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空箱

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6

部活が終わり、各々着替え等を終らせた後は個別解散となるものの、運動後の青少年がその後する事など飢えた腹を満たす事以外になく、結局部員の殆どがぞろぞろと連なって食堂に向かうのが常となっている。その道中で持ち上がったマジフトの新戦術の話題。誰かが言い出した、粗いが斬新なその戦術は食堂で夕食をとる間も盛り上がり、片付けるからと食堂を追い出されても話し足りずにサバナクロー寮の談話室に移動してまで白熱した。斬新なだけに穴も多く、それを埋める為の案が出ては別の問題点が出てくる。更にその問題を解決しては、と終わりが無くとも最初は荒唐無稽にも見えたそれが洗練され実用に耐え得る戦術に仕上がっていく様にレオナもつい夢中になってしまった。
ふと気付けば一般的な寮の消灯時間が迫ろうとしていた。サバナクローの寮生はどうでもいいが、他寮の部員達はさっさと返さないと後で文句を言われるのはレオナだ。名残惜しさを感じつつも充実した気分で続きはまた明日の部活で、と解散させ、ラギーに他寮の追い出しを任せて自室に戻る。
夜の涼しい風が通り抜ける廊下を進み、寮の最上階、一番奥の部屋。朝レオナが出て以来、無人だったはずの部屋の扉を開けた瞬間に香る、他人の香り。連絡も無しに突然やってくるのは珍しいと思いつつ、確かにこの部屋に居る筈なのに、物音無く、暗いままの部屋に少しだけ考えた後、明かりをつけないまま中へと足を踏み入れる。何かを企んでいるのかと多少警戒しながら進んだ物の、当の本人はレオナのベッドの上に堂々とクッションを抱えて猫のように丸まって寝ていた。
どんな顔をして寝ているのかと、ベッド端に腰を下ろし顔に掛かる髪を掻き上げてやれば下から覗いたのは闇に溶けそうな昏い瞳。
「遅いです……」
「早く会いたいとは言われてねぇからなあ?」
「そんな事言うわけないです」
指から逃れるようにクッションに顔を埋めて、もごもごとくぐもった返事が返って来るのに思わず喉奥が震える。飼い主が居る癖に野良猫気取りで他人のベッドを占拠している奴が一人前に拗ねている。
「じゃあ邪魔だ、帰れ」
「嫌です」
「お迎え呼んでやろうか?」
「要りません」
「それとも俺が送り届けてやろうか?」
「先輩、いつからそんなに面倒見良くなったんですか」
ふふ、と笑う声が漏れ、漸くクッションから離れたジャミルが両手をレオナに伸ばす。望んだ物が手に入る事を疑わない眼差しがレオナを見る。これが他の人間だったらばその傲慢さに苛立ちを覚えるだろうに、ジャミルが相手だと強請られるままに与えてやりたくなるのだから不思議な物だ。だがそこにあるのは優しい感情では決してないとお互いわかっている。わかった上でジャミルはねだり、レオナは与える。
乞われるがままジャミルの上にべったりと体重を預けて圧し掛かり、首筋に顔を埋めると珍しくシャワーを浴びずに来たのか汗の香りがした。香料に誤魔化されない匂いを嗅ぎ味を確かめるように首筋を舐めると、満足気にレオナの背を抱き締めたジャミルがくすぐったげに笑う。
「先輩、汗臭い」
「人の事言える立場じゃねえだろ」
「匂います?」
「いつものくせぇ匂いよか全然良いけどな」
「サバンナの野生児にボディソープは高度な文明過ぎましたね」
「照れてるならもう少し可愛げ見せろ」
「餌くれるなら尻尾振ってやってもいいですけど」
「てめぇが振るのはケツだろうが」
「先輩下品です」
「じゃあお上品にどう言えばいいんだ優等生」
「……」
問い、視線を重ねれば一瞬の間。それからおかしくなって二人同時に吹き出す。あまりに下らない、実りの無い会話だが拗ねた子猫の機嫌は少し良くなったようだった。
「シャワー浴びてくるから待ってろ」
この後することは決まっている。どうせまた汗をかくのだとわかっていても一度さっぱりしたい。身を起こし、ベッドを降りようとするとぐん、と尻尾が引っ張られ思わず痛みにバランスを崩しそうになるのを寸でて踏み止まる。
「おっまえな……」
「俺もシャワー、浴びたい」
「じゃあ来ればいいだろ」
「やだ」
手に捕えたレオナの尻尾の毛をくるくると指に絡ませ弄ぶジャミルが何を言いたいのかがわからない。逃れようとしても巧みに指先が絡みつき離れずレオナも付け根がぞわぞわする。じ、っと伺うような瞳がレオナを見上げているがレオナにその真意は伝わらない。眉を寄せ、首を傾けてやればジャミルの唇が尖り、あからさまに拗ねた顔をする。
「抱っこ。……して、……ください」
いかにも察せないレオナが悪いと言わんばかりに唇を開いた癖に、途中で我に返ったのか次第に声が小さくなり顔を伏せる。自分が羞恥心に耐えられるラインも見極められずに口にしてから初めて気付くその不慣れさ。余りにも甘える事と無縁だったことが伺えるその反応だけで、ついレオナが甘やかしてやりたくなるのも仕方が無い事の筈だ。思わず腹から笑い声が漏れてしまう。
すっかり恥じ入ったようにシーツに顔を埋めてるくせに八つ当たりで引っ張られる尻尾が痛い。だが暫く笑いは暫く引っ込む気配が無い。
「恥ずかしがるくらいなら言うんじゃねえよ。おら、お姫様。仰せのままにバスルームにご案内してやるから起きろ」
尻尾を握る手を捉えて引けば素直に起き上がるが顔は伏せたままだった。覗き込んでやりたい気もするがそれはバスルームに行ってからでも良いだろう。背と、膝の裏に手を当てれば顔は見せない癖に大人しく両腕がレオナの首に回るのが余計に笑いを誘う。
よ、と勢いをつけて持ち上げると腕の中の身体が緊張するのがわかった。レオナの首を頼りにぎゅうと身を丸めて縮こまっている。そうしてくれた方が運びやすいのは確かだが、本当に器用な癖に不器用というか、妙な所で可愛げを見せてくるからついつつきたくなってしまうのだ。
ジャミルが今日、何を求めて部屋に来たのかはわからないし、聞く気も無い。必要もない。ジャミルとてレオナに告げる気は無いだろう。お互い欲しい物を奪い合うだけの関係だ。気が乗れば投げ返してやるし、そうでない時はジャミルがどれだけ弱っていようと容赦なく突き放す。
だからこそ気楽だし、気が乗った時は存分に甘やかしてやりたいと思うようになったのはいつからだったか。ジャミルがこうして慣れない我儘を言うようになったのはいつからだったか。
すっかり思い出せない記憶をたどるよりも、まずは明るい場所で真っ赤になっているのであろうジャミルの顔を見てやろうとバスルームの扉を蹴り開けた。



行為の後の充足感と、倦怠感、それから眠気。
独特の心地良さに揺蕩いながら腕の中の温もりを抱え込んで一息吐く。すっぽりと収まった温もりが抗うことなく居心地の良い場所を探して身動ぎ、そしてレオナの胸元に額を付けて落ち着く。込み上げる欠伸を奥歯で噛み殺しながら、ふと思いついた疑問に唇を開く。
「……もし、お前の主から俺を殺して来いと言われたらどうするんだ?」
思いつきに理由などない。だがそういう命令が実際にジャミルにくだらないとも限らない。お互い、人よりも命の価値が重いという自信がある。ピロートークに相応しくない物騒な話題だという自覚もあるが、それを気にするような相手でもない。
「――……それは、今すぐの話か?」
抱かれている相手を殺せと言われても抗う所か受け入れ、最初に実行する手立てを思案するその回答に思わず喉奥で笑う。
「そうだな、在学中に、だ」
とろりと眠気を漂わせる目尻を親指で撫で、頬に指の背で撫でればいかにも甘く懐いて見せる癖に目線は何処か遠くを見て真剣にレオナを殺す算段をしている。全く持って飽きない生き物。殺さない、という選択は無いのだなと込み上げる笑いで口角が緩む。
「……在学中、という事なら、ラギーを狙います」
いかにも真剣に考えているような声でぽつりとジャミルがこぼす。うん、と相槌を打ちながら、先を促すように髪を撫でる。
「ラギーのストーカーが……先輩に嫉妬して殺害を企てた、というシナリオで……ああでもサバナクローの皆さんは鼻がいいから……下手な小細工はバレるか……ううん……?」
ただの思い付きの質問に真剣に考え込むくらいにはジャミルも眠いのだろう。ふぁ、と溢れた欠伸の後にはレオナに額を擦り付けてむずがる。
「いっそ……今このままアンタにナイフ突き立てた方が早いか……?俺は先輩を愛していたのに、殺す筈なんかないのに手が勝手に動いたんだ誰かの魔法のせいだ、って……悲劇のヒロインみたいに泣き喚いて……」
「役者にもなれるのか、大したもんだな」
「まあ、先輩が素直に殺されてくれないと返り討ちになって死ぬだけなんですけどね」
「そうだな」
「死にたいんですか?」
思わぬ事を聞かれて思わず息を呑む。死にたい、わけでは無い。だが、何故か言葉が出なかった。
「死にたいなら……殺してあげてもいいですけど……在学中は止めてください面倒臭いんで……」
「卒業後ならいいのか」
「カリムが許せばですけど……いやカリムが許すわけ無いな……やっぱり駄目だ死にたいなら自分で死んでください」
「死にたいわけじゃない」
「じゃあ、生きたいです?」
再び言葉に詰まる。それを悟られたく無くて、誤魔化すように後頭部を引き寄せて唇にかぶりつく。
「んん、……っん、」
眠気でか動きの鈍い舌を絡めて吸い上げれば存外素直な両腕がレオナの首筋に頭に絡みついてもっとと強請られる。舌の根を擽り、差し出される舌を無遠慮にじゅるじゅると音を立てて吸い上げてやれば黒く長い睫毛が震えていた。
「んっ………はあ、……」
存分に堪能して解放してやればゆるりと震えて持ち上げられた瞼の下から覗く昏いジャミルの瞳。夢と現を彷徨うような茫洋とした眼差しに惹かれて眦へと口付けを落とす。
「逆に……先輩なら、どうやって俺を殺してくれます?」
余りに普段とはかけ離れた素直な質問に思わず、ふは、と笑いが漏れた。
「そうだな……一息に此処を噛み千切ってやる」
後ろ髪を引っ張り、痛みに眉を潜めながらも晒された喉仏に甘く歯を立て、吸い付く。
「ケダモノ……」
「そこが好きなんだろ」
あっは、とさも楽し気に笑うジャミルの身体を抱き締めて執拗に首筋をしゃぶりつくす。痕をつけるなと以前言われたような気がするが知ったことではない。ジャミルもけらけらと笑ってレオナを抱き締めるばかりで咎める様子は無かった。
「っは、……もしも、アンタが俺を殺す事があったら……屍は砂にして誰にもバレないようにしてくれ……」
「ご主人様への配慮か」
「いや。どうせ死ぬなら何もかも無になりたい」
「記憶には残るだろ」
「……殺したアンタが責任持ってどうにかしてくれ」
「無茶を言うな」
二人、抱き合って、笑い転げる。夜明けはまだ遠かった。

