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空箱

化粧2

洗い立ての肌に、ひたりと濡れた掌がジャミルの顔を覆った。ぺたり、ぺたりと優しく液体を押し込む掌は硬く、ジャミルの顔を覆い尽くしてなお余りそうなくらいに大きい。
「もっかい塗るぞ」
一度離れた掌はジャミルが目を開けようとした所で再び目の前を覆い、大人しく瞼を下ろす。先程よりもとろみのある液体を纏った掌が押し付けられた後に、ゆっくりと輪郭をなぞるように優しく肌の上を滑る。眼窩の窪みや鼻筋の横まで丁寧に指先が液体を塗り広げ、最後に顎の下をするりと撫でたと思えば柔らかな感触が唇に触れた。
予想外の感触に思わず目を開ければすぐ間近で弓形に細められたエメラルド。おまけとばかりにもう一度唇が啄まれてから離れていく。
「ちょっと、真面目にやってくださいよ」
「ねだってるみてぇな顔してたからつい、な」
そう言って笑ったレオナにつられてジャミルまで頬が緩む。ただじっとしていればレオナ好みの化粧が施されるのだと無防備に身を委ねていたというのに、何処か甘い空気が纏わりついて心が浮ついていた。
離れたレオナがリキッドのボトルを取り、軽く降った後に親指の付け根の上に垂らす、その手慣れたやり方に思わず魅入っていると、普段はやらねぇよ、と言い訳めいた台詞が溢された。
そのまま塗られるのかと思いきや、もう一種類、色味の濃いリキッドの瓶が同じように振られてから数敵垂らされ、指先でかき混ぜて色を馴染ませた後にスポンジが取り出される。
「別に珍しいものでもねぇだろうが。目ぇ閉じてろ」
いつも上から見下ろすような男が、少しだけ困惑したような声を出すものだからますます意地悪してやりたくなる気持ちをぐっと堪え、はあいとお利口さんなお返事一つで言われるままに瞼を下ろす。
ぴた、と押し付けられたスポンジは柔らかくもひんやりとしていた。ぺたぺたと軽く叩く手付きは優しいが淀みはない。満遍なく顔の上をスポンジが塗り広げた後に大きくて柔らかなブラシが肌の上を撫でて行くのが心地よい。高級感溢れる少しの刺激もない毛先にとろりと身体が弛緩してゆく。
「っっひゃ!?」
その隙を待っていたかのように不意に耳朶をその柔らかな毛先が擽り、間の抜けた悲鳴を上げてしまった。弛みきった身体がぞわぞわと鳥肌を立てている。
「先輩!」
楽しげに笑い声を上げる犯人が腹立たしく、べしりとすぐそばにあった太股を叩いてやるが全く効果は見られない。
「良い声が出たなあ?」
「真面目にやってくださいって言ってるでしょう!」
「大人しくしてるのを見るとつい、な」
許せと言わんばかりに一度だけ音を立てて唇を啄まれる、たったそれだけで絆されて許してしまうのも癪だが、此処で争っていたらいつまで経っても終わらないのだと自分を言い聞かせる。
「ほら、続きをやってやるから目ぇ閉じろ」
既に二回も余計な事をされた身としては疑うような半目でレオナを見てしまうが、何もしねぇよ、とアイシャドウとブラシを持った両手を肩の上に上げてひらひらさせているのを見て仕方なく目を瞑る。
顎を捕まれた時は一瞬身構えるが、頬の上に掌が触れたと思えば目元を細く柔らかな毛の感触。睫毛の生え際からアイホール全体へと幾度かに分けて色が塗られて行く。目を閉じる直前に見たシャドウはゴールドのものだったが、離れる度にケースを開閉するような音が聞こえて今は何色を塗っているのか全くわからない。
今まで柔らかな筆先が撫でていた目尻をレオナの指先が少しだけ強く擦る。まるで、折角塗った色を拭うような。
「……失敗したんですか」
「うるせえな、大した事ねえよ」
