて愛しいと言わんばかりの柔らかな眼差しでアーデンを見ている。 
 現実にはそんなことありえる筈が無いのに。 
 だって彼はアーデンを恨みながら死んでいった。 
 そしてアーデンもつい先程、選ばれし王によって死を与えられた筈だった。 
 そう、アーデンは死んだ筈だ。 
 積年の恨みを果たすこと無く眠りに就いたはずだ。 
「ここ、天国?」 
 思い付いたのは帝国に吸収されたどこかの国の宗教にあった死後の世界。餓える事も傷付く事も苦しむ事も無い、夢のように幸せな世界。だがそこに辿り着けるのはその宗教が崇める神が認めた善人のみで、悪人と判断されれば無限の苦しみが続く地獄へと突き落とされた筈だ。さすがのアーデンでも自分が善人だったとはお世辞にも言い難い。 
「ルナフレーナは生と死の狭間の世界だと言っていた。星に還る前に魂を休める場所だと」 
 ルナフレーナ。 
 たかだか二十年程度生きただけでアーデンを憐れんでみせた女。かつては名を聞くだけでも思わず顔をしかめてしまいそうな嫌悪感を持っていた筈なのに、不思議と凪いだ心でその名を受け止めていた。 
「会えたの?愛しの妹さんに」 
「ああ、先程までずっと一緒に居た。……今はノクティスを迎えに行ってしまったが」 
 ノクティス。 
 気が狂いそうなくらいに長いこと待たされた末に漸く生まれて来た選ばれし王。そしてアーデンに死を与えた最後の王。 
 つい先程まで言葉にはし尽くせないような恨みを、怒りを、やるせない悲しみを抱いていた筈なのに、やはりアーデンの心は穏やかなままだった。それどころかこの世界で二人が再会したら漸く幸せになれるのだろうな、と祝福すらしてやりたくなる始末。まるで負の感情の全てをどこかに置いて来てしまったようだ。それが嫌だとは思わない。 
 ただ、こんなにも穏やかな気持ちになっていることに慣れない。心がふわふわと浮わついたまま、この暖かなものをどう受け止めて良いのかわからずに戸惑っている。 
 誤魔化すようにがりがりと頭を掻くと、この気温の高さにかじんわりと汗をかいていた。いつだって寒さしか感じなかった身体にはやはり慣れない感触だが、その人間のような身体の反応に心地よさを覚えたのも事実だ。 
「なんか、夢みたいなトコだね」 
 死んだ筈の人に会えて、恨み辛みを忘れて、恨まれている筈の人に優しくされて。これを夢と言わずになんと呼べば良い? 
「実際、夢のような物だ。仮初めの世界でしかない。だが、願えばなんでも叶う」 
「何でも?」 
「そうだな、ひとまずその重そうな服を着替えたらどうだ?」 レイヴスの視線を追いかければここ暫くトレードマークのように着ていた黒く重苦しい外套。 
人では無い生き物になってからと言うもの世界は凍えるような寒さだった。光を浴びればチリチリと焦げ付くような痛みを受け、それらから守るように次第に分厚く重くなっていった服。こんなに着ていても汗をかくこと等なかったと言うのにこの暖かな空気に肌が湿っている。だからと言って気が遠くなるほどの時をこの姿で過ごして着たのだ、着替えると言っても何を着て良いのかわからない。 
「思い浮かべるだけだ、楽な格好になると良い」 
 楽な格好。 
 世界から身を守るためにこの衣服を纏うようになったアーデンにとってこの格好が一番楽な格好だったはずだ。しかし目の前のレイヴスの姿はとても快適そうに見える。コットンの柔らかくゆったりとした生地が風が吹く度に揺らめいているし、よく見れば足元は素足だった。男らしく骨張っているが歪みひとつ無い真っ白な爪先。あれで草原を歩いたらさぞ気持ち良いのだろう、いいなぁ、と思わず足裏で生きた草を踏みしめる感触を思い浮かべた途端、レイヴスの吐息が笑いに揺れた。 
「他に無かったのか……いや咎めている訳じゃないんだが」 