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未来の話

初めてカリムに会った時、「怖い生き物」だと思った。
いずれ仕えるお方だから粗相の無いように、気に入ってもらえるようにとよくよく言い聞かされ、現当主の右腕である父に連れられたアルアジームの屋敷。
初対面だというのにまるで昔から家族でもあったかのような笑顔を向け、仲良くなろうと躊躇いなくスキンシップを取る。主という立場になる事をわかっているのかいないのか、まるで対等であるかのように振舞う。それはアルアジームに仕える家系で大人ばかりに囲まれて育ったジャミルには未知の生き物でしか無かった。父に助けを求めようにも当主様と二人並んで笑っているばかりで手を差し伸べてくれる気配は無く、泣きそうな気持でカリムについて行くだけで精一杯だった。
何故、初めて会う人間にそんなにも気を許せるのかがわからなかった。
何が楽しくてそんなにずっと笑っていられるのかがわからなかった。
わからない生き物には、恐怖しか感じられない。


その恐怖が薄れたのは本格的にジャミルがカリムの従者として付き従うようになって少ししてからだ。
カリムは、いつでもこの世の何もかもが楽しいと言わんばかりに笑っている。まるで悲しみも苦しみも存在しないかのように、ただ笑っている。だがその笑顔にも種類があるのだと長い時間を共に過ごす事で気付いた時、ようやくカリムを同じ「人間」なのだと認識出来た気がする。
楽しい時の笑顔、悲しい時の笑顔、嬉しい時の笑顔、辛い時の笑顔、怒った時の笑顔。
カリムはいつでも笑っている。でも感情が無い訳では無い。ジャミルがアルアジームに仕える者として従者の振舞いを徹底的に叩き込まれたように、カリムもアルアジームの長になる者としての振舞いを言われるがままに遂行しているのだと幼心に理解した。
アルアジーム家を継ぐ者は弱みを見せてはならない。だが余りにも完璧であっても駄目だ。
カリムはいつでも笑っていた。カリムをこの世は楽園だと言わんばかりに笑っていた。暗殺、誘拐、脅迫、様々な脅威がカリムの前に立ちはだかってもなんてことないような能天気な顔で笑っていた。他者の悪意に気付けない盲目の愚者のように笑っていた。そうすることで自分の命を守っていた。この程度の相手ならばすぐに潰せると思わせるくらいに無能で、それでもそんなカリムを守り育ててやりたいと思わせる程度には可能性を秘めている。慎重に考えた末にそう振舞っているようには見えなかったから、きっと今までの経験から染み付いた無意識の習慣。それを憐れだと思うのと同時に、守ってやらなければと思った。最期までカリムの味方でいてやりたいと思った。まんまとカリムの手口に惑わされている。


NRCに入学する事になり、常にたくさんの使用人に囲まれて生活していた生活から一変、ジャミルとカリムの二人きりの生活となった三年間は言葉に出来ないくらい、楽しかった。日々のカリムの世話を一人でこなしながら己の学業もそれなりの成績を出さなければいけない生活は忙しかったが、それでも有り余るほどの解放感。
屋敷に居た頃は、ジャミルが二度「駄目だ」と言えば諦めたカリムが、此処に来てからは我儘を言うようになった。どちらが従者かわからないくらいにいつでもジャミルと共に居ようとべったり張り付いて離れなかったカリムが一人で行動する事を覚えた。屋敷では絶対にやらなかったような無茶をやらかす事もあったし、ジャミルに咎められると拗ねたような表情を見せるようにもなった。
頑なに張り付いていたカリムの笑顔が剥がれてその内面がほんの少し見えるようになり、やっとカリムも年相応の、同い年の子供なのだと理解した。立場が違うだけで、ジャミルと何ら変わらない。NRCに来てからは喧嘩もするようになったし、二人でくだらない事で笑い転げたりもした。まるで本当の友人のようにたくさんの時間を過ごした。
刺客が居ないとは言えないが、学園内に住む人間の中にカリムを殺す理由を持つ者が皆無と言っても良いくらいに居ない分、外の世界よりもずっと安全だった。友人というものもたくさん出来たし、屋敷では経験出来ない事が数えきれない程あった。この生活が永遠に続けば良いのにと思わず願ってしまうくらいに満喫した学園生活。アルアジーム家の目が無いのを良い事に、それはもう自由に伸び伸びと過ごさせてもらった。
その楽しい時間も、明日の卒業式で終わる。


ジャミル、と名を呼ばれて唇が重なる。柔らかな感触がふにふにと唇を啄み、それからゆっくりと濡れた舌が潜り込むのを迎え入れ、混ざり合う体温を味わうように瞼を伏せた。
NRCに入学してからの三年間、アルアジーム家嫡男という立場のカリムが、他所で余計なトラブルを起こす事を防ぐための「処理」として何度も肌を重ねて来た。あくまでカリムの性欲処理であり、ジャミルはそのための道具。一方的に奉仕され発散するだけの行為にカリムが不満を抱いているのも知ってはいたが、ジャミルはずっと処理の為の道具に徹してきた。
卒業して屋敷へと帰れば、カリムは本格的にアルアジーム家の跡取りとして生きる事になり、アルアジーム家がより繁栄する為に選び抜かれた家の娘が婚約者として宛がわれ、いずれは跡継ぎを望まれる。ジャミルは変わらずカリムの傍に仕えるが、もう処理をする必要はない。屋敷には他にも女はたくさんいるし、婚約者が早くに決まれば彼女が全てを担うだろう。寂しいとは思うが、致し方ない。元からカリムに触れられるのはNRCに居る間だけだと承知の上で身体を重ねていた。だからこそジャミルを使って発散することは許しても、キスは余程の事が無い限りは許さなかった。ただの道具に余計な情も愛撫も要らないだろう。
だが今日はNRC最後の、否、二人がこうして自由に触れ合える最後の日だ。だからこそ、カリムの望みには全て応えた。思い出が欲しい、なんて女々しい事は口が裂けても言えないが似たような心境であった事は否定出来ない。
カリムを受け入れる場所の準備はいつもジャミルが事前にこっそりと行いカリムには一切触らせなかったのだが、強請られるままに触れる事を許したらしつこいくらいに丁寧に指で中を解かれるばかりか舌まで入れられて散々鳴かされる事になったし、同じく触れる事を許していなかったジャミルの物を口で咥えられた挙句、吐き出した物を飲み込まれた時にはもうアルアジームに死んで詫びるしか無いと思うくらいの罪悪感があった。演技はするな、でも声は殺すなと命じられ、唇を噛むことすら許されずに延々と自分の追い込まれた声を聞く羽目になって恥ずかしいやら気持ち良いやらでジャミルは何度果てたかもわからない。
「んん、……ふ、ぁ……」
ゆったりと口内を撫でる舌が気持ち良い。普段ならばカリムが気持ちよくなることを最優先とし、いかに時間をかけずカリムに満足してもらうかを求めて殆どジャミルが機械的に奉仕していたから、カリムがこんなにも丁寧に抱く事を知らなかった。知りたくはなかった。この分ならアルアジームの跡取りは夜が下手だと噂される事も無いだろうと安心するのと同時に寂しいと思ってしまう。
「っっぁ、……っ」
ぬち、と繋がったままの場所を揺すられて肌がさざめく。もうこれでお終いだと突き放してしまいたいのに、両手の指を絡めてシーツに押さえつけられ、醒めない熱に浮かされた瞳に見下ろされたら言葉が出てこなかった。中で出されたものを塗りこめるように緩やかに粘膜を擦られてもどかしさが募る。
「カリム、……」
止めろと言いたいのか、もっと欲しいと言いたいのか、自分でもわからない。
「疲れたか?」
「ぁ、……ん、だいじょうぶ……」
「ん」
満足気に笑うカリムの労うように重なる唇は優しいのに、水面を揺蕩うように緩やかに、だが確実にジャミルの弱い場所ばかりを擦る動きは明らか下心が滲んでいた。早く、このまま何もかも考えられるくらいに追い詰めて欲しいとも思う気持ちと、穏やかに熱を分け合うようなぬるま湯のような心地を長く味わっていたいという気持ちにジャミルの心も揺れる。
「なあ、もう一回、してもいいか?」
ゆるゆると次第に硬さを取り戻す物に煽られてとっくにその気になっているのはカリムだってわかっているだろうに、わざわざ聞いて来る辺りがまたジャミルの羞恥心を煽る。というよりも、慣れていない。いつだって誰かに身を委ねる時、そこにジャミルの意思は必要無かった。ジャミルがどう思っていようと相手の意のままに振舞っていればいずれ終わる行為。普段ならば心で何を思おうと口だけは「もっと欲しい」と強請る事が出来ただろう。心を殺して与えられた役目を全うする事には慣れている。だが今日はもう道具になりきる事が出来なくなっていた。これが最後だというだけでジャミルはどんな顔を作れば良いのかわからなくなっていた。こんなにも醜い未練を晒していることをきっとカリムは知らない。それで良かった。そうであって欲しかった。この波打つ心の内を知られていたら羞恥心で死んでしまう。
「なあ、ジャミル」
「ひぅ……んんんッ」
ぐん、と少し強く押し込まれてすっかり蕩けた腹の奥から痺れるような快感が走る。早く何も考えられなくなるくらいにして欲しいのに再び緩やかな動きになったカリムは楽し気にジャミルを見下ろすばかりだった。何か言葉を紡ごうと唇を開くが漏れる吐息は音になれず、どんどん顔面に熱が集まるばかりで視界が滲む。
「っはは、こんな可愛いジャミル初めて見た」
目尻の涙を吸い取られ、誰のせいだと睨んでみるもカリムは笑みを深くするばかり。役に立たない唇の代わりに絡まる指を強く握り、まだろっこしい動きしかしないカリムの腰に足を絡めて引き寄せる。
「あはは!そう来たか!本当は言葉で聞きたかったけど……また今度な」
ちゅうともう一度唇を重ねてからカリムが動きやすいようにと体勢を変える。漸く望んだ物が与えられる事に安堵しながら、また今度は無いのだと切なくなる気持ちから目を反らした。