茶々を入れた罰とばかりにむにと一度頬を摘ままれ、更に言葉を重ねようとするがすぐにまた頬にレオナの手が触れて瞼の上へと筆を滑らせるので唇を噤む。
修正は程なく終わったようで、離れたレオナが何かを開けたり閉めたり、化粧道具を漁る音を黙って聞いていると再び顎の下に触れた指先がジャミルの顔を持ち上げる。
「一度目ぇ開けろ」
言われるままに瞼を開けて見上げれば、思いの外真剣に見定めるようなエメラルドが真っ直ぐにジャミルを見下ろしていた。そのままレオナの指示のままに何度か目を開けたり閉じたりを繰り返す。レオナの右手にはアイライナーが握り締められていた。
「……よし、じゃあ今度はいいって言うまで目ぇ開けるなよ」
「はい」
大人しく瞼を下ろせばレオナの近付く気配。左手でジャミルの顎をしっかりと支え、頬に当てられた右手は先程と同じだが、目を閉じていてもわかるくらいに距離が近い。レオナの吐息がジャミルの肌に触れるような近さで、まるでキスをする直前のような距離なのに間にあるのは繊細な作業を前にした緊張感。ジャミルまでその緊張感に息を潜めて筆が触れる瞬間を待つ。
ひやりと目頭に置かれた筆。睫毛の生え際をなぞる筆先は迷いなく目尻へと滑り、そして離れて行く。反対側の目も同じように筆が肌を撫でた後は、ふぅ、とレオナの吐息が目元に掛かる。これが乾くまでは目を開けられないジャミルを他所にまた化粧品を漁る音。頬骨の上に、顎や額の生え際に、鼻筋の上に、幾度かに分けて滑る筆は目元の時よりもさらりと手早く行われ、幾重にも粉を重ねられた後でようやく目ぇ開けていいぞ、と許可が下りる。
乾き具合を確認するように幾度かぱちぱちと瞬きをしてからレオナを見上げれば真剣だった眼差しがゆるりと笑みの形に細められた。どうやら満足いく出来になったらしい。
「じゃあ今度は下だな。天井見とけ」
「シミでも数えてれば良いですか」
「それは後でな。そんな余裕あるのか知らんが」
「俺は先輩見下ろす方が好きです」
「そうかよ」
他愛の無い軽口もレオナがジャミルの下瞼を引っ張るように親指を宛がえばふつりと止まる。言われた通りに目だけを天井へと向けるが視界の端には真剣さを取り戻したレオナの眼差しが間近でジャミルを見ていた。細いチップが睫毛の生え際を埋めるように粉を乗せた後、赤い色をしたアイライナーが真ん中あたりから目尻へと向けて走る。こんなに近くまで顔を寄せているのにキスをしていないのがなんだか不思議だった。
「……こんなもんだな」
「終わりました?」
「あとリップも塗らせろ」
「すぐ落ちるのに?」
「落ちるような事をしなきゃいいんだろ」
「さっきから何度も悪戯していた人に出来るんです?」
「お前がして欲しそうにしてるからだろ」
人に責任を押し付けて唇を押し付けようとするのが気に入らない。性懲りも無く唇を寄せるレオナに咄嗟に手の甲で唇を守れば、丁度すっぽり掌にレオナの口元が収まり思わず笑い声が漏れた。
「したいなら、したいっておねだりしてください」
ジャミルの掌一枚挟んだだけの距離で見つめ合う瞳がすぅ、と眇められたかと思えばぬるりと掌に触れる温かく濡れた感触。意思を持ち、明確な目的を持った舌先が掌の皺をなぞり指の間へと潜り込もうとすればぞわぞわと期待が込み上げてしまう。
「……せめて、メイクが完成した所を見たいです」
圧し掛かるレオナを押し返さないのはジャミルの意思だが、あのレオナがジャミルにどんなメイクをしたのかは崩れる前に見たかった。だがそっとジャミルの両手を取ってシーツに押し付けたレオナがにぃ、と口の端を釣り上げていた。
「完成させたきゃ協力しろ」
「協力?」
「ヤった後のテメェに似合うメイクにしてやったつもりだぜ?」
「は、……」
「完成が見たかったら、思う存分善がって鳴けよ」