 一瞬、何を言われているのかわからなかったが、首元をひやりと風が通り抜けて思わず自分を見下ろすとそこには見慣れた黒い外套は無く、涼しげなコットンのシャツにゆったりとした淡い色のボトム、それから素足。まるでレイヴスとお揃いのような服に包まれた身体がどうにも見慣れず反射的に身構えてしまったものの、恐れていた身体の芯から凍てつくような寒さも焦がされるような光の痛みも感じない。それどころか分厚い服の中で籠っていた体温が解放されて心地よいくらいだ。 
「願えば叶う、ね。なるほど?」 
「理解してもらえたようで何よりだ」 
「それで……何故、俺は此処に?」 
 世界に平和が訪れ妹君は念願の王との再会が約束された。それなのに願えば叶うこの世界でレイヴスがアーデンの傍に居るのはとても不自然だ。アーデンに復讐してやりたいだとか殺してやりたいと言うならばまだ理解出来るが目の前で微笑む男からそんな暗い感情は感じられない。それどころか慈しむような空気でもってアーデンを受け入れている。 
 アーデンにしても心残りは何も無い筈だった。ルシス王家への復讐が果たせなかった事は残念ではあるが、死の安らぎを与えられた今、それほど未練とは感じ無い上にこの穏やか過ぎる世界に似つかわしくない。 
「それは……俺にもわからない」 
「君が此処に居る理由は?」 
「それも……わからないんだ」 
 レイヴスが緩く首を振ると白く見えた毛先が陽の光をきらきらと撒き散らす。今まで気付かなかったがこの子はこんなにも綺麗な子だったのだなと今頃になって漸く気付く。人間に対して綺麗だと感じるのも随分と久々だ。突然、訳のわからない世界に放り出されたと言うのにこんなにも呑気な気分で居られるのは生前忘れていたささやかな幸せに満ちた世界だからかもしれない。 
 暖かな陽の光、心地よい風、草木が揺れる音に甘くて芳醇なアップルティ、壮大な風景と、それから美しい人。 
 その美しい人は空になったカップをテーブルへと置くと少し考えるように首を傾けながら再び唇を開いた。 
「俺が望んだからお前が居るのかもしれないし、お前が望んだからかもしれない。もしくは俺達では無い誰かが願ったからかもしれない」 
「俺達以外の誰かが?俺達が再会するのを願ったと?……ちょっとそれって悪趣味じゃない?」 
「なんだ、会いたく無かったのか?」 
 殺害……よりも酷いことをした加害者と被害者を引き合わせるような無神経さを突いたつもりが、からかうように問われて言葉に詰まる。会いたいかどうかで聞かれれば「考えたことも無かった」というのが正しいが、今この時間を心地好いものとして受け入れている。いつまで経っても懐かない野良猫のようだったレイヴスがこんなにも暖かい好意を送って来ているのにそれを切り捨てる等勿体無いとすら感じている。 
「……会えて良かったよ」 
「それなら良かった」 
 なんとか友好的な言葉を絞り出せば帰ってくるのは満面の笑顔。 
「君、そんな顔出来たんだねぇ」 
「お前こそ、自分では気付いて居ないんだろうが随分と間の抜けた顔をしているぞ」 
 見てみろ、と突然現れた手鏡を手渡されても今さら驚かない。言葉に従い受け取った鏡を覗き込めば確かにそこには緩みきった男のにやけ顔があった。自分の顔ながらこんなにも緩む物なのかと思わず頬を撫でる。 
「凄いね、こんなだらしない顔出来たんだ、俺」 
「前よりも良い顔をしていると思うぞ。お前、実は優しい顔をしてたんだな」 
「止めてよ」 
「照れているのか」 
「君がそんなに性格悪かったなんて初めて知ったよ!」 
 生前、数多の苦しみを腹の底に押し固めて言葉少なに生きていたようなレイヴスは、しがらみから解放されるとなかなか良い性格をしていたようだ。もはやどんな顔をすれば良いのかわからず掌で顔を覆うしかないアーデンを見てからからと笑っている。 
 だが悪くない。 
 そう、この世界は悪くない。 
 幸せとはこんな感じなのかもしれないとすら思えて来るような安らいだ世界。 