卒業から退寮の日までそれなりに猶予があるとはいえ、いかんせんカリムの私物は多い。NRCに来てからは断る方が面倒になってカリムからの贈り物を渋々受け取っていた為に、ジャミルの私物も馬鹿に出来ない量になっている。そしてそれを片付けるのはほぼジャミル一人だ。式の後はひたすら不要物を捨て、無くても生活に困らないモノから屋敷へ送り、その合間にもカリムの世話をする。結局退寮日ギリギリまで荷造りに追われ、漸くすべての荷物を運び出した後、空っぽになった部屋を名残惜しむ暇もなく屋敷に帰るしか無かった。
久しぶりに帰る熱砂の国は既に日が落ちて夜の時間だった。三年間の寮生活を終え、漸く跡継ぎ候補筆頭であるカリムが帰って来るという事で今夜は盛大な宴が開かれる事になっているため、落ち着く暇も無く準備に駆り出される。宴好きなのは何もカリムに限った事ではない。
まずはカリムに身形を整えさせねばと風呂へと引き渡す。何から何までジャミルが手をかけていたNRCとは違い、それぞれに専用の役目を持った使用人が居るのが楽ではあるが寂しくもある。だがこれが正しい形なのだと言い聞かせ、自分も支度の為に自室に向かおうとした所で父に捕まりカリムとは別の、だがアルアジーム家しか使用を許されていない風呂へ向かえと指示された。理由を尋ねても曖昧な笑みに誤魔化され、いいから行きなさい、あとはそちらの指示に従うようにと端的に伝えるだけでさっさとどこかへ行ってしまう。アルアジーム家嫡男の為の宴ともなれば父も忙しいのだろう。久方ぶりに会った実の父親と言えど此処ではアルアジーム家に仕える上司と部下のような物だ。父に命じられたのならば逆らう事は許されない。
首を捻りながらも指示された場所へと向かえば、待ち構えていた女達に有無を言わさず服を脱がされ浴槽へと連行される。かつて、風呂の間も傍に居てくれとカリムにせがまれて何度か入った事はあるが、服を着たまま、本当にただ傍でカリムが入浴する所を眺めているだけのものだった。決して色とりどりの花が浮かべられて良い香りのする湯に浸かった事は無い。何かを聞こうにも妖艶に微笑む彼女達にあれよと言う間に湯に沈められ、四方八方から伸びた腕に肌や髪を清められる。何か褒められていたようだったが他人に世話を焼かれる事に慣れず戸惑うジャミルには彼女たちの言葉の半分も理解出来なかった。きっと今頃カリムも同じ扱いを受けているだろうが、一介の従者であるジャミルがこのような扱いを受けるのはどう考えても不相応だ。だがここで逆らうわけにもいかない。湯に濡れた布を張り付かせただけの艶めいた彼女達に囲まれ、際どい場所までも念入りに洗われるのを諦めの境地で受け止め、ただ為すがままに身を委ねる。湯浴みが済むと柔らかなタオルで丁寧に水気を拭き取られ、そうして柔らかなクッションが敷き詰められたソファに座らせられた。髪には何かを塗られた上でドライヤーが当てられ、顔からつま先まで肌全体に謎の液体やら油のようなものやら揉み込むように塗り込まれ、辺りに蜂蜜と花を混ぜたような甘い匂いが広がっていた。きゃあきゃあと世話をする女たちはそれはそれは楽しそうにジャミルの世話を焼き、髪は二人がかりで何か複雑な作業をしているようで、両手足にはいつの間にか増えた女たちが真っ赤なマニキュアを塗り、そうして顔に粉をはたかれた辺りで我に返る。何か、とてつもなく面倒な事に巻き込まれている気がする。
「私は、これから何をさせられるのですか?」
カリム付きであるジャミルは彼女達よりも立場が上である筈だが、父に従えと言われた手前、敬語でそっと問う。だがうふふと意味深に笑い、「おめでとうございます、どうか末永くお幸せに」「絶世の美女に仕立ててみせますからね」「これからの末永いお付き合い、よろしくお願いします」「きっと坊ちゃんも見惚れてしまいますわ」「お好きなお色があったら申しつけてくださいませね」と全く答えてくれる気配はない。不穏な言葉も聞こえたようだがそれ以上を教えてくれる気は無いようだ。諦めて、彼女たちが言うままに瞼を伏せる。よくわからないが、女装をさせられるのだろうという事はわかった。それがわかった所で何がどうというわけでも無いが。


思考を放棄して暫く。
漸く解放されたジャミルの前に鏡が置かれ、そこで初めて自分の有様を見る事が出来た。鮮やかな赤を基調とした熱砂の国の伝統的な女性用の衣装、頭から肩回りまで巻かれた軽い素材のストールと装飾品で巧く男の骨っぽさを誤魔化し、あんなにたくさん塗りたくられたと思っていた顔はすっぴんであるかのようにナチュラルだが、確かに自分の顔である筈なのに随分と女性らしく見えるように塗り替えられていた。ジャミルの双子の姉だと言っても違和感が無いと思う。至る所に豪奢なアクセサリーをつけられて目がちかちかする。こんなに派手に飾り立てられて、これでは、まるで。
考える間も無く「さあ、急ぎますわよ」と新たにやってきたメイドに急かされて移動させられる。着慣れぬ女性物にどうしても足の運びがぎこちなくなるし、普段よりも随分と小股に歩かなければ引っかかって転んでしまいそうだった。
案内されるままに辿り着いたの部屋にはきちんと正装を着込んだカリムがいた。ジャミルを見るなり目を輝かせて駆け寄り抱き着いて来るのを慌てて受け止める。普段よりも踏ん張りが効かずに少しだけよろめいてしまい、慌てたカリムに恭しく手を取られ、ソファへと導かれた。
「思った通り、すごく綺麗だ!!!」
「やっぱりお前が何かしでかしたんだな……」
メイドが扉を閉めて二人きりになったのを確認してから息を吐く。帰る前から既に疲れていたのにわけのわからない事に巻き込まれて精神的にも疲労感が募っていた。宴はこれからだというのに気が重い。このままソファにずるずると埋もれてしまいたいが気慣れぬ衣装とそこかしこでしゃらしゃらと音を立てる装飾品を壊してしまいそうで迂闊に姿勢を崩す事も出来ない。
「なあ、よく顔を見せてくれ」
だがはしゃぐカリムはきらきらと輝かんばかりの笑顔でジャミルの頬を両手で包み込み、ずいと身を乗り出して至近距離から宝石のような眼で見て居た。
「凄いな、いつもと別人みたいだ……あ、でも今度化粧しないままでも着てくれよ」
「そのまえにどういう事なのか説明を……っおい」
余りにも自然に唇を重ねようとしたカリムに思わず顔を背けて仰け反る。もうここはNRCではない。万が一にもこんな場面を誰かに見られでもしたらジャミルの首が飛ぶ。
「あ!そうだった!すっかり忘れていたな!」
いやあすまんすまんと気分を害するでもなく隣に腰を下ろしなおしたカリムにほっと息を吐く。カリムの手が離れた後でも頬が熱かった。
「一つだけ確認しておきたいんだが。ジャミルは、一生、俺の物だよな?」
予期せぬ質問に思わず瞬く。何かを塗りたくられた睫毛が重い。正確にはジャミルの身はアルアジーム家の物であってカリム個人の物では無いが、いずれカリムが受け継ぐ物であれば間違いでは無いだろう。
「そう、だな。カリムがそう望んでくれる限りは」
「だよな!」
眩いばかりの満面の笑顔。この笑顔は「嬉しい時」のテンションが上がり切っている笑顔だ。そうして立ち上がったカリムがジャミルの前で膝をつき、ジャミルの両手を取る。余りにも自然に行われた所為で主が従者に傅く等と文句を言うのも忘れてカリムを見る。
「俺と結婚してくれ!ジャミル!」
「はあ?」
「というよりもう結婚は決まってるんだ!これからもよろしくな!」
そうして捕らえられた指先に唇を押し当てようとするので思わず振り払ってしまった。此処が二人きりで本当に良かった。
「待て、話が見えない」
「言ってなかったんだが、今日は俺の婚約発表の宴でもあるんだ」
「婚約」
「そう!」
「誰の」
「俺の!」
「誰と」
「ジャミルとだぞ!」
「わけがわからない」
「だよなあ!」
あっはっは、とカリムはさも楽し気に笑っているがジャミルはそれどころではない。これは何の悪ふざけだ、だが最初に風呂場へ行けと指示したのはジャミルの父だ、つまりは父も承知の上の悪ふざけなのか?父が許しているのならば当主様とて知っているのだろう、ならば此処はただ受け止めればよいのだろうか?いや、男同士で結婚出来る筈が無い。何かしらの理由で本来の婚約者が来れなくなったから今日一日限りを凌ぐための代役?それならジャミルで無くてももっと適した女性がいるだろう。ぐるぐる回る思考に身動き取れないジャミルを良い事にカリムが指先で顎を掬いあげた、と思った時には唇が塞がれていた。
「んぅ……ッかりむ、……ッ」
抗議しようにも圧し掛かられ後頭部を抱えられてしまっては逃げようがない。無遠慮に潜り込んだ熱い舌がカリムの興奮を表すようにジャミルの口内を荒して行く。顔も体も熱いしもう何がなんだかわからなくて最早泣きそうだ。それでもなお深く交わる事を求めるように角度を変え重ねられる唇に息も出来ない。
その時、こんこん、と扉をノックする音が響き、ちゅうと音を立てて漸くカリムが離れる。に、と満足げな笑顔を見せられるがもはやジャミルが自分がどんな顔をしているかもわからない。外に向かって入室を促す声に慌ててストールを目深に被って顔を隠す。メイドとカリムが何か言葉を交わしているのを遠く聞きながら必死に呼吸を整え平静を取り戻そうと努力する。従者はいついかなる状況に置かれたとしても決して平静を失ってはならない、ずっとその教えを守って来たつもりであったし、自分がこんなにも平静さを失う日が来るとは思わなかった。
「驚かせてごめんな?でも絶対に幸せにするから!」
そういう問題じゃない、そう言いたくとも、「さあさあもうお客様は集まっていますお二人も宴へ」と追いやるメイドの手前何も言葉にすることが出来ず、ただ唇を噤むしか無かった。