あまりに酷い言い草に思わず声を上げて笑う。ただレオナがジャミルにメイクを施したならばどんなメイクになるのかという健全な興味で大人しく待っていたというのに、実際には邪な欲望の下拵えでしか無かったのだ。まんまと気付かずにいたジャミルも間が抜けているし、そんなことの為にあんなにも真剣になっていたレオナも素直過ぎる。
「下心丸出し過ぎじゃないですか?」
「しねぇのか?」
「しますけど!」
姿見の前で快感に蕩けた自分の顔を見せつけられながら散々鳴かされる事になり後悔するのはそれから少し後の事。

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化粧1

化粧は武装だ、と言っていたのは誰だっただろうか。
洗い立ての肌に化粧水と乳液を叩き込み、余計な分はティッシュで顔面を覆ってそっと剥がす事で落とす。それから普段は使っていない、舞台役者御用達という下地を塗る。美容業界では肌へのダメージが酷いと言う事で嫌悪されているらしいが、いついかなる時でも美しくマットな肌を保てるという触れ込みの下地は役者のみならず、こういう時に非常に便利だ。ついでに充血と乾燥を防ぐ目薬を差し、しっかりと浸透させるように数秒瞼を閉じたまま数えてから溢れた分をティッシュで拭き取り、目の際には少しひんやりとするクリームを小指でそっと塗り伸ばす。皮膚を引っ張る為にちらりと覗いた下瞼の裏が白い。少しでも血行を良くする為に、クリームを馴染ませるように少し揉み込み、その後はこれも普段はあまり使わないチークを極々薄くリスの毛で出来たブラシで乗せてから濃い肌色の粉を顔全体に叩いて行く。
アイラインは普段よりも太めに、だが強くなりすぎないように縁をぼかし、凹凸を強調させるようにシャドウとハイライトをこれも濃く入れた。仕上げに化粧水を顔全体にスプレーし、ティッシュで押さえた後に血行を良くする事で唇をふっくらと血色良くするリップクリームを乗せればひとまず完成。
洗った肌に適当に粉を叩き、さっとアイラインを引くだけで終わるいつものメイクに比べて随分と時間は掛かってしまったが、その分美しく健康的な顔が作れたと鏡の中で角度を変えて確認してから一息つく。これなら普段よりも気合いが入っていると思われる程度で済むだろう。そう安心して立ち上がればぐらりと身体が揺れて慌てて化粧台に手を付いて身体を支える。どれだけ顔面に完璧な偽装をした所でふらついていたら意味がない。気合いを入れるように短く息を吐き、もう一度鏡で身嗜みを確かめてから部屋を出る。
今日も、忙しい一日が始まる。
カリムの朝食の毒見を済ませたら一足先に部活へ。主に筋トレや基礎練習ばかりになる朝練は地味に辛いが、個人のメニューをこなすだけな分、人目を気にしなくて良い。多少誤魔化して手を抜きながらなんとかメニューを片付け、朝練を終えた後は普段ならばカリムの様子を見に行く所だが今日はそのまま人気の無い空き教室へと逃げ込む。消耗した体力は大きいがまだ倒れる程でも無い。起きた時よりも倦怠感と熱っぽさは増えているが午前に体力育成の授業は無かった筈だから後は座っていれば良い。なんとかなるだろう。机の影、椅子を四つ程並べて身体を横たえ少しでも体力の回復を図りながら手鏡で顔を確認する。完璧に作り上げた顔はまだ崩れていない。だが目付きが少し胡乱になっていた。瞼用の糊でも使ってくっきりとした二重を作った方が良いだろうか、だがその方法は糊を付けていることがわかりやすい。下手な探りを入れられるよりは目を開く努力をした方が良いと結論付けて、少しだけ瞼を下ろす。始業の時間まで、五分程眠れる筈だった。