「あー……で、俺達はこれからどうすれば良いんだろうね」 
 少しばかり上がった体温を冷ますように掌で顔に風を送りながら話題を変えてみる。暖かいが存在意義の見出だせない優しい世界。それすらも心地良いと思ってしまうのだから始末に終えない。逃げ出すべきなのか留まるべきなのかと考えることすら面倒になる程の安寧はいっそ暴力的だ。 
「何も。好きなことをしたら良いんじゃないか」 
「突然言われてもすぐには思い付かないよね」 
「釣りとか……料理とか。服を着たまま泳ぐとか、綺麗な服を泥だらけにして遊ぶとか……」 
「ねぇ、もしかしてそれって君がやった好きな事?」 
「……ルナフレーナがやりたいと言ったんだ」 
 恥じらうように眉を下げて笑うレイヴスに微笑ましさを感じて口角が緩む。テネブラエで大事に大事に育てられた王子様とお姫様には確かにやりたくとも出来なかった事ばかりだろう。生前は少しギクシャクしていた二人が仲良く楽しげに遊び回る姿を想像すると良い歳をした大人二人のはずなのに可愛いと形容したくなるのだから不思議だ。大分目の前の優しく微笑むレイヴスに慣れて来たらしい、はしゃぐ兄妹の姿が簡単に想像出来てしまった。 
しかしだからといってアーデンも同じことをしたいかと言えばなんとも言えない。楽しい記憶では無かったが経験が無いわけでも無い。それなら別の楽しいことをした方が良さそうだ。 
 良い景色、良い香りの紅茶、心地よい風に穏やかな時間。ここに更に加えるならなんだろうとぼんやりレイヴスを眺めて思い出す。人では無いものになって久しく得られなくなったもの。望む事すら躊躇われて欲しいと思うことすら忘れてしまったもの。 
「ねぇ、ちょっとさあ……抱き締めてくれない?」 
 こんなにも素直に人に甘えるなど人であった頃もしたことが無い。なのにするりとねだる言葉が出てしまったのはきっとこの世界に慣れてしまったせいだ。今まで幾重にも重ねて積み上げていた他人とアーデンを隔てる壁がすっかり無くなってしまっている。 
「承った」 
 あっさりと了承されて驚くよりも先に期待通りの応えを得たかのような満足感に満たされる。ゆっくりと立ち上がったレイヴスはそっとアーデンの隣へと腰を下ろすと長い腕をすらりと広げた。 
「おいで」 
 愛しい人を誘うかのような微笑みに引き寄せられるようにレイヴスの胸元へと顔を埋めるように抱き付いて押し倒す。うわ、と小さな声をあげながらもレイヴスの腕はしっかりとアーデンの背中を包み込んだ。薄いコットン越しの体温がじんわりと肌に伝わってとても暖かい。ほんのりと薫る紅茶とも違う甘い香りは香水だろうか、澄んだ水のように爽やかな香りを肺一杯に吸い込んで吐き出す。ゆったりとした呼吸に合わせて上下する胸にぐりぐりと頬を押し付けるとふふ、と笑う吐息が頭上から聞こえた。 
「髭がくすぐったい」 
「それくらい我慢してよ」 
「努力はするが……こら……ッはは」 
 眉尻を下げて笑う顔が思いのほか胸を温かくさせたので調子に乗ってさらに髭を擦りつけるとたまらなくなったらしいレイヴスが身を捩って逃げようとする。逃さぬようにずりずりとのし上って押さえつけるとちょうど両腕の間にレイヴスの頭を挟み込むようにして見下ろす事になる。間近から見下ろした二つのアイスブルーは薄っすらと涙に濡れていて素直に綺麗だと思う。くすぐったさから解放されたそれがひたりとアーデンに向けられると溶けるようにじわりと体温が上がった気がした。 
「―――」 
 何か言葉にしようと唇を開いた筈なのに重なった視線に遮られふつりと途切れる。それはレイヴスも同じようで半開きになった唇の奥に濡れた舌が覗いていた。緩やかに髪を撫でて行く風と、重なった胸に伝わるお互いの呼吸、それから暖かな体温。磁石にでもなったかのようにアイスブルーに引き寄せられて顔をゆっくりと近付ける。ただ静かに見つめるレイヴスは様子を伺うようにも、先を期待するように待っているようにも見えた。三十センチ、二十センチ、十センチと顔を近付けて行っても避ける素振りすら見せずただじっとアーデンを見つめ返している。 