顔見せだけだからジャミルはただ何もせず、何も喋らず笑っていてくれるだけでいいと言われ連れ出された宴のど真ん中。あちこちから「ご婚約おめでとうございます」と声を掛けられカリムと話し込むその一歩後ろでひっそりと微笑んで見せる。それが役割だ、と言われれば内心の動揺は抜けきらないままではあったが機械的にこなすことは出来た。ジャミルに話しかけようとする者があればカリムが矛先を奪い取るようにして割り込み楽し気に話し始める。本当にただジャミルは何も喋らず、ただ笑うだけで済んでしまった。
宴が終わった後に当主様の部屋へとカリムと揃って呼ばれ、そこに居たジャミルの父も交えて漸く詳しい説明をされる。
カリムとジャミルが結婚するのは本当であること。
対外的には「病弱で人前に中々出る事が出来なかったジャミルの姉の「ライラ」がカリムに嫁入りする」という事になること。
実際に存在しない「ライラ」の戸籍はアルアジーム家の富と権力で既に用意されているということ。
屋敷内の人間は皆、カリムに嫁入りするのがジャミルである事を知っているし、厳重に口外しないように命じてあるので屋敷内ではジャミルとしてでもライラとしてでも好きなように過ごして良いということ。
ただし公的な場に夫妻で招待された場合などは「ライラ」として振舞えるよう、これから女性の仕草や振舞いを習得すること。
いずれはアルアジーム家当主の妻という身分になるので覚悟を決めろということ。
他にもいろいろと説明をしてもらい大体の事は理解は出来たが納得は出来なかった。だから、何か質問があるかと問われ、迷わず唇を開く。
「何故、私なのですか?……この結婚は、何の為なのですか?」
ジャミルとしてはとても真剣で、一番大事な事柄だった。これからの役割については指示されれば従うが、理由がわからなければこんな他人を欺き続けるような生活に一生を捧げられない。
だが問われた三人は一瞬ぽかんと間が抜けたような顔をし、それから呆れたような視線がカリムに集中した。当主様と父の深い溜息が聞こえて訳も無く肩が竦む。何かいけない事でも聞いてしまったのだろうかと不安になるジャミルの横ではカリムが慌てていた。
「思ったよりも時間が無くて!説明する前に時間が来ちゃって!」
「わかったから早くお前の口から説明してやりなさい……」
「あ、今此処でなさらなくても結構ですよ。また疑問などがあればまたご説明いたしますので今日は解散という事でよろしいですね?どうか、続きはご自分のお部屋に戻られてからお願いします」
「わかった!」
「それではお休みなさいませ」
またもやジャミルが一人だけ会話から取り残されていた。訳知り顔の三人でとんとんと話は進み、立場が一番低いという事もあってジャミルの意思とは関係無く物事が進んで行く。今日はこんなのばかりだ。だが父も、当主様も怒っているわけでは無いようだった。呆れたような、微笑ましい物を見るような笑顔で見送られ、カリムに手を引かれるままに自室へと引きずり込まれる。もう逆らうのも遮るのも面倒になってしまうくらいには疲れていて、早く「続きの説明」とやらを聞いて服も化粧も全部取り払って寝てしまいたかった。きっと一度寝ればもう少し頭もまともに働くはずだ。