午前中は恙なく終わり、昼食の時間にはなったが益々体調は悪化していた。食欲が湧かず、頭がぼうっとしている。カリムが昼食の誘いに来る前にと荷物を持ってそそくさと教室を逃げ出し何処で体力の回復を図るべきかと頭を巡らせるが上手く頭が回らない。空き教室には弁当を持ち込んでいる生徒や食堂の喧騒を嫌う生徒がいることが多いので今の時間は使えない。となると思い浮かぶ場所が何も無く、ふと目に着いたトイレの個室へと入り蓋を下ろしたままの便座に腰を下ろすと自然と長い溜息が零れ落ちた。酷い場所だと思うが誰の目にも触れない場所だと思うと驚く程に落ち着く。自分で身体を支える事すら辛くて壁にもたれながら手鏡を確認する。肌を覆い隠すように粉を分厚く乗せた筈なのにどことなく血色が悪いし唇が干からびていた。今度こそ化粧を直さなくてはならない。だがまずは薬だ。荷物の中に忍ばせて置いた熱冷ましの薬を口に放り込んで噛み砕いて飲み下す。苦くて不味い。それから栄養を補うサプリメントと、意識を覚醒させる薬、念の為に吐き気止めを全部まとめて少々効果が過激で貴重な魔法薬の液体で胃に流し込む。昼休みの間に効いてくれれば午後の授業までには持ち直すだろう。流石に部活は何かしらの理由をつけて休まなくてはならないだろうが授業だけはきちんと受けたい。
それはジャミルの評価の為でもあるが、同時に従者としての役割でもあった。
主を守る盾が使い物にならなくなっている事実を誰にも知られるわけにはいかない。
薬でどうにか立て直した体力で化粧を直し、午後の授業に向かう。糊で無理矢理開かされている瞼の所為で眼球がひんやりしている気がする。どこかでまた目薬を注さないといけないと思いながら目指す教室の手前に見つけたレオナの姿。普段ならばふんわりと心が弾むが今日ばかりは会いたく無かったというのが正直なところだ。なんだってこんな時ばかりサボらずに校舎の中にいるのだろうか。
「こんにちは、レオナ先輩。珍しいですね?」
「うるせぇな」
見つけていながら声を掛けないのは違和感があるだろうと率先して声をかければ鬱陶しがるような声が帰って来る。
「精々同じ学年にならないように真面目に授業受けてくださいね」
それじゃあ、といつも通りにすれ違った所で不意に背後から伸びた掌に二の腕を掴まれ、抗う力も無い身体は簡単にレオナの胸元へと引き戻された。
「うわ、……何ですか、授業始まりますよ」
普段通りを心がけ、不快だと言わんばかりの顔でレオナを見上げるが、そこには変な物でも見たかのように目を眇めてジャミルを見下ろすエメラルドがあった。
「……ああ、化粧ですか?ちょっと今日は雑誌で見たのを試してみたんですよ。少し雰囲気違うでしょう?」
まるで見透かすかのような視線に耐え切れずに先手を打って釈明をする。だから離せとレオナの胸を押すが分厚い胸板はびくともしなかった。
「ちょっと、先輩、本当にもう授業が始まるので……」
「力尽くで眠らされるのと、自分でベッドに入るのとどっちが良い?」
「昼間から何言ってるんですか、そういうのは後で、」
「無理矢理が好みなんだな、わかった」
「待ってください!!!」
宣言通りにジャミルの首に手を掛けようとするのを慌てて止める。元気な時ならまだしも、薬でなんとか立っているような状態でレオナに抗えるとは思っていなかった。だが、何故。誤魔化す事すらさせてくれずにジャミルを捕らえたまま離さないレオナに悔しさがこみ上げて思わず唇を噛む。折角張り詰めていた緊張の糸がふつりと切れてしまっていた。
「……何で、わかったんですか」
化粧は完璧だった。いつもと同じとまではいかないが、健康的に見える顔を作れていた筈だし動作だってこの程度なら常と変わらない動きが出来ていた筈だった。現にレオナより前にすれ違った同じ部活の同級生達とすれ違いざまの会話をした時は何の疑問も抱かれず、また部活でな!と言いながら別れたのだ。
「……さぁな?」