あと五センチ、三センチ、一センチ、吐息が触れる程の距離になってほんの少しだけ残っていたアーデンの理性が問いかける。 
「――キスしていい?」 
 一瞬、真ん丸に眼が見開かれたかと思えば次の瞬間には「ふはっ」と吹き出すような笑い声と共に細い三日月の形に歪められた。 
「お前……ッおまえ、此処まで来てそれは無いだろう……ッ」 
「だって凄く急な事だと思うしさあ……無理矢理キスして君にこれ以上嫌われたくないじゃない……」 
「こんな格好で今更何を言ってるんだ」 
 ぴったりと抱き合った状態での言い訳は余計にレイヴスの笑いを誘ったらしい、大口を開けて笑う姿を見てなんだか感慨深いものを感じる。この子もこんな風に笑う事が出来たのかと、笑う姿を見られる立場になったのかと喜びを感じる。 
「ねえ、せっかくのムードぶち破っちゃったのは悪かったけど……それで、キスしていいの?」 
 レイヴスは楽しく笑っているだろうから良いだろうがアーデンとしてみれば返事がもらえずに目の前でお預けを食らっているような状況だ。ずっと見て居たくなるような笑顔ではあるが早く柔らかそうな唇を食みたくてうずうずしている。笑みに細くなったレイヴスの目がまたアーデンへと戻って来ると思わせぶりにそっと頬を両掌で包み込まれた。 
 ちゅ、と音を立てて触れたのは一瞬。レイヴスからキスをされたのだと気付いたのは浮かせた頭をソファのひじ掛けに戻したレイヴスが面白がるような目でアーデンを見上げてからだ。 
「これで満足か?」 
「――ッそんなわけないでしょ」 
 揶揄するような言葉に今度はアーデンから唇を重ねる。先程の子供騙しのような口づけでは無くお伺いを立てるように幾度もリップノイズを響かせる。くすぐったげに震えながら勿体ぶって開かれた唇にすかさず舌を滑りこませれば歓迎するかのようにぬるりと暖かな舌が絡みついた。角度をつけてより深くまで舌を差し込んで舌の根までくすぐってやればレイブスの喉がんん、と小さく鳴る。残るアップルティの香りを根こそぎ奪うかのように丁寧にくまなく口内を舌先で辿ってやれば背中の指先がシャツをぎゅっと握りしめるのを感じた。 
「――は、ずいぶんと情熱的なんだな」 
「嫌いじゃないでしょ?」 
 合間に吐息と共に零れる声は甘い。再び唇を重ねて思う存分温く絡み合う粘膜を味わっていれば次第にレイヴスの腕が、足が、強請るようにアーデンに絡みついてゆくのが心地良い。ぴったりと重なる体温が溶け合って頭の中までぐずぐずに蕩けるようだ。もっと、と差し出される舌先を音を立てて吸ってやればぴくりと悩まし気に寄せられた眉、跳ねた身体。また少し伝わる体温が上がった気がした。 
「……ね、俺のお願い叶えてもらったからさ。今度は君のお願い叶えてあげるよ」 
 唇が触れ合う程の近距離で囁いてやれば少しだけ上がった呼吸を整えるように濡れた吐息が応える。 
「言わなくともわかるだろう?」 
「君の口から聞きたいんだよ」 
「無粋だな」 
「臆病なんだよ」 
 ふ、と触れる吐息が笑みに綻んだ。背からアーデンの頭へと滑る指先が優しく生え際を撫でる。甘えるようにその手に頭を押し付けて擦り付ければぐい、と頭を抱き込まれてレイヴスの首元へと顔を埋める形となりそのまま強く抱きしめた。重なった胸元から少しだけ早くなった互いの鼓動が伝わってまるで本当に生きているかのようだ。 
 すり、と一度懐くように頬をすり合わせてから耳元へと触れる唇。ゆったりと息を吸ってから思わせぶりにレイヴスが口を開く。 
「―――」 

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