豪奢なアクセサリーを纏った正装のまま、抱え込まれ引き摺られるようにしてベッドに倒れ込む。様々な特例があったNRCに居た頃ならばともかく、本来ならばジャミルが乗って良い場所ではないとか、そもそも話をする体制では無い等、小言と共に丁寧に辞退させていただくべき所だったがもうすべてが面倒だった。どうせ部屋の中にはカリムとジャミルの二人しか居ないのだから、多少の事は学生気分が抜けていないのだと多めに見てもらおう、と誰にバレる訳でも無いがひっそりと心の中で言い訳をする。
「何から説明したらいいかなあ……」
確りとジャミルを胸元に抱え込んで寝転がっているものだから、ジャミルの頭の下にはカリムの腕がちょうど良い枕になっていた。こんな体勢になるのを許したのは初めてだったが、包まれる温かさに思わず身体の力が抜けて行く。明かりをつける間も無くベッドに上がってしまった為に、青白い月明かりを頼りにカリムを見る。視線が合うと、に、と口角を上げたと思った次の瞬間には唇に触れるだけの口付けをされ、それからぎゅうと抱き締められた。もう何か言うのも面倒だから好きにさせる、という事にしておく。
「……昔、誘拐されただろ。一緒に。やるなら俺をやればいいのに、関係無いジャミルに手を出した」
いつの、どの誘拐の事だろうか。心当たりがあり過ぎてわからない。カリムを守りジャミルが盾になるのは当たり前の事だ。カリムを守った傷ならばジャミルにとってはむしろ名誉の証だろう、カリムが気にする必要は無い。
「アルアジームだから俺が誘拐されるのに、傷つくのはいっつもアルアジームじゃないジャミルで、ジャミルがアルアジームでない限り俺の犠牲になるんだなって思って。ジャミルは、ジャミルでいる限り俺の為に傷つくんだなって」
「それは……その為に俺が存在しているのだから当たり前だろう」
うん、そうなんだけど、と煮え切れない返事で笑いながらカリムの手がジャミルのストールをするりと抜き取り、綺麗な形に結われた髪を片手で解き始める。案外丁寧な手付きで髪を解されるのが心地良くてつい為すがままに委ねた。あの頃は守る事に必死で、カリムが無事でさえあれば他はどうでも良くて、まさかそんな気を使わせてしまっていたとは思わなかった。もう少し互いの立場が近ければ、もっと深くまで踏み込みカリムの心の内を分けてもらう事も出来たのかもしれないが、ジャミルの立場でそんな事を出来るわけもない。そしてカリムは笑顔で自分の内側を隠す事に長けている子供だった。ジャミルすらも測りかねる笑顔の向こう側の本音を今、打ち明けられているのだと思うと嬉しくも有り、緊張もする。
「だから、ジャミルを守るためにはどうしたらいいかなって思ったんだ。俺がジャミルを庇って傷ついても誰も怒らない世界にするにはどうしたらいいかなって。守るだけだったら……閉じ込めてしまうのも有りだと思ったんだけどさ。俺の部屋に閉じ込めて、俺以外誰にも会えないようにして、俺以外見えないようにして」
ジャミルに対して少々過保護過ぎると思うと共に、能天気にすら見える笑顔の向こうでそんな事を考えていたなど知らなかった。思わず目を見開くと照れたようにカリムが笑う。多分そこは照れるべき場所ではないと思うが、何故かそれが可愛く見えてしまい思わず釣られてジャミルまで口元が緩む。
大分カリムの表情は読めるようになったとはいえ、やはりその突飛な思考回路には未だに理解が追い付かないのだと実感する。それなりに懐かれているという自覚はあったが、こんなにも想ってもらえているとは思ってもみなかった。物騒な言葉ではあったが、ジャミルを守りたいという優しさは必要が無い物だと注意したい所だが嬉しいのも事実だ。散々口煩くカリムの自由な精神を家の為にと檻に閉じ込めていたジャミルにそれだけ愛着を持ってもらえるという事はありがたい事だと思う。
綺麗な形に整える為に引っ張られていた頭皮がカリムの手によって緩められて釣り上げられていた瞼がとろりと落ちそうになる。カリムのベッドの上で、更には腕の中という、本来の立場上あるまじき場所にいるというのに心地良い。
「でも、俺が欲しいジャミルはそうじゃないんだ。誰よりも綺麗で、かっこよくて、強くて、たまに料理しながら鼻歌歌ってたり、蝶が腕に止まっただけで泣きそうになってたり、頑張り過ぎて立ったまま寝ちゃったり、俺の為に怒ったり笑ったりしてくれるジャミルがいいんだ。今までと変わらない、いつものジャミルが欲しかったんだ」
色々と言いたい事はあった。ジャミルをそんな風に思っていたのかとか、そんな過度に褒め称えられるものでもないとか、欲しいも何もジャミルは殆どカリムの物だとか。恰好悪い所を見られていた事だって知らなかったし、恥ずかしいやら照れ臭いやらで巧く言葉が見つからない。
「ちょうど、婚約者選びの話が来ていたから、これだ!って思って。ジャミルが俺の奥さんになれば、例え俺がジャミルを庇って死んだとしても夫が愛しの妻の為に命を落とすだけのありふれた美談だろ?」
だが話は何だか思わぬ方向に転がっている気がする。カリムがジャミルを庇って死ぬなんてことは万に一つもあってはならない。それがジャミルの使命だというのもあるし、ジャミル個人の願いでもある。カリムを守る為のジャミルを守るためにカリムが死ぬとは本末転倒だ。
「カリム、……」
「言いたいことは大体わかってるって。でも、俺はジャミルを守りたいし、ジャミルの為に死ねるのなら本望だと思ってる。ジャミルがどう思ってようとな!」
何を馬鹿な事を言っているのだと咎めなければいけないのはわかっていた。だがジャミルの反論を一切聞く気が無い笑顔に思わず言葉を失う。
「だから、ジャミル以外とは絶対結婚しないって言った。子供も絶対作らないって。別に俺が子供を作らなくたって代えはいくらでもいるだろ?今だって俺を排除して成り代わりたい叔父も弟もいっぱいいるんだから。わざわざ俺みたいに面倒ごとに巻き込まれる子供なんて、作らない方がいい」
何か、言わなければと思うのだが巧く言葉がまとまらない。ジャミルを守りたいというだけならば、結婚なぞしなくたって他にも方法がある筈だと思うのに、有無を言わせぬ勢いのカリムに圧されて口を開くのすら躊躇ってしまう。さすがはアルアジームの子だと妙な感心をしてしまう。
「ジャミルとの結婚許してくれないなら卒業後も帰らないで駆け落ちしてやるって言った。何処か違う国でジャミルと心中するからほっといてくれって。そしたらジャミルの父さんが味方についてくれて、戸籍作ったり、今日の準備してくれたり、父上を説得してくれたりして……あ、ギリギリまでジャミルには伝えない方がいいってアドバイスしてくれたのもジャミルの父さんだぞ!」
どうだ!と言わんばかりの笑顔が眩しい。というより情報量が多すぎて頭がついてゆかない。
「何で……」
「ん?」
「俺なんかの為に、何でそこまで……」
細かい事はさておき一番の疑問を漸く口に出来た、と思った所で、あああ!っとカリムが叫ぶ。
「一番大事な事言うの忘れてた!ジャミル、好きだぞ!」
「うん??ありがとう???」
「そうじゃなくて!」
ごろりと身体が仰向けに転がされ何をと思う間も無くカリムが覆い被さる。ぴたりと額をくっつけられ、月の様に細くなった瞳がひたりとジャミルを見て居た。
「あいしてる」
たった五文字の短い言葉。だが余りにも突然言われると意味がわからなくて、何度か頭の中で繰り返す。あいしてる、あいしてる、愛してる?先程まであれだけ言葉を並べていたカリムがただじっと黙ってジャミルの反応を伺っている。
「――……!」
理解した、と同時に逃げなければと思った。急速に顔面が熱を帯びている。これは多分、理解しては駄目な類の言葉だ。嬉しい等と思う事は言語道断、これ以上惑わされる前に逃げなければと思うのに、吸い込まれたようにカリムの瞳から目が離せない。そっと押しのけようとした指先はただそっとカリムの肩に添えられただけになってしまい、男らしさを帯びてきた骨格の感触に、初めて出会った頃よりも随分と成長したのだなと関係無い事まで頭を過る。
間近で観察していたカリムにはすぐさまジャミルの動揺が伝わったようで、くしゃりと嬉しそうに笑っていた。
「ジャミルをあいしてるから、誰にも渡したくないから、俺のお嫁さんになって欲しいんだ」
「――いやだ、と言ったら?」
「その時は本格的に監禁か誘拐を考えないとな!」
あっはっは、と笑っているがこの目は本気の目だ、と下手にわかってしまうのが今だけはありがたく無かった。ささやかな反抗はあっさりと封じ込められもう二の句が告げない。
「でも、ジャミルだって俺の事あいしてるだろ?」
否定を許さない王者の笑みでカリムが笑う。
決して誰にも知られぬように、自分にすら見えないように蓋をしていた感情を見透かされていたのが悔しい。いつから気付いていたのかと思うと恥ずかしい。カリムはいつもそうだ。カリムの為を思って最新の注意を払って築き上げてきたジャミルの気遣いを全て台無しにする。嬉しいなんて思いたくないのに、否定してやりたいのに溢れる感情が涙になってぼろぼろ零れ落ちる。
「面倒ごとはちょっと増えちまうかもしれないけどさ、絶対、幸せにしてみせるから。俺を信じてくれ」
元より生涯をカリムに捧げている身だ。ジャミルが思い描いていた進むべき道筋とは大幅に違っていたが、これだけ求められて拒絶出来る筈もない。なのに壊れた蛇口のように涙が止まらず震える唇は嗚咽ばかりで巧く言葉が紡げず、代わりにぎゅうとカリムを抱き締める。
「――……ありがとな」
正しく汲み取ったカリムの柔らかい声と温もりに包まれ、気付けば泣き疲れてそのままそのまま抱き合って朝まで寝てしまった。
翌日、メイクも衣装も乱れ、泣き腫らした目で主の部屋から出て来たジャミルの姿が噂となり再び当主と父に呼び出される事となるのはまた別の話。

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過去の話

物心ついた頃から、カリムのすぐ傍にはいつでも死があった。怨恨、嫡男の座、有利な取引の為の材料、数え上げればキリがないほどたくさんの理由でカリムの命は狙われる。
死にたくない、と思う。だがその一方で、カリムが死なない為にたくさんの人が苦労し時には命を落とす事を、カリムは知っていた。 
ジャミルと出会ったのは五歳の頃だった。父の右腕でもあるジャミルの父親に連れられてやってきた同い年の子。可愛い顔をしているのに、緊張のあまり引き攣って歪んだ笑顔を必死に浮かべていたのを覚えている。今のジャミルからは考えもつかない。カリムが遊びに誘っても、贈り物をしようとしても、不安げに揺れた瞳はいつだってジャミルの父からの是非が無いと何も応えてくれず、彼の心に触れる事は出来なかった。 
それが変わったのは数年後に正式にジャミルがカリムの従者になってからだ。常にカリムに付き従い時には盾にも剣にもなる、カリムの為だけに生きる生き物。その為の訓練をたくさんしてきたと言っていた。同い年のジャミルが、カリムが遊んでいる間にもその為の努力をたくさんしてきたのだと言っていた。その努力に見合う価値が、カリムにあるのだろうかと幼いながらに思った覚えがある。 
従者となればカリムとジャミルは毎日何処へ行くにも何をするにも一緒だったし、二人きりになる時間もたくさんあった。一月もすればすっかり慣れ、ふとした瞬間にジャミルが微笑んだ時の心の高鳴りは今でも忘れられない。使命を全うすべく神経を尖らせた顔でも、張り付いたような笑顔でも無い自然な表情。いつもは吊り上がっていた眉がへにゃりと垂れ下がり、零れたのは控え目な笑い声。思わずジャミルをぎゅっと抱き締め「大きくなったらおよめさんになってくれ!」とプロポーズした。絶対に誰にも取られたくないと思った。ジャミルは従者だから、大人は反対するかもしれない、それでも絶対に結婚するんだと、そのためだったらなんでもやってやるんだと意気込むカリムだったが、「私は男です」と恥ずかし気に、だがばっさりと断られたのも良い思い出だ。 