だがレオナはにぃと意地悪く口角を釣り上げたかと思えば軽々とジャミルを肩に担ぎ上げてしまってそれ以上様子を伺う事は出来なかった。

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未知

セックスとは、奉仕であるとジャミルは思っている。
いかに相手好みの振舞いをし、自らの身体を使って相手を満足させつつも自分のダメージを最小限に抑えるかが腕の見せ所であり、それなりに攻略を楽しんでいる所だってあった。
初めてジャミルに触れた男も、その後長らくベッドを暖める事になる当主も、その当主に命じられ赴いた先の男達も皆ジャミルに優しく快楽を教えてくれたからこの仕事を嫌だと思った事はあまり無い。
それは決して当たり前の事では無く、ジャミルは運が良い方なのだということだって知っている。アジーム家に仕えていれば忘れそうになってしまうが、この国は決して豊かなわけでは無い。王や貴族、商人の一部には腐るほどの金があったとしても、少し離れた田舎では未だにその日の暮らしにすら困り、人身売買が当たり前のように行われていると聞く。初潮も迎えていないような幼い女の子が嫁として男に買われ、無理な性交、妊娠で命を落とす事も少なくない中で、同じ欲の捌け口として使われながらも当主からは愛人の一人のように可愛がられ、ジャミルがアジームの持ち物である事を理解している他の男達もそう簡単にジャミルを傷つける事は出来ない。思春期を迎える手前には、一度だけ、大の大人が片手で縊れそうな子供相手に欲情する事実に対しておぞましさを覚えたりもしたが、それだけだ。嫌悪感で飯が食える訳でも無い。ジャミルが少しの吐き気を堪えるだけで皆が良い思いをするのだから耐えて然るべきだろう。ジャミルが我慢している物なんて、他にもたくさんある。それが一つ増えた所で今更何も思わない。
だから、慣れているつもりだった。そこらの少し女を抱いた事がある程度の男なら簡単にジャミルの虜に出来ると思っていた。
レオナは傲慢に見えて何処か脆そうな匂いがするから見た目通りの獣のようなセックスか、それとも王族ならば教科書みたいに馬鹿丁寧でよそよそしいセックスでもするのだろうか。どちらにせよ、下手に初物っぽく振舞ってしまっては何か面倒な事になりそうだが、あの年代には余りにもこなれた姿を見せると逆に萎えると言われた記憶がある。経験はあるが、そこまで慣れてない風を装うのがちょうど良いだろうか、なんてそれなりに楽しみにして対策だって考えて来たのだ。
そっと手を取られ、優しく引かれてシーツへと滑らかに押し倒される。顔に見合わず丁寧なタイプだったかと思いながら見上げたレオナの顔を見た瞬間、ぶわりと何か、熱くてぼわぼわしたものが身体から膨れ上がって思考を濁らせた。
「ジャミル」
「……あ……う……」
名を呼ぶ声が、顔が、今まで見た事のあるレオナの顔よりも少しだけ甘い。その事に気付いてしまったらうまく言葉が出てこなかった。何か言わなくてはと思うのに、舌が上手く回らずレオナを直視出来ない。ぼぼぼぼ、と火を噴きそうなくらいに顔面が熱を持っているのを自分でも自覚して益々混乱する。
今までこんな事は一度だって無かった。むしろ最初は一番大事な所だから細心の注意を払って相手を読み取る事に集中してきたのだ、恥じらう演技としてならまだしも、ただ純粋に耐え切れずに瞼を伏せてしまうなどまるで敵前逃亡しているようで嫌だと思うのに身体が言う事を聞いてくれない。
ふ、と笑うような吐息が額に触れ、そしてそっと少し荒れた唇が瞼に押し付けられる。それだけでまるで眼球がどろどろに溶けてしまったかのように熱い。頬を硬くタコの出来た掌で包まれるだけで脳が気持ち良いと認識してふわふわしている。性的な快感とはまた違う、未知の心地良さ。ジャミルが知らないそれは怖くもあり、切ない程にもっと欲しいと求めてもいた。身の置き所がわからずに、せめて身体の輪郭を確かめるようにレオナの背へと腕を回してそっと抱き寄せれば褒美のように重ねられる唇。ふわりと、また何かが身体の中から溢れる。こんなにもたくさん何かが溢れているのにジャミルの中はまだまだ知らない何かがいっぱいに詰まっていて息苦しい。
「ん、……ぁ……」
喘ぐ唇に滑り込んだ舌が絡まるだけで気持ち良すぎて意識が白んでしまいそうだった。まるで薬か魔法でも使われて強制的に情感を高められている時のようだ。制御出来ない身体を怖いと思うのに、その先を求める心が恐れ知らずにも強請るように舌を差し出す。レオナの好みを探るだとか、満足させてやろうだとか、そんな下心は全部吹き飛んでしまってただ身を委ねる事しか出来なくなっているというのに嬉しいという気持ちで満たされてしまう。
「……ぁ、」
ちゅ、と音を立てて唇が離れると自分でも驚くくらいに名残を惜しむような声が出てしまい、思わず唇を噛む。まだレオナがどんなジャミルを好むのかわかってもいないのに迂闊な事をしたとひやりとするが、目の前のレオナの顔がそれは嬉しそうに綻ぶものだから恐怖が全て吹っ飛んでしまう。
「れ、おな、せん、ぱい……」
ならば、と強請りたくてもまるで初めて行為に挑む処女のように強張った舌が縺れてうまく言葉を紡げなかった。それが恥ずかしくて悔しいのに、レオナの濡れて煌く弓形のエメラルドに見詰められるだけでほろほろと尖りそうになった心が崩れて多幸感の海に沈んでしまう。
再び唇が重ねられ、服の下へと潜り込んだ掌が汗ばんだ肌を辿る。ジャミルは何もしていない。ただレオナから与えられる何かに溺れないように息継ぎするので精一杯で、何も返せていない。輪郭を保つのがやっとな程に心も体もとろとろに蕩けてしまって役に立たないのに、レオナが笑っているから、嬉しそうにしているから、つい、身を委ねてしまう。
ごり、と下肢に押し付けられたレオナの股間が硬さを帯びていた。こんなふわふわになってしまったジャミルでも、レオナは楽しんでくれているのだろうか。ただの置物のようになってしまった身体でも許されるのだろうか。
出来れば、気に入ってもらいたい。今夜限りで終わりにしたくない。
初めて利害関係無く次を望む心がジャミルの中に生まれている事を薄っすらと自覚しながら、次第にジャミルの意識はレオナの熱の中に溶けて行った。

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取説

1.あなたの顔がとても苦手です。不用意に近付けないでください。※でもキスは近付かないと出来ないので接近を許可します。
2.俺のメンタルが荒れてる時に限って珍しくサボらず校内に居るのはやめてください。びっくりします。大人しく昼寝しててください。構うな。
3.恐らく気付いていないのだと思いますが、たまにあなたの尻尾が足に絡みついています。これは不快とかではないのですが、無意識なのだとしたらどうかと思うので一応お知らせしておきます。
4.よそでテンションが下がる出来事があってもあなたの誘いは断れないのでお見苦しい姿を見せるかもしれません。すみません。
此処に来ればそのうち直るのでほっといてください。構ってくれても良いです。たぶん、構ってくれた方が早く直ります。でもほっといてください。
5.あなたの声もとても苦手です。特に、している時に耳元で喋られると無理です。耐えられません。
言葉選びも大変駄目です。何故そこまでピンポイントに苦手な言葉ばかり言えるのか不思議なくらいです。絶対に止めてください。
6.名前を呼ばれると不整脈が起こるので控えてください。命に関わります。たまになら良いです。