その、ジャミルが。最近では「せめて二人きりの時は友人のように接してくれ」というおねだりにようやく応えてくれるようになったジャミルが。自身を「俺」と称するのになんとも言えない顔になってしまったカリムに楽し気に笑うようになったジャミルが。中身は案外意地悪で、優しくて、楽しい事が好きで、カリムと同じ子供なんだと、漸く心に触れさせてもらえるようになったジャミルが。 
大勢の大人の男に囲まれて、服を引き裂くように剥がれ、いつも綺麗に整えられた髪もぐしゃぐしゃに乱され、拘束する縄を解かれた代わりに細い手足を大人の手で押さえ付けられて犯されていた。上がる悲鳴は涙に濡れて言葉にならず、ただ痛みに耐え切れず音が出ているだけで、肉を打ち付けるような音と共に絶え間なく響く。男たちの背に隠れて詳細には見えない、けれど合間から力なく揺れる足と男達の下卑た笑い声がジャミルの身に起きていることをまざまざと伝えていた。 
カリムが誘拐されるのは、慣れていた。今日だって「またか」と思っただけだ。縛られ、埃っぽい暗い部屋の隅に転がされ、ただ時間が過ぎて助けが来るのを待つ、あの退屈な時間。暗殺に来たのならばまだしも、誘拐されたという事はよほど犯人たちが追い詰められない限りはカリムに手を出す事は無い。殴られたり蹴られたり、時には瀕死の状態になるまで刺されたりと痛みを与えられる事も無い訳では無いが、交渉が上手くいかない時に人質に八つ当たりするのは多分、さほどおかしな事では無いのだろうと思う。カリムが何か抗おうとしたところで、複数の大人相手に幼い子供が一人で何か出来るわけもない。死にたいわけではないが、死にたくないわけでもない。此処で死ぬのならばそれがカリムの運命だったというだけの事だ。 
だがジャミルは違った。あくまでカリムの付属物でしか無く、犯人たちが求める巨額の富の対価にはならない。誰かが「女の方は殺してもいいんだろ?」と言い出したのが最初。ジャミルが女では無い事がわかれば諦めてそのまま何事もなく終わるのだろうと思っていたカリムを他所に、軽々と広い場所へと引き摺り、止める処か笑いながらジャミルを暴いていった。反射的に抵抗しようとするジャミルの頬が何度も大きな掌で叩かれ、ぐったりと動きが鈍くなった所で何かを尻に塗り込め、カリムの腕程もありそうな大きく膨れた性器を押し込んだ。人の声とは思えないような悲鳴が上がり、逃れようと闇雲に逃れようとする身体を別の誰かがが抑えつけて口を大きな掌で塞いだ。一人、二人とジャミルに集る男が増え、ジャミルの姿は男達の向こうに隠されてしまった。 
カリムはそれをただ見ている事しか出来なかった。腕は後ろ手で縛られ、今カリムが何かしようとしても役に立たない事もわかっている。だが目の前でジャミルが傷ついているのに何もしてやれない事が歯痒く、苦しかった。 
足元に陣取り小さな身体を揺さぶる男が四人目にもなる頃にはジャミルは時々呻き声のような物を上げるだけで反応すらも鈍くなっていた。男たちに揺さぶられるまま弛緩した手足が揺れ、垣間見える顔は青白く表情を失ってただ濡れた瞳が虚空を映していた。まるで人形のように男達に操られるがまま体制を変え揺さぶられ、ぐちゅぬちゅと粘着質な水音が耳にこびりつく。身を起こされ、唇に腫れあがった汚らしい性器を押し付けられ押し込まれても時折咳き込むだけでされるがままだった。 容赦なく口の中に吐き出された白濁した物がどろりと口の端から溢れて垂れ落ちる様にどうしようも無く落ち着かない気分になる。可哀想に、今すぐ助けてあげたい、出来る事なら変わってやりたいと思う気持ちがある筈なのに、それと同じくらいにもっと見て居たいという声が心の奥底から聞こえる。痛々しくて見て居られないのに、目が離せない。


ジャミルがどれくらい長い時間、男達の玩具にされていたのかはわからない。解放され、カリムの横へと放られたジャミルは息をしているのか確認したくなるほど生気を失い、ぐったりとしていた。至る所に白くどろりとした液体がへばりつき、所々血が滲んで居たり鬱血している。足の間のその奥、真っ赤な鮮血と白濁が閉じ切れなくなった場所からどろどろと絶え間なく溢れていた。ただ茫洋とした瞳が余りにも無機物のようで、恐ろしくなって声を掛ける。 
「ジャミル……」 
応えは無い。だが、ひゅ、と息を吸う音がした。 
「ジャミル……なあ、ジャミル……」 
もう一度呼びかける。機械的に瞬くだけだった眼がとろりと周囲を彷徨ってから、ゆっくりとカリムを捉えた。爪先から、頭のてっぺんまで、時間をかけて視線を彷徨わせた後にふわりと、まるで花が綻ぶかのような笑みを乗せてジャミルが息を吐く。 
「……無事で、良かった……」 
かさつきながらも心の底から安堵したようなその声を聴いたにゾクゾクと痺れるような物が全身を駆け上がった。身体が、熱い。心臓が今にも爆発してしまいそうな程に脈打ち、下肢に熱が集まるのを感じた。今すぐジャミルを抱き締めたいのに、縛られたままのカリムではそれも出来ない。そのまま眠りに落ちてしまったジャミルを前にカリムは身を丸めてその熱に耐えるしか無かった。 


その後、いつも通りに二人は無事救助された。ジャミルはすぐさま家の抱える医師、魔法士、薬剤士、父の権力総動員で人を呼び集め治療にあたる事となり、それから一カ月も面会謝絶とされた。
漸く会えるようになり、ジャミルもすっかり元気になったように見えたがその後も療養生活は終わらず、更にはカリムだけは何故か面会時間は二日に一度、30分だけと時間を細かく定められ、常に複数の大人が一緒にいて二人きりにもなれず、今までのように遊ぶ事も出来なかった。 
ジャミルの何処が悪いのか、何故まだ療養しなければならないのかを大人たちに聞いても誰も言葉を濁すばかりで教えてくれない。すっかりジャミルと共に在る事が当たり前になってしまったカリムにはジャミルの居ない生活に我慢出来なくなるまでそれほど時間がかからなかった。会わせてもらえないなら、こっそり会いに行けばいい。ジャミルがカリムを拒むとは思えない。大人たちの「大人の考え」という物で理不尽に会わせてもらえないだけなのだと思っていた。 


深夜、眠い目を擦りながらそっと部屋を抜け出す。きっとジャミルも寝ている頃だろうが、どうしても直接会いたかった。会って、ただ寝顔を眺めるだけでもいい。そう思いながら辿り着いたジャミルの病室の扉を起こさぬようにそっと開けると、中からは人の声がした。医師が様子を見ているのかもしれないと緊張しながら隙間から中の様子を伺う。だがそこには想像していた医師の姿は無く、代わりにカリムの父が居た。裸の父が、裸のジャミルを組んだ腿の上に抱えて抱き締めてキスをしていた。それを嫌がる所か求めるようにジャミルの腕は父の首に巻き付き、自ら唇を押し付けているようだった。時折密やかに会話を交わしては笑う気配。内容までは聞こえないが、少なくともお互い合意の上での行為のようだった。 
「ッッんぁ、……っあ、」 
不意に父がジャミルの腰を掴んで持ち上げるとずるりと尻の合間から太く反り返った性器が覗き、手を離せばそれはまた抵抗なくジャミルの尻の奥へと飲み込まれて行く。 
「あ……はぁ……ぁ」 
仄かに空気を震わせるジャミルの声が、甘い。訳もなく身体が熱くなる。あの時ジャミルを散々痛めつけた物が今もまたジャミルを犯しているというのに拒絶する所かさも気持ちよさそうに鳴いていた。それどころか父の首にしがみついたまま自らゆるゆると腰を上下に揺らしてはひっきりなしに甘い声を上げていた。父の掌が優しくジャミルの髪を撫で、引き寄せられるままにまた重ねられる唇。 
何度も体勢を変え、キスを交わし、揺さぶられる度に猫のような声でジャミルが鳴く。これ以上見てはいけないものだとわかっているのに張り付いたように眼が離せない。股間がずきずきと痛かったし、口の中がからからに乾いていた。飲み込んだ生唾がごくりと過剰な音を立てる。 
無意識に前へと踏み出した爪先が、扉を蹴り、突然ぱたりと視界が遮られて我に返る。扉が閉まる音は中の二人にも聞こえただろう、慌てて走ってその場から逃げ出す。逃げだす事しか出来なかった。 


次の面会の日、ジャミルはいつもと何も変わらなかった。父との情事を見られたとも知らず、見た目だけならば元気そうに見えるジャミルだった。父との事を聞きたいという欲はあったが、聞いては行けないこともわかっていた。喉元まで出かかった言葉をなんとか飲み込み、カリムもいつも通りを装ってジャミルと接する。だがその心の内は以前までとはすっかり変わってしまっていた。 
初恋だった。一瞬で振られてしまったがあれは確かに恋だった。 
酷い目に会わせたく無いと思った。だがそれと同じくらい、あの日、大勢の大人に囲まれて傷つけられるジャミルが忘れられず夢に見ては夢精した。 
父の代わりにジャミルに甘えられたいと思った。抱き締めたいと思った。その為に強く、賢くならねばならないとも。 



成長するにつれ、いろいろな事を知り、学び、身を守る術を得る。二人が大きくなるにつれてカリムが危険な目に会う頻度は減り穏やかな日々を過ごしていた。そんなNRC入学を間近に控えた時に起きた誘拐。油断していた訳では無い、ただ少しばかり状況がこちらに不利だったという所が大きい。共にジャミルが居る事が心強くも有り、心配でもある。もしもジャミルに危険が及ぶような事があれば身を挺して庇ってやりたいが、それだけは絶対にしてはいけない事だと理解していた。主が下僕の役割を奪ってはいけないと、主に護られるような下僕は無能の烙印を押しているに等しいのだと 常日頃から教え込まれていた。これだけカリムに尽しカリムの為に身を捧げるジャミルの評価を下げるわけにはいかなかった。
犯人達の交渉は長引いているようで、常にピリピリとした空気が流れていた。 縄抜けするだけならすぐ出来る。だが縄抜け出来た所で銃で打ち抜かれてしまえば意味が無い。ジャミルは隠しナイフの一つも持っているだろうが、カリムは丸腰な上に相手は銃で武装した男が三人。そう簡単に敵う相手ではない。眼と唇の動きでジャミルに相談してみるも、 やはりあまり良い案は思い浮かばないようで機が来るのを待つしかないようだった。
昔ならばこんな事を考えずとも助けが来るか、それとも殺される瞬間をただぼんやりと待てばよかった。それが今ではなんとか二人で無事に助かる方法を模索している事が、少しだけおかしかった。自分の為には出来なくても、他人の為になら出来る事も、ある。 
死にたくないと思った。死なせたく無いと思った。