7.時々頭を撫でてくれるのは悪くないです。
後ろから抱えられて肩に顎を乗せられるのも嫌いじゃないです。
これからも続けてください。でも肩の上に顎を乗せたまま喋るのは厳禁です。
8.必要以上に優しくしようとするのは止めてください。俺は男なのでそんな簡単に壊れませんし、雑に扱われる方が慣れてます。
王族ならそういうのも教育されているのかもしれませんが、下々の民には不要の気遣いなので止めてください。逆に居心地悪いです。
9.目が覚めたらちゃんと自己申告しろ。寝た振りするな。絶対に言え。狸寝入りするな。
10.して欲しくない事や直して欲しい所はたくさんありますが、あなたの事が嫌いなわけでは無いです。
でも飽きた時は言葉にしないでください。メッセージが送られて来なくなったらちゃんと察するので、そうしてください。
「…………なんスか、これ」
引きちぎったノートの一ページに殴り書かれていた乱雑な、だが元は上手なのだと察せられる細く綺麗な文字を最後まで読み終えて思わずげんなりしながらラギーはレオナを見た。
「どう思う」
「どう、って……」
洗濯物を回収に来たラギーに、部屋に入るなりこの紙を「読め」と押し付けてきたレオナはぱっすんぱっすんと不機嫌そうに尻尾でベッドを叩きながらじっとりとあぐらを掻いて座っていた。いかにも虫の居所が悪いですという威圧感のある凶悪顔。正直関わり合いになりたくない。
ノートを借りた時などに見たモノよりはずいぶんと崩れてはいるが、この字を書いた人は恐らくジャミルだろう。お付き合いしているんだかそれとも爛れた関係なのか詳しい事はよく知らないし、何故この文章が書かれる事になったのかは全くわからないが、近頃この部屋に度々訪れているらしいジャミルからレオナに向けて書かれていたのだとすれば。
「お前の見解が聞きたい」
「見解?」
「率直に言って、俺はアイツに無理を強いてると思うか?」
あ、駄目だこの人。
完全にポンコツだ。
わかってしまえばこの凶悪顔は機嫌が悪いのではなく、ただしょんぼり落ち込んでいるだけなのだと理解して思わず吹き出してしまいそうになるのを咳払いでなんとか誤魔化す。
「えっと、本当に俺の素直な感想を述べさせてもらいたいんスけど、怒らないでくださいよ」
「ああ」
睨むようなエメラルドが真っ直ぐにラギーを見る。そんな真剣な顔をしないで欲しい、こちとらこんなにもあからさまな文章を書いて寄越してくるジャミルと、普段の知性は何処へやら額面通りに言葉を受け取ってしょげてるレオナの恋愛ビギナー達の甘酸っぱさにあちこち痒くなっているのだ。憧れていた筈の先輩と、有能だと思っていた筈の同級生のそんな姿は見たく無かった。
「俺に惚気ないで欲しいっス」
「は?」
「それじゃ、レオナさんおやすみなさい!」
とレオナがきょとんとしている間に叫びながら走ってレオナの部屋から逃げ出す。洗濯物が一枚も回収出来てないがもうそれは今度だ。ジャミルが何のつもりであの文章を書いたのかは知らないがどう考えてもラギーがどうこうレオナに教えるよりもとっとと二人で話し合えという案件だろう。というよりとにかく関わりたくない。巻き込まれたくない。ほっとくと余計に拗れそうな予感もあるが今はまだ現実逃避したい。

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実り

種を埋めたのは事故だった。
呑気な飼い主の、毒なのか薬なのかもわからぬ水をたっぷり注ぎ込まれた肥沃な土を隠し持つ干からびてひび割れた表面を無理矢理ほじくりかえして種を押し込むような所業。
最初は種を埋めていた事すら気付かず、またレオナも寝れば忘れると思っていた。だがその日から気付けば掘り返された土の複雑な色をつい思い出しては姿を探してしまう自分に気付いた。