状況が変わったのは、囚われてから三日後の事だった。水だけは辛うじて与えられていたが、食べ物は碌にもらえずにすぎる空腹で胃がしくしくする中、難航する取引に耐えかねた男が「カリムを暴行し、その証拠なり映像を送り付けて話を進めやすくする」という話を提案した。うまく行けば、確かに早く取引を終らせなければカリムが死んでしまうかもしれないという危機感で話が進めやすくなるかもしれない。だがカリムにその価値はあるのだろうか。
父は救おうとしてくれるだろう、愛されているという確信がある。だがこの誘拐を巧く利用してカリムを亡き者にしようとする人間は大勢いる筈だ。父が一族の長という立場ではあるが、だからと言って全てを支配下に置けているわけではない。もしかしたらこの誘拐自体、家族の誰かが企てた物かもしれない。
苛立ちを募らせた男達の値踏みするような視線がカリムに集まる。ジャミルが傷つかないなら、それでもいいと、カリムも思っていた。 ここでカリムが犠牲になるのはジャミルの落ち度では無い。
「なあ、俺をアンタらの仲間にしてくんネェ?」 
カリムに伸ばされようとする手を遮るように、今までカリムと共にただ黙って人質となっていたジャミルが口を開く。その聞きなれない雑な言葉遣いに、内容よりも驚いてしまった。馬鹿な人質の戯言として無視しようとする男達になおもジャミルは言葉を続ける。 
「腹減ってンだよ、なんか食わせてくれたらご奉仕するゼ?」 
胡乱げな男たちの視線が集まるのを見てからジャミルが赤く長い舌を見せつけるように差し出す。唾液に濡れた舌先が、ソフトクリームを舐め取るように上下に卑猥に動かされ、それから口角を釣り上げて笑った。 
「この坊ちゃんヤろうってンだから、男イけんだろ?処女が良いってンならご期待には沿えネェけど」 
何を、言い出すのかと思った。ジャミル、と思わず名を呼んでも全くカリムを省みず、ただ綺麗な顔を挑発的に歪ませて笑っていた。 
だが男達には十分に効いたようだった。なら、やってみろと引き摺られ、ソファに座る男の足の合間に座らせられたジャミルが躊躇いなく股間へと顔を埋める。後ろ手に縛られている為に器用にも口で金具を外し、布の奥へと鼻先を突っ込み男の性器を舌と口で運び出す手腕は余りにも手慣れていた。くっせぇ、と聞きなれない言葉で笑い、臭いと言いながらもためらいなく貪る勢いでしゃぶり付く。 
興味を持った他の男がジャミルの背後にしゃがむと心得たように下着ごと服をずり下す動きに合わせて腰が揺れ、早くと誘い込むように丸みを帯びた褐色の肌が突き出されていた。ジャミルに舐めさせている男が長く綺麗な髪を無造作に掴んで頭を自由に使い始めても逃げる所か恍惚と瞼を伏せて卑猥な水音を響かせていた。 
背後の男が油のようなとろりとした物をジャミルの尻に塗りたくり、中へと指を押し込むと驚くほどにすんなりと飲み込むとジャミルを嘲り笑う。すぐさまもう一本、二本と指が飲み込まれて何度か確かめるように抜き差しされた後には性器が宛がわれた。 
「んんぅ……っっんふ、……」 
かつての時のような、痛そうな様子はなかった。それよりも何処か甘えるようにさえ見えた。苦しい体制を強いられながらも男達に満足の行く奉仕をしているようだった。出すぞ、と口を使う男が両手でジャミルの頭を抱えて遠慮なしに揺さぶり、しばらくすると低く呻いて動きを止めた。そうしてジャミルの頭を遠ざけると名残惜し気にジャミルの唇が男の性器に吸い付き、ちゅうと音を立ててから離れる。ぱかりと口を開けて差し出した舌先には白い物が絡みついていた。唇の周りについたものまで残さず舐め取り味わうように口をもごもごさせてからごくりと音を立てて飲み込む仕草には男も満足したように笑っていた。背後から覆い被さる男も次第に高まってきたのか腰を押し付ける速度が速くなり、ぱんぱんと肉のぶつかる音が響いていた。過剰な程に上がるジャミルの声はかつて病室で聞いた時のように、甘く媚びていた。男の腿に頬を押し付けて懐きながら犯されるのが何よりも好きだと言わんばかりに嬉し気に鳴く。 
ほら、お坊ちゃんにも見せてやれよこの淫乱と両肩を掴まれ無理矢理立たされたジャミルの顔がカリムへと向けられる。男の手で辛うじて体重を支えるジャミルの身体が背後から貫かれる度に不安定に揺れ、さっきよりも良く締まると男が嘲笑う中、一瞬、ジャミルと視線が合い、そして反らされた。甘く鳴きながらも笑みを象っていた口角が戦慄き、くしゃりと今にも泣きだしそうに顔が歪む。
「あっ、ぁ、奥、……ッもっと奥まで犯して……ッ――!」
すぐに顔を伏せられてしまい見えたのは一瞬の事だった。さも感じ入っているのだと言わんばかりに強請る言葉を叫ぶ声は悲鳴のようだった。


そうして、気付く。突然のジャミルの変容はカリムを守る為の物だと。つい先程まではカリムを標的にしていた筈の男達の興味はすっかりジャミルに奪われてしまった。それどころか本来の目的まで忘れているのでは無いかとすら疑うくらいにジャミルに夢中になっている。三人の男に囲まれ代わる代わる犯されて喜び、自ら手を伸ばして奉仕することを求め、白濁を美味しそうに飲み干して犯される事を甘く強請る姿に興奮しない男などいない。現に、悲しい事にカリムとて腰が重くなっている。ジャミルをそんな目にあわせたい訳じゃなかった。そんな事をさせたいわけではなかった。
だが実際には何も出来ないばかりかジャミルに助けられ、ジャミルの痴態に興奮している。 
強く、なりたかった。 
ジャミルを守れるくらいに強く、ジャミルを抱き締められるくらいに強くなりたかった。 
火照る頬に流れる物を拭う事も出来ず、カリムはただジャミルを見て居る事しか出来なかった。

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5

レオナ先輩が、鳴いている。
あの、怠惰で傲慢な男が、我が物顔でジャミルを食らっていた男が、獣らしく荒々しいセックスをする男が。実の兄の言葉一つで抵抗する事無く為すがままに犯され、ただジャミルに縋りついて鳴く事しか出来なくなっている。
後ろから貫かれる度に上がる蕩けた低音は甘い。子猫が親に甘えるような、媚びた声。
「……っふふ、先輩、可愛い」
首に懐くレオナの、張り付く髪を掻き上げて額に唇を押し付け、滲んだ汗を舐め取る。前々から抱かれ慣れている身体だろうとは思っていたが、此処まで雌の顔をするとは思ってもみなかった。
「レオナ、ほら、ちゃんとお前の顔を見てもらいなさい」
「っぅあっ、っぁ、」
無造作に背後から髪を掴まれて顔を上げざるを得なかったレオナと眼が合う。とろりと蕩けた瞳がジャミルを認識するとすぅ、と細められ、そして諦めたように伏せられた。長い睫毛が濡れて震えている。飼いならされ抗う事を止めた雌の顔。王子という誰もが羨む身分でありながら、ふとした時に滲む昏い色気はなるほど、この男のせいかと思う。
レオナの兄であり、一国の王であり、一児の父親でもある男。レオナが華奢に見える程に大きな体躯は正に百獣の王と呼ぶべきもので、間にレオナがいるのにジャミルまで抱かれているような気分にさせる圧力がある。
「私のレオナは、可愛いだろう?」
「あっ、あ、ぁ、あにき、も、っぁあ、」
「ええ。こんなに可愛らしくなるとは今まで知りませんでした」
満足げに笑うファレナが身を屈め、レオナの頬に口付けを落としてから身を起こすとレオナの身体も共に離れていく。
「ひ――ッぁ――ッッッ……」
角度が変わり良い所にでも当たったのか、片手一つで簡単に身を起こされたレオナの身体が弓なりに撓り声にならない悲鳴を上げて震えていた。がくがくと跳ねる身体を押さえ付けて首筋にかぶりつくファレナの、余りにも組み敷く喜びに満ちた無邪気な笑顔にうすら寒いものを覚える。随分と、面倒な男に囚われている物だとレオナを憐れむ気持ちすら沸く。所詮は、他人事だが。


そもそも事の発端はこの王様がサバナクロー寮の視察とやらにやってきたところからだ。詳しい事はわからないが護衛をたくさん引き連れた王様が寮内を練り歩き、最後に礼として宴会を開いたそうだ。その案内役に連れ回されストレスの溜まったレオナがジャミルを呼び出したのは夜になってからで、その頃には王様御一行は帰ったと聞いていたのだが。
ジャミルがレオナの部屋を訪れるという事は、つまりそういうことをするわけで、八つ当たりのように普段よりも荒く揺さぶられながらもうすぐ、という所でファレナがやってきたのだ。
闖入者に固まる二人を他所に「鏡の調子が悪いようだから、直るまで此処にいさせてもらうよ」とベッドに腰を下ろしたファレナが「気にしないで、続けてくれ」と笑顔で言い放ったのにも驚いたが、レオナが溜息一つで従った事はもっと驚いた。
余りの事にすっかりその気は失せていたが、悲しい事に、気分で無くてもそれなりに振舞い行為を行う事にはジャミルも長けていた。憮然としながらも続きをしようとするレオナの、先程までとは全く正反対の優しい手付きに少し面白くなって来たというのもある。まるで女性を扱うかのように丁寧にジャミルを撫で、しつこいくらいに舌を這わせて熱を高めていく猫被りな前戯に、こう見えてもやはりレオナは王子様だったのだなと妙な感想を抱いたりもした。
そうしてなんとか一戦を終え「今度は私の番だな」とレオナに圧し掛かるファレナに、レオナは何も言わなかった。ただファレナの為すがまま、言われるがまま、ジャミルに縋りつくように身を預けて鳴いていた。ファレナからはレオナを目に入れても痛くないとばかりの愛が注がれているのが嫌でもわかる。レオナがそれを有難く受け取るとまでは行かずとも、拒絶していない事も。


「ほら、君も見ているだけではつまらないだろう?レオナを慰めてやってくれ」
「っひ、ぃぐ……ッぁ、っあ、あ」
声を掛けられ、傍観者に徹する気でぼんやりしていたジャミルは瞬いた。まさか混ざれと言われるとは思わなかった。この行為はただ「ファレナとレオナの愛の営み」を「他人に見られる」というスパイスを加えただけの物であり、ジャミルは部外者だ。レオナの自由を許してやる寛大さを見せつけながら、それでもレオナはファレナの下でならばこんなにも淫らに鳴くのだとジャミルを牽制する為だけの行為。無意味な事をすると思わなくも無いが、それでファレナが満足するなら身の安全の為にも従うべきだろう。ジャミルはレオナに対して多少の情はあれどファレナの思うような愛情は一欠けらも持ち合わせていない。所詮はいつお互いの「家庭の事情」で疎遠になるともわからない関係だ。レオナとの逢瀬を咎められなかっただけで上々、後は王様の言う通りに機嫌を損ねないように振舞うだけでいい。ジャミルには、レオナ以上に「相手の望むがままに身体を差し出して喜ばせること」に慣れている自信があった。
クッションに背中を預けたファレナの上に跨るレオナがゆるゆると下から突き上げられるたびに鳴いていた。立てられたファレナの膝に開脚を強いられたまま閉じる事も出来ず、むしろファレナの膝に手をついて自ら腰を振っているようにも見える。中でイってばかりでどろどろになりながらも萎える事無く立ち上がり震えているレオナの物に這って近づき、唇を寄せようとするが、触れる直前に待ての声が掛かる。
「レオナに跨りなさい。遠慮は要らない、さあ」
思わずレオナを見るが、一瞬辛そうに眉を潜めたもののすぐにふいと視線を反らされてしまった。ああ、可哀想に。憐れな第二王子様に拒否権は無いのだろう。それともこういう事態には既に慣れているのだろうか。
ジャミルが入れ易いようにと、レオナの胸を抱えてファレナが後ろへと身体を倒す。動きが止まり、漸くといった態で荒い呼吸に胸を泳がせるレオナは何処か、遠くを見ていた。可哀想に。再びそう思えどジャミルに出来る事は何もないし、する気も無い。巻き込まれてはいるが所詮は対岸の火事だ。レオナの事を本当に想うのならば、せめてジャミルが丁寧にファレナの誘いを断りこの場を去ってやるのが一番良いのだろう。彼の昏い顔を見ないでやるのが優しさなのだろう。ただ心を無にして時が過ぎるのを待つ気持ちはジャミルにも痛い程にわかる。わかるからこそ、もっと苦しませてやりたいという悪戯心が持ち上がる。この場を支配する王がそれを求めるのならば、応えてやるのが下々の民の務めだろう。他人の不幸は蜜の味がする。
「それでは、失礼します」
込み上げる愉悦で口角が緩む。ファレナを見れば満足気に細められた双眸とかち合い、ああ共犯者と認められたのだとジャミルは心から笑った。



あれから、ジャミルが跨って一回、もう一度レオナとジャミルだけで一回、そこにまたファレナが混ざり込んで三人で一回、そのままジャミルは疲れたからと抜けさせてもらい、ファレナとレオナで一回。
ライオンの体力は恐ろしい物だと思う。それだけの数をこなしても、鏡が直ったという報告を受けるや否やしっかりとした足取りで帰っていったファレナは化け物の域なのではないだろうか。残されたジャミルは多少休んで体力を取り戻しているが休みなく鳴かされていたレオナはベッドに突っ伏したまま動けなくなっていた。一度ベッドを離れて勝手知ったるキッチンから水のペットボトルを一本拝借して戻る。干からびた喉に水を流し込めば思いの外、飢えていたらしい。一気に半分ほどを飲み干してしまった。
「お疲れ様です。……先輩のオトコ、お兄さんだったんですね」
ベッドに俯せに寝るレオナからの返答はない。そこら中色んな体液に塗れ、特に尻の狭間からは呼吸する度にたっぷりと中で出されたものがどろりと溢れている。
「今度、俺にも抱かせてくださいよ。好きでしょ、抱かれんの」
伸ばした指先で尻の肉の狭間を押し込めばいとも簡単に指が二本中へと飲み込まれていく。もはや閉じ切れなくなっているようだった。まああの大きさをずっと咥え込んでいたのだから仕方ないだろうと笑っていると遠慮のない足がジャミルの脇腹にめり込む。
「い、った……今更恥ずかしがらなくたっていいでしょう」
大人しく手を引き、その代わりにレオナの隣に寝そべると、もぞりのそりとレオナの腕がジャミルを絡めとり確りと抱え込まれてしまった。仕方なくペットボトルを置いてレオナの背を抱き締めてやる。
「――……ってぇ……だ……」
「はい?」
「ぜってぇ、いやだ」
可哀想な程に掠れた低音がたどたどしく紡ぐ言葉に思わず吹き出す。あの、怠惰で傲慢な男が、我が物顔でジャミルを食らっていた男が、獣らしく荒々しいセックスをする男が。何処か拗ねたような響きで持って、命令する事すら出来ずに駄々をこねるしか出来なくなっている。兄の前でしか見せない顔から、NRCの生徒でありサバナクロー寮長であり、誰もが羨む「王子様」の顔に戻る事が出来なくなっている。くつくつと収まらない笑いに震えるジャミルの肩に無言で噛みついて抗議するのすら、普段の知略に長けた賢王の姿はどこへやら、肩をがぶがぶ噛み背をがりがり引っ掻き幼子が意思を言葉に出来ずに地団駄踏んでるだけにしか思えない。
「アンタ、意外と可愛いんだな」
慰めるように抱き締め頭を撫でてやりながらジャミルは笑う。レオナに少しだけ、情が沸いた気がした。

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部活の話

コート内を縦横無尽に駆け巡るボールを視界に捕え続け、隙あらば味方へと繋ぐ。味方が保持しきれずにパスされたボールは素早く正確に適切な味方へと渡し、時には敵の手からボールを奪う。ジャミルが点を決める訳でも、敵の攻撃から守る訳でも無いが味方はジャミルを中心に動く、そんなポジション。
週末の部活恒例、上級生との練習試合。今日は調子の良いフロイドが恵まれた体格とセンスで一人で盛り返してはいるが、どうしても全体的な経験の差でジャミルのチームは圧されてしまう事が多い。それでもなんとか食らい付こうと必死で味方から投げられたギリギリのパスを両手で受け取る。
咄嗟に次に渡す相手を探すが、皆がっちりとマークされ迂闊に投げる事が出来ない。自ら突破しようにもゴール下を守る先輩に押し勝つビジョンが見えない。そんな中でふと、上級生と肩で押し合いをしているフロイドと眼が合う。
「来い」
と、煌く色違いの瞳に言われた気がした。何かを考えるよりも先に身体が動く。フロイド目掛けてドリブルを始めたジャミルを止めようと上級生が動いた隙をついて反対側から顔をのぞかせたフロイドに目掛けて、思い切り足を踏み込み横に飛ぶ。着地地点に組んだ両手が待ち構えるように差し出され、片足で跳び乗るや否や、ぐん、と身体が持ち上げられる。
「いっけえ~」
人を一人放り投げたにしてはずいぶんと気の抜けた声援を受けながら高く、先輩をも優に超える高さを飛ぶ浮遊感がもたらす高揚に自然と口の端が吊り上がる。少しでも高く、長く、飛べるように背を撓らせ、両腕で高く掲げたボールを腹筋の力で持ってぐっと集めてリングに叩きつける。
ダンクシュートなんて、初めてやった。
味方の沸き立つ声を聴きながらリングにぶら下がって足元へと視線を落とせば床ははるか下にあった。よくこんな高さまで放り投げたなと今更ながらフロイドの無茶苦茶っぷりに笑ってしまう。ジャミルでなければ空中でバランスを崩して大怪我いただろう力業だ。
地面に降りれば、いえーい、と先程ジャミルを軽々と放り上げた大きな掌が目の前に翳される。それを思い切りばしんと引っぱたいて自陣へと戻る。今のゴールでフロイドだけではなく味方の士気も上がったようだった。今日こそは、勝ってやる。
いや、絶対に勝つ。

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