だから、育てようと思ったのだ。レオナですら何の種なのかわからぬ種が、あの土の中でどう育って行くのか見届けたいと思ったのだ。
誘えば、簡単にレオナの元にやってくる。
だが種を埋めた筈の場所はきっちりと元通りに干からびているだけで、レオナがせっせと水を撒いてみてもなかなかあの日見た不思議な色合いを見せない。
ならば、と水を撒きながら耕す事にした。本人はとても嫌がっていたが、少しでも水を得た土は少し柔らかくなる。その隙に湿った表面に鍬を突き立て、渇いた表面を崩すように中の土と混ぜていく。深くまで耕せる日もあれば、表面に傷をつけることすら叶わない日もあったが、嫌がる割には呼べば簡単にレオナの元に水を浴びに来るのだから、きっと種も芽吹きたがっているに違いない。
嫌だ嫌だと言いながらも断られないことを良いことに、こまめに呼び出しては丁寧に水を撒くうちに、いつしか表面はレオナの与えた水でしっとりと艶を帯びるようになっていた。とはいえ、それはレオナの側にいる時の話であり普段は見慣れたひび割れた土だったが、その事については文句は無い。むしろ下手に誰かに見られてせっかくここまで耕した畑を横からかっさらわれるのは許せない。此処に育つのはレオナの埋めた種ただ一つだけであるべきだ。
そうしてレオナが丁寧に手をかけていると、ある日柔らかく濡れた土の中にぽつりと芽が生えていた。余りにも柔く儚い姿ながら鮮やかな緑は、大木に育った暁にはさぞ美しい葉をつけるのだろうと予想させるような鮮烈な色。
決して有象無象の虫に食い荒らされないように、折角芽吹いた命が誰にも踏み荒らされないようにと守るレオナの手間は一層増えたが不思議と面倒だとは思わなかった。
以前ならば渇いているから水だけもらえれば充分、それ以外の施しは無用と言わんばかりだった土が、早くレオナの水を浴び、世話を受けて大きく育ちたいのだとばかりに自らレオナの元へとやってくる。
レオナもまた、可愛らしい芽を懸命に守り育てようとする姿に執着していることを自覚していた。ただ偶然蒔かれた種が元気に育てば良いと言うわけでは無い。レオナの水だけを得て、レオナの手で育ち、レオナの前でだけ大輪の花を咲かせて欲しいと願うようになっていた。
一度芽吹いた緑は水を与えるだけでもすくすくと育ち、世話をし栄養となりそうなものを与えれば与えるだけ良く育った。ついこの間までレオナが守ってやらなければ簡単に踏み潰されてしまいそうだった芽はいつしかレオナを守れるほどの大木になり、寄り掛かってもびくともせず、むしろ頼られたことを喜ぶように育った枝葉がレオナを包み込み、小さくても鮮やかでたくさんの花を咲かせていた。
その大きさに見合わぬ可憐な花から溢れ出す香りは数多の人を引き寄せたが、全てレオナが追い払ってやった。この木を育てたのはレオナだ。レオナだけの美しい緑だ。その一欠片も誰かに譲ってやるつもりはない。
そうして、卒業を控えたレオナのベッドの上、最近ではいかにも待ち遠しかったとばかりに腕の中に飛び込んで来ていたジャミルが能面のような顔でやって来ては、初めて部屋に来た時のようにベッドの横からレオナを見下ろしていた。
「……先輩、俺が卒業するまで待っていてくれますか」
緊張にか震える声で、いつの間にか熟していたらしい果実がレオナに差し出されようとしていた。甘く人を誘い込むような香りを放ち、触れれば崩れてしまいそうな程に熟れたこの果実を、レオナが大事に育て上げた努力の結晶を、手に取らないという選択肢があるとでも思っているのだろうか。

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